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第4話「全ての苦しみから解き放たれる時」

5日からの第3話更新から一週間、最終話の更新です。これまで読んでくださいました皆様、ありがとうございます。


では、どうぞ。

挿絵(By みてみん)

不倫について聖書ではこう述べている。


「女と姦淫を行う者は思慮がない。

これを行う者はおのれを滅ぼし、

傷と、はずかしめとを受けて、

その恥をすすぐことができない。」

箴言(6:32-33)


ここでの女とは妻以外の女性を指している。妻以外の女性と姦淫、セックスを行う=不倫ということ。


不倫を行った者にキリストの時代には死刑にされたそうだ。それぐらい不倫とは自分を滅ぼし、家庭を壊し、よっては世の中から制裁受けるということなのだいうことである。


さて、綾夏の父・広瀬支店長はどんな辱め、または制裁を受けるのか、私は楽しみでございます…。




「広瀬支店長」



「お、北埜か、どうした?」



辞令が出て翌日の晩のこと。仕事を終えて航路わたるは昨夜綾夏の父だと判明した広瀬に声をかけ、食事に誘った。


広瀬との関係は今回の転勤で勤めた佑々木支店だけではなかった。航路が大学4年時の面接で採用したのは広瀬なのだ。


2人はいつもの行きつけである和食チェーン店に入った。



「北埜とは俺が採用した部下の中でも1番縁がある気がする。お前もそう思わないか?」



「そうですね。人事異動の多い銀行という組織なのに、こうしてまた一緒に働くことができました」


食事をしながら入社時の頃の話などに花を咲かせ盛り上がる。しかし、“あの話”になると広瀬にとってバツが悪くなった。



「いやぁ…まさか“あれ”をお前に聞かれるとは…しかも録音まで…」



「僕もまさか支店長の“あんなもの”聞いたり見たりするなんて思いもしませんでした。社内で噂は耳にしていましたが、本当のことだとは」



「お願いだから、絶対“あれ”だけは…あと、娘の出生のことも…」



「わかっていますよ。“あれ”が上の者に知られれば支店長は居られなくなりますから…それに、大事なお嬢さんにも会えなくなるかもしれませんね」



“あれ”、“あんなもの”、“あれ”…それらは全て2人だけの隠語だ。


というのは、今から5年前、航路が今の綾夏と同じ24歳の頃、関東支店で初めて役職がついたばかりの頃だった。



『主任、夜遅くまで私の面倒みてくださってありがとうございました!』



『わからないことがあったらまた遠慮なく聞いていいから』



『はい!明日もよろしくお願いします!』



夜遅くまで後輩の面倒をみてやった航路は後輩を駅まで送ってやったものの、当時使っていたスマホを机に置いてきてしまったことに気づいた。



『あかん、忘れた…取りに行かんと』



社に戻りスマホをビジネスバックに入れて帰ろうとした時だった。



『…あっ…そこは…あんっ』



女の嬌声が聞こえてきた。廊下奥の会議室の方からだ。



(どこのアホやねん、会社私物化しとんのは)


踵を返し帰ろうとする。がーー



『広瀬副支店長の大きいの、くださぁ〜い』



女の声が大きすぎて外まで丸聞こえだ。


航路は当時尊敬していた広瀬の名を耳にしショックを受けた。



(…あの噂は、ほんまやったんか…)



大阪の田舎もんの自分を採用してくれたという恩と尊敬の念を抱いていた航路は噂など信じていなかった。しかしここで真実だったと知ってしまっては、その尊敬の念も削がれてしまう。


航路はスーツのポケットの中に忍ばせている小型ボイスレコーダーの電源を入れ、会議室の死角になっている場所に隠れながら録った。



『はるな…ここか?』



『はい、そこぉ…そこですぅ…ああ〜』



女性を下の名前で呼ぶ程の親密さ…まるで風俗嬢との会話のようにも聞こえてくる。航路には同時に子供の頃見てしまった実母と義父の夜の営みを思い出してしまい、吐き気と頭痛に襲われ頭を抱えた。



『あ〜、イク、イクぞ』



『あっ、あっ、中に出してぇ〜!』



会話が露骨にAVである。


航路は記憶のフラッシュバックが止まらず眉をひそめた。



(もうあかん…)



