16)遺恨をのこさず旅立とう
さて、気を取り直して出発だ。
「大昔の賢者が『立つ鳥あとを濁さず』なんていう言葉を残しているけれど、これで心配事はなくなったし新しい気持ちで旅立てるってもんだ」
オルンさんがボソリと呟いたその言葉が、ちょっと心に引っかかる。
立ち去る者はあとが見苦しくないようにするべきであるって意味の言葉だったよね。
「あっ、それ知ってる。院長先生の書架にあった薄い冊子に書いてあったよ。あの読み物はなかなか面白かった」
「そんなものまで読んでいるのかい……呆れるほどに読書家だな、君は」
「もっと色々読んでみたかったけれど、本って高価なものだから……あの部屋に忍び込んで読むだけだったんだ。村の雑貨屋に本なんて売っていないし、あったとしても買えないし。だから、おれは大して読書家なわけじゃないよ」
「いや、その年であの書架のやつを全部読み込んでいたんだろ?」
「全部っていっても三十冊くらいしかなかったよ。そのうちの五冊があの諺の冊子だったから、何回も読んでいて覚えちゃった」
「ははは。変わり者な賢者が書いたあの薄い本か……面白いけれど、知らない言葉が出てきたりして意味不明な内容なんだよなぁ」
「そうかな? おれは面白くって好きだけどなぁ。院長先生が持っていたのは一集から五集で最新刊はないんだよ。えっと……もしかして、オルンさんは賢者さまと知り合いなの?」
「いや、あの本の著者には会ったことがないな。知り合いの賢者から彼の噂を聞かされているんだよ。優秀な賢者なのだけれど、かなりの変わり者だってね」
「ふうん。賢者さまって沢山いるのかな」
「いや、そんなに人数はいないんじゃないかな。確かめたことはないけれど」
「そっか。沢山いたらありがたみがなくなっちゃうものね」
「うーん、そういうんじゃないような気がするが……賢者になるのは大変らしいよ」
「そうなの? 賢者さまって何をする人なのかな……おれは本を書く人かと思っていたのだけれど、ちがうの?」
「ううーん、賢者の仕事か……人それぞれっていうか、オレもよく知らないな。本を書いた賢者は何人もいるから、それも仕事のひとつなのかも知れないけどな」
「ふうん」
賢者の話はここまでになった。
のんきに話し込んでいたが、そろそろ出かけなくてはならないのだ。
この孤児院ともお別れなのである。
ちょっとだけ寂しい気持ちが心をよぎるが、いつまでも居座っているわけにもいかない。
二人で荷物を持って外へと出てきた。
入り口の扉を閉めて、少し離れた場所から建物を振り返る。
見慣れたはずの古ぼけた木造ボロ家。
十年過ごした小さな古巣。
烏は、今日ここから巣立ってゆく。
ぺこりと一礼して、薬師さんの方へとと向き直る。
「もう、いいのかい?」
「はい。思い残すことはないです」
そう伝えたのに、オルンさんは首を振る。
「いいや、まだだね。ひとつやり残したことがある」
「えっ!? 何だろう?」
彼の言葉に思わず首をひねるが、薬師殿はニヤリと悪い顔で笑うだけ。
「孤児仲間の救出依頼はお願いしたし、忘れ物もないですよ?」
「いやいや、肝心なことを忘れているよ」
「えっ!? 何です?」
「村長にしてやられたっていうのに、君は泣き寝入りしながら村を出ていくだけなのかい?」
「……っ!? オルンさんは、おれにどうしろと?」
たしかに今回は取り返しのつかないようなひどい仕打ちを受けた。
俺だってやられっぱなしじゃ嫌だけど、でも……。
十歳の子どもに、いったい何ができるっていうのさ。
「いや、ちゃんと確認しないとなぁって思ったんだよ。あとを濁さずきれいに旅立つのも良いけれど……後悔や遺恨はないのかってことだよ」
我慢せずに今のうちに吐き出しちゃえとそそのかされる。
そりゃあね、なんにもないわけがないんだよ。
「……それを言ったら、後悔だらけだよ。村長たちを恨んでいないって言ったらウソになる。おれは奴らを思い切り恨んでいるもの」
「本当は、復讐してやりたいのかい?」
「そりゃぁ。仲間を奴隷にされかけたし、村の人たちがもう少し親切にしてくれたなら、院長先生は……もしかしたら、もうちょっと長生きしていたかも知れないもの。……でも、おれには何も出来やしない……情けないけど、黙って村を出ていくしかないじゃないか……」
「そっか。君の気持ちはわかったよ……できることなら仕返ししたいってことで合っている?」
「……うん。でも……奴らにやられたことよりも、無力な自分が悔しいんだよ……」
「うう〜ん……子どもが無力なのは当たり前じゃないか。まあ、君の悔しい思いは無駄にはならないだろうけど。……それなら、ちょっとばかりオレが助太刀したって問題ないよね」
「……うん??」
「よし、決めた。君がスッキリとした気持ちで旅立てるように、オレが奴らをギャフンといわせてやろうじゃないか」
「いやいや、みんな他人より自分の方が大事だし……ご近所付き合いなんて結局はこんなものだって思っているし。中には良くしてくれた人もいたんだよ。だから、気にしてませんから大丈夫ですって。うん……悔しいけど、それよりも穏便に出発したいんだよ」
ものすごく恨んでいるとは言ったが、今更になって争うつもりはない。
きっと院長先生は喜ばないと思うし、孤児仲間だちがここで暮らせるようになるわけでもない。
ときに諦めが肝心だ。
身の丈にあった身の振り方ってものがあるのだ。
そう言ったら、子どもらしさが皆無だと苦笑いされた。
でもさ……子どもらしい俺は、俺らしくないと思うんだ。
俺の自分らしさの探求などにはちっとも関心がないらしい薬師さんは、朗らかに話を続ける。
「ははは。遠慮はいらないさ……直接ケンカを仕掛けようっていうんじゃないから、報復とかの心配もいらないし」
えええ〜っ。
いったい何をしようっていうのさ。
村を出ちゃえば関係ないから報復の心配はしてないけれど、面倒事はイヤなので……正直、ちょっと遠慮したいと思ってしまう。
孤児院がなくなったらここには二度と戻らないとは思うけど、村の大人たちを相手に余計な恨みを買うのは避けたいんだよ。
オルンさんが黒鞄を地面に置いて、何やら中身をガサゴソかき回している。
今朝のアレ……アレはどこだっけ〜とかと騒ぎながら探すこと数分。
「あった、コレこれ」
薬師が得意気に取り出した紙包みは、朝に飲んだ特製野草茶だった。
「お茶ですよね……それ、どうするんです?」
「ふっふっふ〜。まぁ、見てなって」
「???……」
まさか、庭先でお茶を飲むんじゃないよね?
いったい何をしようとしているのだか。
うーん……謎だ。




