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紅のオクルス  作者: Nagia
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【- 閃火 -】

【4】- 閃火(せんか) -


 次の日の特別授業に、樟葉は姿を見せなかった。蓮は、それが彼女なりの反抗(ボイコット)だと考えたようだが、一方の不知火は平然としていて、「体調不良らしい」と言うのみ。それ以上の追求は許されず、不知火は淡々と教科書を読み上げた。まるで蓮の落胆など知らぬ風に、彼女の陰鬱な気分を無視するかのように。


 蓮の気分の落ち込みは大きかった。理由は、樟葉と連絡先を交換していなかったことで連絡が取り合えないことだけじゃない。ましてや、使えないと思い込んでいた超才幹の使い方を、はっきりと自覚しただけに留まってもいない。


  ―「…これ、監視カメラよね? 何の真似かしら?」


 謹慎室に、監視カメラが仕掛けてあった。取り付けられていたのは、入口からは見えない死角。「昨日と様子が違う」と不知火がこぼして、発見した。

 当然、蓮には何の心当たりのないことだったが、不知火は知る由もない。不知火の詰問は長時間に及び、昼休みと昼食と精神力(メンタル)を費やすこととなったのである。


 超才幹を持ったが故の苦労に、蓮の心は段々と『普通』を諦めかけていた。唯一、心を許せる樟葉の不在がそれに拍車をかけて、ウルフカットの少女による3度目の拉致でさえも、驚くに至る感情の起伏はなかった。


「一昨日は体力切れって感じだったけど、今日は心の元気がないね。どうしちゃったのさ?」


 少女は呑気にも、ナイフを片手にブロック状の固形栄養食を頬張る。


 人を拉致しておきながら、勝手な言い草だ。何も言わず、蓮が少女の紅い眼を睨むと、熱の“凝集”の(のち)に、炎がブロック栄養食を飲み込んだ。夕闇の暗がりでは過ぎた明るさだったのだろう、その炎の勢いに、少女は少しだけ目を見開いて驚いた。


「ちゃんと思い出したんだ。…ようやくこれで楽しめるね、蓮ちゃん」


「…今のは、警告だ。これ以上あたしに、つきまとうな」


 明かりのない廃ビルの一室は、夕暮れを越えてしまえば、後は夜の闇に沈むのみ。うっすらと光を放つ、少女の紅い眼が余計に強調されていることに、蓮は顔を背けた。


「それは無理だよ。だって、ぼく、蓮ちゃんを見つけちゃった。紅い眼になっちゃった。

 だから、()める時も、(すこ)やかなる時も、この眼できみを視てなくちゃいけないんだ。

 だからさ、どうせなら、ぼくにぶつけなよ。きみの鬱憤(うっぷん)とか、すべて」


 ――笑顔を残して、少女が消える。


「――ちょっとぐらい痛くしてくれても、いいよ」


 声のする方から飛来する、焦げた栄養食。蓮はそれを視界に捉えるや否や、向き直り際に炎で灼いた。

 爆発にも似た発火の勢いは、(ほう)られたそれを完全に焼き尽くすが、その方向に少女の姿はなく、蓮の視界ぎりぎりの位置に少女が姿を現す。


「こっち、こっち。こっちだよ~」


 すかさず、“発火”。その手前で少女は消え、また別のところへ。もぐら叩きのように繰り返して、ふと少女が視界から完全に消える。――――蓮の首筋に、冷たく固い何かが触れた。


