【- 発火 -】
この作品は百合と厨二病の詰め合わせです。
挿絵は親愛なる友人が描いてくれました。絵柄が好きです。本当に可愛い。大感謝です。
挿絵の無断転載及び二次加工等は禁止です。挿絵の本来の著作権は友人に帰属しますが、
ペンネーム発行までは私が代理として保有します。
【発火 - ignition(イグニッション:英)】
1.火を発すること。燃えだすこと。
―「自然に発火する」
2.神経細胞に刺激が加わり、活動電位が生じること。
―「ニューロンが発火する」
†
【1】- 発火 -
「あたしは何かの手違いでこのクラスに収容されたんだ」
それが、この2-Z組で皇蓮が最初に発した言葉だと、わたしは記憶している。
その主張は中学生の頃から変わっておらず、そのため友人と呼べる人間も、委員長の五月女輝を除いて誰もいない。だがそれは、クラスメイトとの馴れ合いを避ける彼女にとっては、むしろ好都合であった。
2-Zは『特別学級』。ある問題を抱えた生徒が、日本中から集められた特別なクラスだ。ただし『問題がある』と言っても、単に不良の集まりという訳ではない。
ざわつく教室内、思い思いのグループで生徒達が話をしていたが、誰かが席に着いた。その様子を察し、他の生徒達もまばらに着席し始める。
教師の到着だ。彼が持ってきた教科書の底を教壇の机に落として静粛を促すが、初めから窓の外を静かに眺めていた蓮には、関係のないことだった。
「揃っているな。皆も知っている通り、今日はあのEMPテロの起きた日だ。毎年恒例の特別授業から始めるが、退屈だと言って寝ないように。
じゃあ、五月女。号令を頼む」
教師が「どうぞ」と言わんばかりに五月女を見る。委員長はそれに頷いて、目を瞑った。
「黙祷!」
しんと静まり返る教室。その中で相変わらず頬杖を着く蓮のため息が、僅かに響いて消えた。
77年前、1970年のことだ。西ヨーロッパの領空にて世界規模のEMP爆発が起きた。ことが起こったのは、世界が第二次世界大戦の爪痕を消し終えて、復興ムードから脱出した頃。初期の情報化社会と言えど、戦争で発達した技術が続々と投入されていた時期だったから、この大規模な電磁爆発は当時の文明に甚大な被害をもたらした。
当初は国際テロ組織による犯行とされ、全世界的に徹底した武装勢力の排除が行われたが、一方で軍事衛星による高高度核爆発の痕跡は確認されていなかったことから、一部界隈はテロ組織の関与に対し懐疑的であった。
しかし、この出来事によって全世界が手を取り合う結果となったのもまた事実であって、『世界大戦以降、世界が最も心を一つにした和平の史実』として、その日は記念日となって今でも色褪せずに残っている。
だが、そんな感動的な歴史を手放しに喜ぶべきではないと、蓮は一人、斜に構えていた。
丁度同じ頃、世界には別の問題が浮上していたからだ。それは、超才幹保持者の存在である。
超才幹とは、その昔"超能力"と呼ばれていたものだ。通常の人間には備わっていない、または発揮できない特殊な能力であり、超自然的な現象の一種とされていた――――はずだったが、ドイツの脳科学研究所と一人の少女によって科学的にその存在を実証された。82年前の出来事である。
『超能力は脳の高次機能。誰にでも発現の可能性有』
当時のマスコミは、研究所の見解ままを新聞の見出しに採用した。だけでなく、超才幹を持つ少女、ベルタ・アッヘンバッハをテレビに出演させて、あろうことかパフォーマンスまで披露させたのだ。
超才幹とその保持者の存在は瞬く間に知れ渡った。何せ、出演したのは国営の最高研究所で、国が『本物』と太鼓判を押した保持者だ。バラエティの一笑いのために用意されたチープ・トリックではないことは、誰が見ても明白だった。
そこから数年、超才幹を保持しているとされる人間が僅かながら世間に現れるようになった。とすれば必然的に、各国は法整備等の対応を急がされる。EMPテロ事件はそんな最中に起こったのだから、各国の政府にそれを処理する余力は残っていなかった。
だから明確な根拠がなくても、国連はテロ組織を犯人だと決めつけた。真犯人の捜査などすっ飛ばして、分かりやすい敵を作り『事件を解決した』ように見せて事態を収拾したのだ。――――それがたとえネット記事の受け売りであっても、高校生になった蓮は、そうだと考えていた。
