簡易魔法シール
「ねぇ。私のアーネラはどこにあるの?」
フーさんにふいに尋ねられて、僕は首を傾げた。
「アーネラ?」
「うん。私のアウターの名前なんだけど」
僕はそれでようやく月のアウターを思い出す。
スラリとしたフォルムの白いアウターは僕も印象に残っていた。
「ああ、あのアウターか。綺麗だよねあの機体。今は格納庫に置いてあるよ」
「格納庫って、私が最初にいたところ?」
「そうだよ。良かったら、アーネラを修理しようか?」
僕があっさりそう言うと、逆にフーさんは困惑していた。
「……あの、そんなに簡単に場所を教えちゃって……いいの? 私が襲い掛かって来るとか考えない?」
「うーん。僕をどうこうしたって関係ないからなぁ」
フーさんはずいぶん困惑しているようだが、実際僕がいなくなったところで、どうなるわけでもない。
シュウマツさんは悲しんでくれるかもしれないけれど、それで困るのはやらかした誰かだと思う。
そう言うとフーさんは唇を尖らせて僕を見ていたが、ぐっと拳を握って顔を上げた。
「わかった。信頼されてるって思うことにする! ……アーネラを修理してくれる? そしたら私シュウマツさんと、カノーに恩返しするよ!」
「え? ああうん。それは助かるよ?」
妙に気合の入ったその言葉に、僕は曖昧に返事をした。
格納庫は宇宙と繋がっていて、コロニーの中にいくつかある。
中で作業をするならインナー装備は必須だが、僕の家から近い格納庫には毎日通っているから、手順はなれたものだった。
僕らはいったん宇宙空間用の装備を整えて格納庫に向かうと、そこで壊れかけのアネーラをいじってみることになった。
「修理はそんなに時間はかからないと思う。シュウマツさん、パーツはどうにかなるかな?」
「ふむ。必要なものを教えてくれるのなら。図面はあるのかな?」
「それは機体の方に入ってると思う、データは見せていい?」
「ホントはダメだけど、直らないと困るよ?」
「じゃあ内緒で見せてもらおう」
未知の機体を触るのは怖いなぁと思うが、ある程度仕組みは共通する部分も多いはずだから、何とかなるはず。
とりあえずきちんと動けるようにはしてあげたいが、尤もそれにはシュウマツさんの協力は必須だった。
「ふむ、後は材料があれば大丈夫だとも。おっと、噂をすれば今日の分が戻ってきたようだね?」
「今日の分?」
フーさんは、突然開いた格納庫のハッチに気が付きビクリと驚くが、入って来たものを見てますます混乱していた。
それもそのはず、宇宙からとんでもない大きさのの岩の塊が次々に入ってくれば目を疑うだろう。
そして岩は格納庫に積み重なると崩れて山になった。
「な、なにこれ!」
いきなり山が出来上がったそんな光景を見たフーさんは目を丸くしていたが、僕だってまだ見慣れたわけではなかった。
だが、知らないふりをするわけにもいかない。僕はこのコロニーで作られた魔法生物を彼女に紹介しておいた。
「鉱石を集めてくる生き物がいるんだよ。ほら、子供が生まれたみたいだ」
「へ? 子供?」
僕が指さした先にはキラキラ輝く宝石なようなものが浮いていた。
手のひら大のそれは、全て次の世代の魔法生物である。
彼らはいつもならすぐに宇宙に向かって飛び出していくのだが、今日は少し違っていた。
なぜか宝石のうちのいくつかが、フーさんに向かって漂ってきて、その周囲をぐるぐると回り始めたのだ。
「!……っと、危害を加えようって感じじゃないのかな?」
「ああ、どうやら彼女の纏う何かに引き寄せられているようだ」
なんじゃそら?
