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紅のオクルス  作者: Nagia
6/9

【- 陽炎 -】

【6】- 陽炎(かげろう) -


 不知火(しらぬい)の不在により、急遽(きゅうきょ)通常授業を受け終えた蓮が向かったのは、西区総合病院の一室だった。急いで向かったことが功を奏したのか、五月女(さおとめ)はそこで、未だ寝息を立てていた。


 一人用の病室は広く開放的だったが、これは単に、『もし"患者"が暴れても被害が少ないように』との措置だ。その証拠に、彼女の身体には点滴だけでなく、アイマスクと身体拘束が施されている。

 "保持者の超才幹暴走"という(てい)で救急通報したせいもあったが、これがこの国の、保持者に対する一般的な措置ではあることに違いはない。だが、その仕打ちに不満を抱いたのか、蓮は入室して間もなく、アイマスクを外してやった。


 ただ、その行為は、単なる同情だけから来たものではないはずだった。


 蓮は記憶を失ってから、居を移すこととなった。小学校を転校し、特別学級のある中学校へ進学、今の高等学校へと入学した。そこで『再開した幼馴染』が、五月女だった。彼女がそう演じて近づいてきた目的とその心理は、明らかに『普通ではない』。故に、その真相を探る必要があった。


 蓮が五月女の身体を揺すると、しばらくして彼女が目を覚ました。見慣れない病室と、手足と腰の拘束具に激しく動揺こそしたものの、蓮の顔を見るとすぐに、どこか諦めたように目を()わらせた。


「…あんなことされたのに、何でここに蓮がいるのかな。罰を下しにでも来たの? 蓮も"こっち側"だったってこと?」


「何の話か知らねーけど、あたしは罰するとかそういう目的で来たんじゃない」


 小さく掲げた蓮の右手には、ナースコールが握られていた。ボタンには指をかけたまま、五月女の視界から隠れるように、自身の背中に隠す。


「取引しに来た。お前、あたしの過去を知ってんだろ。だったら、あたしとお前との関係を教えろ。

もし答えずにまたあたしを襲ったりしたら、これを押して委員会に突き出す」


「そんなこと知って、どうするの? あんなに思い出すの嫌がってたのに。

何か思い出したりでもした?」


「"使い方"しか思い出してねーよ。あたしはただ、お前があたしに固執する理由が知りたいだけだ」


 そう言うと蓮は、手と足、そして腰の拘束具を外す。その行為に五月女はきょとんとしながらも、上体を僅かに起こした。


「何で、外したの? また襲われちゃうかもしれないのに」


「お前、あたしの幼馴染なんだろ。だったら話す時だって、…『普通』にするべきだろ」


 頬をかきながら、ぶっきらぼうに蓮が言い捨てる。しかしその言葉には、五月女に対する信用が含まれているだろうことが汲み取れた。

 蓮が他者に『普通』という言葉を使う時は、いつだってそうなのだ。五月女は、そのことを良く知っている。


 彼女は何か確信を得たようで、フッと笑い、両手を上げて降参のポーズを取って見せた。


「分かったよ。蓮がそこまで言うなら、話してあげる。不知火さん、怖いもんね」


 その言葉を聞いて、蓮は後ろ手にこめていた力を、わざとらしく抜いて見せた。


「蓮と初めて会ったのは、小学生のとき。その頃の蓮は超才幹が不安定で、それをみんな怖がってたから、友達がいなかった。だから、蓮が暴走しないようにって、私が『世話役』になってたの」


 五月女が懐かしむように目を細める。その目は同意を求めるかのように、蓮に向けられた。


「何をするのも一緒だったよね。登下校も、授業も、トイレに行く時でさえも一緒だった。

だから、蓮が火事で記憶を失くした時はショックだったなぁ。

高校で会えるのを、すっごく楽しみにしてたんだから」


「あたしの超才幹、そんなに不安定だったか?」


「そりゃあもう! ()れるもの、片っ端から燃やしたこともあったくらいだもん、周りの人から『難病だ』って言われて大変だったよ~。まぁ、そのおかげでずっと一緒にいれたんだけど。