「動くと、危ないよ」


 少女が、蓮の首筋にナイフを押し当て、背後を取った。


「思ってたよりも、ずっと上手に使えるようになってるね。何でかな? 練習した?」


「お前には、関係(かんけー)ねーだろ!」


 周囲の温度が上がり、蓮の身体を高熱が覆う。それは次の瞬間に猛炎(もうえん)となって空間に顕現、急激にその熱を一帯に(フラッシュオーバーを)放射した。

 少女は空間転移(ジャンプ)で離脱、蓮はその脅威に飲み込まれるが、彼女がその影響を受けることはない。発火の超才幹保持者は、自身の炎による影響を受けないからだ。


「ふ~。今のはちょっとびっくりしちゃった。こんなこともできるなんて、ぼくも本気出さなくちゃかなぁ」


 金属製の棚越しに少女がぼやく。それを見て蓮は、自分の背中側にある階段へ、少しだけ後退(あとずさ)る。


「…今日。あたしのいた教室に、監視カメラが仕掛けてあった。

 お前だろ、こんなことしたの。そのせいで、こっちは拷問されるとこだった」


「さぁ、何のことかな。それよりも、ぼく以外のひとに酷いことされたの? 聞きたいなぁ、そいつの話」


「危機管理委員会だよ。最初はあたしが疑われたけど、『最近変なやつに付きまとわれてる』って、委員会の偉い奴にお前のこと話したら、目の色変えて色々聞いてきた。お前、何者(なにもん)だよ」


 蓮の言葉を最後に、場が鎮まった。少女の返答はなく、急に声が聞こえなくなったことに、蓮は後退る足を止める。沈黙は、しばし続いた。


「蓮ちゃん、委員会のやつらと、どういう関係なの?」


 聞こえてきた少女の声は、どこか弱さを覚える。その少女の弱気に思わず気を取られてしまう蓮だったが、階段までの残り数メートルを一気に走り抜けた。


「教えるかよ、ばーか」


 階段をかけ下りる手前、少女のいる方向に、言い捨てた。

 蓮は家へと向かう途中、何度も振り返って少女の追跡を気にかけたが、その懸念は結局、杞憂(きゆう)に終わった。




「…何だったんだよ、あいつ」


 ふと、こぼれた愚痴は、あの少女に向けられたものだろう。5日目の今日、樟葉不在のまま迎えた2回目の授業終わりで蓮はまだ、帰りの支度ができずにいた。しかも、流し目で兎耳(うさみみ)を弄るその仕草を、今日の特別授業で幾度となく注意されたはずだったが、一向に止める気配はなく。ため息と独り言を惜しげもなく連発していた。


「はぁ…」


 察するに、気持ちを吐き出す先を失っているからだろう。今朝は、健気に五月女(さおとめ)が蓮に会いに来たが、顔に活気が戻っていない様を見るに、彼女では役不足ということに違いない。

 樟葉がいればいくらかマシか――――。蓮もそう思っていたのか、樟葉がいたはずの席を見つめながらまた、小さくため息を着いた。


「…てか、早く来いよな」


 そう呟いた矢先、教室の扉が(やかま)しく開け放たれた――と言うより、吹き飛んだ。


「樟葉ぁーっ!!」


「うぉあぁっ!? 何だぁ?!」


 外れた一枚のドアが床に打ち付けられる。幸いにも窓ガラスがついていない方のドアだったが、謹慎室(ここ)は職員室の隣だ。物音を聞きつけてやって来られれば、今の蓮にとっては厄介極まりない。

 その重量によろけながら、蓮は慌ててドアを立て直す。


「む、不在ですか。失礼しました。では!」


「ちょっ、おい! お前! これ直すの手伝えよ! あたしが怒られんだろうが!」


 細腕を震わせ、重みに耐えることで精いっぱいの蓮。遂に扉に押しつぶされそうになった手前、謎の少女は扉をひょいと持ち上げ、何事もなく正規の位置へと戻す。

 蓮はむしろ、急激に重さを失ったことで転びそうになって、少女にもたれかかった。


「えっ、硬っ…」


 その身体はまるで、鉄の壁にぶつかったと錯覚させるほどに強固。

 触れて感じる、二の腕の芯――いや、鍛え上げられた上腕二頭筋。次いで触れた三角筋と大胸筋も硬く引き締まり、絞られ、筋肉すら無駄な肉を感じさせない。


 驚きを隠せない様子で、蓮が少女から離れた。だが見ても目の前にあるのは壁ではなく、栗色の髪をぱっつんに切り揃えた太眉(ふとまゆ)の少女が立つのみ。理解が追いつかないのか、蓮は再度、細身の二の腕に触れる。――――その感触はまさに、鋼鉄。なのに力を抜くとしなやかで、女性特有の柔らかさが感じられた。