僕は注意深く観察すると、魔法生物の宝石とフーさんの周囲にパチパチと静電気のようなものが弾けているのが見える。
それはフーさんと魔法生物が、お互いに共鳴しているようにも見えた。
「うわぁ……この子たち、本当に生きてるんだね。宝石みたいなのに不思議だな」
「わかるのかい? それも月人の能力? 心を読めるって聞いているけど、まさかその子たちも?」
「え? ああ、うん。何か興味を持ってくれているのは感じるよ? でも、ちょっと頭が痛いかも……波長が合わない感じ」
うーむ端から見ると本当にエスパーじみてるなと、僕は唸った。
そして感心しているのは僕だけではなかったようである。
シュウマツさんは僕の横で明滅しながら、しばらくして電球のように輝いた。
「ほほう。なるほどなるほど。それは興味深い。少しいいかな?」
「どうしたのシュウマツさん?」
「いや、少し思いついたことがあってね。すまないが、少し中で素材を取ってきてくれないかな? それで機体の修理を請け負うよ」
「うん。わかった、じゃあ行ってくる」
何か思いついた時、シュウマツさんはわかりやすいなと思いつつ、僕はシュウマツさんのリクエストに応えるべく動くことにした。
シュウマツさんに頼まれた素材はほとんどが植物だった。
しかしこちらの植物ではなく、シュウマツさんの世界のものだ。
なんだかうっすら光っている草と、トゲトゲのキノコ。牙のついた木の実を持っていくとシュウマツさんは満足そうに点滅していた。
「うん、これだこれだ。ではちょっと待っていてくれるかな?」
そう言うと、持ってきた材料が光になって崩れ、再びまとまっていく。
そして一つになるとペラリと一枚の紙が姿を現した。
僕がその紙を拾い上げると紙の上には小さなダイヤ型のような模様が描かれていて、若干切れ目が入り台紙から浮いているのがわかった。
「イラスト?……え? これシール?」
「これは魔法文明中期に完成した、簡易魔法シールだ。これを素肌のどこかに張り付けると誰でも簡単に魔法が使える優れものだとも」
「何そのお手軽感。契約云々はどうしたの?」
「あれは、また特別なものだよ。これはもっと簡単なものでね、一つに付き一種類しか魔法を使えないのだがね。それにシールだから、消えると使えなくなる。まぁ使い切りタイプだ」
僕はあまりのお手軽さに、若干胡散臭いなと思いつつ、シールに興味津々のフーさんにシールを手渡した。
「こんなので、何の魔法を使えるようになるの?」
「これは翻訳の魔法だよ。私が君達に言葉を伝えているのと同じ魔法だ」
「へー」
僕らは500年くらい前から共通言語が発展していて気にしていなかったが、確かにどことも知れない世界から来たシュウマツさんの言葉が分かるのはおかしいのかもしれない。
僕はどうやら最初の最初から魔法に触れていたようだった。
「これを使えば、ひょっとすると彼らとより正確に意思疎通ができるのではないかと思ってね。やってみないか?」
「これで?この子たちと話ができるの?」
「話は分からないが、君の思うことを伝えることはできるかもしれない」
なるほどそれは確かに面白そうだ。
あの魔法生物たちは明らかにフーさんに興味を持っていた。
ひょっとすると月人特有の意思疎通の方法が、魔法生物たちのコミュニケーション方法と共通する部分があったのかもしれない。
ただ自分でやるとなると不安はあると思うのだが、フーさんは思いのほか気軽に即答した。
「ちょっとやってみたい」
「ではそれをおでこに貼ってみてくれ。場所の融通はきくが、翻訳の魔法は頭につけると効率がいいらしい」
「わかったよ、ちょっと待っててね」
怪しげなタトゥシールを貼るフーさんになんだかハラハラしてしまうのだが、僕はシールをおでこに貼って戻って来たフーさんをちょっとカッコイイと思ってしまった。
「つけたよ?」
「ならば集中したまえ。君の伝えたい言葉を、風に乗せるようなイメージで。そうすれば、魔法がそれを助けてくれる」
「うん! やってみる!」
激しく魔法生物たちの周囲にパチパチと輝いているのは先ほどよりも強く反応する放電か。
気が付けば、その辺を漂っていた魔法生物たちはどんどん集まってきていて、宝石が女の子に群がる不思議な光景になっていた。
「ん……!」
そして魔法生物は周囲を恐ろしく素早く動き回り、一糸乱れぬ動きでフーさんの前に整列した。
「! 出来た! 出来てるよね?」
「見事なものだ。素晴らしい。ふむ……元の世界でも魔法には適性や種族のシナジーみたいなものはあったのだがね。ここまでうまくハマるとは驚きだよ」
シュウマツさんは実験の成功に喜んでいるらしい。顔はないのにそのドヤ顔が目に見えるようだ。
そしてずいぶん簡単にフーさんが魔法らしきものを使えたこと自体が僕にとっては驚きだった。
「シナジーねぇ。僕にも同じことが出来るわけではないと?」
思わず尋ねたが、シュウマツさんは微妙に言葉に詰まっていた。
「それは……残念ながら。本来翻訳は似たような生き物にしか効果がないんだ。普通はあの意識の希薄な生物に命令を押し付けられないよ」
「そういうもんなんだ」
「そういうものだとも。例外はあるようだがね」
すでに自由自在にフーさんは宇宙魔法生物を操っていて、もはや手足のようである。
「すごいね! みんな私の言うことわかってくれる様になった!」
「すごいだろ魔法は? うおっっほん! ……さて、魔法を体感したのなら少し試してみたいことがあるから協力してくれないかね?」
「……なに?」
「いや、君のアウターというやつを直すのだろう? せっかくなら私も仲間に入れてほしいんだよ。ただ直すのではなく、魔法を使って改造を施してみないかね?」
「何それ面白そう!」
食いつくフーさんだったが、これから真面目に修理しようと思っていた僕は不安になって声に出た。
「いやいや、なんだか怖い提案をしているなぁ」
「興味がないかな?」
「……興味がないわけじゃないなぁ」
なんて提案をしてくるんだと僕は思ったけれど、残念ながら何をするのかとても興味がある。
そして止めようとする人間はここには一人もいないようだった。