気分が悪くトイレに行こうと録音のスイッチを切った時だった。



ーーガチャッ



会議室から広瀬とはるなと呼ばれていた女性銀行員が出てきた。航路は再び録音のスイッチを入れる。



『副支店長、例のあの件なんですけどぉ』



『ああ、いいぞ』



『本当ですかぁ?絶対ですよぉ〜』



『わかってるよ、じゃあ明日、銀座のあそこでな』



『OKでーす☆』



2人がいなくなったところで航路は急いでトイレに駆け込み嘔吐した。



(副支店長、北国に奥さんと大学に入ったばかりのお嬢さんがいるのによくあんなこと…)


当時まさか5年後広瀬の娘である綾夏と偶然出会って恋愛関係になるとは思ってもみなかった。



「最近、お嬢さんには会ってないんですか?」



航路は綾夏の話題を振ってみる。



「そういやぁ、この半年会ってないな。元の嫁が盲腸で入院した時以来だ」



「会いたくないですか?」



「ん?…まぁ、娘だからなぁ」



「じゃあ、近々支店長のご自宅にお嬢さんとご挨拶に伺ってよろしいでしょうか?」



「ご挨拶だと?!」



「実は偶然なんですけど、支店長のお嬢さんとは知らずに綾夏さんと出会って交際しておりまして」



「そ…とんだ偶然だ…」



広瀬の顔は冷や汗をかき引きつった。



「じゃ、じゃあ、週末にうちに来なさい」



「是非、お伺いさせていただきます」



広瀬との食事を終え、まっすぐ綾夏のいる自宅に帰宅する。



「航路、お帰りなさい」



「ただいま」



「お父さんとご飯食べてきたんでしょう?」



「うん、そうだよ」



「お父さんからのメッセージスタンプが…」



綾夏はトーク画面を見せる。



「ブルドッグのスタンプがブルブル震えてるんだけど、どうしたんだろう?」



広瀬が送ったスタンプのキャラクターが震えていた。



「なんでだろうね?」



綾夏には敢えて知らないふりをし首を捻ってみせた。広瀬がビビっているのは俺のせいだということは彼女である綾夏には知られてはいけないと感じたからだ。



「そうだ、綾夏」



「何?」



「週末、お父さんがうちに来なさいって。挨拶に行こう」



「結婚の挨拶ってやつ?」



「うん」



「じゃあ、着ていく服決めないと」



「この前、アウトレットで買ったワンピースでいいんじゃないの?」



「そうだね、あのワンピースにする」



綾夏は機嫌よくクローゼットから水色のシンプルなデザインのワンピースを取り出し、身体に合わせた。



「似合ってる」



にっこり笑う綾夏に航路はなおさら父親の過去や出生のことで傷付けたくない気持ちが強まった。






聖書では離婚再婚は罪を重ねることとされている。が、法律では離婚、再婚は認められているのは何故かーー。


それは19章8節、人間の心が頑なだからそうだ。確かに人は好きな気持ちから一転、嫌いになってしまえばまた相手を好きになることは中々難しいことであるし、相手が自分に対して暴力を働いたり犯罪に手を染める事をすれば、関係を続けていくことはできないからだ。


綾夏の父・広瀬の場合は自分の犯した浮気、不倫で引き起こしたものが多いので、聖書で見なくても罪だらけだ。どんな制裁が待っているのやら…。




週末がやってきた。


綾夏と航路は約束どおり広瀬の社宅を訪れた。



「いらっしゃい」



「まぁ、入りなさい」



広瀬とその再婚相手である麻子あさこに出迎えられ、14畳の広いリビングに通される。



「お父さんにとってはよく知ってる人だよね?」



「ああ、毎日会ってるよ。お父さんと違ってすごく真面目ないい部下だ」



広瀬が自ら自虐を含んできて、航路には少し痛々しく聞こえた。自分は複数人との不倫の末、1番長く付き合って癒しを与えてくれた麻子と再婚したからだ。その事実を航路はよく知っていて、穢い(きたない)奴だと広瀬のことを思っている。勿論、本人はおろか、娘である綾夏にもそのことは話していない。



