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紅のオクルス  作者: Nagia
3/9

【- 自火 -】

【3】- 自火(じか) -


 それは最早、“誰か”の夢と化した記憶。場面はある一室で、一人の少女を挟み、男と女が言い争っていた。

 耳を塞ぐ少女にその中身は聞こえなかったが、自分のことで言い争っているのだということは、はっきりと分かっていたようだ。

 痺れを切らしたのか、女が男の頬を打つ。男の、僅かに開いた口からは食い縛る歯が覗いたが、それは痛みを(こら)えた表情(かお)ではなかった。

 まるで爆発のような怒号。罵声と、暴力が、何度も何度も繰り返された。

 顔を真っ赤にして(いか)っていたはずの女の顔が、本当に赤く染まってきたところで、少女は女に抱き着いた。

 それは制止――男に対する、少女の懇願。しかしその僅かな抵抗を(はい)したのは、女。抱擁(ほうよう)を振りほどき、少女の顔面を躊躇(ちゅうちょ)なく蹴飛ばした。女は、口の中から(あふ)れる血に(むせ)ても尚、執拗に少女を蹴り続けた。

 少女の瞳に浮かぶのは、痛みと、悲しみと、そして、疑問。未だ守られるべき年齢の少女はただ、無力だった。


 少女が本当の意味で爆発したのは、その直後のことだ。




 少し早めに登校した蓮は、所定の席に着くや否や突っ伏して眠っていたが、小さく身体をビクつかせて起床した。どことなく苛立ちを覚えて眠気を振り払うも、(うつつ)への抵抗力は睡魔に負け、段々と溶けていく。

 彼女のその眠気も無理はない。原因は、昨日の夜にまで遡る。


 暴走した保持者が拘束された後、蓮と樟葉の両名は取り調べを受けることとなった。

 暴徒と化した保持者に対処するのは、危機管理委員会の実働部隊である。暴徒の前に出れば、作戦行動の邪魔となるだけでなく、もし人質にでもされようものなら、無駄な仕事を増やすことになりかねない。まずはそのお説教が、二人を待ち受けていた。


 次に、身元の確認があった。二人とも両親がいなかったため身分証明は親戚か、学校関係者でなくてはならなかった。教師と、校長までもが召喚される事態になり、そこでも厳重注意を受けた。そしてその流れで二人は学校へと連行され、再度の状況説明と反省文の作成を強いられた。


 そして蓮にとっての極めつけは、学校から解放された後のことだ。樟葉と別れた彼女の前にまた、“あの少女”が現れた。

 再び廃ビルへと拉致された蓮だったが、元々体力のある方ではなく、彼女は既に体力の限界を迎えていた。超才幹どころか、走り回ることさえも覚束(おぼつか)ず、転んだ拍子に、「…今日つまんない。じゃーね」などと吐き捨てられて、あの寂しげな空間にまた一人取り残されたのだった。


「…あの女ぁ…」


 転んだことが、よっぽど恥ずかしかったのだろう。蓮は突っ伏していたはずの顔をのそりと上げ、火が出たように顔を赤くして呟いた。その後すぐに腕の中へ頭を突っ込み、長いため息を吐いてみせた。

 ここは謹慎室で、普通の教室ではない。だからこその独り言だったのかもしれない。そうして蓮が苦汁を嘗めているうち、樟葉が現れた。彼女は蓮を見るや否や軽い挨拶をしたが、頭を起こした蓮は頬杖をつき、冷ややかなジト目で彼女の行く末を睨んでいた。


「…樟葉」


「あ?」


「昨日、何で(そと)出たんだよ。こうなるんじゃねーかって、分かってたろ」


「まーな。巻き込んで悪かったけど、アタシはちゃんと、『ついてくんな』って言ったぜ?」


 正論だ。それに関しては蓮も了承している。


「そうじゃなくて。何で自分から、あんなヤベー奴んとこ行ったんだって話。死ぬだろ、あんなん」


「アタシも、あんな奴出てくると思わなかったわ。けど、蓮がいなかったら結構いい線行ってた。マジで」


 ニヤニヤと笑う樟葉。「蓮がいなかったら」なんて、その物言いはわざとらしく蓮の怒りを(あお)っているようにも感じられる。その誘導を察していたのか、蓮はあくまで落ち着いた様子を見せた。


