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閃きの多幸感

 もう、予想の斜め上を行き過ぎて何もいえなかった。


 しかし、一つだけわかったことがある。四ノ宮埃が殺された原因は彼女が証明した一つの公式だったのだ。だからどれだけ彼女の直接の死因を取り除こうとしても失敗したのだ。さらに調べていくと、埃の公式によって可能になった時間移動の詳細についても書かれていた。定理Iによって確立されたタイムリープは僕の発明したWRとは違い、この世界での時間軸を移動するもののようで、さらにはこの世界でしか移動できない代わりに思考だけでなく人間丸ごと移動できるようになったようだ。


 例えば時間tからtー1に移動しようとしたとき、tー1には一人の人間分質量が多くなり、質量保存の法則に即しないのではないかという疑問は、時間tとtー1との次元が繋がれると説明されている。つまり、時間tと時間tー1のトータルで質量保存の法則は成り立っているということだ。


 しかし、そのような移動は大きく世界関数を乱すことになるため、僕はそれを感知するシステムを作ることができたというわけらしい。


 あらかた情報を整理し終わると僕は再び千夏に連絡をし調査が終わり問題は見つからなかった旨を述べた。千夏はまたわざわざ僕を自宅まで送ってくれた。電車で帰るといったが忙しいだろうにどうしても送っていくと聞かないので好意に甘えることにした。


 再び車に乗せてもらうと、また急スピードで千夏のスポーツカーは僕の家へと向かった。


「それで? 目的は果たせたの?」

「へ?」

 運転中、また千夏は妙なことを言い出した。


「本当はシステムに問題なんて最初からないと思ってたんでしょ?」


「そ、そんなことないよ」


「別に隠さなくっていいわよ。私と有の仲じゃない」

 千夏は優しい表情で前を見ながらそう言った。それはいつもてっちゃんと二人で千夏にいたずらをした後に何度も見た表情だった。


「わかってたならなんで黙って従ってくれたの?」

 僕はこれ以上隠しても無駄な気がしたので正直にそう言った。


「やっぱりか。わかるよ。何年有のこと見てきたと思ってるの?」


「千夏にはかなわないなぁ」


「かなわないのはこっちよ。ばか」


「え?」


「なんでもない! それより目的は果たせたのって」


「ああ、それは……。うん。果たせたよ」

 僕はまっすぐ千夏の方を見てそう言った。もちろん千夏は前を向いていてこちらを見ることはできないのだが。


「そっか。なら良かった!」


「え?」


「いやだから良かったって。有の役に立てたってことでしょ? 昔っから有は私がいないとダメなんだから」


「……本当にそうだ。ありがとう」

 予想外の答えに赤面した千夏は黙って運転を続けた。再び沈黙が支配した車内で僕は埃を救う手段を考え続けた。

 僕の家に着くと再び千夏は会社に戻っていった。本当に忙しかったようで申し訳ないが、こっちも命がけでここまできたんだ。好意に甘えたっていいだろう。


 倉庫からWRを取り出し自分の部屋に帰ると僕は再び思考の渦の中に身を沈めた。


 問題は簡単なようでいて簡単でない。埃が殺された原因が埃の証明した公式にあるのならその公式を発表しないように埃に言えばいいだけのようにも思えるが、埃が素直にその忠告を受け入れるかどうか、忠告をした時点で既に証明してしまっていないかという二つの点が不安材料だ。


 その上これまでの経緯からして確実にそう簡単にうまくはいかないことが目に見えている。おまけに全ての世界の埃を救わないといけないだなんて、無茶が過ぎる。でも、やり遂げなければならないんだ。……だって埃と約束したから。

 何か方法はないか、全ての世界の埃を救ううことができるような圧倒的な方法は。そう思考を凝らしてみたが、そう簡単に思いつくなら苦労はしない。

 そんなときふと埃と会話していた時のことを思い出した。それはまだ彼女とまだ仲良くなって間もない頃の図書館内での会話だった。




「自然数nについての証明って、とってもロマンチックだと思わない?」


「ロマンチック?」

 そんな言葉が埃の口から出てきたのは意外だった。よく数学者はロマンチストだなどという言葉を耳にするが、埃に関してはこれまでの周りに対する態度からしてあまり情熱家には思えなかった。


「そ、ロマンチック」


「自然数nについての証明っていうと数学的帰納法ってこと?」


「そうそう。数学的帰納法。数Bの範囲だね」


「それはわかるんだけど……それのどこがロマンチックなの?」

 僕は埃の言っている意味がわからず素直にそう聞いた。


「例えばさ、宇宙を考えて見てよ」


「宇宙?」

 僕は急に話が飛んだなという印象を受けたが、黙って話に付き合うことにした。


「そ、宇宙。広大な宇宙で、一つの自然法則が成り立つとします」


「ほう」


「地球でその自然法則が成り立つことをまず証明して、他の星でその法則が成り立つことを仮定してさらに違う星でその法則が成り立つことを証明できたとしたら、宇宙のすべての星でその法則が成り立つことが示せるわけだよね」