「倒れてきたので、咄嗟に力をこめてしまいました。ケガはありませんですか?」


「おぉ…。てか、誰だ、お前…」


 鋼のような肉体の少女は、蓮と別の高校の制服を身にまとう。それだけでなく、特徴的なのはスカートの下に履くスパッツと、テーピングが施された拳だ。その風貌は、自らが格闘家であると、声を大にしていた。


(せい)有栖川(ありすがわ)、名を(ゆめ)と言います。最近、樟葉がまたやらかしたと聞きました。反省の間、この部屋に閉じ込められているとのことで、()(さん)じたです」


「有栖川って――」


 その名前は、いつか樟葉が言っていた同居人――――“馬鹿みてーな量のメシ”を作り生活費を圧迫する、格闘家の娘。その本人が今、目の前に立っていた。


「樟葉と一緒に住んでるっていう、あの有栖川か? 食費で家計を圧迫してる、って噂の」


「む。家計を圧迫とは失礼な。食費以外は(ゆめ)がきちんと払ってるです。

 そもそも樟葉が食費を払ってるのは、(ゆめ)を毎晩抱き枕にして寝てる対価(から)です。

 あいつ、(さび)しがりだから、抱き枕がないと寝れねー言ってるですよ。いい歳して、困った奴です」


「あ………、あぁ、そう」


 『そこまでは聞いていない』――そう思っているだろう顔で、蓮は思いがけず知った樟葉の一面に頬を赤くした。


「というか其方(そちら)は、もしや、樟葉のご友人にあられますですか? ケンカ相手でなく?」


 有栖川が、蓮の身体を丹念に見つめる。首から(くるぶし)までを注意深く観察し、二の腕を触診し始めたところで、蓮は腕を逃がすようにしてその手を払った。それでも有栖川は納得したようで、「確かに、この肉体(フィジカル)では…」と小さくこぼした。


「まさか、拳で語ることしか知らないあの樟葉に、(ゆめ)以外のご友人がいたとは…。

 今日は赤飯の代わりに、あか(うし)を取り寄せなくてはですね…。

 馴れ初めは如何様(いかよう)にして? やっぱり最初は挑戦状を叩きつけたですか?」


「挑戦状って、あいつとケンカなんかしてねーよ。

 あたしは別に、普通に話しただけで…」


「何と!? 挑戦状は由緒正しい『お“突き”合い』の申し立てだと、父が…。

 (ゆめ)は型の基本から間違えていた…? しかし、樟葉には稽古にも付き合って貰ってるですし…。

 あ、それよりも! あの樟葉が、話しかけただけの相手に心を許すとは思えません!

 あの、どんな言葉で樟葉を言い負かしたですか?! 頭のいい樟葉と口喧嘩でやりあうとは、さぞ手練(てだ)れの方でありましょう?」


「だから、あたしはケンカなんかしてねーっての!」


 ――閑話休題。ギャグのような少女にペースを乱されたが、それでも蓮は大事なことを忘れてはいなかった。


「いや、違う、そうじゃなくて。えっと、何だ? お前、樟葉を探してんのか?」


「おっと、そうでした。普段(いつも)は遅くなる前に連絡とかしてくるですが、それがなくてですね。

 今度こそは、とんでもないことやらかして監禁でもされたのかと思ってここに来た次第ですよ。

 検討違いだったようですが…」


「電話とか、繋がんねーのか?」


 有栖川は首を振る。


「てか、樟葉(あいつ)、体調(わり)ーんだろ? 昨日も今日も、学校(ここ)には来てねぇぞ」


「? 体調不良とは、誰から聞いたですか? 樟葉は一昨日(おととい)から帰ってきてねーですし、(ゆめ)はこの学校の連絡先なんて知らねーですよ」


 途端に、蓮は耳を疑った。二日前から帰ってきていないということは、昨日の不在の間、樟葉は家にも学校にも来ていないということになる。だとすれば、『体調不良の連絡』には、不審な雰囲気を感じざるを得ない。

