婚約破棄してくれて、本当にありがとう。〜転生者は、まさかのあの人〜
いつも通りになるはずだった、王宮での夜会。
公爵令嬢の私は、エスコートの男性も居ずに壁際に一人佇んでいた。
自分の婚約者であるはずのタンセント王国第二王子アーノルドが、今夜のエスコートを急に断ってきたからだ。一緒に出席を予定している夜会なのに通常では考えられないことで、私も彼から断りの手紙が届いた時には目を疑った。
でも、仕方のないことかもしれない。数ヶ月前から、彼はある女の子に夢中だから。
珍しいピンク色の美しい髪を持つ、生まれてからついこの前まで平民として過ごしていたというメアリ・ウィンストン男爵令嬢。
「エリス・ブラッドレイ!」
まさか。今。
この声に呼ばれるなんて全く思っていなかった私は、条件反射で名前を呼ばれた方向へと振り返った。
私の今夜のエスコートを断ったアーノルド王子、その人だった。彼は金髪碧眼を持つ美男子で、いかにも王子様らしい王子様だ。幼い頃からの婚約者。
「……アーノルド……殿下? 私に何か?」
私は戸惑いながら、周囲を見渡した。
気がついたら、佇んでいた壁際の周囲に人は居ずに、夜会に出席している貴族たちは騒めきながらも遠巻きに成り行きを見ていた。
相対するのは、仲良く寄り添う二人。
不機嫌な様子のアーノルドは、怯えるような表情のウィンストン男爵令嬢の腰に手を回し私を鋭い視線で睨んでいた。
「今夜を以て、お前と婚約破棄をする!」
彼が言い放った予想もしていなかった一言に驚き、思わず目を大きく見開いてしまった。
この国の貴族令嬢の中でも高い身分を持つ公爵令嬢の私と、尊き王族の一人である第二王子アーノルド。
身分はこれ以上ない程に、釣り合いが取れていた。
タンセント王国の政治的派閥のバランスを考えれば、これよりは望めないほどの良縁として、彼の父、この国の王からもお墨付きも出ている縁談だった。
それを、婚約破棄? アーノルドの暴挙はどうかしているとしか、言いようのないほど。
政治的には……そう。私のお父様も、許さないだろう。アーノルドの父上である陛下だって……きっとこれを聞けばお怒りになるはず。
ウィンストン男爵令嬢はアーノルドの腕に手をからませ、無表情で私を見下ろしていた。
「お前の悪事は、もう既に知っている! ここにいるメアリを悪漢に攫わせようとしたり、階段から突き落としたりしたことをな! このメアリが私からの寵愛を得ていることを知り、バカなことをしたものだ」
アーノルドの周囲にいる、何人かの見たことはあるけれど名前は知らない見目麗しい男性達も私を蔑むように見つめている。
どういうこと? 私はやったこともないことで婚約破棄されて、このままだと年頃の未婚の令嬢なのに、もう何処にも嫁げなくなってしまう。
「アーノルド……アーノルド殿下、それは違います! 私は何も、何もしていません」
涙ながらに語ってもアーノルドや周囲の厳しい視線は、突き刺すような鋭さを増していくだけ。
「エリス、残念だ。ここでまた、私を騙そうなどと考えたのか。もう、君には騙されない。もう二度はない」
厳しい言葉で私を圧するように、アーノルドは話した。
「証拠は、証拠はあるのですか? このままでは、納得できません!」
私の方へと、目深に兜を被った衛兵二人が近付く、アーノルドが顎を使って指示をした。
「エリス、見苦しいな。このまま牢へとひっ捕らえろ」
見知らぬ衛兵に両手をがっしりと掴まれる。
その時、そっと耳元で囁かれた。耳触りの良い優しい低い声だ。
「ブラッドレイ公爵令嬢。私たちがお助けします。どうかこのまま、今は何も言わずに従ってください」
誰?
