54)辺境伯爵家本邸……カントリーハウスって田舎の家っていう意味じゃなかったらしい
八台の馬車たちは、日が暮れる時刻になってようやく目的地へとたどり着いた。
辺境の都は、夕日に映るシルエットから窓明かりがチラホラ灯る静かな石造りの街へと、その姿を変えていた。
街を守るように巡る石壁に沿うように馬車が進む。
やがて城門のような入り口の手前で停車した。
辺りはすっかり薄暗くなっていて、門の側には篝火が焚かれている。
門番らしき衛兵が先頭の馬車の御者と言葉を交わし、何やら簡単な手続きを終えたようだ。
金属製の格子扉がギギギと耳障りな音を立てながらゆっくりと開かれ、辺境伯家一行の馬車は街の中へと入ることができたのだった。
八台の馬車は領都内を軽快に突っ切り郊外へ。
街の喧騒から距離をおいたその場所は、緩やかな丘の上。
月の光に照らされた大きな城の影が伸びていた。
王都にあった白亜の王城とは違い高さはないが、丘の一面で翼を広げるように煉瓦造りの建物が広がっていたのだ。
「丘の上の、あれが我が家だよ。領民たちはエーグル城と呼んでいる……大鷲が丘の上で羽を休めている姿に例えているんだ」
お祖父様が丘の上を指して教えてくださるのに、茫然となった。
暗くて月のあかりだけでは全体がわからないけれど、広くて大きい建物なのは間違いない。
「……え? 城って……おれ、城に住むのですか……」
「ん? もちろんだとも。家族が皆であの城に住んでおるのだからな」
思わず漏らした俺の掠れ声に、お祖父様が怪訝そうに答えてくれる。
「どうした。何か心配事かね?」
「……いえ、大丈夫です。何でもありません」
心配そうに覗き込まれ、慌てて首を横に振る。
ちょっと戸惑っただけなんだよ。
馬車が丘の上を目指して坂道を登ってゆくほどに、段々と建物の大きさがはっきりしてきた。
自分がその場所に帰宅するべく向かっていることが、ちょっと信じられない。
うん、うっかりしてたんだよ。
貴族……それも辺境伯なんて上位貴族の類らしいから、城の一つや二つ持っているのは常識なんだよね、たぶん、きっと。
お城に住んでいるのは王様だけだと思っていた。
そっか……貴族って城に住むのが当たり前だったみたい。
そして、それって俺には当たり前じゃなかったんだよ。
今更だけど、ちょっと逃げ出したくなってきた。
前方の馬車に続き、俺たちの馬車も停車した。
丘の上に見えていた大きな建物が、今では目の前にそびえ立っている。
詳しい外観は暗くてわからないけれど、年季の入った煉瓦の壁がその重厚さを物語っているんだよ。
いやさ、俺には煉瓦だろうってことしかわからないけども。
田舎村の橋なんかに使われていたのとは質が違うみたいだし、細やかで固そうだけど、たぶん煉瓦……きっと煉瓦……うぅーん、近くで見れば見るほど自信がなくなってきたな……煉瓦、かも知れない何か?? いや、もう何でも良いや。
馬車の扉が開かれて、自分たちも外に降り立った。
先に到着した人たちが荷下ろしをしたり当主の帰宅を知らせるべく動いているのだろうか、場内には何となく賑やかでイソイソとした空気が漂っている。
活気のある周囲とは対照的に、暗がりの中で無意識に逃走経路を探そうと辺りの様子を観察する。
このまま素直に皆と行ってしまったら……きっと、もう……後戻りはできない。
いや、ここまで来て今更なんだけど。
でも、気後れしちゃったんだ。
俺が貴族で、こんなでっかい城に住むなんて……これは、やっぱり何かの間違いじゃないかってさ。
今ならば、まだ間に合う。
引き返せる……かも知れない。
何処に? 孤児院はもうない。
田舎村には住めないだろうし、国の端っこまでどうやって戻るのか。
…………そうだ。王都へ戻ろうか。
ソックリ顔四兄妹の長男次男と、あの商会で働くのも悪くないかも。
オルンさんとお祖父様を先頭に、ユリアナと侍女のファルンさんが建物に吸い込まれてゆく。
老執事さんは御者さんと話し込んでいるみたい。
ヨシ。……誰も俺なんかのことは見ちゃいない。
さっき確認したが、この場所に繋がる道は馬車で登ってきた一本道のみだった。
広大な建物の裏側に回れば裏道の一つ二つはあるのだろうが、俺が知るわけがない。
だから、来た道を暗がりに紛れて引き返すのが妥当だろう。
後続の馬車も全てが到着したあとで、使用人たちも皆忙しく動いている。
その馬車と人々の間をすり抜ける。
そのあとは、植え込みに身を隠しながら出入り口を目指した。
篝火が置かれた大きな鉄の門扉は開かれたまま。
石塀沿いを進み、サッと門の外側へ。
脱出成功、ヨシ。
ポスンと何かに体当たり。
へっ!!??
