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冥界奇譚

作者: 雪河馬

常に濃い霧がたちこめて視界を遮り、樹々は育たず朽ちることがない薄闇の世界。


現世と冥界の境界に存在する全てが停滞した地、道辻に蛍火(ほたるび)はずっと暮らしてきた。

紫色の長く伸びた髪に金色の瞳、そして透き通るような白い肌は、まるでヨーロッパのビスク・ドールのように美しいが、まるで本物の人形のように表情が欠如している。


蛍火には親がいない。ある日突然そこに在り、最初から自分の仕事を理解していた。


一本の細く白い砂利道が現世から冥界へと続いている。

ジャリジャリという音をたてながら死者たちがその道を進む。

やはてその身体は輝き始め、仮初めの肉体を光の粒と魂へと変えて昇華する。

この道は浄化と転生を司る道。


しかし、生前の罪の重さであろうか、地に落ちて茸となる魂もある。

その茸を餓鬼たちが拾い集めてむさぼり喰らう。


餓鬼、茸から生まれた人間の成れの果てで、餓鬼に食われずに育った茸が餓鬼となる。

餓鬼は地に落ちた魂があれば喜び踊り、おたがいの取り分を多くしようと相手を押しのけて奪い合う。

蛍火は餓鬼たちがどうも好きになれなかった。


「醜く浅ましい・・・。」


しかし、それは必要なことなのだよと神は言う。


「魂を食らっているのではないんだよ。魂についた余計なものを食べているんだ。そうして初めて魂が浄化されるんだ。」


まだ幼かった蛍火は神に問う。


「余計なものってなんなの。」


「人間が生まれてから死ぬまでの記憶やさまざまな感情、そういったものすべて。その中の負の感情がこびりついて垢となる。それを餓鬼に食われることによって魂は無垢な状態に戻り、冥界にいくんだよ。」


「それで人間は幸せになれるのか。」


神はそれには答えず、蛍火の紫色の髪を優しく撫でた。


死者の目はおおよそ濁り、意識は混濁し話すことはないが、まれに意識をもった亡者もやってくる。

彼らは概ね善ではあるが、何がしかの未練をこの世に残して死んだため、意識が魂から離れない迷い人。

彼らは一様に自分のことを話したがり、その場合蛍火は相手が飽きるまで、話し相手となることとしていた。

蛍火には永遠の時間があり、焦る必要がなかったし、それは彼女にとっての楽しみでもあった。


迷い人たちは蛍火にいろんなことを語り、蛍火はその話をただ聞き続ける。

家族のこと、生活のこと、恋のこと、そして自分の犯した罪のこと・・・・。

やがて満足するまで語った亡者たちは、自然に魂だけの存在となり天へ昇華する。

その姿を見送りながら、蛍火はふと思った。

人間の世界はどんなものなのだろう。家族はどんなものなのだろう。

蛍火はすぐにその考えを忘れたが、それは彼女自身も気づかないほどの小さな火種として心の底に残った。


歳月が流れ、蛍火は道辻の夜叉(やしゃ)のひとりとなった。

夜叉たちは皆美しいが、その中でも紫色の髪を腰まで伸ばした蛍火の美しさは群を抜いている。

もし彼女が地上にあれば傾国の美女と呼ばれたであろうほどの妖艶な美しさを持っていた。


その日の蛍火はいささか不機嫌な様子でその美しい顔の額に皺をよせていた。

遠くから騒がしい声が聞こえる。


(また、喰魂鬼(ハバキ)がでた。)


喰魂鬼は餓鬼より性質が悪い。

その罪深き魂は死してもその本能のおもむくまま行動し、死者の魂すら食らいつくす。

餓鬼が魂の穢れのみを食うのに対し、喰魂鬼は魂そのものを食う。

食べられ同化された魂もまた喰魂鬼となり、その魂は昇華することがない。

喰魂鬼の前には餓鬼たちもまた餌にすぎず、それを倒すのは蛍火たち夜叉の役目であった。

そのこと自体は容易いことであったが、蛍火はどうにも気乗りしなかった。


(喰魂鬼を殺しても、またすぐに生まれてくる。いつまで同じことを繰り返すのじゃ。)


夜叉の一人、朧月(ろうげつ)他心通(テレパシー)で彼女に話しかけてくる。


「東の池にわきおった。数が多い。今ざっと400匹はいる。私と水雲(みずも)で食い止めてはおるが。」


宿木(やどりぎ)思金(おもがね)の気配が感じられないが。」


「今はおらん。下生しているらしい。」


臘月の声に皮肉めいた響きがまじった。


(あいつら、現世にいるのか・・・)


神とともに生まれた宿木たち古参の夜叉は時々現世に転生している。

人の一生は短く、彼女たちにとってはほんのわずかの時間ではあるが、それでも蛍火は羨んだ。


(なぜ、わしは行っては駄目なのじゃ。わしは彼女たちよりずっと強いのに。)