どう、思い出した? 参考になった?」


 先ほどまでの()わった目は嘘のように消え、五月女の表情は『普通』で無邪気な笑顔となっていた。そこに釣られるように蓮もまた、警戒心を解いた柔らかな笑みを浮かべる。


 中学生以下の保持者は、基本的に世話役がいれば特別学級への入学を免除される――そういった事実もあり、五月女の言葉には真実味があった。


 ――ただしそれは、あくまで傍観者(わたし)視点での話だ。


「あぁ、参考になったよ。お前が(なん)も知らねーってことが、よく分かった」


「…は? どゆこと?」 


 五月女の笑顔が凍り付くが、上体に力をこめたところで、蓮が睨んで制止をかける。ナースコールを握る右手に力を込めて見せた姿勢は、「それ以上動くと、押す」と明示していた。


「思い出したんだ、全部。

あたしはな、火事のあの時まで、家族以外の誰にも自分が保持者だってことを知られてなかった。

あたしに友達がいなかったのは、親に虐待されてたからだ。

学校の奴らは、クソ教師含めて、あたしを見ないふりして無視してたんだよ」


 まだ、蓮に両親がいた頃のことだ。幼稚園を過ぎた辺りから、新生児検査で否定されていたはずの超才幹が顕在化し始めた。両親は有り得るはずのない現実に困惑したが、彼らはこれを隠し通すことに尽力した。

 真陽性率100%とされる検査結果が(くつがえ)るなど、超才幹発見以降、一度の報告例もなかったからだ。


 それに、保持者とその親に対する偏見は時代を問わず、色濃く存在した。もし周りに、蓮が保持者だったと知れれば、両親は身分詐称の罪にも問われかねない。――彼らは、世間からの糾弾(きゅうだん)と迫害を恐れたのだ。


 だが、いつまでも隠し通せる訳もなかった。施設に入れるべきだとする父親と、世間体を守りたい母親の間に軋轢(あつれき)が生まれ、やがて家庭環境は悪化していった。

 そうして、蓮が小学校の(なか)ばを迎える頃に家庭崩壊が起きた。毎日、身体のどこかしらに(あざ)を作る蓮と友達になる同級生など、いるはずもなかった。


「そんな時、幼馴染(そいつ)と同じクラスになった。

幼馴染(そいつ)は、『難病だ』って言われるほど超才幹が不安定な"問題児"。そんな奴の世話役を、孤立してるあたしに、クソ教師が押し付けたんだ。

勘違いしてるみてぇだけどな、不安定な超才幹保持者の世話役は、"あたしだった"んだよ」


「私を騙したの? 私を幼馴染として信用したんじゃなかったの?」


 再び目を据わらせる五月女に、蓮が左中指を立てる。


「騙してた奴に言われたくねーんだよ」


 蓮が信用している風に演じたのは、あくまで五月女から情報を引き出すためだ。それは、いつもより不機嫌を増したジト目から明らかだった。


「つーか、何でお前が不知火の名前知ってんだよ。

盗聴してたからか? 違うよな、不知火は学校来てから一度も委員会の人間だって言ってねーもんな。

なのに、『委員会に突き出す』って言ったら不知火(あいつ)の名前がでてきた。お前ら、どういう関係だ?

あたしの情報は不知火(あいつ)から聞いたのか?