 そこに、ふと、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。二人が視線を向けると、そこには左手首に包帯を巻いた委員長が立っていた。


「五月女? って、お前、その左手どうした? 今朝はなかったろ」


「蓮がいつまでも出て来ないから、先に来ちゃった。

 ――で、水取(もいとり)さんなら、委員会の施設に行ったよ」


 聞き慣れたソプラノの声音。しかしその声は、二日前に樟葉に発せられた声調(せいちょう)で、赤の他人に向けられているように冷たく、あからさまに蓮の質問を無視する。

 加えて、耳に着けたイヤホンも外さずに淡々と言い放つその態度が、ぞんざいさを助長していた。


「一昨日の夜、急に体調が悪いって、委員長の私のところに来たの。

 それで、様子がおかしかったから危機管理委員会に連絡したら、紅眼視を発症してたって。

 だから今頃は、東特区の施設にいるんじゃないかな」


「そこに行けば、樟葉に会えるですか!」


 紅眼視――耳に届いたその単語を、蓮が聞き返す前に有栖川が遮った。食い気味に鼻を鳴らす鋼鉄のような少女を、五月女は鋼鉄のように冷たい目で瞥見(べっけん)する。


「会いに行っても、無駄だと思うよ。処置室にいるだろうし、施設はここから車でも2時間以上かかる。

 総合病院と隣接してるけど、山の中だからなおさら――――」


「ありがとうです、名も知らぬ御仁(ごじん)! あと、樟葉のご友人も!

 居場所が分かればこっちのもんです! それでは!」


 言って、下駄箱へと一目散に駆けていく有栖川。その様を見届ける五月女は、蓮が樟葉の安否を確かめようとしたところで、いきなり彼女に抱き着いた。急な出来事に驚きながら、腕ごと覆うように抱き着く五月女の腕の中で、蓮はそれを控えめに押し返す。

 が、五月女はじっと、蓮を抱き続けた。


「何だよ、いきなり…。なぁ、樟葉が紅眼視って、本当(ほんと)かよ? だとしたらあたしも、あの筋肉女と一緒に――」


「蓮はさ。小学生の頃、友達少なかったよね? ていうか、いなかった」


「あぁ?! 覚えてねーけど…、多分そうだったんじゃねーの」


「うん、そうだよ。私は、蓮のたった一人の幼馴染で、友達。

 だからさぁ、水取(もいとり)さんなんて、今はどうだっていいじゃん。私がいるんだから」


「お前、何言ってんだ…? 樟葉が紅眼視だとしたら、どうでもよくなんかねぇだろ!」


「どうだっていいって言ってんじゃん!!」


 ――五月女が蓮を突き飛ばした。態勢を崩す蓮は、椅子に身体をぶつけ、そのまま椅子ごと倒れてしまう。何が起こったか分からないという顔で見上げるが、五月女は既に、倒れこんだ蓮のすぐ目の前で彼女を見降ろしていた。


「まだ会って数日も経ってない女を名前で呼んで。いっつも一緒にいる私のことは、名前で呼んでくれない。

 最近、全然一緒に帰ってもくれないし、話を聞くときも(うわ)の空だったよね? 特別授業で疲れてる蓮を迎えに行ってあげた時も、蓮はあの女の服の裾を掴んでた。ず~っと、私の目の前で、帰る寸前まで。

