寿命の是非
【世界関数値896−−4月】
僕は再びあの時間に戻って来た。今度こそ彼女を助ける。前回は焦って彼女と仲良くなるのが早すぎた。最初と同じペースで彼女と仲良くなり、千夏に映画に誘われる日に階段で彼女が死ぬのを防ぐ。それで彼女の死という事実はなくなる……はずだ。
四ノ宮埃の気の抜けた自己紹介をきき、僕の前に座る彼女。僕はそこから最初に彼女と仲良くなった筋道をたどるように、同じペースで彼女に話しかけ、そして徐々に徐々に仲良くなっていった
5月、6月、7月と、すでにループする前から数えると一年弱の時間が経過していた。それでもなお、彼女が死ぬという事実を僕は否定できていない。今はただ、自分のできることを恣意いっぱいやる……。
幾度と繰り返された会話。もう詰まることなく、彼女の数学の知識についていける。なんせこれで3回目だ。そろそろ彼女との話の内容も覚えて来たところだ。
「有のことが好き……」
あの日の茜さす教室で、僕は埃からの告白を受けていた。ちょうど千夏が映画に誘って来た日。でも、もう僕は彼女の言葉を心から聞いているとは言えなかった。もはや心中は彼女を助けることしか考えていない。でも、この瞬間の彼女の心には答えてあげたい。そう思い返す言葉を用意する。
「ああ。僕も好きだ。付き合おう。埃」
「その言葉だけで嬉しい……でも私はーーーーー」
逃げ出す彼女とそれを予期していた僕。実は教室には鍵をかけておいたので、それを開ける手間がかかり、彼女が教室を出る前に僕は彼女の腕を掴むことができた。
「ちゃんと説明して。逃げないで。僕と向き合って欲しい」
僕は彼女の肩を掴んで、まっすぐ彼女の目を見て言った。彼女はそんな僕の目を見て、何かを諦めたようにため息をついた。
「そうね。そうよね。ここまで言っておいて逃げ出すなんて卑怯よね。……わかった。なんで私が自分が死ぬだなんて思い込んでいるのか。話すわ」
「うん。教えて」
「私と君はね、昔会っているのよ。知ってた?」
彼女は首を傾げて僕の顔を覗き込みながら僕に問いかけた。
「いや、知らない。それっていつのこと?」
「うーんと、いつぐらいだろ。小学校6年生ぐらいのことかな? 覚えてないのも無理ないよ。会ったのは一回だけだったし」
小学校6年ぐらい……ちょうど僕が訳のわからない発明品をポンポンと生み出していた頃の話か。あの頃の僕は本当にそれにしか妖魅がなかったので、誰と会ったかなどはほとんど記憶にない。
「うん、ちょっと覚えてないかも」
「うちのお父さんのつてでね、一回だけ君の親と会ったことだ会ったの。その時に年の同じ息子がいるってことで君を紹介されたんだ。でも笑っちゃうぐらい私に興味なさそうで、ずっと機械をいじってたの。それで何作ってるのーって聞いたら、人の限界値を測る装置だって言うの。私はなんのことだかわからなくて、その時はそのままお別れしたんだけど」
「うん、それで?」
「最近になって、有のことを知るにつれて、あの装置のことが気になってさ。一回有の家を訪ねたことがあったんだよ。ちょうど有がいないタイミングでね」
「えぇ!? そんなことが? いつだろ……」
「まぁそれはいいじゃない。でね?そこであの時の装置とやらを見せてもらったの。説明書付きでね。有ってば几帳面なのね。ちょっと笑っちゃった」
そう言う彼女はすでに笑っている。可愛いから許すけど。
「悪かったな、几帳面で」
「褒めてるのよ。バカね」
クスクスと笑う彼女につい見とれてしまう。こんな時間がずっと続けばいいのに。僕はそんな思いにかられ、胸が苦しくなった。
「それでね? その装置、使ったの。曰く人の寿命を図る装置、ね」
「いや、でもあれは12歳の僕が考えたものだしきっと間違ってるよ」