てか、"こっち側"って何だよ」


 蓮の詰問に、五月女は言葉を失う。その瞳は揺れ、必死に言葉を探す(さま)が見て取れる。眉間に(しわ)を寄せ、唇を噛むが、遂にはため息を漏らして窓の外へと目をやった。


「…鳥かごの鳥って、(かご)の外では生きられないんだよ。だから私が、蓮を守ってあげてたのに。

どうして、蓮はそこから出ようとするのかな」


 五月女が蓮に視線を戻すと、その口元はにやりと歪む。"黒い箱"が、ナースコールを掴む右手ごと、蓮の胴体と重なるように出現した。


「私の超才幹で頭を固定されたらどうなっちゃうか、蓮はまだ知らないよね。意識を失って、動けなくなるの。水取(もいとり)さんもそうやって捕まえたんだぁ。

固定されたら、私が解除するまで、ずっとそのまま。そしたらずっと、ずぅっと一緒にいれるね?」


 その笑顔は、いつか樟葉(くずは)が不知火に見た"邪悪な笑み"に似ている。しかし蓮は(ひる)むことなく、毅然(きぜん)としていた。


「さっさと頭を固定しなかったのは失敗だったな。これが一度に固定できる領域の限界だろ。

ってことは、頭を固定するにはこいつを解除しなくちゃいけない。

その瞬間にスイッチを押す。できなくても、必ず誰かが来る。そしたら、お前の負けだ」


 きちんと計測している訳でもないのだから、蓮の言葉はほとんどハッタリだ。しかし彼女の自信の根拠は、五月女の腕に繋がれた点滴バッグにあった。誰かがこれを外しに来るのだから、ナースコールは押せなくても構わない。

 しかも、五月女は拘束具を着けられているはずの身だ。もし拘束具が外された今の状態で蓮を襲っているところを誰かに見られれば、状況は五月女にとって悪い方向に転がるに違いなかった。


 五月女にとっては分の悪い持久戦だ。彼女もそれを理解していながら"固定"を続けていたが、誰かが扉をノックする音で、膠着(こうちゃく)と"固定"は解かれた。


 目を伏せて入室してきたのは看護服の女。五月女が「運が良かったね」などと(のたま)(かたわ)ら、新たな点滴バッグを乗せたワゴンをベッドの横につけた。 

 女が無言で点滴バッグを交換している間、五月女は拗ねたように顔を背ける。蓮はその態度に言葉は返さなかったが、息をついて点滴の交換作業に目を移した。


 しかし、ほんの十数秒ほど眺めて、蓮は何かの違和感に気が付いた。


 バッグを変え、腕の留置針に点滴ラインを刺し直す――病院ではごくありふれた作業のはずだが、その女は、作業の間しきりにメモを読んでいた。

 しかも、取り外した点滴バッグにはまだ半分以上も薬液が残り、ぽたぽたと落ちる点滴筒の雫も、先ほどと比べ明らかにペースが早い。


 それらの光景に蓮が不信感を覚えた(のち)、ごく軽い頭痛が訪れた。脳裏に浮かんだのは、ある"幻視(イメージ)"で、その真偽を確かめるように、蓮はナースコールのコードを手繰り寄せた。


「――――切れてる」


「え?」


 五月女が振り返る。切れたコードの断面は鋭利で、とても千切れた風には見えない。

 状況が飲み込めないままの二人の前に、立ち去ろうとしていた女が、前触れなく姿を現した。


「残念。何で気付いちゃったかなぁ」


 女が二人の身体に触れた途端、強い引力に引きずられる感覚が二人を襲う。直後、二人は天井も壁もない、開けた場所に立っていた。そこが病院の屋上であると蓮にはすぐに分かったが、初めての感覚に五月女は戸惑いを隠せず、しきりに辺りを見回した。

 数十歩離れたところに立つ看護服の女。看護帽とマスクを外し、()った髪を()くと、黒いロングのウルフカットが(あら)わになった。


「"ジャンパー"…!?」


 五月女が慌てて点滴針を抜こうとするが、すぐには抜けず。どころか、片脚から不意に力が抜け、彼女は地面に膝を着いた――共に転移していた点滴バッグのラベルには、暴れる患者に投与されるべき鎮静剤の薬名が印字されている。