 ねぇ、どうして? あの女の何が良いの? 何で私には冷たくするの?」


「……お前、樟葉に(なん)かしたのか」


 五月女がしゃがみ、蓮と目を合わせる。その目はじっと据わり、蓮の瞳の奥の奥まで見透かさんと、深淵を覗くように微動だにしない。そのまま瞬き一つせず、無表情のままに目を細めた。


「邪魔だったから、施設に預けただけだよ。――こうやって」


 地面に着く蓮の左手に、黒い立方体が重なるように現れる。蓮が気付き、手を退()けようとするも、黒い空間はびくともせず。直後、“黒い箱”は蓮を引きずりながら空間を移動し、ちょうど校内放送用のスピーカー辺りで止まる。蓮は左手だけでぶら下がるような格好となった。


「五月女…っ、何すんだ…!」


「地面に足も着けれずに、もがいてる蓮…。はぁ~…、ほんっとに可愛い…。

 痛くしてごめんね? けど、蓮が悪いんだよ? 幼馴染の私を(ないがし)ろにして、他の女にばっかり気を取られてる、蓮が」


 左腕を掴むようにして体重を支えていた右手。そこにも黒い立方体が現れ、左手と同じ高さに引っ張られる。その二つの“黒い箱”は、次第に近づいて、溶け込むようにして重なり、ついに蓮の両腕の自由を奪った。


 いとも容易く保持者を拘束することができる五月女は、その能力を買われて、委員長として任命されている。

 彼女の超才幹は、波動干渉(デコヒーレンス)。物体や物質はすべて”固有の波”の一つの状態であり、これに干渉できる超才幹だが、端的に言ってしまえば、これは『指定した領域の時間を止める』能力として解釈できる。どんな環境でも一定速度とされる光さえ閉じ込めるため、その領域は肉眼では黒色(こくしょく)として認識される。


「私ね、蓮に謝らなくちゃいけないことがあるんだぁ。

 不知火さんに、監視カメラが仕掛けてあったって、怒られたでしょ?

 あれ仕掛けたの、私なの。不知火さん、怖いよね、怖かったよね。

 でも尋問されてる時の蓮、すっごく怯えてて、声まで震わせちゃって、最高(さいっこう)に可愛かった…」


「何で、お前がそんなこと、知ってんだよ…!」


 五月女が、動けない蓮のブレザーを(めく)り、内ポケットから取り出したのは、ワイヤレスイヤホン程の小さなマイク。次いで、五月女がイヤホンを外すと、先ほど蓮が発した言葉の端が聞こえた。


盗聴器(こっち)も仕掛けておいたから、だよ♪」


 顔の表面に、いつもの明るさだけを貼り付け、満面の笑みを向ける五月女。蓮は言葉を失い、絶句する。


「あとね、蓮に、もう一個聞きたいことがあるの。

 さっきの、他の学校の女の子が来る前、『何だったんだよ、あいつ』って、ひとり(ごと)()ってたよね?

 水取さん(あのおんな)とは会ってないし、何かされてた訳でもない。ってことはさ、別の誰かに対して()ったってことだよね? 私でもない、水取さん(あのおんな)でもない、じゃあ誰? ねぇ、誰に対して言った言葉だったの? ねぇ、教えて?」


 “黒い箱”がゆっくりと下がり、蓮の足が地面に届くか届かないかのところで止まった。蓮の耳に、五月女が口を近づける。


「私、知ってるよ。『ウルフカットのセーラー女』、だよね」


 やけに優しい囁き声が、蓮の耳を打つ。その単語は、蓮が不知火に言った、言葉のまま。

 蓮の背筋に、ぞくりと悪寒が足跡を残すと同時に、五月女が蓮の細い首を掴んだ。的確に頸動脈を圧迫し、酸欠を誘発する。


「昨日と、一昨日と、三日前(このあいだ)の夜、どこ行ってたの? その女のところ?

