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SS・掌編小説 その他・純文学

桜が舞い散る季節に

作者: 空クラ

短編です。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。


『ソメイヨシノ』といって人が思い浮かべるのは、やはり桜だろうか。

 中には『ソメイ』と『ヨシノ』という二人の苗字を続けて呼んだと思う人もいるだろうかもしれない。もしくは歌の題名か。

 他にもあるかもしれないが、ほとんどの人が考えるのは、桜か苗字だと僕は思う。

 でも僕はその名前から違うイメージをもつ。

 それはこの季節になるとかならず思い出す、たったひとりの存在だった。



「ソメイヨシノ」

 その言葉に、少し前を歩いていた少女は振り返った。

 少女は僕より三つ年下で今年で八歳になったばかりだった。

 見上げるように僕をみている顔には、不満気な表情がある。

 頬はピンクに染まり、眉を無器用にひそめていた。

 そして、すぼめていた口を開け「なんだ、ハル」と憤然といった。

 僕は肩をすくめたが、少女の顔は変わらなかった。

「ハル、ハル、ハル。なんだ、なんだ、なんだ」

 少女は連呼した。

 どうやら呼び捨てにされたのが気にくわなかったらしい。


 ハル。

 それが僕の名前だった。

 名前はハルだが産まれたのは秋だ。

 ややこしい、と自分自身そう思うけど、それは僕のせいじゃない。

 名前の由来は、昔のアメリカの国務長官から取ったらしい。

 でも誰もが春に産まれたからハルだと考える。

 最近ではいちいちそれを否定する気にもなれず、僕は肯定とも否定ともとれるような首の振り方をするようになっていた。


 人は産まれ堕ちたときからある種の縛りが枷られる宿命にあるのだ、と僕は思う。

 肉体はもちろん、名前などもその典型だ。

 自分の意思とは関係なく、それは自分を構成する上で大きなウエイトをしめることになる。

 良くも悪くも影響を受け続けるのだ。


 少女の両親がどういった意図で『ソメイヨシノ』と名付けたのかわからないが、彼女はその名前とともに生きていくことになる。

 それが嫌なら早くに結婚して苗字を変えるか、二十歳になってから役所で名前を変更するしかない。


「ハル。無視するな」というソメイヨシノの声で、僕の相念は破られた。

 僕は取り繕うように、「別に呼んでみただけだよ」というと少女は頬を膨らませた。

「なにー。人の名前を読んどいて、別にとはなんだー」

「ごめんごめん」

「ごめんは一度でいいの」

 少女は大人びた口調でいった。いつも親からいわれているのかもしれない。

「ごめん」

 素直に謝ると少女は、にこっと笑い「素直でよろしい」といった。それから、くるりと身体を反転させ歩きだす。


 ため息をつき僕はその後ろに続いた。

 はたからみればどう見えるのだろう、と僕は考えた。

 兄妹と思うだろうか。しかし僕の気分は憂鬱だった。わがままな姫に引き連れている従者のような気分だ。

 僕には兄弟というものがなく、どう扱っていいかわからないというのもあるだろう。だけどそれだけではない。


 僕は彼女のことをほとんどなにも知らないのだ。だけど僕は少女を公園に連れていくのがある種の使命のようになっていた。

 どうしてか僕自身にもよくわからない。理由などなかったのかもしれない。

 ただ少女が望む通りにするだけで、そこには自主的なものはなく、ただ流動的に、ことながれ主義的に続いている。そんな感じだった。

 よほどのことがない限り、何か自分で状況を変えようとしない。良くも悪くも何事もなく過ぎ去っていくものには行動をしない。それが僕だった。


 それでも頭だけは思考する。

 どうして僕はこんなことしてるんだろう、と。


 少女と出会ったとき、僕は散歩に出ようとしていた。

 いい天気だったし、運動がてらなにも考えずに歩くのも悪くないと思ったのだ。

 玄関の鍵を締め門扉に目をやったとき、僕は少女を見つけた。

 どこか途方にくれたような、それでいて意思の強そうな目で少女はこちらを見ていた。

「どうかしたの?」と僕はいった。

「公園につれていって」と少女はいった。

 それを聞き、僕は一瞬にして察した。

 きっと家族でお花見にきていたところ、この少女が何らかの理由ではぐれてしまったのだ、と。

 僕の家の近所にはそこそこの公園があり、毎年お花見が行われていた。

 そしてその行事に組み込まれているかのように迷子になる子どもはいたし、この少女もその類だと思ったのだ。

 だから僕は不思議に思うことなく、少女を公園の前まで連れていった。歩いて10分ほどの場所だった。

 そのあいだ二人とも黙ったままだった。

 僕はどう接していいかわからなかったし、少女も親からはぐれて見知らぬ人に喋るどころじゃないように見えた。

 公園入口までくると、少女は何も言わずに中に走っていった。僕は公園の人の多さを考え、中には入らず散歩に出かけた。


 そのまま時が流れていれば、記憶にとどまることのない日常の一ページになっていただろう。

 しかしそれで終らなかった。


