ピンクのシクラメン
その恋により、オルタンスの人生は満ち足りたものになった。
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オルタンスは病弱で、幼少期は一日をベッドの上で過ごすことが多かった。それ故に、オルタンスは本を読むか、調子が良い時にピアノを弾くことくらいしか出来ることがなかった。
(この本も読み終わってしまったわ……)
現在もベッドの上のオルタンス。最後の一冊を読み終え、いよいよ暇になってしまう。心の中でため息をついた。
オルタンスは同い年の少女より遥かに小さく痩せ細っていた。アッシュブロンドの真っ直ぐ伸びた髪に、ヘーゼルの目。そして肌は少し不健康な程白い。オルタンスの顔立ちは少し儚げな印象である。
その時、扉のノック音が聞こえた。
「オルタンス、入っていいかい?」
「キトリーお姉様! どうぞお入りになってください」
オルタンスの声は弾む。オルタンスは姉のキトリーとの時間を何よりも楽しみにしていた。
キトリーが入って来ると、スッキリと清涼感あるミントの香りがした。
(キトリーお姉様の香りだわ)
オルタンスは口元を綻ばせた。
キトリーは髪色と目の色はオルタンスと同じだが、顔立ちは中性的で健康そうに見える。どことなくルドベキアを彷彿とさせる少女だ。
「オルタンス、知ってるかい? 人の大腸の長さって約一メートル五十センチあるんだ! 小腸は約七メートル! 今日こっそり医学研究所まで行って聞いて来たんだ」
楽しそうに話すキトリーを見て、オルタンスも小鳥が囀るようにクスクスと笑った。
「お姉様はまた領地内の研究所に行ったのでございますね。お父様やお母様から怒られませんか?」
「大丈夫だって。それに、女に学問は不要って考えは古い」
さっぱりとした笑みのキトリーだ。
ヌムール公爵領の土地は農業には向かず、鉄鉱石などの資源が採掘されるわけでもない。とても不利な土地だ。だから医学で土地を発展させた。
「私が医学を学ぶことで、オルタンスの体を良くすることが出来たらなって思っているんだ。そうそう、今日は足を鍛えたら老化予防になるってことも教えてもらった。寝たまま出来る足のトレーニングもあるんだって。オルタンスも体調が良い時にやってみるといい」
優しげな表情のキトリー。老化予防と言っているが、現在キトリーはまだ七歳で、オルタンスはまだ五歳だ。
(お父様やお母様、そして侍女や使用人達は優しいのだけれど、体が弱い私のことを憐れんだり、無理をさせずに甘やかしているところがある。だけど、お姉様は違う。無理をさせなかったり心配してくれるだけでなく、私が出来ることを増やそうとしてくれる。きちんと私を見てくれる)
オルタンスはそんなキトリーに対して笑みが溢れる。
「ありがとうございます、キトリーお姉様。お姉様のお気持ちがとても嬉しいです。そうだ、またお姉様のご友人のお話をお聞きしたいですわ」
「良いよ。今日はどっちかな? 優しくて紳士的なマルセル? それとも……傲慢で憎たらしいランベール?」
「両方でございます」
オルタンスはキトリーと話す時間が何よりの楽しみだった。
そんなある日のこと。
「オルタンス、今日は紹介したい人がいるんだ。入って良いかい?」
いつものようにキトリーが扉をノックした。
(一体どんな方を紹介してくださるのかしら?)
オルタンスはワクワクしながらキトリーを部屋へ招き入れた。
キトリーと共に入って来たのは背の高い少女。月の光に染まったようなプラチナブロンドの長い髪に、アメジストのような紫の目。肌は陶器のように白いが健康的だ。
(とても綺麗な人だわ。紫の薔薇のような人)
オルタンスはキトリーが連れて来た少女に見惚れてしまった。
「オルタンス、驚かないでくれよ。このお方は……ルナ・マリレーヌ・ルイーズ・カトリーヌ様だ」
したり顔のキトリー。
ルナと呼ばれた少女は子供とは思えない上品な笑みを浮かべている。
(ルナ・マリレーヌ・ルイーズ・カトリーヌ様って……まさか!?)
