プロローグ Glittering Eyes――a
ライゼが自分で車いすを回転させ、トレーネに向き直った。
「……ライゼ様……何故これを……」
「その前に。はい、トレーネ」
そして手に持っていたそれを一旦懐に入れ、代わりに一枚の紙を取り出し、トレーネに渡した。
「どういう……依頼書ですか……これは」
紙、つまり依頼書を受け取ったトレーネは、月明りで読みにくいその依頼書を、黄金の瞳を凝らして読む。
そして、次第に驚愕とも怒りともつかない表情を浮かべた。
「どういうことですかっ、これはっ!」
「読んでの通りだよ。僕からの依頼。『黒銀の聖女』トレーネに対しての依頼。僕を王都へ連れてって。……旅をしよう」
「…………です……無理です。無理ですっ!」
トレーネは叫んだ。訴えるように、懺悔するように叫んだ。
「あれ? もうすぐ冒険者の頂点のランクになる人が、こんな簡単な依頼を断るのかな?」
「ッ。挑発には乗りません! ……私は……私は、遅かった!」
依頼書を握りしめ、車いすに座っているライゼに縋りついた。
膝を尽き、月光を煌めかせる雫を地面に落とした。沁み込み、濡れる。
「結局、半年以上経っても私は変わらなかった! ……それどころか、ライゼ様をあそこまでして!」
ライゼが枯れ木のように細い腕で、トレーネの頭を撫でる。
「もうあんな思いは嫌です! 失うのが怖くて怖くて怖くて! 私なんかのために……もう何も分からないっ! 私は何をしたかったっ!? ここまでして欲しかったものなのっ!?」
何も言わず、月明りに影を灯しながらライゼはゆっくりと赤子をあやす様に撫で続ける。
「何もできなかった、何も成し遂げられなかった私は……」
トレーネがゆっくりと顔を上げた。
諦観と失望と悲しみと後悔と苦しみがあった。欲しかったそれは、結局彼女にとって無為になった。
わけがわからない。ここまで気丈にふるまったけれど、つい決まった瞬間、それが達成すると分かった瞬間。
全てが崩れ落ちたんだ。
ライゼのあの時の言葉が今もトレーネを苛むのだろう。
「……私は笑えません。フリーエン様に笑えません。それどころか、ライゼ様にも絶対に……」
闇が、影がトレーネの顔を包んだ。
あれだけ晴れ渡っていた満月の夜空に、いつの間にか分厚い雲が覆っていた。
「迷った。悩んだ。怒った。泣いた。苦しんだ。悲しんだ。後悔した。失望した。絶望した。今はもう闇の世界。一生闇が続く」
「……ぇ」
星明かりも月明りも隠れ、屋敷から漏れる光も消えた深夜。
闇の世界。
「けれど……うん、やっぱりその瞳は光り輝いている。いつでもどんな時でも優しさがあって、慈しみがあって」
ライゼがトレーネの頬に右手を当てた。
ひたひたと這いよるその世界で、黄金の瞳だけが光り輝いていた。
「綺麗で、美しい」
「……ッ」
あまりに唐突なその言葉に、トレーネは息を飲む。
体を引こうとするが、ライゼが左手も頬に手を当てた。
「どんなに暗闇が世界を覆っても、絶望が蔓延っても、見ようと思えばどこにでも美しいものはあるんだよ、トレーネ」
その言葉は、今のライゼを、いつ何時も楽しみ喜び悲しみ泣くライゼを作った言葉。
今、キラリと一筋の雫を流したライゼに注いだ師匠の言葉。
「その美しさは何も喜びから生まれるわけじゃない。悲しみから、絶望からも生まれる。決して……やっぱりどこにでもある」
「……泣いているのですか……」
「うん。悲しくて哀しくてね」
突然現れた雲は、ゆっくりと晴れていく。
ライゼが流した数滴の涙は既に枯れ、トレーネから流れる雫も止まった。艶めく黄金の瞳が大地の瞳をとらえた。
「僕はトレーネとその美しいを見たいと思っている。ここまで一緒に旅をしたんだ。最後まで、どんな旅路でも最後まで足掻いて藻掻いて余裕を持って苦しんで悲しんで喜んで楽しんで……旅をしたい」
「……ッ。それは……」
「最後を見たい」
それは案外ひどい願いだ。
トレーネの旅の最後は、哀しい最後だ。別れの最後だ。別れすらできないかもしれない別れの最後だ。
それを美しいだろう、と勝手に予想してそれを見たいと傲慢にもいった。
ひどい願いだ。
「トレーネ。『黒銀の聖女』トレーネ。報酬はこれ。望む場所へ行く魔法が込められている。あまりにも強い魔法だから、一度使ったら壊れてしまう」
「ッ」
「依頼はさっきと同じ……いや、楽しい旅をしよう。喧嘩して罵りあって、泣いて悲しんで笑って喜んで、全てを楽しむ旅をしよう。そして、最後を見せて」
雲が晴れた。
満月がライゼを照らす。
「また甘えてしまいます」
「僕は一度もトレーネに早く起きろ、と言ったことはないし、その日の服装から髪型まで全て決めたことは一度もないよ」
ライゼが茶化すけど、トレーネは力なく笑った。
敵わないといったように笑った。
「……喧嘩はもう十分です。罵りたくありません。泣きません。悲しみません。けど、悩んで苦しんで喜んで笑いたいです」
「うん」
「無理だと思ってます。けど、もしかしたらとも思っています」
「うん。当たり前だよ」
トレーネは立ち上がり、ライゼを見た。
スッーと息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「楽しもうと思います。最後の最後まで頑なに意地を張ろうと思います」
「うん、頑張ろうね」
満月に負けない黄金が煌めいた。
「その依頼、謹んでお受けいたします」
「よろしくね」
流れた雫は既に乾いていた。
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