上質な生地の肌触りを感じると同時に、チカリと銀の細い鎖が視界に入る。
その先は懐中時計に繋がれていて、それは彼の懐に大切に収まっているはずだ。
見上げてみれば、金縁眼鏡のニッコリ笑顔と目が合った。
「ずいぶんと急いでおられましたが何かお忘れ物でもなさいましたかな?」
「…………」
「若様??」
「……いや」
「如何なされました?」
「いや、……何でもないよ」
御者さんと話をしていたんじゃなかったの? さっきまで、たしかにあそこに居たはずなのに。
不思議そうに見ていたのがバレたのだろうか……老執事が悪戯っぽい笑顔になる。
「このような老いぼれ爺でございますが、ソコソコの経験を積んでおりますゆえ」
「……要するに……おれの考えそうなことなんてお見通しってわけ?」
「ふふふ。どうでしょうか……私に貴方の心が理解できれば良いのですが。なかなか難しいのでしょうね……」
「何で? じゃぁ、どうして先回りなんて……」
「いえね、オルン様にご忠告をいただいておりましたもので……」
「え? オルンさんが執事さんに? どうして? 何を?」
「ええと、貴方がかなり不安定になっていらっしゃるだろうから……十分に気をつけてやってくれと、そう仰っておられましたよ」
「えええ。オルンさんがそんなことを……うわぁ。かっこ悪いな、おれ。そんなにわかりやすいほど挙動不審だったかなぁ……」
「いえいえ、そんなことはなかったと思いますよ」
「いやぁ、でもバレちゃってるし……はははは……」
ただただ照れくさくて、それを笑って誤魔化す。
執事さんは、遠くに視線を向けて素知らぬふりをした。
落ち着いて丘の上から来た道を振り返る。
すっかり暗闇に包まれた領都が、そこにある。
眼下には家々の明かりが灯り、思ったよりもきれいな光景が広がっていた。
「忘れ物があるとしたら、心でしょうか。きっと、貴方のお気持ちは未だにお育ちになった場所にあるのでしょうね……」
「…………」
そんなことはない、とは言えなかった。
なんて返したものかと困ってしまう。
「ゆっくりで良いのです……どうぞ、ここも貴方の居場所になさってください。不肖の身ではございますが、このベルモンドもできるかぎりのお手伝いをいたします」
ぎゅっと両手を握られて、思わずコクリと頷いた。
フショウノミってなんだろうね? 木の実とか、ではなさそうだけど。
何かよくわかんないけど……どうやら俺の手助けをかって出てくれているらしい。
あまりにも真剣で一途な執事スマイルに負けたのだった。
孤児仲間から時々からかわれたことがあったけど、もしかして俺ってやっぱりチョロいんだろうか。
夕闇に紛れてのコッソリとしたこんなやり取りがあったのち、執事さん本人の強い希望ということで、老執事は俺の専属侍従ということになった。
こんな田舎者の小僧に関わっても何の得にもならないだろうにって言ったら、何をおっしゃいますかとお叱りを受けてしまった。
「隠居生活を満喫していた私がワザワザ執事の現場に復帰したのは、貴方様が見つかったからなのでございます。損なわれてしまった十年の年月以上にお仕えしたく、せっかく隠居先から馳せ参じましたのに」
何処からかピシッと糊の効いたきれいな布……ハンカチーフというらしい……を取り出して、ヨヨヨと泣き真似をする茶目っ気ぶりには驚いた。
ここに来るまでの数日間、ずっと真面目一辺倒だと思っていたのに。
人は見かけによらないものだって、何となく水車小屋の爺ちゃんが言っていたのを思い出したんだよ。