「蓮。ねぇ、蓮!」
口に手を当て、隣の席の五月女が話しかける。小声という体だが、あまりにも蓮が気付かなかったため、その声量はクラスの注目を集めてしまっていた。
「ボーッとするなー、皇。先生の話、聞いてなかったろ」
「すぁーせん」
「はぁ…。いくら超才幹が使えないって言っても、おまえにも関係のある話なんだ。
いいか、もう一回聞くぞ。妄想性紅眼視症候群について、答えてみろ」
「保持者の目が充血するやつです」
教師は不服そうな表情で眉間に手を当てる。すると、すかさず五月女が手を挙げた。
「えと、保持者にだけ現れる病気で、単に紅眼視障害、とも言われています。
主な症状は、特定の保持者の虹彩が紅く視えることと、その保持者への強い殺意を感じること、それに、必ずペアで発症すること。
ただし、第三者による虹彩の色素変化が観察されないことから、”妄想性”とされている精神疾患のこと、です」
「…まぁいいだろう。五月女の言った通りだ。この病気は原因が分かっていないばかりか、その存在すら怪しい。だが、世界にはそういう症例も少なからずある。カナダのウェンディゴ症候群とかな。
だから、保持者である皆には十分に気をつけてもらいたい。平和な日本と言えど、保持者に対する世論は未だ様々だ。毎年言っていることだが、皆には自分と他者を守る義務があることを忘れないように」
教師の言葉に、クラスの視線が蓮から外れる。そのことに、五月女がホッと胸を撫で下ろした。
「も~、駄目だよ蓮~。ただでさえみんなの注目の的なんだから、こういう時だけでもちゃんとしないと」
「分ーってるよ」
「分かってなさそう…。あのね、委員長の立場で言うけど、授業態度は内申に響くからね」
「…気をつける」
優等生からの注意を空返事で流すつもりだった蓮だが、『内申』という言葉には少なからず反応せざるを得なかった。
ここは日本全国から超才幹保持者が集められてできた学級で、そのうちの2年生のクラスだ。しかし蓮は、すぐ隣の普通学級に身を置くつもりだったし、大学も一般生としての進学を考えている。そのために勉強をしているし、内申も稼がなくてはならない。
蓮の『手違いだ』という主張には理由がある。その一つは、新生児検査の結果だ。
彼女が茶の間を騒がせてからしばらくして、超才幹を保持しているかどうかを検査する手法が開発されたとの発表があった。その検査の真陽性率は100%。確実に見分けられるということで、新生児に適用されるようになった。
そして検査を取り仕切るのは、国連を上部団体に据える、危機管理委員会。蓮は、最も信用度が高い機関からの、最も確実な検査で、『陰性』という判定を受けた。
二つ目は、実際に蓮が超才幹を『行使できない』ということだ。一般的な保持者であれば、物心がつく頃に手足を動かすのと同じ感覚でその能力を行使できる。
それは『覚えている』とか、『忘れている』とか、そういう次元ではない。意識せずとも呼吸ができる――――まさにそういうレベルの話だが、蓮には超才幹を行使するという“感覚”がなかった。
例えて言えば、普通の人では動かせない筋肉をボディビルダーが簡単に動かしているような感覚だろうか。中学生の頃、いくら「やれ」と言われても出来なかった蓮は、その旨を役所に提出した上で、進学先の高校を申請したはずだったのだが。現状は、その努力が無駄だったことを明示していた。
そんな彼女に残された最後の希望が、大学進学だ。大学は義務教育ではないため、仮に保持者だとしても通常の大学に進学することができる。そうすれば彼女は、念願の『普通』を手に入れられると信じていた。
「…みんなと同じ、“普通”にしてるよ」
ぽそりと呟いて、蓮はまた頬杖をつく。それは“普通でない”このクラスに対する皮肉を含んだ、負け惜しみにも似た捨て台詞に近かった。
放課後。特別授業のせいでやけに長く感じられた一日が終わる。帰る準備で騒がしくなる教室で蓮は一人、通常科目の参考書を眺めていた。
それは決して、「一緒に帰ろ」と声をかけた五月女を待っているためではない。一方の五月女はクラスの委員長らしく、教師の仕事を手伝わされていた。このクラスに新しい転入生が来るためだ。何にせよ、最近自主的に始めた受験勉強の邪魔者がいなくなったのだから、蓮にはどうだっていい。
―「待っててくれるの? へへっ、さては寂しいんだなぁ! 可愛いやつめ~!」