僕は頭を掻きながらそう言った。実際12歳の頃の僕がそんなおおそれたものを作ったと言っても実感が湧かない。
「ううん。そんなことない。説明書に原理まできっちりとかいてあった。それはそれは分厚い説明書だったけど。もはや学術書ね」
「……それはいいから」
「ふふ、それでね。私は改めて感心したの。あなたの独創性に。天啓としか思えないほどの卓越した理論に、それを実現してしまう技術。あなた、冗談じゃなくこんなところで油を売っている場合じゃないわよ」
彼女は真顔でそう言った。
「……そっか。そこまで評価してくれるのはありがたいけど。今の僕にはあの頃ほどの発明は無理だよ。あの頃の僕はまるで何かに取り憑かれたかのように発明に夢中になっていたんだ。今となってはどんな思考回路でそこに至ったのかあんまり覚えていないものも多い」
「……そう。まぁそう言うこともあるのかしら? アイデアというものは長年やれば出るというものでもなさそうだし」
「うん、そうしておいてくれると助かる。で? 話を戻そうか」
僕は一度それかかった話を軌道修正した。
「そうだそうだ。それで、私は自分の限界値の時間軸、いわゆる寿命を測ったの。そしたらね、私の寿命、今日までなんだって。あ、理論の正確性については自分で確認済みだから、確かじゃないとかいう励ましは無しにしてね」
僕はそう言い切る彼女の顔に諦観の色が浮かんでいることを読み取り何も言えなくなった。
「あ、でも、今日死ぬかどうかは確かではないらしいの。理論上の時間軸と観測される時間軸にはずれが生じる可能性があるから、多少の前後が予想されるんだって。でもそのずれも1、2日みたいだから、明日かもしれないし、明後日かもしれない。昨日と一昨日じゃなかったのが救いね」
彼女はあっけらかんとそう言った。あまりにドライな言い草だ。自分のことなのに。
「……なんで、そんなに僕の発明を信じられるの?」
僕の発明を本気で信じきっている彼女にそう尋ねた。
「そんなの決まってるじゃない。あなたを信じているからよ……なんてカッコつけちゃったけど、自分で理論を理解しちゃったってのが5割かな」
あくまで明るそうに話す彼女の態度に、僕の目からはいつのまにか涙が溢れていた。
「なんであなたが泣くの?」
彼女は夕日さす教室で僕の頬に手を当てながらそう言った。
「君が泣かないから、代わりに僕が泣くんだよ」
「何それ。安っぽいセリフ」
彼女はそう言うと僕の頭を撫でた。励ましたいのはこっちの方なのに。それでも僕はその柔らかい時間を享受し続けた。彼女と別れたら、それが最後になる気がして。
「そろそろ、帰ろっか」
あれからしばらく経って、ようやく彼女はそう切り出した。すでに時間は下校時刻ギリギリだった。
「うん。そうだね」
僕は仕方なく彼女の言葉に従い、一緒に学校を出た。学校を出る前に例の階段の滑り止め部分を見ると、やはり緩んでいた。僕はそれを先生に伝えてから学校を出た。別に埃がこけなくともそのままでは危なかったから。僕も彼女も電車に乗って帰らなければいけないので学校から最寄りの駅へと二人で歩いた。
「手、繋いでいい?」僕は手を伸ばす。
「うん。私もそう思ってた」
僕らは人目もはばからず、手を繋いで駅へと向かった。同じ学校の学生は驚いたような目をしていたが、そんなことはどうでもよかった。駅に着き、定期で駅の改札を抜け、二人並んでホームで電車を待った。その時間も僕には大切で、彼女を一度守れたと言う安心感から少し気を抜いていた。彼女の人生の限界値は僕の干渉によって変わることができたんじゃないかと、その時はそう思っていた。