そっと眉を寄せた私だったけれど、確かにこの場でもう何を言ったとしても、嘘だ虚偽だと決めつけられて終わってしまうだろう。
私は肩を落として、背の高い二人の衛兵に間に挟まれるようにして従った。
アーノルドや取り巻き達の、大きな笑う声を背にして。
◇◆◇
「ブラッドレイ公爵令嬢」
人目のない王宮の渡り廊下を、衛兵2人に連れられて歩いている時に、腕を掴んでいた彼らの歩みがぴたりと止まった。
「……あの、あなた達は誰ですか?」
そっと二人は私の腕から手を離すと、騎士の礼をしてゆっくりと跪いた。
「先程は乱暴な真似をして申し訳ありませんでした。私はタンセント王宮騎士団長を拝命しておりますエクリュ・ルイスと申します。こちらは、私の副官のセイン・アダムス。あなたを助けるよう、ある方からの命で動いております」
ざっと兜を二人とも外す。
私は驚き、思わず息を止めてしまった。
先程自己紹介をしたエクリュは見事な輝く金髪碧眼を持つ美青年、そして彼から紹介されたセインも短髪の黒髪黒目の美丈夫だったからだ。
「……ある方、というと?」
「この国では至高の存在である方です」
ということは、陛下が? 私は首を傾げながら、今の状況を考えた。
王様も自分の息子であるアーノルドがあんな風に……婚約者であり、幼なじみでもある私の言葉に、一切耳を貸さなくなってしまっていることは知っているんだろうか?
「さ、こちらへ、馬車を用意しております」
私は頷いてエスコートしてくれるエクリュの後に続いた。そのまま、家族の待つブラットレイ公爵邸に帰れるのだろうとそう思いながら。
◇◆◇
「エリス様には私の邸で当分生活をしてもらいます」
そんな爆弾発言があったのは、いかにも高級な馬車に乗り滑らかな動きで出発して、いくらかも経っていない時の出来事だ。
「え?」
「現在はエリス様は牢に居る、ということになっています。事態が落ち着きほとぼりの冷めるまで、私の邸にて静かに過ごして欲しいんです」
エクリュは整った顔を少しだけ照れたようにして、私に向かって言った。
「えっと、でもその、私、未婚ですし……」
そう。この国では、家族以外の未婚の男女が同じ屋根の下で過ごす、ということはそういう風に取られかねない。とても、重要なことなのだ。
「……エリス様には、私や団長含めた騎士団の中から、次の婚約者を選んで良いとのお言葉も頂いております。もし、貴女さえお気に召せば……ですが」
それまでずっと言葉を発しなかった黒髪のセインが、その時初めて私のことをじっと見つめながら言った。
騎士団から、婚約者を選んで良い?!
私は急にドキドキとし始めた心臓に手を当てた。顔はきっと赤くなっている。
タンセント王宮騎士団といえば、美形揃いで有名だ。ここにいるエクリュやセインもがっしりとした筋肉質な肉体を持つ美形だし……なんなら、その他の騎士からも、選んで良いって言うの?
私はよしっ! と無言で両手を握りしめながら思った。
アーノルド、本当になんだか良くわからないけど、婚約破棄してくれてありがとう!
私。これから美形の騎士様、捕まえるね!
◇◆◇
「こちらがエリス様のお部屋です」
私は変装用だっただろう鎧を脱ぎ、軽装に着替えを済ませたセインに、部屋まで案内してもらった。
「あの……」
私はちょっと言い難いけど、言わなければならないことを言う。
「なにか?」
「夜会用のドレスは1人では脱げなくて……メイドを誰か呼んで頂けますか?」
セインは鋭い黒い目を、面白そうに輝かせた。
「もちろん。では、私めが手伝っても?」
「ダメです……!」
焦った私にセインは吹き出すと、大きな声で笑い出す。そんな風に男性から笑われた経験のない私は、仏頂面になりながら言った。
「もうっ。からかわないでくださいます?」
「からかってませんよ。私はエリス様から婚約者に選ばれたいもので、先を急いでしまいました。大変、失礼しました」