「ダメだよ、こんなヤバい奴とつるんでたら」


 五月女の"黒い箱"が、少女(ジャンパー)を囲うように展開する。しかし、何の前兆もなく現れるそれを、少女は意図も容易(たやす)くかいくぐる。

 二人には認識できていないが、それは紛れもなく意識遡行(バックフロー)による回避。波動干渉(デコヒーレンス)の固定領域に囚われても、過去に意識を飛ばすことで、その事実を無かったことにしているのだ。


「良いことを教えてあげるよ、お節介さん。こいつは、委員会の息がかかった監視者。

きみが高校に入学してからずっと、委員会(やつら)の指示で、きみを監視してた人間だよ」


「っ、でたらめだよ! 蓮、こいつの言うことなんか聞いちゃダメ!」


「嘘なんか言わないよ。きみは、その能力を買われて不知火に(しつ)けられた忠実な犬。けど、監視役として"日常生活ごっこ"を演じる内に、蓮ちゃんに執着するようになっちゃったんだってね」


「知った風な口を、聞くなぁっ!」


 五月女が開いた手を突き出すと、二枚の"黒い板"が少女の両脇に出現する。両手を合わせると"黒い板"が少女を挟み込むはずだったが、僅かに外れて(くう)を切る。

 鎮静剤による眠気が、五月女の意識を確実に蝕んでいたためだ。その隙に少女が転移し、太ももを切り付ける。五月女は小さく(うめ)いて、もう片方の膝をも着いてしまう。


「きみのことはどうでもいいよ、聞いただけだし。けど蓮ちゃんに手を出す奴は誰だって見過ごせない」


 小さな"黒点の群れ"が出現し少女を襲うが、最早(もはや)(かわ)す必要さえないほどに的が外れていた。

 急激に朦朧とする意識で、五月女は膝をついて立つのもやっとの様子だったが、その眼はまだ闘志を忘れていなかった。


「私は、ただ、蓮といたいだけ…! 邪魔、しないで…!」


 少女が五月女の目の前に転移し、見降ろす。

 しゃがんだ途端、少女の平手が五月女の頬を強く打ち鳴らした。


「いい加減にしなよ。きみは、構ってくれれば誰だっていい、ただのメンヘラでしょ」


 少女の視線は強く、蓮が見たことのないほどに冷たい。

 頬を打たれた衝撃か、五月女の意識は既になく。ゆらりと体勢を崩し、地面に倒れこんだ。


 五月女が完全に沈黙したことを確認し、少女は蓮の方へと振り返った。その眼は既に紅く、仄暗(ほのぐら)い夕焼け空に、ぼんやりと浮かんでいるかのように光る。


「お待たせ、蓮ちゃん。それじゃあ、今日も殺し合おっか」


 薄い笑みで、少女がナイフを逆手に持ち直した。すっ、と姿勢を低く構えるが、一方の蓮は、じっと目を合わせたままで、動かない。


「お前、何で五月女のこと詳しいんだ。おまけに不知火って名前まで知ってる。

お前が五月女に手を出した理由は何だよ」


「邪魔だったから、退場してもらったんだ。そのために色々知ったってだけ。蓮ちゃんは、ぼくだけのものだからね」


 締まりのない口元。返答は上辺だけを取り繕う。


「じゃあ、何で五月女がお前のことを知ってたんだよ。不知火だって、お前の特徴言ったら飛びついて聞いてきた。それって、お前が委員会に目を付けられてるってことだよな。

五月女が委員会の一人で、ずっとあたしを監視してたなら、お前は委員会に狙われるリスクを冒してまであたしに付きまとってたってことになる。

普通(ふつー)、ありえねーだろ。お前は、紅眼視(ペア)のあたしを殺せればいいだけなんだから」


 少女は応えない。代わりに「ん~」と考えるフリだけをして姿を消す。すかさず蓮の目の前に現れて、ナイフを振りかざした。

 しかし蓮は避けずに、その腕を掴んで受け止めた。


「いいから使いなよ、"発火(イグニッション)"。蓮ちゃん、(ちから)ないんだから、ナイフ刺さっちゃうよ?」


 徐々に近づく(やいば)。それでも蓮は、超才幹を使わない。


「だからぁ、言ったじゃん、あの女が邪魔だったんだってば。周りに委員会なんていたら、きみを好きにいたぶれないもん。それだけ」


「っ、嘘付くな!」


 突然、蓮が手の力を抜いた。込められていた力の分だけ加速したナイフの切っ先が、蓮の鎖骨下に突き刺さる、そのはずだったが、凶器が肌に触れる寸前で、少女は身を引くように空間転移(ジャンプ)した。


