忍びの模型
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、こーらくん。また調べ物かい?
ふむふむ、実在した忍者像に関してか。ここのところ、また忍者物が流行り出しているとかなんとか聞くけど、どれほどのもんなんだろ?
そういえば知ってるかい? 忍者装束は真っ黒ではなく、濃い紺色に染めるのが一般的だったらしいんだ。夜といっても、わずかながら光がある。その下だと、黒いものはかえって輪郭が目立ってしまい、人の目に留まりやすいのだとか。
他にも染め方によっては虫よけになるし、リバーシブルにすることで変わり身がしやすくなるしと、実用を突き詰めて様々な工夫を凝らしたという。
そして彼ら忍びも、必ずしも人を相手に動くとは限らない。こーらくんが好きそうな、奇怪な現象に、工夫が生きたケースもあるんだよ。そのひとつの言い伝え、聞いてみないかい?
江戸時代も中ごろに差し掛かろうという時期だ。
あるお城の城下に、ここの城主の先祖に滅ぼされた一族の、生き残りを自称する男が現れたんだ。
彼は白昼堂々、道の真ん中に床几を据え、鎧兜を身に着けたまま一族の恨みつらみ、果てには幕府を開いた将軍家の批判まで告げたことで、即座に御用。牢へぶち込まれることになった。
大半の民衆には「おかしな芸人もいるものだ」と物笑いの種となり、彼の話した怪談話を脚色して、仲間に面白おかしく聴かせることも珍しくなかったという。しかしその城主に仕えている者が調べたところ、彼の身に着けていた装備の特徴、および口にした数々の合戦の内容は、城主一族が残した記録とことごとく一致したんだ。
――頭がおかしい手合いではない。むしろ突き抜けんばかりに正しくて、それがおかしく受け取られているだけだ。
そうなると、あの武者が話していた一説が少し気にかかる。
「これより10日が過ぎた夜。堀の端に青き火の玉が現れよう。それより一日おきながら、夜な夜な城を囲みゆく。それが一巡りしたなら、しまいじゃ。かの城が青き火へ焼き尽くされるときよ」
捕えた男は、すでに獄死してしまっている。遺言など一切残すことなく、獄卒がわずかに目を離したスキに、舌を噛み切っていたんだ。
そして話があってより10日後。飲み屋帰りの酔っ払いである小六という男が、番所へやってきて話したんだ。
「お堀端で、人魂を見た」と。
「――で、小六のやつ、『バカも休み休みいえ』って、番所を追い出されたってよ」
「かーっ、たわけてんなあいつ。おおかた、提灯の灯と見間違えたんだろう」
翌日。その酔っ払いがいた飲み屋では、そのことがすっかり広まっていた。様々な与太話が飛び交うのは、酒の入る場所ではよくあること。やがて熱が入り、店のものを汚す輩なども出てくるが、それを淡々と処理する女給のひとりは、用心深く聞き耳を立てていた。
今日づけで、この店に新しく入った彼女は、城主お抱えの忍び組織の一員だ。いわゆるくのいちで、城下の様々な店に籍を置いて、怪しい兆しがないかどうかを探っている。
今回の件も、彼女の管轄として捜査を任されていたんだ。
店が閉まるまでの間にも、ちらほらと人魂の話はあがった。件の小六以外にも目撃者は幾人かおり、その一部は鎧武者の話した祟りの心配をし始めるほどだったとか。
――不安を煽る原因は、即刻のぞかねばいけない。
あの武者によれば、火の玉は一日おきに現れるとにおわせていた。その言葉通り、翌日には特に不審な点は見受けられず。そのために、小六の見間違い説はなお力を増していた。
その翌日の仕事が終わると、彼女は手早く忍び装束に着替える。
今夜は月が出ていて、かなり明るめの城下。暗い色ではかえって目立つ。むしろ光になじむように、柿色に染め上げた服をまとった彼女は、足音を立てずに水の張った堀の近くへ。するすると、サルのように手近な樹の上へ登り詰めて、こずえの中へ身を隠した。
そして、丑三つ時に差し掛かろうかという時刻。
彼女が待機しているのは、先日小六が見たと告げてきた、北西の堀の角。通行人がいないかずっと観察していたが、果たして火の玉は水の上へ唐突に姿を現す。
息を呑み、されど音を殺しながら、彼女は夜目をじっと凝らした。
小舟を浮かせて、釣竿などに火のついた玉をくくりつけるといった、稚拙な正体を期待していたが、外れる。火の玉の近辺に舟の姿は見えず、自分のように遠目に陣取って、玉を吊っている者の姿もない。
その代わり、火の玉の下方ではかすかに波紋が広がり、玉から何かが垂れているのは確かだった。
――人でないなら、未知の生物。
そう判断した彼女は、装束のすき間から懐紙を一枚取り出す。
枝に身体を預けながら、木の葉一枚落とさずに紙を折っていく彼女の手の中には、やがて鳥に似た小さな模型ができ上っている。投げる力加減を考えれば、本物と見紛うほどの姿勢で空を滑空する。
のちに「紙飛行機」と呼ばれるものだが、この頃はまだ忍びの技術として、ごく一部の者にしか伝わっていなかった。羽の折り方を始めとする、数々の調整を施されて飛ばされるそれらは、標的の気を引き、対集団へのおとりに使うこともあったという。
彼女はすっと指で模型をつまみ、そのままとがった先端を火の玉へ向けて、二、三度軽く素振り。その後、ふわっと指から離した。
風向きはすでにはかっている。葉の間を抜けた模型は、すいっと堀の中へ飛び入り、水面からの高さを保ちながら、火の玉との距離をぐんぐん詰めていく。
その軌道を、まばたきせずに見守る彼女だったが、やがて玉に触れる直前まで迫った模型は、思わぬ動きを見せた。
叩き落とされたんだ。火の玉、そのものが触れたんじゃない。
上方から、無数の手に叩かれたかのようにぐらつき、そのまま水中へまっさかさまに没してしまったんだ。
――見張っている誰かがいる……!