「実は、私も北埜くんのことは少し知ってたりするんだよね」



「え?麻子さんも?」



「北埜くんが入行してきたとき、たまに仕事教えてたりしてたから。すぐに私が転勤になっちゃったんだけど」



「あの時はほんとお世話になりました」



「覚えが早いから教えやすかったわ」



「お父さんも麻子さんも、航路と縁があったんだね」



広瀬、麻子、航路の3人の関係は綾夏が思っているほど穏やかではなかった。


航路が26歳の時、当時の勤務先の近くの駅前で2人が待ち合わせし、ラブホテルに入っていくのを見たことがあった(航路が24歳の時に広瀬が不倫していた相手・はるなは既に退職していて、風の噂で広瀬の子供を地方で産んだとのとの事だ)。



「紅茶とマカロン、どうぞ召し上がって?」



麻子は2人に温かいダージリンティーと駅前の有名菓子店のマカロンを勧めた。綾夏は大好きなマカロンを目の前にして「いただきます」と言って手をつけるが、航路は一切手をつけずにマカロンは綾夏に全てやってしまった。


夜18時頃、綾夏と麻子は夕食作りの為キッチンに立った。それを見計らい、航路は広瀬に例の綾夏の話をした。



「やっぱりな…」



「わかってたんですか?」



広瀬はわかっていた様子だった。



「確信はなかったが、事の原因は俺だからな」



「だったらなぜ…」




「俺だって一緒に住もうって言ったよ、お前の母親はおかしいって。でも確証が無きゃそれ以上は動けないよ。それに最初から虐待があったわけじゃないから」



広瀬はタバコに火をつけてから再び続けた。




「綾夏がまだ幼い頃は千鶴子も俺の子だからとかわいがっていたんだが、娘はだんだん女になっていくし、同時に俺も不倫をする。追い詰められた千鶴子は娘を清いままにしたくて女子校に入れた。しかし、それでも成長を見ていられなくなって虐待をすることしかできなくなったんだろうよ」



「清いまま…」



「女の園に入れれば男に触れられないまま尊い存在にできる…しかしな、仕事に就く年齢になれば難しいだろう、実際北埜と出会って上手いことここまできたんだろうよ。千鶴子はバカだよ…」




「実際、母親が自分の嫌いな女なんですからかわいがるのは難しいんじゃないですかね…?」



「ほんと、それなんだ。キリスト教の言葉に『汝の敵を愛せよ』ってあるけどな、なかなか難しい話だぞ。そもそも、ヒステリー持ちにはそんなこと無理なんだ」



汝の敵を愛せよ…航路は目の前でタバコをふかして踏ん反り返り、威圧的な敵に対して眉をひそめ軽く睨んだ。






食事を終えた頃、インターホーンのチャイムがなった。



ーーピンポーン



「誰かしら?」



麻子がモニターの前に立った。時刻は20時を回った頃だ。



「この人、誰?」



モニターには茶髪ボブカットの小柄な女性がこちらを睨みつけ、その格好は真っ黒なスーツに身を包んでいる。



ーーピンポーン…ピンポーン…



「あの、訪問販売ならお断りします。この時間迷惑なんでお帰りいただけませんか?」



ーーピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン



「しつこいと警察呼ぶわよ!」



「悪質なセールス…?」



モニターを覗く綾夏。その瞬間その人物が何者かわかり、わなわなと震えだした。



「綾夏ちゃん…?」



麻子は綾夏のただならぬ様子に母親の影を感じた。



「もしかして…お母さんなの…?」



「…はい」




ーーピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!!



震え、ついに綾夏恐怖のあまりその場に泣き崩れた綾夏の元に航路が駆け寄り抱きしめた。



「わた…る」



「俺がいるから大丈夫、守るから…」



「…うん」



「麻子さん、絶対中に入れないでください」



「わかったわ。とりあえず、2階に逃げましょう!」



「警察に連絡するから早く逃げろ!」



綾夏、航路、麻子の3人が2階に逃げると広瀬は直ちに警察に連絡を入れた。その間にもインターホンのチャイムは激しさを増すばかりだ。


ーーピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!



「成長のない女だなぁあいつは…」



ーードン!ドン!ドン!



今度は何か道具を使ってこじ開けようとしているようだ。



2階に逃げた3人は奥のベランダがある部屋に避難していた。



「なんでここがわかったのかしら」



「綾夏、市役所の人間にここのことは話してないよな?」



「話してない。それに、住所だってお父さんは閲覧制限設けてるはず」



「そうよ、私の方にも閲覧制限が」



「じゃあ…なぜ」



ーーガン!ガン!ガン!



