獣人ナンバー⑤-3 生田ナオ
両親との再会から、一ヶ月がたった。
その間、特に問題も起こらず僕達は普通の高校生活を送っていた。
ナナを異性として意識し始めていた僕は、こうして二人で下校するだけでも前とは違い、なんだかぎこちなく感じていた。
「ねぇ、ナオぉ」
「へぁ? な、なな、なに?」
「何でそんなにどぎまぎしてるの? まぁ、いいや。………あのね、今度の土日なんだけどね、ママね、大阪に出張なんだぁ」
「んっ、あぁ。そうなんだ。おばさんも仕事大変だね。休みもなく。まぁ……、なんだかんだで校長だから、そりゃ……まぁ……うん……。忙しいか」
ナナは、猫なで声でさらに続ける。
「だからね、土日はね、私一人しかいないの。あんなに広い家に一人だけ」
「そっか。でもさ、ナナの家ってセキュリティは万全だから、泥棒とかの心配はいらないよね」
「…………………」
ナナは、急に無言になると不機嫌全開の速歩きで、僕を置いて行ってしまった。長年の経験から、このまま放置するのは危険だと判断し、ナナに慌てて電話をかけた。
『あぁん? 誰じゃっ!!』
『え、ナオだけど』
『今更、なんじゃい!!』
『土日にさ、泊まりに行こうかな。まぁ、僕なんかがいてもあまり意味ないだろうけど』
『…………………ほんまけ?』
『うん。ナナさえ良ければだけど』
『はぃ……。アナタが来るのを首を長くして待っています』
『うん。じゃあ、また後でね』
『はぁあぁい』
どうやら、僕に泊まりに来てもらいたかったみたいだ。少し察するのが、遅かった。機嫌を悪くしたナナは、何をするか分からない爆弾少女。これからも気をつけないと。
土曜日の夕方。僕は、ナナの家を訪れた。ナナの住んでいる場所は、北区。北区は、僕が住んでいる南区と違い、高級住宅地になっており、僕みたいな庶民には縁のない場所だった。
金持ちなのは、言うまでもない。
一際目立つ大きな一軒の家の前で立ち止まった。レンガ造りの高い塀からは、中の様子を窺うことが出来ない。隣の家よりもさらに高く屋根が突き出ている。パッと見ただけで、六台の監視カメラが僕を睨んでいた。悪さをしてなくても緊張してしまう。
異質なほど頑丈な作りで出来ている鉄門。その手前で、僕はチャイムを鳴らした。
「…………」
よそ見をしていたら、いつの間にか門が開いており、中からナナが僕を手招きしていた。髪をかきながら中に入る。門から家まで十メートルほどあり、手入れが行き届いた花壇が、道の両サイドに広がっていた。清潔さと家主の几帳面さを感じる。まるでおとぎの国に入り込んだような奇妙な感覚。
「相変わらず、スゴいな……」
溜息が出るほどの豪邸を間近で見た僕は、圧倒されて思わず後ろにのけ反りそうになった。そんな僕を見て、ナナはクスクス笑っていた。家の中は、更に凄くて。もう説明することすらバカらしくなる、そんな豪華さで満ちていた。廊下の白壁には、有名画家の絵画が並び、クリスタルガラスで出来た動物たちが所狭しと並べられていた。二十人くらいは座れるんじゃないかと思われる巨大なソファーに座り、僕はどこかに行ってしまったナナを待っていた。しかし、なかなか戻ってこない。
天井から吊り下げられているシャンデリアをしばらく見上げていると、万華鏡のように光がぐるぐると目の前で回転し、催眠術にかかったように眠くなった。
「ナオ! ナオ! 起きて」
「ぅ……。ナナ?」
「寝ちゃダメだよ。これから夕飯なんだから」
ナナに起こされた僕は、フラフラした足取りで廊下を歩いた。黄緑色した自動照明が、ナナの一歩先で点灯し、僕の後ろで消えていく。それは、蛍のように儚い光だった。
客用のリビング。
その中央に設置されている無垢一枚板のテーブルの上に、大きなステーキ皿が乗っており、霜降り肉がジュージューと美味そうな音を奏でていた。サラダやパン、スープが何種類も用意されており、僕は何度も生唾を飲み込んだ。
いかにも金持ちって感じの食事。こんな食事ばかりとっていたら将来、痛風になるかもしれない。
振り返ると、普段と違い、後ろで髪を束ねたナナが、フルーツの盛り合わせの大皿を両手で持って、僕の数歩後ろで立っていた。
「これって、ナナが準備したの?」
「うん。少し時間かかちゃったけど」
「スゴいね! 料理出来ない子だと今まで思ってたよ」
「ママが、家政婦さんを雇うの反対だからさ、家のことは私とママの二人で何でもやらないといけないんだ」
「へぇー、そうだったんだ。んーっ、このサラダのタレ、うめぇ!!」
「フフ、我が家秘伝のドレッシングです」
僕の食べる姿を見て、ナナは嬉しそうに笑っていた。
夕食後、旅館のような大きな風呂に入り、その後ナナと二人でテレビゲームをした。日付も変わり、寝る準備を進める。カーテンを少しずらし、その隙間から外の様子を見る。
木々が左右に激しく揺れ、容赦のない雨が降っていた。雷まで鳴っている。
「じゃあ、僕はこの客室を使わせてもらうよ」
「うん。寝る前にちゃんとオシッコしなね」
「僕って何歳なの、ナナの中で」
……………………………………………。
………………………………。
……………………。
布団に入ると雨音と雷が耳を震わせた。
「……………」
子供じゃないんだし、雷くらい大丈夫だよな。でも一応、チラッとだけ様子を見に行くか。
二つ隣の部屋、ナナの寝室を軽くノックして中に入った。布団が膨れており、丸まって寝ていた。
布団が、小刻みに震えている。
僕は、布団の上から優しくナナの体を上下にさする。一瞬、ビクッとしたがすぐに安心したように僕の方に身を寄せてきた。
「寝るまでいるから。安心して寝てていいからね」
「……………」
その時、布団の隙間から伸びた指先に服の端を掴まれた。
「ナオと一緒にくっついて寝たいな。……………私とじゃ、イヤ?」
「えっ、と」
「ナオはさ、優しすぎるよ。あのさ、す、好きでもない相手にこんなに優しくしないで。私、バカだからすぐ……その気になっちゃうし。………もう大丈夫だよ。一人で寝れるから。ナオも部屋に戻っていいよ」
ナナは、芋虫のように布団に丸まりながらゴロゴロ転がり、僕から離れた。
立ち上がった僕は、可愛い芋虫に気持ちを伝えた。
「好きでもない相手? それは違うよ。あの、僕さ………。ナナにだけは、どんなに汚くて醜い自分でも全部さらけ出せるんだ。そんな人、ナナ以外にはいなくて………。だから僕には、ナナが必要で。実際、ナナのこと好きだし。これからも一緒にいたいから……」
「…………………」
「急になんか、こんな変な告白してごめん。でも、これが今の僕の気持ちだから。じゃあ…………。お、おやすみ! そんなに丸まって寝てたら、体が痛くなるよ。ちゃんと布団のばして寝て」
ドアノブに手をかけた僕の背中に、飛び起きたナナが抱きついた。
ナナは、子供のように泣いていた。その泣き顔が無性に愛おしくて、我慢が出来ず。
気づいたら、キスをしていた。