もう一度彼女は四方へ目をやるも、やはり人影はない。
いかなるものの仕業か確かめるべく、彼女は新しく紙の模型を作っては、次々に飛ばした。
先ほど投げた最初の模型は、火の玉へあたるような軌道で投げた。今度はそれから上下左右へずらし、様子を探ろうとしたんだ。
結果、目算ではあるが、あの火の玉を中心に、半径三尺(約1メートル)の範囲に入った模型はことごとく墜落した。上空に至っては、少なくともここから彼女が投げられる高さにあるものは、漏らさず水面へ叩きつけられる。
自ら迫るには、まだ情報が足りない。人が手ずから墜としているとは考えづらいが、あの火の玉が発しているものが原因なら、それはそれでやっかい。人体に危害を及ぼしかねないならなおさら。
彼女はふと、武者の話した言葉を思い出す。
「青い火が夜な夜な城を囲みゆく」。もしや見られる火は、このひとつに限らないのでは。
身軽に木から飛び降りた彼女は、その健脚を活かして堀を回る。すると、ちょうど対角線上の南東の堀の端にも、同じような火の玉が浮かんでいたんだ。
翌朝。日の出とともに、火の玉はふっと姿を消した。
一度、報告のために頭の住処を訪れた彼女は、引き続きの捜査を任じられたが、その際に忍び衣装の臭いについて咎められた。
「かすかだが、魚の傷んだ臭いがするな」
彼女の鼻には、何も感じなかった。念のため代えの装束を受け取ると、ついでに長い熊手を借り受ける。堀のふちから伸ばして、沈んだ紙模型を回収するためだった。
ひとつを拾い上げただけで、彼女は思わず鼻をつまんだ。
頭の話した通り、魚の腐ったような臭いが懐紙にしみついていた。拾えば拾うほど、その臭いは数歩離れた人が顔をしかめるほどになり、彼女の優れた目は、懐紙が浮かんでいた水面が、薄い瑠璃色に輝いているのを見た。
――油! それもとびきり臭いのきつい、魚のもの。
彼女は頭の中で、昨夜の模型たちが墜落する様を思い出していく。
火の玉に近づくや、じかに触れるまでにことごとく落とされるあの姿。上空に至ってはますますスキがないところを見ると、あそこ一帯に油の雨が降っていたのでは。
再び、一日を置いた深夜。
城内で待機する許可をもらった彼女は、数名の検分役と共に、今度は城の塀側からかの堀端を見張り出した。
丑三つ時になり、北西と南東。そして北東の堀端にも、小さく青い火の玉が浮かぶのが見て取れる。検分たちが「ううむ」と喉の奥でうなるのを彼女は聞いた。
彼女はすでに、件の紙模型を用意している。本来、姿すらも秘すべきものだが、今回は頭の許しを得ていた。
検分たちが見守る中、再び風向きをはかった彼女は、矢倉のてっぺんから紙模型を飛ばす。
前回は堀の外から投げた。火の玉に守られた領域より、城側へはたどり着いていない。では、城側から投げたならどこまで行けるか。
すでに話が伝わっている検分たちとともに、かたずを飲みながら見守っていた一同だが、予想外の結果が待っていた。
紙模型は水面にたどり着くことさえできなかった。城を取り巻く塀の上、そこへ差し掛かるや、屋根の上へ叩きつけられてしまったんだ。
広がった懐紙の上で、かすかに雨音が響き出す。おそらくこれまでは瓦のすき間へ尾ともなく入り込んでいた細かい雫たちが、穴のない紙の上で跳ね始めたんだ。現場へ急行した一行は、持ち寄った道具で、潰れた紙模型とその下の瓦をはがしにかかる。
わずかに瓦がめくれるや、頭の痛くなるほど強烈な油の臭いが辺りに漂った。そのうえ、瓦のすき間から「どぷり」と音を立てて、魚油があふれ出したんだ。
どこにこれほどの油を蓄えられたのか、塀のどこをめくっても、臭いと油がたっぷりとあふれてきたんだ。こぼれて回収した油のみで瓶がいくつも埋まり、もし火矢でも射かけられたなら、炎上さえ危惧されるほどだったとか。
企みを見抜かれたためか、二日後の、本来城の四隅を囲うだろう、青い火の玉の姿を見ることはなかったらしいんだよ。