―「は? 違ーし。はよ行けって」
なんて、そんなくだらなくも、ちょっと女子高生っぽいやり取りがあったとはいえ、とにかく蓮にはどうだってよかった。
「ね、来週の特別休みどこ行く? こことか見てみ! どちゃくそ安売りしてんだけど!」
「休みっつってもウチらだけじゃねーし、どーせどこ行ったって混んでんじゃん。フツーにファミレスで良くね」
耳につく声。教室からはだいぶ人がはけたが、ギャルだけはしぶとく残っていた。横着して自習室へと向かわなかった自分を呪うように眉間へと皺を刻む蓮は、自分にさえうんざりした様子で両耳にカナル型イヤホンを突っ込んだ。
彼女らの言う特別休みの日に、『人類の永続繁栄に関する国際会議』が開催される。人類永続繁栄が云々などと言われると仰々しいが、要は国連主催の主要国首脳会議だ。史上初の公開会議となるだけでなく、その議題には超才幹に関する研究成果報告も含まれていることで、世間の注目を集めている。
彼女がテレビでパフォーマンスをした以来のインパクトが予想されることもあって、国が各組織体に休日を要請していた。世界運動大会よろしく、お祭りムードということだ。
五月女との学校の帰り道を鬱陶しくもそれなりに満喫していた蓮も、その日ばかりは『女子高生らしく』、五月女を遊びに誘ってもいいんじゃないかと、葛藤していた風に思える。夕べ、『普通の女子高生っぽい』という理由で、普段読みもしない雑誌を買ったり、おでかけアプリから『休日おすすめのコスメ巡り』の記事を読み耽ったりしていたことが何よりの証拠だ。
もしくは、彼女がいつも制服の下に着るパーカーを買い替えに行くことを考えているのかもしれない。そのフードには、腰まである長い兎耳がついていて、いつの間にかその耳をいじって指遊びしていることも多いのだ。
――蓮はいつの間にかいじっていた兎耳から手を放し、邪念を頭から振り払うように首を振る。無駄なおしゃべりに時間を費やすと宣言したギャル達を後目に、延々黙々と演習問題を解くことに注力した。けれども、その集中力は教室に一人残された辺りから切れ始め、すっかり人気がなくなる頃には、スマホのウェブニュースをぼんやり眺めることに集中していた。
「…やべ」
誰もいない教室に、独り言はよく響く。気付けば陽も暮れていて、窓から差し込む西日がちょうど出口を赤く照らしていた。
「…帰ろ。あいつめんどいし…」
わたしが思うに、『あいつ』とは五月女のことだろう。事あるごとに過剰なスキンシップを強制されている蓮にとってはやはり、五月女は鬱陶しい存在ということに違いない。
そさくさと参考書を机へと押し込み、平たくなった指定鞄を肩にかける。伸びきったパーカーのポケットに深々と手を突っ込んで、半開きになった教室の扉を足で開けた。
扉をくぐった先、廊下に設けられた手洗い場の縁に一人の女生徒が腰掛けていた。蓮は見慣れない制服に立ち止まるが、すぐに歩き出す。通常学級の生徒と思ったのだろう。きっと、自由な校風が売りの高校なのだから、黒いリボンのセーラー服も珍しくはない――そう、思ったのだ。
「ねぇ。きみ、皇蓮ちゃんだよね」
目の前を通り過ぎた後、その女生徒が口を開いた。蓮が振り返るが、女生徒はまだ、スマホに視線を落としていた。
「ふふっ。想像してたより、ちっちゃくてかわいい」
「…誰、お前」
女生徒がくすくすと笑う。そのうちに顔を上げ、なおも目を細めて笑う。
蓮はその顔に見覚えがないことに違和感を覚える。2年生のクラスは特別学級を合わせても4つ。顔も見たことがないという生徒は、流石にいない。
「転校生か? いきなり人のコンプレックスぶっこんでくるとか、いい度胸してんな」
「ふふ、ごめんごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ」
女生徒が縁から降りる。蓮の方へと歩きながら、適当に手を合わせてラフに謝って見せた。
「ほら、この記事がおもしろくってさ。それで、ちょっと笑っちゃっただけだから。許してよ」
そう言って彼女は、蓮の手の届く距離でスマホの画面を見せた。蓮はその画面に意識を向けたが、その画面には、何の変哲もないニュース記事しか映っていなかった。
「は、これのどこが――、」
――女生徒が、蓮の腕を掴む。
「つか まえ た」