にやにやとした悪い笑いを、端正な顔に浮かべながらセインは揶揄った。
私はその後にすぐに来てくれた若いメイドさんに、夜会用のドレスからの着替えと、湯あみを手伝ってもらった。疲れを感じたせいか、その日の夜はすぐに寝てしまった。
「おはようございます」
また昨夜と同じメイドさんに手伝ってもらうと、私は可愛らしい平民服を渡されて着替えた。
エクリュからの伝言によると、なんでもしばらくの間、身分を隠しての生活になってしまうので、ここでは平民として暮らして貰いたいと言われた。
ちなみに設定は、エクリュの親戚筋の女の子で、お嫁に行く前の礼儀見習いとしてここ王都に出て来ている。
「エリスさ……エリス、平民服姿もとっても可愛いですね、似合っていますよ」
朝食の席に出ると、エクリュはその甘い容貌にとろけるような笑みを浮かべて私を見た。
やっぱりドキっとしてしまう。エクリュは私よりそれなりに年上なんだろうし引く手数多で経験が多そうだから、こういう甘い言葉を言うのも、慣れているんだと思う。
「本当だ。昨日はどこからどう見ても、完璧で美しい公爵令嬢だったけど……こうしていると、どこにでも居る町娘にも見えるから不思議だな」
腕を組んでいたセインは、私を見てその鋭い相貌を細めた。
「エクリュさん、褒めてくれてありがとうございます。セインは、一言多いですっ」
私は食卓に腰掛けながら、そう答える。
朝来てくれたメイドさんからの情報によると、二人とも伯爵家の次男や三男らしい。
公爵令嬢の私とも身分的に、釣り合わないこともない。それに他ならない陛下からの肝入りの縁談ともなれば、私のお父様の公爵位は継げないかもしれないけれど、伯爵位や侯爵位を叙爵されることも大いにあり得そうだった。
「その、今日はどうするんですか?」
「……エリスは何がしたいですか?」
質問に質問で返された私はエクリュとセインの顔を交互に見た。
「……したいこと、しても良いんですか?」
二人は一瞬目を合わせると、にこやかに笑って頷いた。
私はここでも神様に感謝した。ありがとうございます!
幼い頃からずっと、お忍びで町歩きとか憧れていたんだよね。
もし私の身分が何かが間違ってバレてしまっても、これだけ強そうな二人と居たら、何があったとしても絶対に大丈夫だと思うし。
「それじゃあ、王都を歩いてみたいです!」
私のその提案に、二人は面をくらったような驚いた表情をすると、大きな声で笑い出した。
「そんなことで良いのか?」
「はい! ずっと、夢だったんです。何も、気にせず誰にも注目されず、大通りを歩いてみたかったんです!」
「……誰にも注目されずは、少し難しいかもしれませんが、良いでしょう。行ってみましょうか」
私は大きく何度も頷いた。本当に町歩きが夢だったからだ。
◇◆◇
「お前……エリス、まだ食べるのか?」
呆れ顔のセインは私の右手に持ったクレープを指差しながら言った。
「もちろん。こんな街歩きする機会、もう死ぬまでないかもしれないもの! なんでもやってみたいし、なんでも食べてみたいの!」
「大げさだな」
呆れたようにふうっとため息をつくセインに、私はぷうっと頬を膨らませた。
「あなたも、生まれてからずーっと不自由な公爵令嬢になってみると良いわ! 何にも自分の好きなことなんて、出来ないんだから」
私はクレープに行儀悪くかぶりついて食べた。行儀悪いこともしても、爺やにお叱りを受けることもない。
私……今、自由だわ。
「……俺と結婚したら、いつでも街歩きに連れてきてやるよ」
にやっとセインは笑いながら言う。私はなんだか不思議になった。
確かに私は公爵位を持つお父様が居る公爵令嬢だ。けれど、この国タンセントの第二王子に婚約破棄された、誰かから見れば傷のついてしまった令嬢だ。
王宮騎士団の騎士で美形でこんなに良い体しているセインなら、無傷の見目麗しい未婚の令嬢が、こぞって結婚したがるだろう。
なんで、私なんだろう?
