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第3話「支店長代理の過去」

第3話です。前回が3月24日だったのでかぐらにしては早めの更新です。


では、どうぞ!(*´ω`*)

挿絵(By みてみん)


「きゃああああああああああああーー!!」



秘密のデートをした日の夕方、綾夏の叫びが佑々木東町にこだました。


帰宅し自宅玄関のドアを開けると、ドアの前に既に母が立っていた。母は綾夏の姿を認めると、彼女の髪の毛を掴んで家に引き込んだのだ。


母に髪引っ張られ家に引き込まれた綾夏は玄関で首を絞められた。



「う…あっ…」



首を絞める手の力はどんどん強まり、頭に血がのぼるのを綾夏は感じた。



(し、死んじゃう…!)



意識が徐々に遠退いていく中、綾夏の脳裏に航路わたるの顔が浮かんだ。



(航路…助け…助けてーー)



その頃、道下家の近くコンビニでホットコーヒーを買い、カップに注いでいた航路は一瞬、綾夏の声が聞こえた気がした。



(綾夏…?)



周りを見渡してみるが、綾夏の姿はない。



(気のせいか…)



カップに蓋をし店を出る。店前に停めた車の横で、首が折れた状態でウミネコが死んでいた。



「うわっ…」



航路は胸騒ぎを覚え、すぐに車に乗り込むと発進させ道下家に向かった。



(確か、この辺だったよなぁ…)



綾夏が降りた場所から「道下」の表札を探す。道下…道下…ん?


ある一軒家の玄関先にピンクの布が落ちている。表札を確認すると「道下」だ。


車を降り、少し開いた両開きのアイアン門扉をくぐるとピンクの布を拾う。ランちゃんのワッペンの刺繍…あの時ホームで拾った綾夏のハンカチと同じものだ。



(綾夏…)



再び妙な胸騒ぎを覚える。航路は思い切ってインターホンを鳴らしてみる。



ーーピンポーン


誰も出ない。しかし、無用心にも開いたドアの奥の方からガタッと物音がした。



「ん…?」



ーーピンポーン…ピンポーン…



今度は立て続けに2回鳴らしてみた。するとようやく中から40代後半から50代前半と思われる小柄なショートヘアの女性が出てきた。



「すぐに出られなくてごめんなさいね。今少し立て込んでまして…うちに何か御用ですか?」



女性は爪が食い込むほどの力強さで玄関扉をがっしりと掴んでいる。



「玄関先にハンカチが落ちていたのでここの住民の方のものかと思いまして」




「あら、ご親切にどうも。うちの娘のですわ。全くあの子ったらほんとだらしないんだからもう〜」



ーーバタンっ!



ハンカチを航路の手からひったくるように受け取ると、勢いよく扉を閉め鍵をかけた。



(あれが“厳しいお母さん”か…)



航路は車に戻ろうと踵を返し、アイビーが絡む門扉に手をかける。するとーー



「男がいるんでしょう?!あんだけ男とは付き合うなって言ったのにわからないのかね!」



ーードスっ!



2階から女性の怒鳴り声と何か壁に当たったような鈍い音がした。



「…ゔっ」



航路の脳裏に過去の記憶が甦る。それは記憶の奥底に消し去ったはずの、禍々しい記憶ーー。


湧き上がる吐き気をこらえ、なんとか冷静さを取り戻す。



ーーバチンッ!


再び2階からだ。今度は何か道具を使ったらしい。



(…まさか、綾夏…)



24歳にしては早すぎる門限などからして変だとは思っていたが、まさか母親から…航路はチノパンのポケットからiPhoneを取り出す。



「お兄さん、ちょっとお兄さんってば」



「ん…?」



「ここだよ」



振り返ると門扉の前に杖をついた150㎝はないであろう老婆が立っていた。



「あんた、ここのお嬢さんと関係があるのかい?」



「はい、そうですが」



正直に答えると老婆は鼻をふんと鳴らした。



「ここのお嬢さんを嫁にもらうなら、相当な覚悟がいるよ?なんたってあの女が母親なんだ。ここんとこ毎日、ああやって実の娘を殺す勢いでいじめてんだから」



「ここんとこ毎日…ですか?」



「そうさ。わしはあの子が小学生の頃から見てるし、昔はPTA会長だったから母親のこともよく知っとる。昔はあんなことはしてなかったはずだ。しかしね、あの子の父親が浮気して離婚してからあの子は虐待を受けてんのさ」