「ドアが壊れるわ!」



ーーガン!ガン!ガン!ガッ!…ガラガラ…



玄関のドアが破壊され、つるはしを持った千鶴子が姿を現した。



「お前…どうやってここがーー」



広瀬と対峙し、千鶴子はニタリと笑う。



「あなたの昔の不倫相手がここを突き止めてくれたの。妊娠したら酷い仕打ちを受けたって相当恨んでたわ」



「はるな、か…」



「あなたの子供、かわいかったわ。元気な男の子!」



千鶴子はつるはしで広瀬に襲いかかる。



「落ち着け千鶴子!俺が悪かった!全部俺が悪かった!」



ーーバコッ!ガッシャーン!ガンッ!



千鶴子が振り回すつるはしで玄関の小物類などが破壊されていく。広瀬は転んでも這いつくばりながらなんとか避け続けた。しかし、その抵抗も虚しく、左ふくらはぎにつるはしが刺さってしまった。



「うわああああああああああああっー!!」



広瀬の悲痛な叫びは2階にも届いた。



「お父さんっ!」



綾夏は思わず声を上げてしまった。



「綾夏もいるんだね?!今声がしたよ。あんたか?綾夏を隠したのは!?」



千鶴子に気づかれてしまった。



「やばい…ここがバレるのは時間の問題だ…」



「…声なんかあげてごめんなさい…」



綾夏は蚊の鳴く声で謝った。



「仕方ないよ。お父さんがやられたんだから。自分のこと責めなくていいよ綾夏」



「綾夏ちゃん、北埜くん、これ使って逃げて」



麻子はカーテンでロープを作り、ベランダに垂らしていた。



「ありがとうございます」



2人はカーテンロープを伝って降り始めた。



一方、1階では千鶴子が家から持ち出したアイビーの蔓で広瀬の首を絞めていた。



「うぐぐっ…!」



「よくも私を何度も何度も裏切ってくれたわよね!死んで私に詫びなさい!」



千鶴子は更に強く絞めた。広瀬の顔は真っ赤になり、これ以上絞めれば死んでしまう。



「ふぐぅ!!」



「私の主人から離れなさい!」



2階から麻子が駆けつけ広瀬から千鶴子を引き離すと、首からアイビーの蔓を解いた。



「人の旦那寝取ったのはあんたの方でしょう?!このどろぼうねこ!」



「私はあなたから取り返しただけよ!今は私の主人です!」



千鶴子は反論する麻子の髪を掴み引っ張る。



「痛いっ!離しなさい!ああああああっ!」



「麻子!!」



麻子をその場に放り投げると、千鶴子はつるはしで頭を打ち砕いてしまった。玄関は麻子の頭から噴き出した血で真っ赤になる。



「麻子!!麻子!!」



目の前で最愛の妻を亡くし、広瀬はその名を呼び続け号泣する。



「どろぼうねこはいなくなった…次はあんたよ!」



つるはしを振り上げた瞬間、玄関には第三者の声が響いた。



「そこの女、つるはしを下ろしなさい!今すぐだ!」



広瀬が先ほど呼んだ警察がようやく駆けつけ、千鶴子は御用となった。





ベランダから逃げた航路と綾夏は車でなんとか家路までたどり着くことができた。



「…怖かったね、航路」



「ああ…てか、あんな暴力的なお母さんとの生活よく耐えてきたね」



「うん。自分でもよく耐えたなって思う」



「俺なら…耐える自信ないな。子供の時に義理の父親から虐待があったけど、今の俺ならあの時ほど耐えることなんてできない。すぐに通報してると思う」



「私たちが子供の時ってSNSもないし虐待じゃあ警察も動いてくれない時代だったから必然と耐えるしかなかったよね。大人になってやっと声をあげられる時代なった」



「時代が進んだことによってようやく声があげられるようになった分、虐待で命を落とす子供が減っていけばいいけど、本来は親が虐待しないことなんだよね。何があろうと我が子に手を上げないこと…これに尽きるよ」



「どんなに…我が子に流れる血が憎くてもね」



いつもは穏やかな綾夏の口調にトゲがあるのを、航路は気づいた。



「私…お母さんが違うのかな…目の前にいるのは偽物で、本当はどこかに本物のお母さんがいるんじゃないかって時々思ったりするの…ただの願望かもしれないけど」



「え?」



「みんな黙ってるだけで、ほんとうはそうなんじゃないか、そうだからお母さんは殴ったりするんじゃないかって」



「なんで、またそう思うの?」



航路は敢えて知らないふりをする。



「お母さん、母子手帳とか私が赤ちゃんのときの写真とか一切もってなかったの」



「マジで?」



「うん。小学生のとき保健体育の宿題で自分の出生を調べるっていうのがあって、お母さんに聞いたら、知らない、何も持ってないって答えたの。それが本当かどうか確かめようとこっそり探してみたけど、本当に何にもなかった。すごく悲しかったな」