「昔、どこかで会ったことある?」
「……なんでそう思った?」
「だって、私みたいな……傷のついた婚約破棄された令嬢じゃなくても、セインならっ……どんな縁談でも……」
「……傷のあるリンゴは甘くなるって知っているか?」
「え? 何言ってるの?」
「俺は、甘い方が好きなんだ」
飄々とそう言い放つと、セインは私の背中を押しつつ、屋台が多い通りから遠ざかっていく。
なんだか、うまく誤魔化されたような気もするけど、町歩きが楽しいから、まあ良いか。
私はきょろきょろと辺りを見渡しつつ、セインと連れ立って歩きながら、クレープの最後の残っていた欠片を口に放り込んだ。
「セイン!」
背後から声をかけられて、私とセインの二人は振り向いた。そこに居たのは、薄茶色の髪と薄い緑色の目を持つほっそりとした体を持つ人だ。
「なんだ、ザスか」
「セイン?」
「騎士団の仲間だよ。もっとも……エリスにとっては、夫候補の一人かな」
私はまじまじとザスと呼ばれた人を見た。確かに彼も美形なんだけど、騎士と言えるほど屈強な体をしている訳ではない。
「私は騎士団の会計や、文書作成担当なんです。戦闘要員でありませんので。お初にお目にかかります。エリス様」
私の不思議そうな顔の考えを、読んだかのようにザスは言った。
「セイン、ルイス団長が呼んでいる」
「……エクリュが? だが、俺は今エリスと……」
「団長の急ぎのご命令だし、何か良くないことかもしれない。こちらのお嬢様のお守りなら、俺に任せてよ」
セインはザスの言葉に戸惑いながらも、エクリュからの命令には逆らえないのか、私を心配そうに無言で見つめた後、来た道を戻り去っていく。
「エリス様、こちらへどうぞ」
残された私は、手招きされてザスが乗ってきたであろう馬車へと近づく。
「……可哀想に。何も、悪いことしてないのにな」
乗り込んだ後、何の感情も見せずにザスは呟き、私の鳩尾に衝撃が走った。
◇◆◇
「この女は断罪されたはずなのに、自由に出歩いているなんて……どういうことなの!」
私はキンキンとした金切り声が聞こえてくる中、眉を寄せながら目を開けた。
「エリス・ブラッドレイは悪役令嬢でしょ! 断罪されて処刑されるはずなのに、何で騎士団に守られているのよ!」
「メアリ・ウィンストン男爵令嬢……?」
私はゆっくりと半身を起こしながら、呟いた。
この声。いつもは鈴の転がるような笑い声でよく聞いていた声に似ている。学園でアーノルドや取り巻きと一緒に楽しそうに、彼女はいつも居たから。
「あら。起きたのね……騎士団長エクリュ・ルイスと副団長のセイン・アダムスは逆ハーレムを達成したら出てくるとっておきの隠しキャラなのよ! 出現イベントになっても出てこないし、おかしいと思ったら悪役令嬢を匿って町歩きデートですって!? そんなこと絶対に、許さないわ……」
ギリッと音をさせそうなほど、強く歯を噛み締めてメアリは私を睨みつけた。
「何を、何を言っているの?」
私は戸惑ったまま、ウィンストン男爵令嬢を見た。
「わからなくて、当然なのよ。ゲームの世界に転生したなんて、私にも信じられないんだから。でも、エクリュもセインもぜーんぶぜーんぶ私のものなんだから! 絶対にあんたみたいな悪役令嬢になんか渡さない!」
訳のわからないことを言い募り、無遠慮に指を差してくるメアリに、私は困惑して首を振った。
「……メアリ、落ち着きなよ。だから、君の言う通りにこうして捕まえてきただろう? ご褒美をくれよ」
「ああ、ザス、居たの。ゲームのサポートキャラのあなたには当然のことなんだけど、良いわ。じゃあ、頬にキスをしてあげる」
「公爵令嬢誘拐という危ない橋を渡って、頬にキス? ふざけないでくれよ、メアリ」
「はあ? 私に逆らうの? あなたなんてアーノルドに一言言えばいなくなっちゃうのよ」
せせら笑うようにして、メアリはザスを見た。
もしかして仲間割れ? 私は周囲を見回した。もしかしたら、ここは城の中にある馬小屋のひとつかもしれない。
私は言い合いになっている二人を横目に、考えを巡らせた。
今はもうアーノルドの婚約者となり、次期第二王子妃になるであろうメアリを警備の弱い実家の男爵家には暮らさせられなくて、城での生活となっているのかもしれない。だから、城の中の建物に私を連れてきたのね……。