「知っているのに見て見ぬふりですか…」



「あの子ももう大人だよ?通報するなら自分でするだろう?それにここの住民はわしを含めてみんな厄介ごとはごめんなのさ。助けるならあんたひとりでやんな」



「 ひとりでって…」



「これだけは言っておくよ」



「何ですか…?」



「あの母親は、成長して女になっていく娘が憎いのさ。女になったら元の旦那さんと不倫したメス豚どもと同じように見えてしょうがないし、変なオスどもが寄り付くと思ったら、はらわた煮えくり返る思いなんだろうよ」



ーーコンコン!



「わかったら、ささっと帰んな。今夜あたりからあの子は監禁されるだろうさ!」



そう言い残し老婆はマント状のコートを翻して去って行った。



『今夜あたりからあの子は監禁されるだろうさ!』



老婆の最後の言葉が脳裏に焼きついた。


監禁…それは二度と会えなくなることを示唆していた。


航路はこのまま道下家へ乗り込んで助け出したいところだが、母親に顔を知られてしまった以上、第三者である自分が下手に動いてはいけない気がした。


一旦道下家を離れ、コンビニに戻ることにした。





痛みに耐えかねてしばらく気絶していた綾夏はゆっくり目を覚ます。


お気に入りのピンクのワンピースは擦り切れたり破けたりしてぼろぼろだ。



「…かわいかったのになぁ…」



頭がボーとする中、ワンピースを見つめ残念に思った。しかし、今はそんな場合ではない。



「警察に電話した方が…」



さすがに身の危険を感じた綾夏は電話しようとiPhoneに手を伸ばした。その時だった。


ーーブー、ブー


iPhoneが振動する。画面には航路の名前が表示されている。綾夏は慌てて電話に出る。



「はい、もしもし?」



母に見つからないよう小声で話す。



『大丈夫…?』



「え…何が?」



『綾夏の家の近所のおばあさんに聞いたんだけど、お母さんから暴力受けてるって話、本当…?』



「え、あ…それは…」



「隠さなくていいから正直に答えて?お母さんから暴力受けてるのか?』



綾夏は少し迷ったが、正直に答えることにした。



「うん、受けてるよ。今そのことで警察に電話するところだった」



『じゃあ、荷物まとめて家出て来ないか?』



「今…?」



『そう、今だよ。お母さんに見つからないようにさ』



「今から出てどうするの?行き先は?』



『俺今、佑々木東7丁目のコンビニからかけてるんだ。店から向かって左に佑々木七重橋うさぎななえばしが見えるコンビニさ。待ってるから、必要な荷物まとめて出てきて』



「わかった」



『お母さんに見つからないように気をつけて』



「うん」



『じゃあ、待ってるから』



電話はそこで切れた。綾夏は航路の指示どおりに荷物をまとめようと立ち上がろうとする

しかし、動く度に身体に痛みが走る。



「ーーっつ…」



痛むがここで諦めるわけにはいかない。



(生きたい…私は航路と一緒に…生きたいの…!)



『好きです』


生まれて初めて恋に落ちて、初めて告白されたばかりだ。それがいかに尊く、どれだけ生きる喜びを与えることかーー。


母には理解できないことかもしれない。父に裏切られた形で離婚したのだから。しかし、暴力で支配され痛めつけられては泣く毎日より、身も心も愛されて生きる喜びを得られる毎日の方が綾夏には欲しかった。



(お母さん、ごめん…私は生きたいの)



仕事しか生きがいがない母を広い家に残していくことに綾夏は申し訳ない気持ちだった。が、このまま一緒にいては母にとっても辛い悲劇を生むだけだ。


荷物をまとめた綾夏はコートと大きなボストンバッグひとつを抱えて静かに家を出た。


外は陽が落ち街灯だけが頼りだ。


綾夏は傷の痛みに耐えながら7丁目のコンビニに向かって歩く。我ながらよく動けているなと思いながら。


コンビニ着くと航路の車にすぐさま乗った。



「急に電話してごめんな。お母さんにバレなかったか?」



「大丈夫、なんとかバレなかった。ちょうど翻訳の仕事に集中してたのかも」



「そっか。よし、とりあえず古瀬の店に行こう。事情は伝えたから古瀬もわかってる」



車を発進させ店に向かう。



「航路」



「ん?」



「近所のおばあさんに聞いたって言ってたけど、どんなおばあさんだったの?」



「杖ついてる小柄なおばあさんだったよ」



「ああ、渡辺わたなべさんか…うちの近所の情報屋だよ」



「なんでも知ってるってことか」



「そうそう。私が小学4年の時渡辺さんのところのお嬢さんが同じクラスで学級代表やってて、その時よく遊びに行ったりしてお世話になってたけど、未だにうちのことチェックしてたのね…」