出生について調べる宿題は、愛されてない子供にとっては残酷名宿題だ。あんな子供心を傷つける宿題はなくてもいい宿題である。


航路はその話を聞いて、尚更傷つけることは避けたい、そして上司である広瀬との約束を破らないためにも知らないふりを貫き通すことにした。




後日、麻子の通夜と葬儀が行われ、綾夏と航路も参列した。


葬儀でお坊さんが「白骨の御文はっこつのおふみ」をうたっている時だった。式中、喪主の広瀬は泣かずに耐えている様子だったものの、彼の眼から涙が一筋流れた。それを横でふとした瞬間だが綾夏は目にし、「やはり麻子さんのことは愛していたのだろうか」と思った。


式を終え麻子はお骨となって広瀬家に戻ってきた。


しばらく祭壇の前でタバコを吸いながら骨箱を見つめていた広瀬だったが、綾夏を呼んだ。



「綾夏」



キッチンでお茶を淹れていた綾夏だったが、すぐに手に止め父の元に駆け寄った。



「はい、お父さん」



「話がある」



ソファでその様子を見ていた航路は「まさか」と思った。



「北埜、お前も来い」



「はい」



やはりあの話だろうか、航路はそう思いながら近づいた。



「北埜にはもう話していることなんだが」



やはりその話か、そう思い、



「あの話はーー」



すかさず航路は遮り止めようとした。しかしーー。



「北埜、実はな、お前には口止めしといてなんだが、麻子が生前“あのこと”は大人になった綾夏に話した方がいいんじゃないかって言っててなぁ」



「麻子さんが…」



航路はそういうことならばと納得し、引き下がった。



「綾夏」



「はい」



本題に入る前に広瀬がひとつ咳払いをする。



「話というのはな、お前の出生のことなんだ」



(綾夏が傷つかないだろうか…受け入れられるのか…)



航路は横でひとり内心不安になる。大切な彼女が本当のことを父親から今聞かされるのだから。本当のことを聞かされて、驚きはせずとも原因を作った父親のことを軽蔑するかもしれない。