聞き覚えのある名前にオルタンスはヘーゼルの目を見開く。目が溢れ落ちそうだ。
「……王太女殿下でございますね?」
オルタンスは恐る恐る確認した。
「ええ、そうですわ」
ルナは上品な笑みを崩さなかった。
「も、申し訳ございません! ベッドから下りずこのような体勢で!」
オルタンスは慌ててベッドから下りて挨拶をしようとしたが、ルナに止められた。
オルタンスはまだ淑女としての教育は始めていないが、王太女であるルナに対して今の姿勢は無礼だということは分かっていた。
「貴女が体が弱いことはキトリーから聞いておりますわ。そのままで構いません」
ルナは優しげな笑みだった。
甘美で格調高くエレガントな、薔薇の香りがした。
「ありがとうございます、王太女殿下。改めまして、オルタンス・デルフィーヌ・ド・ヌムールでございます。えっと……お会い出来て光栄です」
オルタンスはおずおずと自己紹介をした。
「こちらこそ、お会い出来て嬉しいですわ、オルタンス。キトリーに妹君がいると聞いて、会ってみたいと思いましたの」
ルナはふふっと微笑む。
「あの、王太女殿下はキトリーお姉様と仲がよろしいのでございますか?」
オルタンスは素直に聞いてみた。
「私とルナは親友さ」
質問にはキトリーが答えた。
「王太女殿下とお姉様が……親友……」
王位継承権一位の王太女と親友だと言う姉を見て、オルタンスは凄いなあと思うのであった。
それ以来、時々ルナもオルタンスに会いに来るようになった。
相変わらずベッドの上で過ごすことが多いオルタンスだが、キトリーやルナから聞く話が面白く、全く退屈しなかった。
窓辺に飾ってあるピンク色のシクラメンの花がもうすぐ開花しようとしていた。
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七歳になったオルタンス。以前より体が少し丈夫になり、ベッドの上で過ごす時間は減ってきた。
この日、オルタンスは少しワクワクしていた。キトリーが開く子供達同士のお茶会に初めて参加するからだ。オルタンスはキトリーとルナ以外の者と接したことがなかった。
(今日はキトリーお姉様や王太女殿下以外の方とお会い出来るのね。楽しみだわ)
オルタンスは侍女と一緒に鏡の前で身だしなみの確認をしていた。
そうしてキトリーに呼ばれ、お茶会が行われている部屋に入る。
そこにいたのはキトリーと二人の令息。片方は黒褐色の髪に、アメジストのような紫の目の美丈夫ランベール。もう片方は栗毛色の髪にアメジストのような紫の目で、柔和な顔立ちのマルセル。
「……オルタンス・デルフィーヌ・ド・ヌムールでございます。よろしくお願いします」
緊張で少し声が震えたオルタンス。
しかし、二人の令息はオルタンスのことを快く受け入れてくれた。
オルタンスはランベールのことが少し気になった。
ほんのりスモーキーで男性的な、薔薇のような香りがオルタンスの花を掠める。
(ランベール様……落ち着いて、堂々としているように見えるわ。……昔お姉様からお聞きしたた話とは少し違うお方だわ。お姉様も、ランベール様は最近変わられたと仰っていたわね。傲慢さや憎たらしさといったものは全く感じないわ。どことなくラッパスイセンみたいなお方)
オルタンスはランベールの方をチラチラと見る。しかし、ランベールはどこか遠くを見つめていた。
(一体何をお考えなのかしら?)
部屋に飾ってあるピンク色のシクラメンは、儚げに美しく咲いていた。
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ピンクのシクラメンの花言葉は「憧れ」です。