 嘘つかないでね、スマホのGPSで分かるんだから。

 答えて? ねぇ、答えてよ!! 蓮!!」


 ――高熱の凝集、足元から湧き上がる炎が、蓮から五月女と黒い拘束を引きはがす。首を押さえて呼吸を整えるのも束の間、蓮は急いで教室を飛び出した。

 狭い謹慎室は蓮にとって分が悪いだけでなく、下手に超才幹を行使すれば、大火事を引き起こすことになりかねない。そもそも、火災報知器が作動して追加の処罰を受ける懸念だってある。

 おそらくそんな思いで蓮が向かった先は、人目のつかない屋上だった。


 屋上の扉が、体当たりを食らって開け放たれる。蓮が階段を上る途中、五月女の超才幹による追跡を回避しながら走っていたためだ。

 五月女の超才幹である波動干渉(デコヒーレンス)は、物体の固定でなく、空間そのものの時間を固定する。つまり、身体に作用すれば(かせ)となるし、空間に出現すれば障害物になる。しかも、空間に現れた“黒い箱”は任意に動かすことが可能だ。行き先が屋上(いきどまり)だと五月女が察していなければ、蓮は早々に彼女に捕獲されていただろう。


 蓮は視界の奥の鉄柵まで駆けて行って、扉をくぐる五月女に身体を向け直した。


「偉いなぁ、蓮は。他人に迷惑かけないように、ちゃんと人気(ひとけ)のないところにまで来たんだね。

 その優しさ、私にも欲しいなぁ。ねぇ、頂戴? 蓮」


「お前、(なん)か変だぞ! 監視カメラとか盗聴器とか、どういうことだよ!?

 今までそんな風じゃなかったろ!」


「そうだね、初めて会った時はこんなじゃなかった。

 けどずっと蓮を見て、蓮のお世話してあげてる内に、蓮のことが、すっごく(いと)おしくなっちゃった。

 蓮だけなの。私に安らぎを与えてくれるのは。そして蓮にも私だけのはずだった。なのに、次から次へと邪魔な奴らが私から蓮を奪いに来た。私だけの蓮を。

 辛くて、苦しくて、ずっと泣いてた。

 だからこうなっちゃったんだよ。責任、取ってくれるよね、蓮」


 再び現れる、“黒い箱”。鉄柵に置いた手が固定され、蓮はその場から動けなくなった。

 しかし、五月女の近くを“発火”すると、その拘束は解かれ、五月女は薄く伸ばした“黒い箱”――“黒い板”で炎を防御した。


 後から思えば、どうやら蓮はこの時点で五月女の超才幹のルールに気付いたようだった。すなわち先の"発火"は、推測を確信に変えるための一撃だと推察できる。


 もし波動干渉(デコヒーレンス)で対象者の行手を阻むならーー例えばさっきの逃走劇(チェイス)ーーたった今炎から身を守ったのと同じように、“黒い板”を出せば合理的だ。しかし実際は、小さな“黒い箱”を無数に出現させ、まるで障害物競走のように邪魔をしただけだった。


 何故なら、五月女は"一度に決まった容積しか固定できない"からだ。だから彼女が蓮の炎を受けた際、黒い箱による拘束を解かざるを得なかった。

 その容積はおそらく、『五月女一人分の広さを持った“黒い板”の分だけ』。それ以上は、一度リセットしなければ、“黒い箱”を出せないのだ。


「あたしが誰と話そうが、勝手だろ。お前にとやかく言われる筋合いなんてねぇよ。

 おい、樟葉は無事なんだろうな」


「また他の女の話してる! 私がいるのに、すぐ邪険にする!」


 “黒い箱”が、逃げる右手と左足を捕らえる。


「何でそういう態度取るの? 蓮は、私が他の女に嫉妬するところを見て、楽しいの? 私は全然楽しくない。辛い。苦しい。死にたくてしょうがなかった」


 五月女が左手の包帯を解く。その手首には、かさぶたが張ったばかりの、無数の傷跡があった。


「見て? 蓮のこと想いながらリスカしたんだ。血が出てる時、すっごい綺麗なんだよ?