瞬間、重力の感覚が消失する。代わりに感じるのは、強い引力。まるで、ある一ヶ所の地点に頭だけが固定されて、引き延ばされていた身体がゴムのように縮んで戻るような感覚。それに合わせて、目に映る景色さえも伸張し、瞬く間に収縮をする。
それは一瞬の出来事だったが、蓮が五感を取り戻した時、そこは既に見慣れた廊下ではなく、見知らぬ廃ビルの一室となっていた。
「は?! おい、何っ…! どこだよ、ここ…!」
辺りを見渡す。辛うじて差し込む赤い夕陽が、打ち捨てられたソファを照らしている。そこは窓ガラスすら残っていない廃墟。雑然と転がる古びたオフィス家具と、大量の書類が床に散らばる。
「こっちだよ」
蓮は振り返ろうとした時、強く頭を押さえた。窓ガラスがあったはずの枠から何かが投げ込まれ、強い閃光と音の爆発の直後、視覚と聴覚が奪われる。視界が回復した頃には、黒い装備に身を固めた人影がなだれ込み、自分の周囲を取り囲んでいたような――――、そんな“幻視”。
ひどい頭痛が止んだ時、蓮は両の目を見開いた。たった今目にした光景は現実ではないと、理解したのだろう。
視線を移すと、そこにはスマホの画面があった――先の女生徒のものだ。やけに喧しいシャッター音に蓮はまたも目を瞑ってしまうが、それが『一方的に肩を組まれての自撮り』だと気付くのは、さほど難しくはなかった。
「おい! 何なんだよ、お前っ!」
「蓮ちゃんとの自撮りゲット~」
振り払う手は空を切る。女生徒は、いつの間にか遠くに立っていた。
「お前っ、保持者だろ! あたしに何した! てかどこだよ、ここ!」
半ばパニックの蓮。しかし背を向けてスマホを弄る彼女は、へらへらと「まー、まー、落ち着いてよ」と生返事を返すのみ。
「ずっと会いたかったんだ、蓮ちゃんに。何でだと思う?」
「はぁ?! 知るかよ、そんなん! お前、こんなことしてどうなるか分かってんのか!」
蓮が鞄の紐を強く握り締める。強気に叫ぶが、握り締めた両手は開かない。自分を襲った人物は後ろを向いているのに、蓮はスマートフォンの緊急通報さえ使えずにいた。
すると、女生徒がゆっくりと振り返る。
その眼は、虹彩は紅く染まり、ぼんやりと光を放っている。それが夕陽の赤ではないと、少女の吊り上がった口の端が物語っていた。
「紅眼視…っ!?」
「そうだよぉ? だったら、何の為にぼくがこんなところに蓮ちゃんを連れてきたか、分かるよね。
――――――ね、殺し合おっか」
蓮が勢いよく踵を返す。向かう先は階段だが、既にそこには彼女の姿があった。
「逃げないでよー。蓮ちゃんともっと、楽しみたいなぁ」
その姿が消えた、かと思えば、目の前に現れる。蓮は咄嗟に鞄を振り回すが、その手に衝突の反動は無く。視線の先には、また位置を変えて立つ、ウルフカットの少女の姿があった。
空間転移の超才幹だ。この保持者は、一度見た光景に自分を“置く”イメージを思考するだけで、その空間へと“跳ぶ”ことができる。シンプルだが強力なこの超才幹を持つ人間は、世界的にも非常に稀だ。
「ほらほら、早く使いなよ。君の能力。いつまで追いかけっこする気なのかなぁ」
ひたすら走り、物陰に身を移す。その度に少女は位置を変え、追い縋る。
紅い眼が見えたということは、紅眼視障害を発症したということ。しかし超才幹など関係ないと思っていた蓮からすれば、紅眼視発症など他人事もいいところだ。いざ紅い眼が見えたとしても、逃げることしかできなかった。
一か八か、手持ちの鞄を投げ、蓮は金属製の書類棚の裏に素早く身を隠した。が、背を預けた金属板の、蓮の顔すれすれの位置に何かが突き刺さった。
――ナイフだ。サバイバル仕様の、頑丈なフルタング。次いで、顔を挟んでナイフと反対の側に置かれた左手が、蓮の逃げ場を奪った。互いの息がかかるほどの距離に浮かぶ、紅く冷たい瞳――――先回りされていたのだ。
「はやく。使いなってば、能力。殺しちゃうよ?」
反射的に突き飛ばす、その手は空を切って、体勢を崩しかけるが、その勢いで目の前の椅子を掴み、少女がいるはずの方向へと力いっぱい投げ飛ばした。
「あたしは超才幹なんて使えないし、使いたくもねぇんだよ!」
ウルフカットの少女は飛来する椅子を避けて、肩を竦める。
「“使いたくない”? 違うよね、“思い出したくない”だけだよね?」
「何だっていい、あたしはお前が思うような保持者じゃない!
