白い菫
その年の秋。オルタンスはマルセルからジョーヴラン領へピクニックに招待された。キトリーとランベールも一緒である。
その際にランベールと二人きりになった。
「オルタンス嬢、体調は大丈夫なのか? 以前キトリーから君は体が弱いと聞いたが」
ランベールはオルタンスを心配しているような表情だった。
「ええ、気にかけてくださってありがとうございます。ランベール様」
それに対してオルタンスは微笑む。ランベールが自分のことを気にしてくれて少し嬉しくなった。
「こうして外に出て、皆様とピクニックに来られたことを、私はとても嬉しく思います」
紛れもない本心だ。体が弱く、昔はベッドの上で過ごすことがほとんどだったオルタンス。こうして外に出られる喜びを噛みしめていた。
「そうか、それならよかった。オルタンス嬢は普段何をしているのか?」
「体調のいい時は、家庭教師からの淑女教育の他に、読書をしたり刺繍や編み物をしたり、ピアノを演奏しております」
オルタンスは自分のことを話し始めた。
「ピアノか。ではオルタンス嬢はガーメニーのゲルト・フォルツという作曲家を知っているかな?」
「ええ、存じております。彼が作曲したピアノ協奏曲は今練習しておりますの。それそれ程有名な方ではございませんのに、知っていらっしゃる方がいらして嬉しいです。ランベール様」
オルタンスはふふっと笑った。二人はその後も談笑していた。
(ランベール様……私のことを気遣ってくださって、お話をしていて楽しい。とても素敵な方だわ)
まだ七歳のオルタンスにとって、恋に落ちるには十分な理由だった。
しかし、オルタンスの初恋は喜びだけでなく苦しみもあった。
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オルタンスはその後もランベールと交流を続けた。そしてそのうちあることに気が付いた。それは、ランベールの視線の先にはいつもルナがいたこと。
キトリー主催のお茶会にオルタンス、ランベール、マルセルだけでなくルナが参加した時のこと。ランベールはルナに国の未来についてなどを話している。オルタンスはそんなランベールの横顔をチラリと見る。ランベールのアメジストの目は、真っ直ぐルナを見つめていた。
(ランベール様はルナ様のことをお慕いしていらっしゃるのね)
ルナにはシャルルという婚約者がいる。ユブルームグレックス大公国の大公子だ。ルナとシャルルの婚約はナルフェック王国とユブルームグレック大公国の同盟の為、お互いがお互いを蔑ろにすることは出来ない。それ故、ルナとランベールが結ばれることは絶対にあり得ないことだ。
(だけど、恋は理屈ではないのね)
オルタンスは切なげに微笑んだ。
「オルタンス嬢、どうしたのかね?」
オルタンスの視線に気が付いたランベールが不思議そうにこちらを見ている。
「いいえ、ただ、ランベール様は熱心に国のことをお考えになられているのですね。私は自分のことで精一杯でございますので、尊敬いたしますわ」
ふふっと笑うオルタンス。
「オルタンス嬢はまだそれで良いと思う。家督や爵位を継ぐわけではないだろう。それに、今日もお茶会前にダンスのレッスンを受けたと聞いている。君も十分頑張っていると思う」
優しげな笑みのランベール。オルタンスの鼓動は速くなる。
「ありがとうございます、ランベール様」
オルタンスは嬉しそうに微笑んだ。
(こうやってお側にいてお話しするだけでも十分だわ)
テーブルには、可愛らしい白い菫が飾ってあった。
その時、オルタンスの視界がぐらりと揺れる。
(あら? ……目眩かしら? 嫌だわ、こんな時に。それに、さっきから心臓がバクバクしているわ)
オルタンスは自身の手を当てて胸を押さえようとしている。そんなオルタンスの様子にルナが気付く。
「オルタンス、顔色が悪くなっておりますわ。休んだ方が良いかと思います。無理はしないでちょうだい」
「きっとさっきのダンスのレッスンを頑張り過ぎたんだ」
キトリーは倒れそうになるオルタンスを支え、原因を推測した。そして侍女達に指示を出す。
「今すぐオルタンスを部屋まで運んで。それから研究所にいるオルタンスの主治医を今すぐ連れて来るように」
「お姉様……」
オルタンスの呼吸は少し荒くなっている。苦しそうだ。
「大丈夫だ、オルタンス」
苦しかったが、キトリーの優しげな笑みを見るとオルタンスの心は少し安らぐ。スッキリと清涼感あるミントの香りに包まれた。オルタンスはそのまま意識を手放した。
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(……ここは?)
オルタンスはゆっくり目を開いた。
見慣れた天井、見慣れた景色だ。
(私の部屋だわ。……お茶会途中だったけれど、倒れてしまったのね)
オルタンスは徐々に何があったかを思い出し、ため息をついた。
「目を覚ましたようだな、オルタンス嬢」
「ランベール様!」
「そのままでいい。無理に体を起こそうとしなくて構わない」
オルタンスは部屋にランベールがいることに驚いた。勢いよく体を起こそうとしたが、ランベールに止められる。
ほんのりスモーキーで男性的な薔薇の香りがオルタンスの鼻を掠めた。
「……ありがとうございます」
オルタンスは少しランベールから視線を外した。
「マルセル殿が君を部屋まで運んだんだ」
「マルセル様が。後でお礼を申し上げないといけませんね。……ランベール様はなぜここにいらっしゃるのでございますか?」
「……オルタンス嬢が心配だったからだ」
ランベールは一瞬考える素振りをしたように見えた。
「それと、こちらは王太女殿下からだ。今日のお茶会に来た全員に用意してあるそうだ」
ランベールから手渡された物は、上品にラッピングされた小さな箱だ。王家の紋章である金色に縁取られた紫の薔薇が付いている。
「ありがとうございます、ランベール様。王太女殿下にも、後でお礼を申し上げないといけませんね。それにしても、なぜランベール様が私の分をお持ちなのです?」
オルタンスは首を傾げた。しかし、理由は何となく想像出来た。
「あの後、王太女殿下はご婚約者と会う約束をしていたのですぐに王宮へ戻る必要があった。だから私が代わりにオルタンス嬢に渡すと申し出た」
ランベールは切なげに笑い、窓の外に視線を向けた。
「左様でございましたか」
オルタンスの予想通りの答えだった。
(王太女殿下をお慕いしていらっしゃるから、ランベール様がお引き受けしたのね)
切なげにどこか遠くを見ているランベール。きっとルナのことを想っているのだろう。まるで健気に咲くラッパスイセンのようだ。オルタンスはそんなランベールの横顔を、美しいと思った。
(私は、やはりランベール様が好きなのだわ。彼が王太女殿下をお慕いしていることも含めて……)
ベッドのすぐ側には、白い菫が飾ってあった。
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白い菫の花言葉は「あどけない恋」です。菫全般の花言葉は「小さな幸せ」です。
今回のお茶会はマルセルも参加していたのですが、オルタンス視点になるとどうしてもランベール中心になってしまいます。