「お前が、そのナイフであたしを傷付けたこと、あったかよ!」


 指をさして出た言葉に、蓮でさえもその声量に驚く。僅かに目を見開いたままの少女は、その視線を逸らした。

 物言わぬその態度はあからさまに回答を避けていたが、構わず蓮は、両肩にこもる力を抜いた。


「お前の目的は、あたしを殺すことじゃない。それを、今から証明してやる」


 少女が何かを感じて視線を向け直した時、蓮が周囲に炎を放った。少女が、迫り来る熱を遮るように顔を隠す一方で、二人を(へだ)てる強い熱気は壁となり、ほんの短い時間だけ彼女らを切り離す。その熱が夕闇の大気に溶けた頃、少女が指の間から見ると既に、蓮は転落防止柵の上に立っていた。


「何、して――――」


 『骨を焦がすほどの炎が蓮を飲み込む』と、少女の意識遡行(バックフロー)が告げる。その先の光景は、蓮がいつか()た"幻視(イメージ)"のままだった。


 次の瞬間、地上十一階から、蓮が身を投げた。その直前、彼女の周囲に沸いた噴火のような爆炎は何者も寄せ付けず、鉄製の柵さえも瞬時に赤熱して光る。

 それは十数メートル離れた少女にすら届くほどの、とてつもない熱量。故に少女に成す術はなく、劫火(ごうか)が収まった時には、彼女の視界から蓮の姿は消えていた。


 ――――少女が"跳ぶ"。

 熱の残る空気を切り裂き、紅く燃える鉄柵を越えて。


 飛び出したのは、およそ三十五メートルの(そら)


 人が即死するには十分な高さを落ちながら、


 仰向けに手を広げて落ちる蓮を捉える。


 二人の距離は変わらずに遠く、


 そのもどかしさに少女は、


 思わず手を伸ばした。


 


「――――――はぁっ、はぁっ、はぁっ…」


 少女が肩で息をする。その腕の中に蓮を抱えたまま、中庭の芝生に、腰が抜けたようにへたり込んだ。


 空中で蓮を捕まえた直後、彼女は咄嗟に、視線の先にあったこの場所に転移することで難を逃れることができた。

 とはいえ、三秒と無い中で狙い通りに着地できたのは、奇跡に近い。空間転移(ジャンプ)は頭に思い描いた光景に転移するから、パニックなど起こせば、どこに転移するか分からないためだ。

 一方の蓮も、落下の間ずっと息を止めていたこともあって、少女の腕の中で大きく息をつく。互いの心拍数は高いままで、どちらの鼓動とも区別はつかず、うるさいほどに互いの身体を叩いていた。


 だが、蓮は自らを抱える腕が小さく震えていたことに目敏(めざと)く気が付いた。見れば、少女の顔にいつもの余裕はなく。その様子に、初めて勝ったような気がしたのか、次第に笑いが込み上げ、遂には噴き出してしまった。