「あたしが聞いてんのは、『何で外に出たのか』だっての。はぐらかしてんの、分かってんだよ」


 その指摘は図星だったようで、樟葉はバツが悪そうに頬をかく。しかし「(わり)ぃ」とだけ呟いて、着席してしまう。そんな樟葉の反応が不服だったようで、蓮は眉間に加え(あご)にも(しわ)を寄せて見せ付けるが、それでも口を割る様子のない樟葉を見て、不機嫌そうに視線を外した。


 ほんの数秒の間があった後、樟葉がちらりと目だけを動かして、その目を伏せた。


「危機管理委員会の奴らに会いたかった」


「…何で?」


(なん)つーかな、予感があったんだよ。

 蓮は、自分が何のために存在するのかとか、考えたことあるか?」


「別に…、()ぇけど。てか、今それ関係ある?」


 返答に、再び口を(つぐ)む樟葉。何やら言葉を選んでいる様子だった。


「…『柄にも()ぇ』って、思うなよな。

 アタシさ、親いなくて、施設育ちだったからかな。そういうこと、ずっと考えてんだ。

 けど、自由気ままにやりてーことやって、ケンカばっかしてても、(なん)か満たされねーっつーか。

 その答えを探すために、好き勝手やってたっつーか。

 委員会の奴らに会ったら、それも分かっかなーって思って、そんで、飛び出した」


「………いや、あたしが(わり)―んかな、全然(ぜんっぜん)わかんねぇんだけど」


 蓮の追求も(もっと)もなことだ。自己責任とは言え、大切な内申を犠牲にしてまで樟葉の身を案じたのだから、相応の対価(りゆう)があってもいいはずである。

 しかし一方で、樟葉はただ誤魔化す訳でなく、何か言葉を選んでいる。彼女の中に何かがあったのは確かだが、その(じつ)、樟葉自身もその何かの中身を理解できていないようなのは、蓮から見ても明白だった。


「まぁまぁまぁ、いいじゃねーか! アンタも無事だったんだしよ」


 結局、蓮は「もういいよ、別に」と唇を尖らせるだけで、それ以上の追求はしなかった。


 しん、と部屋が静まり返ると、廊下から数名の足音が聞こえてくる。謹慎室のすぐ近くには職員室があるが、そこから教師陣が足早(あしばや)に各教室へと向かい始めたのだ。

 しかしその足音が遠ざかっても教師は入ってこず、代わりに、聞きなれない靴音が遠くから響いてくる。やがて、始業のチャイムと同時に入室したのは、特殊部隊仕様の黒いジャケットを羽織る長身の女性だった。


「今日から一週間、特別教師として貴方達を指導する、不知火(しらぬい)よ。

 数時間ぶりね、二人とも。昨日はよく眠れた?」


 二人の前に現れたのは、防護装備(タクティカルベスト)を着けていない、昨日の女性部隊員。

 向けられた笑顔は形だけのようで、二人は予想外の人物の登場に、ただ唖然とするしかなかった。


 彼女の名は不知火(しらぬい) (しのぶ)。この地域一帯の治安を任された、危機管理委員会の鎮圧部隊隊長。

 その彼女(いわ)く、謹慎期間中は彼女の元で特別授業を受け、これを修了することが課題だと言う。態度が良ければ謹慎解除を早めるとも説明されたが、二人には(いささ)かの疑問が残った。