何であたしなんだ! 他に丁度いい奴、いっぱいいるだろ!
あたしを変な世界に巻き込むな!」
肩で息をする蓮に、ため息をつく少女。つまらなそうに「分かってないなぁ」と呟く。
少女が消えて、次に現れたのは、ボロボロに破れて散らかったソファの傍。その腕に抱えられた赤いポリタンクは、灯油の容器。少女はおもむろに蓋を開け、中の液体を一帯に撒いていく。現れては消えてを繰り返しながら、部屋一帯に散らばる書類と家具を丹念に濡らした。
それから空になった容器を雑に放って、スカートのポケットからマッチを取り出した。
「思い出したくないなら、思い出させてあげる」
火のついたマッチが灯油に引火する。火の手は逃げる間もなく広がり、成長し、蓮の退路ばかりか周囲の逃げ場すら奪う。
「きみが特別学級のある中学校に入学する、もっと前。小学生の時、大きな事件に巻き込まれたよね。住宅街の一区画が燃えるほどの、とても大きな火事だった」
気化した灯油と熱気が辺りを覆う中、満足に空気も吸えずに蓮がせき込む。口を押えて周囲に目を向けるが、視線を向けた先その全てに、確実に少女が姿を現した。
「その時も、こんな風景だったんでしょ?」
「…違う」
「自分以外の全てが赤く染まって、熱気が揺らめいて、木が爆ぜる音に包まれて」
「違う! あたしは知らない!」
「周りの全てを燃やし尽くした! 自分を捨てた親もろとも! 自分の記憶さえも!」
「うるさい! 覚えてない!!」
「自分の能力で! きみの持つ発火の超才幹で!!」
「うるさい、うるさい、うるさい!!」
たまらず、蓮がうずくまった。両耳を覆って、目を瞑り固く歯を食い縛って。
蓮は、過去に大きな火災に巻き込まれた。――いや、引き起こした。本来、発火の超才幹は小さいものに着火する程度の炎しか出せないが、強い感情で超才幹が暴走し、その能力が制御を外れてしまったのだ。絶え間なく溢れる火炎は、木炭のようにその発火点温度を維持したのだろう。彼女を中心とした全ては、人体でさえも薪と化し、彼女の感情が収まるまで燃え続けることとなった。
その光景、灼く感触が思い起こされたのか。檻の如く蓮を囲っていた炎は、その灼熱を抱えたまま、窓の方へと逃げるように強く吹きすさんで消える。ウルフカットの少女は、その劫火に灼かれる手前、物陰に身を移して難を逃れた。
「あはっ。やればできるじゃん」
その軽口を、蓮は強く睨んだ。
すると少女のスカートに、小さな火が移ったことに、少女も気が付いた。
その様子に、彼女はどこか満足そうな笑みを浮かべ、軽く叩いて火を消した。
「また会いに来るね。蓮ちゃん」
そう言い残し、少女はその場から姿を消した。
辺りは静まり返り、なおも内側で燃え続ける木製家具の音だけが耳を打つ。
静寂の中で茫然と立ち尽くす蓮の瞳は、何を捉えるでもなく、未だ炎のように、小さく揺れていた。
蓮の表情からは感情が読めなかった。だから確証はない。
しかしきっと、この表情なのだ。わたしの"眼"を、"捕らえて"放さなかったのは。
†