彼女は不安を押し殺すように饒舌に僕と会話を楽しんだ。僕も、もう彼女の人生の波形は変わったものだと信じてそんな彼女と会話して電車を待った。特急が駅を通過する旨のアナウンスが流れ、僕たちは気にせず会話を続けていた。そして電車がいざ通過せんとする時。彼女の体は何者かの手によって前方に大きく押しやられた。
止まったかのように永遠に感じられた時間の中で、僕は彼女が過ぎ去ろうとする電車の目の前の線路に落ちていく様子を見た。僕は懸命に手を伸ばしたが、彼女はそんな僕の方をみて「ほらね」と確かに言った。
彼女の体は高速で通過しようとする電車に勢いよく跳ねられ、彼女の命は、又しても散ってしまった。
……どうやら僕の旅はまだまだ終わらないらしい。
【世界関数値2567、7月】
僕は彼女が何者かに押されて電車に轢かれて死んでから、再びWRを使用した。来た世界の関数値は2567。もう僕は彼女と楽しい時間を過ごした後に、あの悲劇を目の当たりにするようなことはしたくなかった。仲良くなり、死の直前となった時間へと飛んだ。もちろん多少のずれを想定して7月の頭へと飛んだ。原因となった階段の滑り止めも事前に対処して食い止めた。そして帰り道のこと。
「どうしたの? 帰り道、こっちでしょ?」
彼女は僕がいつもと違う方向に行こうとするのを見て、そう言った。
「うん。駅へはそうだね。でも、今日はバスで帰ろう? ちょっと遠回りになるけど。家までは僕が送っていくよ」
「……はぁ、そんなに心配なのね?でも、ありがと。ならそうしましょうか」
僕と彼女は今日という時間を惜しむかのように、ゆっくりと最寄りのバス停へと向かった。周りの人たちに気をつけながら、僕たちはバス停に向かった。
そして無事、バスに乗り込むことができた。
てっきり僕はまたあの電車の時のように誰かに押されて交通事故に巻き込まれるのだと思っていたが、そうではないようで安心した。二人並んで席に座ってバスに揺られながら、僕は彼女を守ることだけを考え続けた。どうすれば彼女を守れるのか。
僕はそう思考を凝らしながら、バスに揺られながら座席に座っていた。彼女の口数は少なく、ひたすらに窓の外をぼんやりと見つめていた。
ドガン、と巨大な音を立てて突然の衝撃がバスを襲った。轟音とともにバスの車体は横に転がり、僕はシートベルトによってかろうじて座席に縛り付けられる形でなんとか衝撃を耐えることができた。
あまりのことに体に力を入れて、目をつぶって衝撃に耐えていた僕は、衝撃が収まったことを確認するとゆっくりと目を開けた。
すると目の前には、ガラスの破片が突き刺さり首からおびただしいほどの量の血を流す彼女の姿があった。
「な、な、なんで。あああああああああ!!!!!」
すでに彼女はぐったりとしていて、流す血の量から考えても、生存は絶望的だった。
「なんで僕は死なずに彼女は死ぬんだよおおおおおおお!!!」
僕はそうぶつけようのない悔しさを叫んだ後、ぷっつりと気力が耐えたかのように意識を失った。
【 】
「何回同じことを繰り返せば気がすむんだい?」
果てしなく真っ白な世界で、僕は誰かと会話していた。
「だって、しょうがないじゃないか。どうやっても彼女は死んでしまう」
僕はそんな投げやりな言葉を目の前の少年に発していた。
「僕の代わりに君が来たところで、ダメだったみたいだね」
「うるさい」
僕は目の前の少年を知っていた。知った風な口をきくこの少年はまぎれもない僕自身だ。
「どうせまた飛ぶんだろ?」
目の前にいる少年はそう言った。それに僕は答えない。
「悲しいのは自分だけだとでも思ってるの? いや。君の僕だけだと思ってるの? と言ったほうが正しいか」
僕はその場で体育座りしてうなだれた。
「そうやってただやりなおしていればいいさ。君は。この関数値での世界のことは任せなよ。君はやり直せばいい。何度だって」
目の前の少年はそう言うと、忽然と姿を消した。