 次の日も僕は散歩に出ようとして、家の前にいる少女を見つけた。そして少女は僕と目が合うと、「公園につれていって」と昨日と同じことをいったのだ。

「………どうして、またいるの?」

 僕はうまく状況を飲み込めず、馬鹿みたいに呟くしか出来なかった。


 結局、そのとき少女は僕の質問に答えなかった。ただ「公園につれていって」と繰り返しただけだった。

 それから何度か同じようなことが起こり、僕は考えるのを止めた。何かそれによって不利益があるわけでもなく、ただ公園まで連れていけばそれで終わるからだ。


 いつものように公園に近づいたとき、僕はくしゃみをひとつした。

「花粉か、ハル」と少女は首だけまわしていった。

「さあ、どうだろう。いままでは違ったけど……。花粉症になったのかも」

「それはよかったじゃないか」

 よくないよ、という言葉を僕は飲み込んだ。

 何か言おうものなら、なん倍にもなって返ってくるのが目に見えていた。それは経験的に僕は学んでいた。

 少女は僕の質問には答えないが、よく喋る子だった。そして、なにより負けず嫌いだった。

 僕は平和をこよなく愛する人間だったし、女の子相手に言い負かそうとは思わなかった。というか、正直勝てる気がしなかった。

 だから僕は肯定もしないかわりに否定もせず曖昧に首をふり、歩きだした。


「なあ、ハル」

 しばらくして少女が口を開いた。顔は前に向けたままだった。

「ん?」

 僕は少女の横に並んだ。声が小さく聞き取りにくかったからだ。

「あたしと知り合ってどれくらいになる?」

「さあ………確か三年目かな」

「そうか………」


 そう。彼女が現れてから三年にもなる。そのとき少女はもっと小さく幼かった。僕も今よりだいぶん背が小さかった。

 少女が現れてから今まで、僕の前に現れたのは、桜が咲いている季節だけと決まっていた。他の時期、何をしているのか、近所に住んでいるのか、わからなかった。

 わかっているのは花が咲く季節に現れ、桜が散ると姿を現さなくなるというだけだった。

「どうしたんだ?」

 僕はいつになく元気のない声に、つい訊いてみた。質問したところで答えなど返ってきたことなどないのに。

 しかし予想に反して少女は答えた。

「未来はどうなっていると思う」

「未来?」

「わたしはお嫁さんになっていると思う。それも美しいお嫁さん」

「………」

「あたしがいなくなると寂しいか?」

 僕は少し驚きながらもいった。

「さあ、どうだろう」

「冷たいな。フユやユキじゃないのに、ハルは冷たい。どこか人を寄せ付けないところがある」

 君にいわれたくないよ、と思いながら僕は首をふる。

「また来年、君は来るんだろう?」

「………………」

「そして公園に連れていけという。違うか?」

「………それはわからないよ。人はいつまでも同じ場所にとどまる事は出来ないし、遠く遠く離れていくものと決まっている。季節と一緒で移り行く。たとえハルが同じ場所にいてもね」

「………………」

 今までと違う少女の口調や雰囲気に僕は言葉を失った。

「わかる?」と少女がいった。とても子どもの会話だとは思えなかった。

「なんとなく」

 それで会話は終わった。

 少女はまた僕の前を歩き、僕はゆっくりとした足取りで後に続いた。

 公園につくと少女は中に入っていった。

 いつもなら僕はこのまま帰るか散歩に行くのだが、僕はそうしなかった。公園に足を踏み入れ少女の姿を目で追った。しかし少女はいなかった。

 まるで初めから少女などいなかったように、公園には桜の樹しか見つけることができなかった。

 


 僕はいま、一本の樹の前に立っていた。枝には桜の花はもうほとんどついていない。

 少女はあれ以来姿を現すことはなかった。少女が消えて十数年が経っていた。

 時間は流れていく。当たり前のことだが、いまあらためて理解したような気がした。

 人は名前の前に時間に縛られてる。名前はいつか変えられるかもしれない。でも変えられないものも厳然と存在する。

 人がバイバイをして過ぎていくものなど限られているのだ。

 知らない間にそれは僕のもとを去り、気が付いた時にはその影すら見ることも出来ないのだ。

 それか悲しいことなのか僕にはわからない。それが当たり前だと思うし、それではあまりにも悲しいとも思う。


 いつしか僕は涙を流していた。

 多分僕は花粉症なのだ。だから涙を流している。

 なぜかわからない。悲しいことなんてなにひとつなかったのに。しかし涙は止まらなかった。

 僕は土に立っている『ソメイヨシノ』と書かれたプレートを見て気づいたことがあった。

 『ソメイヨシノ』の字を並び変えると『ソノヨメイシ』『その嫁、美し』となるのだ。

 きっとあの少女は美しいお嫁さんになっていることだろう。そう考えてから、僕は首をふった。

 考えすぎだ。名前なんて関係ない。

 確かに縛られているものはあるだろう。だが、なによりもブレーキをかけているのは自分自身なのだ。自分で縛りを作っているのだ。

 新しい場所に踏み出す季節。いや季節など関係ない。いつだって新しく踏み出せるはずだ。

「さて、行くか」

 僕は桜を見上げ、呟いた。


End

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