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百景

作者: なめらかドライヤー

一つだけ聞いておきたい事がある。君は身を焦がす程の恋をした事があるか。

なければ教えよう。あったとしても聞いてくれ。この熱烈な想いを一人で抱えていると、その熱で焦げる。実際、恋に依ってぼーっとして、やかんの取っ手を焦がした。次は我が身。

私が恋をしたのは、このアルバムに写っている女だ。名前も知らぬ。悲しい。

しかしこの想いは本物だ!アルバムを舐めるように見た。実際少し舐めた。眺める事に熱中しすぎて、気を失ったほどだ。

焦げ臭い匂いで起きたらやかんの取っ手が焦げていた。アルバムもパリパリであった。あ、白状しよう。実は結構舐めた。このアルバムを共に見ながら聞いてくれ。唾液の匂いがしない距離で…

彼女の美貌。その頂から広がる麓には、富士のそれと同じように、小さな頂がいくつかある。

そのそれぞれが美貌のひとつとして讃えられ、同時に谷としての険しさも備えている。

富嶽百景、彼女の百景。

見目麗しい富士と同じく、近付かねば、いや、目鼻をピタと付けたとて、決して見えぬ厳格さを韜晦している。

今回はその麓に佇む山々の頂、そして谷の風景とを、稚拙な語彙、表現力ではあるが、尽力させていただこう。そう思った次第である。

ここまで書いて、はた。と筆が止まる。

「いや可愛すぎて無理みが深い」

語彙を失った。

大自然の猛威の前には、人間は無力なのだ。そう思い知らされる。

しかし、歩みを止めるわけにはいかぬ。一歩でも、半歩でも頂へ。私が有する唯一の彼女のアルバム、その写真を撮ったカメラマンの美的感覚、センスは、頂の向こう、天の上を超えている。その境地まで辿り着けるか。可愛さの樹海に迷ったまま、カメラマンとは違う冥界の天を超えそうである。

ぐずぐずと駄文を連ねても仕方ない。いざ、半歩前へ。

ひとつめの山が見える。この山は、頂からずうっと下まで、若干の丸みを帯びている以外は、ほとんど起伏がない。

彼女の透くような涼感はここから感ぜられてくる。無駄な凹凸のない、つるりとした面である。そうして、素直である。風が吹けば草花達は一斉に胸を張り、雨が降ればムラなく全面が潤う。無垢。無垢である。心を純にして見ることが出来る。そうして、魅入った者の心にはムクムクと恋心のようなものが芽生えているであろう。

盆のように全てを受けるこの山にも、当然自然の猛威が潜んでいる。目も眩むような晴天の日、ふらりとこの山に訪れる事は危険である。身を休める影がないのだ。灼熱の太陽を浴びながら、影、影と求めて歩くのが何よりも危険である。安堵と休息とを求める者の前に、突如として影の誘惑が現れる。谷である。美しいほどの絶壁を称えられる谷である。遠目の具合であれば見えないのであるが、実際にこの山に登って、自然を感じ、初恋を憶えていると、足元に、唐突に現れる。それはこの山に存在する、美貌の大きな要因のひとつであるが、捉え方に依っては欠点になる。盆に突如と現れる大きなひび割れ。

このアルバムのカメラマンは、灼熱の太陽のような、煌めきに煌めく彼女の、無垢無垢の笑顔にこの谷が刻まれるのを知っている。しかし一向臆する事なく、肉眼で捉えたそのまま、無垢の心で感じたそのままをレンズへと収める。隠さぬよう、映えるよう。途方の瞬間。半歩、またその半歩。また、また。

数万、数十万の半歩を経た頃、次の頂が見えた。いや、あれは紅く咲き誇る梅であった。枯れぬ梅。山に現れる紅の海。万年咲き誇って、在る。真紅とはこういう色を言うのであろう。闇にも溶けぬ赤。雲は白、梅は赤。美しくないわけがない。語彙を失う、無理みが深い。無理。ただ、絶景。途方も無い、絶景。

気を失うような絶景の中、影すらも赤い。雲の白、瞳の白、梅の赤、眩暈にも似た景色。夢か現実か、足の有無を確認しながら、そうして頂上を超え、失った気を取り戻した時、ふと、頂きの台地の狭さに気がつく。登山の醍醐味、山頂での小休止。それを許さぬほど、狭い。どうやったって、傾斜でのサンドイッチ、おにぎり、お茶。ちょっと溢れちゃったじゃないか。

天上のカメラマンは、万の承知と弁当を携えて言う。梅を支えているのは、山のその地肌だと。梅だけが勝手に美しいのではない。山あっての万年梅である。その小さい台地を誤魔化す事はない。梅のようなアイメイクと共に、確と、その瞳を、写す。美しい瞳を。どちらも片方では、成り立たぬ。

サンドイッチ、おにぎり、お茶、少し濡れたスボン。昼食を済ませ、滋養がついた。自然、歩幅も広がる。いよいよ標高も高くなってきたのか、風が襟元から、袖口から強く吹き込んでくる。足裏に感じる石に、鋭角が増える。単調な歩みの、良いアクセントに感じる。

再び空腹を感じた頃。見ろ、次の山だ。

今度の山は、特異な様相をしていた。東西南北、四方それぞれが、ちぐはぐな風景。東側は風も登山者を褒めるように穏やかで、斜面ものんびりとしている。一方反対の西側は、地崩れでも起こしたのだろうか、切り立った崖の節々から枯れ木が首を覗かせ、地層ごと山の歴史を知らしめんとしている。ここで飯は食えぬ。

南側に至っては、何も無い。ただただ、灰色の岩肌が続くだけである。しかし北側、これは、若干面白い。

斜面の途中、丸く大きく開けた台地がある。ほぼ、真円に近い丸。その中央に、木。なんの木であろうか、丁寧にまあるく広く枝葉を伸ばしている。休むにはもってこいの木陰。蝶々すら飛んでいやがる。カブトムシもいそう。いないか。

様相こそ大きく違えど、四方それぞれが、自然の美しさを持っていた。そして、それぞれが厳しい。

私はここで歩みを止める。

これ以降の景色は雲の上である。

天上の景色である。

天上人の撮り賜うた写真でしか知らぬ。あのアルバムでしか見た事がない。そこには筆舌に尽くしがたい美貌、技巧、色彩、情景、そのまま情。愛が、刻まれていた。筆舌に尽くしがたいので、書けぬ。私の語彙、表現力の及ばなさが憎い。この美貌を伝えることができたなら!

富嶽百景ならぬ、彼女百景、見たくば登るが良い。雲の上まで。願わくば、そのまま永遠。

彼は本当に、永遠になりかけた。その女に恋い焦がれ続けて、遂にその身をふやかした。風呂で溺れたのである。彼女への想いを、有り余る唾液と共に私へ撒き散らかしながら語った後、彼は風呂に入った。本当は私の方が先に入りたかった。唾液まみれだったから。長い風呂だなあ、と思ったら溺れていた。のぼせたのである。

これをご覧になっている読者諸賢に伝えたい事が一つだけある。女と風呂、のぼせすぎには気をつけよ。

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