腹立たしさを心の奥に押し殺して、蛍火は空に浮上し、東の池をイメージする。

彼女にとって物理的な距離は意味をなさず、願えばそこに到達する。

蛍火の体がゆらぎ消えた時と同様に、東の池の上空に光の玉が現れ、その中から蛍火が現れる。


彼女の眼前には無数の喰魂鬼相手に奮闘する2人の美女の姿があった。

ひとりは両手を頭上に掲げて光の矢を降らし、もうひとりは青白く輝く剣を左右に薙ぎ、喰魂鬼を斬り伏せている。

そのうちのひとり、剣を手に持った臘月が蛍火の気配を感じ、振り向いて安堵の表情を浮かべる。


「蛍火、待ちかねたぞ。倒しても倒しても湧き出してくる。かなりの数じゃ。」

「そんなに大変なら、宿木と思金を呼び戻せばよかろう。」

「そんなことができんことくらい、蛍火、ぬしも知ってようぞ。とにかく喰魂鬼の巣を潰さんとときりがなさそうじゃ。」


蛍火は東の方角を指差す。


「強い瘴気をあっちのほうから感じた。水雲ともう少し耐えてくれ。わしは巣を叩いてくる。」

「いそいでくれえ。いい加減疲れてきたわい。」


臘月は蛍火の顔を見ると少し元気を取り戻して、再び喰魂鬼の群れに向かって剣を振りかざし突進する。

水雲も空中から光の矢をまるで雨を振らせるかのように喰魂鬼の頭上に投げつけ、蛍火の進路を開く。


「気をつけていってらっしゃいね、蛍火ちゃん。危なくなったらすぐ戻ってきてね。」


蛍火は一瞬、不愉快な気持ちを忘れて微笑んだ。

自分も余裕がないのに、水雲はいつも自分の世話を焼く。あれはいつかの人間が言ってた”お姉さん”のようなつもりなのだろう。


「ああ、案ずるな水雲姉さん。ちゃんと喰魂鬼を退治してくる。」


「ねえさん・・・・、なにそれ?」


「気にするな。なんでもない。」


不思議そうな顔をする水雲を残して、蛍火は瘴気の源流へと進む。

瘴気の壁に阻まれて場所がイメージできないため、歩いていくしかない。

赤黒く光る瘴気は右前方へと長く続き、中心部に近づくにつれ身体にまとわりつくような不快感を感じさせる。


そのまましばらく進むとやがて赤黒い渦が見えて来た。

それは巨大な赤黒い茸で、空中に向けて糸を吐き出している。

はるか上空に噴き上げられた糸は、頂点まで達して落下してその形を喰魂鬼へと変えていく。


(おおきいが問題ない)


蛍火が身体の奥底から霊力(マナ)を全身にみなぎらせ、巨大な一匹のホタルのように青白く輝きながら巨大な茸に向かっていく。


喰魂鬼たちが襲いかかるが蛍火は意に介さず進み、やがて柄の部分にたどり着く。

それはまるで世界樹のように聳えたち、笠は周辺を暗くしていた。


「穢れたものよ、消え失せろ。」


蛍火はその霊力を茸にむけてぶつけると、巨大な爆発音とともに茸は青白い炎に包まれ崩れ落ちていった。


(はて、何かおるの・・・・)


茸があった中心部に小さな人間が倒れている。

それは餓鬼でも喰魂鬼のような禍々しいものでもなく、さりとて死者や亡者でもない。

その人間は生きていた。


蛍火は生きた人間を見たことがない。それでもその少年が生きていることはわかったが、その命の炎は彼の強大な霊力に反して弱々しい。

(喰魂鬼の苗床となったか)

地上に降り立った蛍火はそっと少年の胸に手を当て霊力を注入すると、少年の頬に生気が蘇り、しばらくして目を覚ます。まだ目の焦点は合っていない。


「少年、どこからきた。」

好奇心に駆られた蛍火がそう尋ねると、少年は必死で思い出そうとしているように途切れ途切れの言葉で話した。

「わからない。気がついたらここにいた。父さんと母さんが殺されて、僕も刺された。家が燃えて・・・そこからの記憶がない。」

蛍火には父さんと母さんがどんなものかはわからなかったが、この少年が家族を失ったことはわかった。自分が水雲を失ったようなものだろうと勝手に理解した。


「少年、お前の父と母はきっと先に行ったんだと思うぞ。お前はどうしたい?先に進むか道を引き返すか。」

少年は蛍火に尋ねる。

「先に進めば二人に会えるの?」

「それは無理だ。お前の父と母は・・・、なんだ・・・・、とにかく二度と会えないところに行った。」

「そこには苦しみはない?」

「ああ、無いな。」

少年はしばし考えてほっとした表情になって言った。

「それならよかった・・・・。」


蛍火は再び尋ねる。

「少年よ、お前はどうする。」

少年は少し寂しそうな表情で言う。

「僕は戻りたい。僕がいなくなると父さんや母さんのことを覚えている人が誰もいなくなるし・・・・。」

蛍火は、少年をその懐に抱えて天に舞い上がった。

「それでは戻るが良い。出口までは送ってやる。」


別れ際に蛍火は少年に髪飾りを渡したのは少年があまりにも不憫に思えたからであろう。

「困ったことがあればその髪飾りに祈れ、助けてやる。」

少年は髪飾りを握りしめて、頭を下げ、霞のかかった扉を下界へと降りていく。


後ろ姿を見守りながら、蛍火は考えた。

(神は今回の件の褒美を私に取らせるだろう。下界へと転生させてもらってあの子を見守ろう。)

(そして少年を守り、あの子の願いを叶えてやろう。

それは単なる気まぐれかもしれないが非常に楽しいことのように思われた。


(家族として・・・・・・・)



ある地方都市で資産家殺害放火事件が発生した。

その息子だけが焼け落ちた家から奇跡的に助かった。

その子はなぜか手に髪飾りを握りしめていたと言う。






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