広瀬が口を開く。



「実はな、今までお前に虐待をしていたのは。本当の母親ではないのだよ。本当の母親は…お父さんのせいで別にいるんだ」



それを聞き、綾夏は真っ直ぐに広瀬を見つめ、


「…やっぱり」



と、口にした。




「気づいていたのか…?」



打ち明けた広瀬の方が驚いた様子だった。



「うん。だって赤ちゃんのの時の写真が一枚もないし、母子手帳もないなんて、おかしいじゃない」



「そうだよな…まあ、気づくか、そもそも似てないしな」




「で、その…私のお母さんは…誰なの?」




綾夏は恐る恐る聞いてみた。


聞かれて、広瀬と航路は数分の間顔を見合わせる。広瀬はタバコに火をつけ一服してから口火を切った。



「麻子だよ…死んでからお前に打ち明けるのは辛いと思うが…」



「麻子さんが…」



綾夏の本当の母親は、麻子だった。他にいるのではと思ってはいたが、まさかこんな近くにーー。



「航路も知ってて黙ってたの…?」



「うん…綾夏ごめん」



「北埜は悪くない。俺が秘密にしろって言ったから黙ってたんだ。責めるなら俺を責めろ。全ての原因をつくってるのは俺なんだから」



「…それにしても、本当のお母さんが麻子さんだなんて…」



娘のように綾夏と接してくれた麻子が本当の母親だったとは。亡くなってから知るのは綾夏にとっては辛すぎた。



「千鶴子がずっとお前に暴力を振るっていたのは、お前が成長して麻子に似てくるのが許せなかったからだろう。ずっと2人は恋敵だったからーー」




24年も昔の話。


広瀬の女癖の悪さは相変わらず悪く、当時麻子と千鶴子、2人同時に付き合っていたのだ。



『どういうことよ!あの女のどこがいいのよ!ただ牛みたいにのんびりしててスタイルがいいからでしょう?!あんなののどこがいいのよ!」




千鶴子は当時から暴力的で性格は酷く悪く、たまたま体の相性がよかったのでセフレ感覚で付き合っていた広瀬は、飽きてたのもあって棄ててしまいたくてしょうがなかった。



一方で麻子は千鶴子とは正反対で、広瀬の二股の事実を知っても罵声を浴びせたりせず、ずっと穏やかなままだった。


広瀬は結婚するならば麻子としたい、そう思っていた。なので、



『子供、作ろうか』



麻子はそれに対し、



『それであなたと結婚できるならば、本望よ』



できちゃった婚を狙い子作りに励んだ結果、

麻子は妊娠した。広瀬はこれで千鶴子も諦めてくれるだろう、そう思っていた。



しかし、千鶴子はそれでも諦めはしなかった。麻子の出産話をどこかで聞きつけると、路上で退院したばかりの麻子見つけて綾夏を奪い去ってしまった。


産後の身体では奪い返すことはできないため、麻子は広瀬に懇願した。



『あなた…!あなた、あの子を連れ戻してきてちょうだい!あなた、お願い…!』



広瀬は綾夏を連れ戻しに千鶴子のアパートに行ったものの、そこには千鶴子の両親がいて、



『君が広瀬君か?子供つくっておいてその後は無関心かね?卑怯なことだとは思わないのか!』



『責任とってうちの娘と結婚してちょうだい!』



話が勝手に進んでいて、広瀬には訳がわからなかった。そして、千鶴子は勝手に婚姻届と出生届を書き、提出、受理されてしまった。


当然のことながら麻子との結婚は破談となり時が流れた。



「事の原因はお父さんにあるけど、路上で赤ちゃん奪い去るわ、勝手に書いて勝手に提出しちゃうわ…千鶴子さんは犯罪じゃないの?」



綾夏の中で千鶴子は既に母親ではなくなっていた。




「まあ、そういうことだ。あの女は母親ではないよ。かわいがってたのは幼稚園までだしな」



「麻子さんは綾夏にとっていいお母さんだったんじゃない?麻子さんが本当のお母さんだったから綾夏穏やかな女性になった、俺はそう思うよ」



「…そうだね。麻子さんは本当に、いいお母さんだった」




今思えば19歳から24歳までの5年間、麻子は綾夏のいいお母さんだった。千鶴子とは違い、綾夏を積極的にキッチンに立たせ料理を教えたり、2人で街に出た時には洋服を買ってくれたり、カフェで悩み事を聞いてくれたりしてくれた。この人が本当のお母さんならどんなにいいだろう、綾夏はずっとそう思っていた。



「もっと…もっと、一緒にいたかった…」



もっと一緒にいたかった、もっと会話したかった、「お母さん」って生きているうちに呼びたかった…。



「 お母さん…お母さん!」



綾夏は泣きながら麻子の骨箱と遺影に向かって「お母さん」と呼び続けた。

挿絵(By みてみん)


本当のお母さんは、もう側にいない…そうおもいながら…。





ーー1年後。



横浜に越してから1年が経った。


麻子のことも落ち着き、都会での生活にも慣れた。



『結婚しようか』



越してから一週間目に航路の口から改めてその言葉が出た。それから今日まで結婚式の段取を進めてきたのだった。



ウエディングドレスを身にまとった綾夏は美しく、そして若い頃に麻子に似ていた。



「やっぱりお前は俺と麻子の子供だな」



「そう?お母さんも似てる?」



「似てるよ、そっくりだ」



「よかった」



綾夏は優しく微笑んだ。



父と娘はゆっくりとバージンロードを歩き、花婿の元にたどり着いた。



「あとは、よろしくな」



「はい」



神様はきっとどこかで見ているのだろう。人生の苦しみについて聖書には、



「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

(詩篇119:71)



と書かれている。これについて私はこう思う。


日々の困難から学習し、人間として成長していくために神様はその人その人に見合った苦しみという壁を試練として与え、乗り越えさせるのだ。きっとの先に大きな喜びと幸せというご褒美が待っているのだろう…。

挿絵(By みてみん)


ーfinー

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。短い連載でしたが、いかがでしたか?


これからもかぐらは小説を書いていく所存です。

少数人でも構いません。読者様がいる、それだけで十分救いになります。


では、また。

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