「ほら、な?」


 少女が恐る恐る抱擁を解くと、そこには目を細めて笑う蓮の顔があった。

 少女が呆気に取られたまま脱力すると、蓮は少女の膝に、頭を乗せ直し、ちょうど膝枕の恰好となった。


「どうして…」


 目を瞑り、全身の力を抜く蓮の様子は、まるで敵意を感じさせない。どころか、安堵の表情でさえあることに、少女は戸惑いを隠せず、その両手は未だ行き場を探していた。

 薄く目を開け、そんな少女の様子を見ながら蓮は、「全部思い出したんだよ」と呟いた。


「あたしは幼馴染の"世話役"だった。幼馴染(そいつ)の超才幹は不安定で、常にどこか一ヶ所に意識を向けていないと、『どこに転移するか分からない』。

だからずっとアイマスクしてたし、常にあたしが手を握ってた。どこかに行っちまっても戻って来れるように、あたしが目印になるように」


 行き場を探す少女の手を、蓮が握った。


「そうだったよな。――――――(はやて)


 開いた口が塞がらず、握られた手を握り返すこともままならない。だが、その柔らかな温もりが、自らの名を呼ぶ懐かしい声音(こわね)が、急速に彼女の心を溶かしていく。


 少女の名は、(ひいらぎ) (はやて)。生まれながらにして強力な超才幹を持ったために、世話役の蓮なしでは生きられなかった少女、その本人。


 颯の頬に一筋の涙が流れる。立て続けに、嗚咽が漏れた。

 溢れる涙は(すく)いきれず、やがて蓮の頬に滴り落ちる。蓮はその熱を払うことなく、指先で小さく触れた。


「もう一生、ぼくのことを思い出せないって聞いてた…!

ごめんね、いっぱい嫌な思いさせて。小学生の頃からずっと謝りたくて、でも蓮ちゃんは、そのことすら思い出せなくて。

どうしたらこの想いが伝えられるのかって、ずっと考えてた…。本当にごめん、ごめんなさい」


 起き上がり、蓮が颯を抱き寄せる。しきりに謝る颯の頭を、包むように手を添えた。


「気にすんな。お前の"世話"はかなり大変だったけど、ちょっとした生きがいだったんだ。

友達と遊んだことほとんどなかったからさ、お陰で退屈しなかった。

ずっとムスッとしてたよな、あたし。でも、クソみたいな親といるより全然楽しくて、お前の見えないところで結構笑ってたんだ」


 颯が何度も相槌を打つ。発声はしていなかった。泣いてはいたが、しゃっくりのように湧き上がる嗚咽を必死に押さえていたからだ。

 蓮はそれをきちんと分かっていて、その嗚咽が収まるまで、颯の頭を優しく撫で続けた。


 この時を、颯がどんなに待ちわびたことか。そのことを示すように彼女は、意識遡行(をもど)して、髪を滑る手の感触を享受(きょうじゅ)した。何度も、集中力が途切れるまで、何度も。

 繰り返すうち、時間感覚はやがて薄れ、あまりの心地良さに気持ちが戻ってこられなくなる寸前まで来て、彼女の意識はようやく"正常"に戻る。それから慌てて、蓮との距離を空けて座り直した。