 血が流れるとこ、蓮にも見せてあげる」


 そう言って、カッターを取り出す。しかし勿体ぶるように刃を出すその様は、暗に『()めて、構って』と言っているようにも取れた。


「…やれよ」


「え?」


「やってみろよ。どうせできねーだろ。

 お前がやりたいのはリストカットじゃなくて、『自分可哀そう』って気分に浸りてぇだけだろうが! 悲劇のヒロイン演じてんじゃねぇよ、気持ち(わり)ぃ!」


「………」


 蓮の身体の各所を、いくつもの黒い領域が覆う。五月女は無言で、カッターの刃を、“突き刺すのにちょうどいい長さ”に調整した。


「まずは、目かな。見えなければ、炎だって出せないもんね」


 カッターを逆手(さかて)に、五月女が走り出す。数十歩と無い二人の距離はすぐに縮まり、狙いを定めるべく、五月女が蓮の肩を掴んだ。


「――やっと、出し切ったな」


 蓮の周囲を高熱の気流が覆う。その熱気を感じ、五月女は“拘束”をリセット、黒い壁を出現させようとするーーーーが、その僅かな隙に蓮が五月女に抱き着いた。

 五月女は何をされたか理解する間もなく、しかし、黒い領域を出すこともままならない。一旦、蓮から離れようともするが、背後には既に、太い火柱が(そび)えていた。


「っ、離してっ!」


 五月女がカッターを突き立てようとするが、“発火”された拍子に取り落とす。一方の火柱は彼女を灼く訳でもなく、熱気を伝えるぎりぎりの場所に留まり、順調に酸素を奪っていた。


「幼馴染なのに…! 何でこんなこと、ごほっ、幼馴染なの、に…っ!」


 ーー火災による死亡の多くは、酸欠による窒息が起因している。きっと、蓮は五月女に首を絞められた時にこの方法を思い付いたのだろう。

 蓮が抱き着いてから一分ほどで、五月女はぐったりと力を失くして、倒れこんだ。そして蓮も、大きく息を吐きながら両の手と膝を着いた。


「めっちゃくちゃ疲れた…」


 発火の超才幹は、本来は着火のみの能力だ。発火による熱などの影響は受けないものの、炎を出し続けることそのものにくたびれたようだった。


 脱力したまま空を見上げる蓮が、呼吸を整えながら五月女に目を向けた。同じように倒れた五月女も、いつまでも酸欠のままとはいかないはずだ。そのことは分かっているようで、蓮はスマホを取り出し、救急車に“匿名通報”をかけた。


 その後すぐにスマホの電源を切り、気怠い身体を起こして、屋上を後にする。だが蓮は、どうしても引っ掛かることがあったようで、屋上の扉に差し掛かったまま、五月女を遠くに見ていた。


「…幼馴染…」


 (おぼろ)げで、ほとんどを、あの大火事で失くしたはずの、彼女の記憶。だが蓮には確かに、誰かと一緒にいた記憶が残っていた。その誰かはきっと幼馴染だったのだが、顔は思い出せなかった。だから、五月女の言う『幼馴染』という言葉に、ずっと実感が沸いていなかったのだ。


 しかし、ふと、蓮の脳裏に素朴な疑問が浮かんだ。

 ーー幼馴染と一緒にいた記憶はあるが、五月女の出す“黒い箱”を見た記憶が無い。その違和感は記憶にできた小さな"ひび"のように、ある種のきっかけとなり、蓮の思考を飛躍させた。

 途端に鋭い頭痛が蓮を襲った。強い眩暈(めまい)昏倒(こんとう)しそうになりながら、蓮はゆっくりと、階段を降り始めた。


 ここで(ようや)く、彼女は気付いてしまったのだ。“五月女(さおとめ) (ひかる)は、幼馴染ではない”と。



  †



挿絵(By みてみん)

有栖川(ありすがわ) (ゆめ)

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