「アンタ、お偉いさんだろ? アタシ()みてーなのを見てる暇あんのか?」


「えぇ、優先事項だもの。代わりに貴方達には、これからしっかり勉強して貰うわ。

 超才幹の基礎から、しっかりとね」


「そんなん、散々授業でやってる。バカにしてんのか?」


 ――――廓大感覚(リフレックス)が樟葉に危険を促す。不知火が、机に何かを突き立てる寸前、樟葉はその軌跡上にあった自分の手を咄嗟(とっさ)に引っ込めた。

 大きな音を立て――少なくとも蓮の目には止まらぬ速さで――学習机の天板にアーミーナイフが突き立てられた。

 その凶器を取り出す仕草を、二人が目で追う隙はなかった。


「良かったわねぇ、超才幹(リフレックス)があって。危うく、全治一ヶ月以上の(きず)ができるとこだった。

 さて、問題。貴方のその廓大感覚(リフレックス)は、どうやって危険を察知しているのでしょう?」


 猫のように目を丸くする蓮の隣、樟葉はこの圧力に対し、引き気味に首を振った。


「残念ねぇ…。こんなことも知らないのに私の授業を受けたくないなんて、バカにしてるのかしらぁ」


 不知火はわざとらしく首を傾げて見せてから、ナイフを引き抜く。


「これから貴方達に教えるのは、機密上、普段の授業では教えない内容。

 けれど貴方達には、特別に機密(これ)を知る権利を与えるわ。

 だから、あんまり生意気な口を()いたりすれば、さっきみたいに手が出ちゃうかも。

 分かったら、静かに授業を受けること。いいわね?」


 冷たい笑顔から発せられる明るい声音(こわね)。『黙って従え』という理不尽な圧力は反論の余地を与えず、目を逸らす隙も与えていない。

 これで学校の許可を得ているというのだから驚きだが、『上の人には逆らえない』というやつなのだろう。しばしの沈黙があった(のち)、これを肯定と受け取った不知火は、形だけの笑みを取り戻した。


 不知火の言った通り、授業はまず、超才幹とは何かの解説から始まった。今となっては国連直属機関となった、国際脳科学研究所の見解を元に、教科書の内容を補足する形式だったが、『超才幹の発現』の項目で多くの時間を使うこととなった。

 それは二人が知らない、“意識レベル”と、“ベルタ波”についての説明があったからだ。


 “意識レベル”とは、脳の記憶領域を超才幹がどれだけ占領しているかを示す指標だ。

 超才幹はどんな人間にも備わっている『脳の高次機能(モジュール)』だが、これを発現するには“脳の機能制限”を解除する必要がある。

 研究所及び委員会は、この“機能制限”が解除された人間を超才幹保持者と定義していて、解除された超才幹の個数により、アルファ領域からガンマ領域までの三段階で区分し、意識レベルの判定としている。


 また、ベルタ波とは、保持者が超才幹を行使した際に放出するエネルギー波のことだ。その正体は、タキオンという素粒子に関連する現象と考えられ、その性質は『時間をも超える』ことが判明している。

 例えば、人間の思考速度は脳内物質の化学反応速度で決まるため、ある速さを超えることはできない。しかし、ベルタ波を利用して『先の結果を視る = 答えを“(あらかじ)め知る”』ことで、廓大感覚(リフレックス)保持者は思考時間を短縮することができると考えられている。

 そして、ベルタ波と意識レベルの2つには相関関係がある。それは意識レベルが上がるほど、ベルタ波は多く放出されるということだ。


「ここまでが、世間がよく知る超能力少女――ベルタ・アッヘンバッハの残した功績。

 彼女のおかげで研究は随分と進んだそうね。

 けど、彼女がいた頃に解明されなかった現象もあった」


「…紅眼視障害」


「あらぁ? とっても優秀な独り言ねぇ、(すめらぎ)さん。

 そう、紅眼視障害は、彼女が役目を終えて以降に現れた現象で、まだ完全には解明されてないの。

 一度発症すると、満足行くまで徹底的に暴れ回られるし、委員会(こっち)としてはいい迷惑なのよねぇ」


 思い当たる節に、蓮は目を逸らした。察するに、あの少女との邂逅(かいこう)を思い起こしたためだ。

 紅眼視障害の発症例は多くなく、公には数年で1件あるかないかといったところだ。しかし未だ多くの人間は、単に保持者というだけで危険視する現実もある。(ゆえ)に、世間の注目度は低くない。

