1)生い立ちというほどのものではございませんが
緩い曲毛の黒髪と、漆黒の瞳をもった少年。
子どもの頃の俺の見た目は、たぶんそんな感じだったはず。
二つも黒を纏っていたからか、クロウなんて呼ばれていたっけ。
俺は貴族の双子の末っ子の片方として生まれたらしい。
しかし俺たち双子をとりあげた産婆が、なぜか兄の自分だけを連れ去り行方を眩ませたのだという。
家族は必死になって行方を捜したが、産婆も赤子も見つけることが出来ずに長い年月が過ぎていったのだそうで……俺が家族のもとに戻ったときには、十年の年月が経っていた。
国境の辺鄙な村にあった小さな孤児院で、俺は十歳まで育った。
ヨボヨボなお婆ちゃん院長先生と気立ての良い若先生が、たった二人で切り盛りしていた貧乏私設孤児院。
あの場所で、俺を含めて十数人の子どもたちが面倒をみてもらっていたのだ。
協会付属じゃなかったから何処からも寄付金を貰える当てはなかったし、たしかに生活は楽じゃなかった。
それでも、皆で肩を寄せ合って生きていた。
子どもたちは、捨てられたり預けられたままだったり親とはぐれたきりだったりと皆が訳アリで、それぞれに捻くれたり傷ついたり素直じゃない奴ばかりだった。
寂しさや貧しさや誹謗中傷から身を守るには、一筋縄ではいかなかったというわけで。
その中でも、俺が一番の問題児だったのだけど。
村の大人に盾突いたり、子ども同士で喧嘩したりは日常茶飯事だったのだ。
おかげで院長先生や若先生が、俺の尻拭いに奔走する羽目になっていたのだったが。
全ては皆の暮らしを保つため。
俺たちは、親なしだの余所者だのと誹謗中傷の的だったし、住民の誰もが自由に使えるはずの井戸や狩場も一緒に使わせてもらえなかったから──ちょっとばかり建設的なお話合いが必要だったのだ。
何かと孤児院の子どもに言い掛かりをつけて暴力を振るう村長の息子と、取っ組み合いの喧嘩をして返り討ちにしたり、井戸の前で座り込みの抗議運動を展開したりしたこともあったっけ。
まあ、嫌がらせをされれば仕返しはしっかりとさせてもらったし、悪口を言われたくらいで凹んだりするような可愛らしい性格はしていなかったのは幸いだったと思うのだ。
しかし本当は、争いごとは大の苦手だったのだ。
院長室に忍び込んでは、書架にある沢山の本をこっそり読むのが楽しみだった。
本来は、いつもひとりで本を読んでいれば満足な……俺は、そんな子供だったんじゃないだろうか。
問題児な俺を、院長先生たちは叱りながらも愛してくれた。
貧乏ながらも、俺たち孤児は愛情を沢山もらって大きくなったのだ。
とにかく俺はあの場所が大好きで、守りたかったのだろう────いつも心のどこかで、あそこは自分の故郷だと……ふと気が付くと、そんな風に思ってしまっているのだった。