「伝えたいこと、いっぱいあるんだ。委員会と研究所は信用しないで。

蓮ちゃんが転校した後、ぼくは委員会(やつら)に捕まって研究所に送られた。

同じように集められた保持者はみんな実験台として扱われて、何人も"壊された"。

そんなやばい研究を、最大限効率化するための補助組織が危機管理委員会なんだ。

だから、奴らには絶対に捕まっちゃいけない」


 颯が、蓮の両肩を掴む。その両手には、並々ならぬ力が加わる。


「蓮ちゃんは委員会から狙われてる。"アッヘンバッハのリスト"に名前が載ってないせいで、矛盾が生じてるんだ。

もし、"リスト"に抜けがあるなら、国連の信用に(かか)わるし、治安だって乱れかねない。

だからそうなる前に、委員会(やつら)は手を打ってくるはずで――」


「ちょ、ちょっと待て、いきなりそんな言われても分かんねーって! 何であたしが委員会に狙われてんだ? 法に触れることなんてしてねーぞ」


 食い気味に、興奮した様子の颯がハッとする。(あご)に手を添え、息と思考を整えた。


「そうだよね、順を追って説明する。まずね、新生児検査っていうのは真っ赤な嘘なんだ。

検査なんてやってないし、本当は、委員会(やつら)は普通の人間と保持者を見分けられないんだよ」


 一拍置いて、「は?!」と声を上げる蓮。言葉を飲み込めないのか、片手は頭をかきむしる。


「じゃあ、あたしが『陰性』って判定されたのは?! 何のために検査なんかやってんだよ?!」


「治安維持のためだよ。『保持者を検出できる』ことにした方が、超才幹犯罪への抑止力になるから、そういう(てい)でやってる」


 言って、颯はスマホを取り出して画面を見せた。

 表示されていたのは、『ベルタ・アッヘンバッハ』についてのネット事典のページ。"体内放電(エレクトロキネシス)を保持"と書かれて締め(くく)られている項を指さした。


ベルタ(この人)、公表されてないけど、未来視の超才幹も持ってたんだ。その能力(ちから)で、未来に生まれてくる保持者全員を洗い出した結果が、『全保持者(アッヘンバッハ)一覧(のリスト)』。

委員会はここに蓮ちゃんの情報が載ってなかったから、『陰性』って判断した。

けど、あの火事で蓮ちゃんを保護した時に気付いてしまった。リストに載ってないのに、超才幹を持っている人間がいる、ってね」


「何だ、それ…。保持者全員って、全世界のか? 書き漏らしだってあるだろ、そんなん!

それで、あたしが委員会に目を付けられてるって、んな無茶苦茶な話、あるかよ…」


 蓮が訴えるように呆れて見せる。しかし颯は、気の毒そうに顔を逸らすことしかできない。


「…ぼくも、そう思うよ。でも国連は、新生児検査の結果で保持者を管理してるって公言してるから…、蓮ちゃんの存在はマズイ。委員会(やつら)の関心は、そこにしかない」


 颯の言葉に愕然とする蓮。それは『普通』を何より願っていた彼女の気持ちが、そうさせたに違いない。


 委員会が"リスト"を()り所とする理由は、保持者の発するベルタ波を検知できないためだ。

 ベルタ波の原因の一つである素粒子(タキオン)は、過去に(さかのぼ)って移動するため単純に測定することができない。したがって、原因と結果の繋がりの矛盾、すなわち『因果律の破れ』を通してでしか観測できないのだ。

 それは単純に言えば、『"(あらかじ)め正解を知っている"などの現象が確認できる場合に限り、保持者であると判別できる』、ということ。この方法で見分けるには被験者にテストをすればよいが、これを世界中の人間に適用するのは現実的でない。それに、これでは"発火(イグニッション)"のような、時間に関連しない超才幹の保持者を見つけることもできない。だからこそ委員会は、未来を先読みしてリストを作る必要があった。


「でも大丈夫! 紅眼視さえ発症しなければ、蓮ちゃんは放っておいてもいい存在ってことで、委員会(やつら)も見逃すはず! だから、ぼくもこんな茶番をやってたんだ」


 颯が自分の目に触れると、薄い膜が剥がれるようにして取れる。指先に乗せられたそれは、紅い光をぼんやりと放つコンタクトレンズだった。


「これ、発光レンズなんだ。へへ、騙されたでしょ?」


 にっこりとほほ笑む颯。しかし蓮は愕然としたまま、納得のいかない様子で首を(かし)げた。


「あ、あれ? もしかして、知らない?」


「…何を」


「紅眼視障害が起こる原因」


 蓮の頭に嫌な予感が()ぎる。少なくとも、表情からはそのように読み取れた。


「…え? 『紅眼視は保持者が能力を使わないことで起こる、強制的なガス抜き』って、知ってるよね?」


「………いや、不知火が、言ってた。『紅眼視は能力の使い過ぎで起こる中毒症状』だ、って」


 刹那の間を置いて、颯の顔が蒼白になる。その表情は強張って固まり、やがて、隠すように両手で覆われた。



  †

挿絵(By みてみん)

(ひいらぎ) (はやて)

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