 そのことを十分に知った上での焦りか、蓮はたまらずに手を挙げた。


「ネットだと、紅眼視は『ガス抜き』だって言われてる。超才幹を使わないことでストレスが溜まって、爆発するって。…それって、研究所の研究成果と合ってるんですか」


 勝手な発言だったのだろう、不知火は二度目の発言に睨むような目つきで応答する。しかし、蓮はおずおずと手を引っ込めながらも、その質問の答えを知るためか、真剣な目つきを()って返答とした。


 蓮は今まで、自分が超才幹を使えないと思っていた。しかしその幻想はウルフカットの少女の登場により打ち砕かれ、自分は使える側の人間なのではと、改めて気付き始めていた。

 だが一方で、蓮には新生児検査で否定された事実がある。だから、ネットの憶測が間違いなら、あの少女もまた何かの"手違い"だと、自分に言い聞かせられる。―――きっと、そういう期待があっての目付きだった。


「…勉強熱心な態度に免じて教えてあげる。研究所の最新の見解は、噂の真逆よ。

 紅眼視障害は、超才幹が一定以上の意識レベルになったことで現れる“中毒症状”だとしているわ。

 意識レベルがベータ領域まで到達してれば発症の可能性はあるけど、アルファ領域の貴方達には無縁の話ね」


 蓮がほっと胸を撫で下ろす。それはおそらく、『自分はまだ普通でいられる』という確信。

 『必ずペアで発症する』ことへの疑問は残っていたが、委員会が「お前は紅眼視とは無縁だ」と言ったのだ。確かに、蓮はあの少女の紅い眼を見たが、所詮はぽっと()の不確かな存在である。

 蓮の安堵の表情は、研究所や委員会の方がよっぽど信頼できると考えているに違いなかった。




 午後の講義の前に、蓮と樟葉の二人は体操服への着替えと、体育館への集合を命じられた。

 気怠(けだる)げに体育館へと歩く樟葉に対し蓮は先ほどとは打って変わって、葬式陳列者のような表情にまで落ち込んでいた。

 午前の講義にて、解散前の不知火はついでに「人は、はけておいたから」と付け加えていた。とすれば、保持者が二人、身体を動かしやすい服装で、何も起こらないはずはない。そんな憶測にやられて、蓮は「心底、嫌だ」と、ため息をついていた。


 貸し切り状態の体育館には、先に到着していた不知火の姿があった。その足元には、リレー用のバトンが幾本も、整然と並べられている。


「これから貴方達には、能力テストを受けてもらうわ。超才幹をどの程度まで扱うことができるか、見せて頂戴」


 案の定、肩を落とす蓮を見て、それを庇うように樟葉が前に出る。


「アタシ()の実力知って、どうするつもりだよ。今回起こした問題とは関係(かんけー)ねーじゃねーか。

 てか、そもそも蓮は超才幹を使って()ぇ。やるなら、アタシだけでいいだろ」


「関係あるかないかなんて、どうだっていいでしょう? 今、貴方達を預かっているのは、この私なの。

 私が一言(ひとこと)、『良し』と言えば、この謹慎処分は終わり。

 反対に、私がそう言わなければ、貴方達は処分をいつまでも受け続けるだけ。分かるでしょう?」


 足元に立てられた十数本のバトンが、少し揺れた。かと思えば、それらは一本ずつ、弾き飛ばされたように宙に浮いていき、順々に不知火を中心として周り始めた。

 十を超えるバトンのそれぞれが別の位相(いそう)と周期を持ち、高速度に関わらず、ぶつかることなく規則正しく公転する。しかもよく観察すると、その一本一本は自転まで与えられていた。


 超才幹行使だ。自分が保持者であることを、蓮と樟葉に示すために行った、不知火のパフォーマンスとも取れた。


 危険察知(リフレックス)――樟葉が蓮から離れるように走り出すと、そこに一瞬、遅れてバトンが飛来した。

 樟葉が上半身を傾けてバトンを(かわ)すと、すかさず別のバトンが軸足を狙いに来た――が、樟葉は全身をひねることで軸足を跳ね上げ、これを()けた。その勢いで身体を浮かせて、続く二つに並んで回るバトンの間に身体を通して、回避。