私は後ろ手にロープで縛られているけれど、あくまで軽く、だ。ザスもこういうところは、すこしだけ仏心を出したのかもしれない。
私はまだ言い争う二人の隙をついて、一気に立ち上がるとすぐさま走り出した。
大騒ぎになるかもしれないけれど、このまま闇へと葬り去られるより、まだ生きている方がマシだと思おう。
私がドアに体当たりするとバン! っと音がしてかけられていた蝶番が壊れてしまう。
そして転びかけそうになりながら、必死で走った。
「誰か、誰か助けて!!」
叫びながら走り出す、そんな私の体を一気に引き寄せる逞しい存在を感じた。両手を縛られているため、彼の胸へとつんのめるように抱き込まれる。
「エリス……こんなところに……」
「エクリュさん……あのっ……ごめんなさいっ……私」
「あなたが謝ることはない。ザスが裏切ったんですね……セインも騎士団の皆も、血相を変えてあなたを探し回っています。私は城から馬に乗って出るところでした。本当に良かった」
両手が不自由になってしまっている私を抱きとめて、心底良かったと呟くエクリュにこんな状況だけど、顔が熱くなって来た。
「エクリュ団長!」
追いかけてきたザスは状況を見て観念したのか、平伏してぶるぶると震えている。その後を着いてきたメアリはエクリュを見て黄色い声を出した。
「わー、エクリュ! こんなところで会えるなんて! いつもイベントのはずなのに会えないし、寂しかったんだから」
「黙れ。お前に、呼び捨てされる覚えはない。ウィンストン男爵令嬢、この事態、どう言い訳するつもりだ?」
「……そんな。隠しキャラだからってイレギュラーなのかしら、通常だったら、私にすぐメロメロになるはずなのに……」
ぶつぶつと呟きながら、メアリは私を睨みつけた。
「全部全部、あんたのせいよ! エリス・ブラッドレイ! 悪役令嬢のあんたが、ちゃんと役割を全うしないからこんなことになったんだから!」
また訳のわからないことを叫び出したメアリを横目に、エクリュは私の両手を縛っていた紐をちいさなナイフで切った。そして、ザスや周りで様子を窺っていた何人かの衛兵に命令した。
「メアリ・ウィンストン男爵令嬢はどうも気が狂ったようだ、中央の塔へと身柄を運べ。これは陛下からの命令だと言えば、わかるか?」
次々と狂ったように叫ぶウィンストン男爵令嬢の周囲に、駆けつける衛兵を見ながら私はほっとして全身の力を抜いた。
「大丈夫です。エリス。僕がこれからはずっと居ますからね?」
意識を失ってしまうその前に、そっと額に温かな感触を感じた気もした。
◇◆◇
「団長、ずるいですよ……エリス様が騎士団から次の婚約者を選ぶとはいえ、自分とセイン以外近づけていないじゃないですか」
「文句を言う暇があるのなら、少しでもエリスの気を引く方法でも考えるんだな。俺は敵に塩は送らないし、絶対に気は抜かないぞ」
団員の一人のボヤきに言葉を返しつつ、隊列を正していく。
これから、騎士団の鍛錬に王の観覧がある。とは言っても、いつもよく分からない無駄話をして終わるのだが。
「おう、エクリュご苦労だな」
王がやって来て、皆一律に姿勢を正す。
「労いのお言葉、ありがとうございます。今日はどのような御用で?」
「いや。儂の前世の推しだったエリスが、命を救われたと聞いてな、これは褒美を与ねばなるまい?」
「推し? ですか?」
エクリュやセインは、不思議そうな表情になった。王は本当に、たまに訳のわからないことを言う。
「そうだ。あの美しい銀色の髪に紫の目可憐な表情、ヴィジュアルを見た時、間違いなくヒロインだと思ったら悪役令嬢でのう。儂がこの世界に生まれ変わった時、必ず彼女を断罪から救わねば、と決心したんじゃよ」
「はあ」
エクリュやセイン、団員達は何とも言えない表情で聞いていた。
「ふっ。まぁ、そういう反応だろうな。お前達の中で、見事エリスを恋に落とすことが出来れば、ある程度の爵位を授けよう。儂がもっと若ければ……自分で幸せにしたんだがのぅ……」
よく分からない王の呟きに耳を貸しつつ、タンセント王国騎士団の面々は麗しいエリス嬢へ、恋慕を濃くするのであった。
fin