 埃は図書館の机の周りを歩きながら人差し指を立てて解説者のように語った。


「うーん、でも最初に仮定した星とさらに違う星で何らかのつながりがなければその証明は難しいんじゃない?」


「例えの話なのよ? そこはほっといてよ」

 僕の茶々への対応は冷たい。


「わかったよ」


「うん。よろしい。そしてね? もしその証明ができたとしたらこの全宇宙に成り立つ法則が一つ証明されたわけなんだよ? それってとってもロマンチックだと思わない?」

 正直その例え話自体がわかりにくく、現実から離れたものになってしまっていたのは否めなかったが、埃が言いたかったことは何となくは伝わった。


「要するに無限まで続く自然数nについての証明ができるということがロマンチックって言いたいのな?」


「そう! さすが有。物分かりがいいわね」


「お褒めいただき光栄至極。まぁでも実際には宇宙の話はちょっと現実味にかけるかなー」


「一言余計なのは有の悪いところだよね」


「う、ごめん」


 僕たちは昼休みや放課後に図書館で毎日毎日数学の話ばっかりしていた。それは高校数学から大学数学、はたまた小学生の算数の話まで様々であったが、高校二年の時点でそこまでの話ができる相手というのはお互いにとって唯一の相手だった。


 それは一年にも半年にさえも満たない期間であったが、お互いの距離を縮めるには十分な時間だった。もちろん、数学を語りつくすには不十分な時間であったのだが。


「ところで有は数学的帰納法って言ったらどういった種類のものを思い浮かべる?」

 話が少し方向転換したことに気がつきながらも律儀に返事をする。


「ん? ……そうだなぁ。やっぱりさっきも言ったn=1での成立と、n=kで仮定した条件を使ってn=k+1での成立を示すものかな?もしくはn=1、2での成立と、n=k、n=k+1で仮定した条件を使ってn=k+2での成立を示すもの、かな」


「うん、まぁ普通はそうだよね。他には?」


「んーと、そんなに詳しくはないんだけど、大学入試レベルだとn=1~kまで全てを仮定してn=k+1での成立を示すものとかもあるよね」


「うん、70点! 他には?」


「うーん。なんか無限降下法っていうのは聞いたことはあるかも。知ってるのは本当に言葉ぐらい」


「んー、80点。無限降下法はn=kの時を仮定してn=k-1での成立を示すのよ。背理法と合わせて使うと、例えばn=1で成立しないことが示されれば背理法より自然数nで成立しないことが示たりするわけなの」


「あー、なるほど。でも僕は多分使わないかな」


「むー。使うか使わないかじゃないのよ。数学は」

 四ノ宮埃の初めてみせるむっとした表情に僕は何だかホッとした。彼女は数学の話をしている時だけは確かに人間らしい仕草を見せるのだ。他のクラスメイトに対しての表情は全く動じず、彼女の色とりどりの表情は僕だけの宝物となり果てていた。それは本来はみんなに振り撒かれるべきものであったにせよ。


「ごめんって。話を続けて?」


「ふん。ちゃんと聞いててよね。最後に、ヴァンデルモンドの畳み込みの証明。これはどう? 知ってた?」

 埃は僕の顔を斜め下から覗き込みながら僕にそう尋ねた。顔を傾けて覗き込んできたので彼女の前髪がサラサラと横に流れていくのをじっと見つめた。


「んー。いや、正直全然ピンとこない」

 僕はドキッとしたことを隠すかのようにそう冷たく言葉を返した。


「二項定理の関係式を導き出す証明って言ってもピンとこない?」


「あ、それならわかるかも。てか公式の名前とかあんまり覚えないタイプだから」


「……はいそこ! 言い訳よくないよ! まぁでも知ってたか。じゃあ説明は省くね」

 埃は残念そうに下を向いてそう言った。そんなに説明したいならしてくれてよかったんだけど。


「ああ、それはいいんだけど……結局何が言いたかったの?」

 僕は話の流れがつかめずに思わずそう質問すると、彼女は目をキラキラと輝かせて僕の目をまっすぐ見て言った。


「何が言いたいって? そんなの決まっているじゃない。数学的帰納法は素晴らしいってことに決まってるじゃない!」

 彼女は二度言葉を繰り返して強調した。しかしそんなに強調してまでいうことかね。僕は正直手段としてしか数学を見ていない。それは僕の仕事に大きく関わってくることだから勉強し尽くしただけで(尽くしたなどと言っては埃にどやされてしまうだろうけど)、数学自体をそこまで好きかと言われると微妙なところだった。もちろんロジカルに物事を考えるのは好きだし、数学でもそう言った部分を重要視するところは好きだった。でも、埃ほど数学を愛しているかと言われると……と言った感じだった。だから彼女の数学に対するある種の純粋な興味を完全には理解してあげることはできなかった。


「素晴らしい、ねぇ。確かに画期的な証明だよね」


「ウンウン。有もそう思うよね」




 あの時の埃の目の輝きと笑顔は今でも忘れられない。しかし、それよりも今引っかかっているのは埃の話に出てきた内容だ。宇宙、星の話。星での帰納法どうこうって……。


「地球でその自然法則が成り立つことをまず証明して、他の星でその法則が成り立つことを仮定してさらに違う星でその法則が成り立つことを証明できたとしたら、宇宙のすべての星でその法則が成り立つことが示せるわけだよね」


 僕はその時、確かに頭の中で何かが弾けるのを感じた。それはまるで自分の中にあるエネルギーを抑えきれずに爆発する星のように一瞬の輝きを放ち僕の頭の中に閃きを生んだ。これは何だろう、いつの日か味わったことのある感覚。


 そうだ、これは昔よくわからない発明に躍起になっていた頃に味わった……


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