 ――手を着いて着地する(きわ)、死角から後頭部へ、音もなく接近するバトンを、首を傾けて()けて見せた。


「えぇ、えぇ。大変、結構。素晴らしいわぁ、水取(もいとり)さん」


 続いて迫り来る、4本のバトン。先ほどよりもその速度を上げて、かつ複数個所を同時に狙う。

 だが樟葉にとって、それらはゆっくりと空中を漂っているように視えている。バトンの軌跡を予測することは造作もなく、4本が交わる位置だけを推測し、最小限の動きだけで()けて見せた。


 続々とバトンを差し向ける不知火と、ひたすら(かわ)し続ける樟葉。その難易度は徐々に上がっていき、遂にバトンは、樟葉の周囲を公転しながら体当たりを繰り返すようになる。

 その様子を、手に汗を握りながら、ただ見ることしかできない蓮は、(せわ)しなく視線を動かす樟葉の眼が、次第に紅く光を放つように視えるようになり、ふと強い頭痛を覚えて目を固く閉じた。


 何本ものバトンが一斉に体育館の床を叩く音で、蓮は目を開く。

 見ると、額に大粒の汗を蓄えた樟葉が、身を伏して、荒くなった呼吸を整えていた。蓮が駆け寄って肩に手を置くも、樟葉は「息が切れただけだ」と、大丈夫そうな様子を見せた。


「全部同時に向かわせるとか、()けさせる気、ねーだろ、アンタ…」


 樟葉が、焦げ茶色の瞳を疲労に揺らす。

 対し、不知火は満足げな表情。散らばったバトンを再び浮かせ、そのまま初期位置へと行儀よく並べる。


「そうねぇ、最後のはちょっとズルだったわねぇ。貴方は合格よ、水取さん。

 さて、次は貴方の番ね、皇さん?」


 座っていた蓮が、視線を外しながら起立する。その口は何か言いたげだが、まだ閉ざされたままだ。


「貴方にはそうね、こっちのパルプ製のバトンを使いましょう。

 ジャグリングの要領で空中に放り投げるから、燃やして頂戴」


 一本、また一本と、空中へ(ほう)られる(バトン)。しかしそれを見ようともせず、蓮はただ立っていた。


「聞こえなかったのかしら? このバトンを、燃やすのよ。火を着けるだけでもいい。

 貴方の超才幹なら簡単よね?」


「あたしは…、超才幹なんて、使えない」


「ふざけたこと言わないで。貴方、発火の超才幹保持者よね? だから特別学級(ここ)にいるのを知ってるわよね?」


「だとしても、使えない。使い方が分からない。あたしは、何かの手違いであのクラスに入れられたんだ!

 だって、新生児検査で『陰性』の判定だって受けた!」


 ――回転するバトンの一つが、蓮の額を直撃する。蓮は咄嗟の出来事にのけ反り、尻餅をついてしまう。


「…いいえ。貴方は紛れもなく、発火の超才幹保持者よ。

 新生児検査はベルタ波を検出する作業。貴方の場合は、その検査の閾値(しきいち)をギリギリ下回った可能性がある。だから『陰性』だった、それだけ。

 分かったら、いい加減なこと言ってないで、目の前の課題に集中しなさい」


 蓮の目の前を飛び交うバトン。ゆらゆらと舞いながら、一つは蓮の視線を誘い、一つは彼女の周囲を囲うように回る。それでも動こうとしない蓮に苛立ちを覚えたのか、次第にバトンは蓮を攻撃するように飛び回り始める。

 樟葉はこれを止めに入ろうとしたが、不知火の放ったナイフが制止をかけた。


「能力を使いなさい。使い方を思い出しなさい!」


「んなこと言われても、わかんねーよ!」


 不知火は、あからさまに大きなため息をこぼし、足元にあったファイルを取り上げる。数ページを捲り上げながら、蓮を睨んだ。


「事故のショックで記憶を失くしたそうね、貴方。けど、思い出してもらうわ。

 いい? 貴方が保持者だということは、過去の事件が物語っている。

 貴方が起こしたのは、区画ごと全焼するような大火事。貴方の家が発火源(はっかげん)だった。

 しかも両親は奥歯数本しか残らないほど焼損したのに、貴方は無傷で救出された。

 衣服に燃え(あと)一つ残さなかった貴方が、普通の人間だとは到底考えられない」


「あたしは何にも覚えてない! 言ったろ、あたしは知らないんだよ!」


「だとしても認めなさい! 貴方は大火事で大勢の人間を殺した!

