4)ヴュレット院長から辺境伯爵への手紙
オルフェインと名乗った薬師はがくっりと項垂れつつボヤく。
「人を探して遠路遥々ここまでやって来たのだが、肝心の孤児院に誰もいないなんてなぁ」
「いったいだれを探しているんです?」
「ああ……どうやら、孤児のなかに貴族の若君が一人だけ混ざっていたらしくてね。この孤児院の院長が、数ヶ月前にその若君様のご両親に宛てて手紙を出していたんだ」
薬師がガサゴソと黒鞄の中身を漁る。
肩にかけられた大きな鞄は何が入っているのか知らないが、かなり重そうな代物だった。
「ええと、どこへやったかな……あ、これこれ。この手紙を預かってきたんだよ」
差し出された封筒には、見覚えのある院長先生の細やかで右肩上がりの文字が連なっていた。
宛名は──ガーラス=フォルティス辺境伯爵 閣下──となっている。
「え。こんな偉い人への手紙を、子どものおれが見ちゃっても大丈夫なんですか?」
「ああ、伯爵の許可はとってあるから問題ないよ。……それに、たぶん君は無関係じゃないと思う」
こちらをチラリと見て、薬師のオルンさんはボソリと言った。
「……どういうことです?」
「まあ、君が中身を読んでから話すよ」
外で長々と立ち話をするのも何なので、結局は建物の中へと案内することに。
それで、自動的に俺の出発は明日へと延期になった。
今から隣村へ急いでも乗合馬車に間に合うかどうか微妙だし、もう一晩くらい遅れても行き先に誰が待っている訳でもない。
気ままな一人旅の予定なのだから。
そんなわけで、居間の古ぼけたテーブルに手紙を広げ読み始める。
知らない言葉が沢山出てきたが、薬師さんが親切に教えてくれるので何とか内容は理解できそうだ。
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親愛なるガーラス様、ベアトリス様 ご夫妻
私は国境の田舎町で孤児院を営んでいるマーサ=ヴュレットと申します。
しかし、この名前は偽名で以前はエルローゼ=ハヴェルという名で産婆を生業としていた者です。
産婆として半年ほど辺境伯家に滞在し、ご夫妻とも親しくさせていただきました。
それなのに、私は……城の皆さまを騙し恩を仇で返す仕打ちをしでかしました。
私は、十年ほど前に辺境伯家の大切なお子様の一人を拐かしたのです。
今更になってと訝しまれてしまうかも知れませんが、狂言や戯言と捨ててしまわずに、どうか最後まで読んでくださいますよう切にお願い申し上げます。
十年前のあのとき、私は双子の赤ちゃんをとりあげました。
片方は黒髪の男の子、もう片方は栗毛の女の子です。
生まれてまもなく二人ともに辺境伯家の印がつけられました。
これはご当主であるガーラス様御自らの手業によるものでしたので、間違いないことかと思われます。
しかし、伯爵家の皆さまが双子の兄妹様と対面する前に……それこそ、母君であるベアトリス様がお腹を痛めてお産みになったお子様方を腕に抱かれるよりも前に、私は誕生なされたばかりのご子息様にある細工を施したのです。
それがどういった類のものかをお伝えすることはできませんが、ご子息様に害意があってのことではなかったと心から誓います。
ご子息の身体にとある特徴が現れていたので、それを隠蔽するための細工です。
それを誰かに知られたら、この稚く可愛らしい方がどんなにひどい目にあわされることかと咄嗟に動いておりました。
お子様と母親であるベアトリス様の御身のためにと考えたのでございます。
──そして、何よりも我が故郷のために。
このことを書き残すことで御夫妻に蟠りが生まれてしまわないかという心配もございましたが、何よりご子息様をお手元にお返しすることのほうが先決と判断いたしました。
もしかしたら、ベアトリス様はここまでの文章で私が何を考え何故行動を起こしたのかをお分かりになるかも知れません。
その件につきましてはご夫婦で解決していただきたく存じます。
ご子息は辺境伯家の一員として皆さまと暮らせる状況にはなかった、ということだけは確かだったのです。
私はお子様方の亡き父親の親族として、彼の子どもたちの行く末を案じたのです。
まんまと産婆として辺境伯家に潜り込み、亡くなった彼の子どもたちをこの手に抱いて確かめたかった。
親族としても魔術や医療を志す者としても、支援と補助をせずにはいられなかったのでございます。
事情をきちんと説明すれば、ご夫妻やご家族がこのような長い年月を悲しむこともなかったのでしょう。
言い訳がましいことですが……しかし、当時はその余裕がございませんでした。
当時の辺境伯爵家は常に王国の監視下にありましたし、城内にはあらゆる関係者の目が光っておりましたので……周りを欺くために已む無く無断でご子息を辺境から連れ出し、今日までお育てすることとなってしまいました。
王国側にお子様たちの出自を悟られるわけにはいかなかったのです。
さりとて、私に母と子を離れ離れにさせる権利があるはずもなく。
数日、迷いに迷って──必死に考え決断し、城を去るときに……身を切られるような想いで決行したのです。
あれから十年の月日が立ち、ご子息様は漸く心配のない状態となりました。
ご本人はご自分の出自や事情を知らずに孤児として育つこととなってしまいましたが、元気で賢いお子様でございます。
はじめは戸惑うことでしょうが、きっとご家族のもとでも健やかに成長なされることと思います。
老体で病身の私が直接お詫びとご子息の送り届けをするわけにはまいりませんでした。
きちんと詫びることなく、このような手紙のみで済ませてしまうことをお許しください。
いえ、許していただかなくとも事情を察していただけたなら、それだけで……。
信頼できる薬師の行商人を代理人として、ご子息様をお返ししたいと思います。
オルフェイン=ガイアスという腕利きの薬師がご子息を辺境伯爵家へと連れ帰りましたなら、どうぞ温かくお迎えくださいますよう、平にお願い申し上げます。
ご子息ご本人だという証拠として、ベアトリス様が大切になさっていた小さな木の笛オカリナとフォルティス家秘蔵の魔導書を持たせております故、ご確認のほどお願いいたします。
ご子息ご本人には、先の薬師が詳しい事情を説明する手筈になっております。
ご両親様にも薬師が到着次第に説明が為されるように依頼してございますので、彼に何なりとお尋ねください。
寒い季節に体調を崩しまして、年齢のこともあり自身の回復の見込みは薄いとの思いに至りました。
私亡き後に真実をお知らせするべく、この手紙をしたためております。
卑怯にも直接の謝罪をせずに世を去ることをお許しください。
辺境伯家のご子息様がご家族の元に戻られ幸福な人生を送るられることを只管に願っております。
最後にフォルティス家の皆々様のご健康とご多幸を祈り、お詫びと真相の説明とさせていただきます。
国境地帯私設孤児院
院長マーサ=ヴュレット
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手紙は院長先生の署名で締めくくられていた。
間違いなく彼女の名前だし、全文が見慣れた先生の筆跡だった。
だけど……何度も読み直すが、さっぱり内容が飲み込めない。
誰に宛てたもので、誰のことが書かれているのか。
文字は読めても理解が追いつくわけがない。
そうすると、何か?
院長先生は、どこかのやんごとなきお子様を誘拐したってことなのか?
その件についての詫び状が、これなのか?
辺境? 代理人? 事情説明?
……説明してもらわなくちゃ無理だよ。
どうしてこれを自分が読むことになっているのか。
嫌な予感がして、わかりたくないと思ってしまう。