 貴方の両親がいた痕跡は、泣きじゃくる貴方のすぐ傍にあった! とてつもない熱量で焼かれたのよ!

 それに火傷だけじゃない、貴方が生んだ熱と酸欠で何人が死んだか、向き合いなさい!」


「でもっ、あたしは、…っ!」


 蓮の脳裏に再び、ウルフカットの少女と対峙した夜に得た“感覚”が(よぎ)った。

 発火の保持者特有の、ものを()く感覚。――それは炎を介して、“高熱そのもの”で物体に触れるという表現が、最も近い。


 蓮の記憶――その光景は、“爆発”だった。気付けば蓮のいた部屋は激しく燃え盛り、高熱で蜃気楼のように揺らめいていた。周りには、焼け落ちた建材と火炎。それらから彼女を守るのもまた火炎で、蓮はそこで、一人泣いていたことを思い出した。

 炎に包まれて泣いた記憶が次第に、超才幹越しに蓮の感情を揺さぶる。その記憶が具体的な思考(イメージ)へと昇華されるプロセスの中で蓮は、炎を(まと)ったまま、どこかの屋上の鉄柵から落ちていくような、そんな“幻視(イメージ)”を視た。


 瞬間、蓮の周囲から大きな火炎が立ち昇り、彼女の全身を覆う。その烈火は、群がるカラスのように舞っていたバトンを一瞬で飲み込んだ(のち)、上昇気流を伴い天井へと達して、間もなく消え去った。

 強い熱波に顔を背ける不知火が次に目をやった時、乱舞していたはずのバトンは、その全てが焼き尽くされ、灰と化して宙を舞っていた。


 蓮は力なく座り込み、息を整える。その目には涙すら浮かんでいたことを、樟葉は見逃さなかった。


「…おい。いくら能力を使わせたいからって、言い過ぎだろうが!

 見ろよ! これを見ても、蓮が、その事件を起こしたくて起こしたってのか?!

 超才幹の使い方さえ忘れてたんなら、アンタらだって、その方がいいんじゃねーのかよ! (ちげ)―か!?」


 肩を震わせて激怒する樟葉は、あくまで冷静だ。不知火の“尋問”の目的が何だったにせよ、忘れていたものを思い出させたその手段は間違いで、得られた結果も、治安維持部隊の立場としては相応しくないはずだった。

 しかし不知火は真顔で、表面に何の感情も浮かべずに、蓮の姿に目を見張るのみ。その様子から見れば、樟葉の言葉になどまるで耳を貸していない。

 その態度に、樟葉が再び怒りの抗議を吐き出す手前、不知火は「これも仕事の内なのよ」と、全く笑っていない目で笑顔を返した。


 “テスト”を終え、着替えを終えた二人を謹慎室で待ち構えていたのは、委員長の五月女(さおとめ)だった。

 いつものように蓮との帰りを待っていた彼女は、様子の違う蓮を見るとすぐに駆け寄ったが、未だ疲労を引きずる蓮は目を合わせなかった。代わりに、樟葉の制服の裾を小さく掴んで、俯いていた。


「…水取(もいとり)さん、初日からやらかしたね。あなたがどうなろうと勝手だけど、蓮を巻き込まないで」


 樟葉は、睨む五月女にちらりと目をやるが、特に反論の言葉はなかった。それは恐らく、五月女の言葉を受けても(なお)、蓮が変わらずにその裾を掴んでいたからだろう。



  †



不知火(しらぬい) (しのぶ)


挿絵(By みてみん)


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