「まあ、俺にとっては渡辺さんの存在があってよかった。渡辺さんがいたことによって、綾夏本人が言いづらであろうことが知ることができたし動き出せた」



「てか、なんで航路は渡辺さんと会ったの?もしかしてこのハンカチ玄関で拾ってくれたのって…?」



「俺だよ。不思議なんだけど、コンビニでコーヒー買った時に妙な胸騒ぎがあったんだよ」



「妙な胸騒ぎ…?」



「ま、俺が守るから安心しな。古瀬もいるし。あの店のウエイトレスの女の子に1人古瀬が保護してる子がいるんだ。今日はいるかわかんないけど」



「保護…?」



「その子も綾夏とは少しケースが違うけど虐待受けてた子なんだ。雨の日に飛び出してずぶ濡れだったって。古瀬のラザニア食って感銘を受けて今店で働いてるって話さ」



「確かに古瀬さんのラザニアは本場の味だもんなぁ」



「だから綾夏も安心しな」



「あ、私が寝泊まりするところは?」



「俺の家」



「え?そ、そんな迷惑なこと…」



「迷惑じゃないよ。綾夏の命の方が最優先でしょ?ずっとうちにいたらいい。それに、うちからの方が市役所まで近くて通いやすい」



「そんなに近いの?」



「市役所から電車で一駅」



「おお、近いね」



「交通費浮くよ?さて、1ヶ月いくら浮くやろな」



「今計算しなくていいよ」



「ごめん、大阪人の癖だな」



「ふふっ」



「あ、やっと笑った」



「…へ?」



「さっきまで深刻な顔してたからさ、少しは元気になってくれるかなと思って」



「ありがとう」



大阪育ちらしい航路の優しさにが心に沁み渡るように温かい。こんな陽だまりのような優しさが、これまでの人生の中で1番欲しかったのかもしれない、綾夏はそう思った。



店に着くと、古瀬が店を閉めて貸し切りにしてくれていた。



「いらっしゃい。綾夏ちゃん、大丈夫なん?」



「はい、おかげさまで」



「お?もしかしてもう北埜が元気づけたあと?」



「そうだよ」



「マジかよー。俺だって温かいハーブティーにラザニア、デザートまで用意したって言うのにー。王子様には敵わねーなぁ」



古瀬のガッカリした様子に綾夏と航路は笑った。



「ありがとう古瀬。てか、貸し切りにしてもらった上に、食事まで用意してもらっちゃってごめんな」



「いいよ、いいよ。日曜のこの時間はあんまり人こないから気にしないで。何より、綾夏ちゃんの一件は俺も心配になったから協力しただけだよ。

ゆりえ、2人にハーブティーお願い」



「はい」



ウエイトレスのゆりえは古瀬の指示どおりにハーブティーを淹れ、ポニーテールの長い髪を揺らしながら歩きカウンター席に座った2人の前にカップを置いた。



「カモミールティーでございます。カモミールにはリラックス効果があって、強いストレスや不安があるときにおすすめです。どうぞ」



「お、効能も言えるようになったなぁ。

あ、綾夏ちゃんとはまだ面識なかったよね。紹介するよ、この子はゆりえ」



「はじめまして、花村ゆりえです。古瀬さんの元で修行させていただいてます。よろしくお願いします」



「修行…?」



「俺のラザニアを食べてシェフになるってさ。なかなか筋いいだよこの子」



古瀬に褒められてゆりえは色白の頬を赤く染める。



「私は道下綾夏。そこの市役所の市民課で働いてます。いい師匠持ったね、ゆりえちゃん」



「はい、古瀬さんはほんといい師匠ですよ」




「なんか照れるな。いつもそんなこと言わねーじゃん」



「そうでしょうかね?」



ゆりえのお陰で場は和み、食事も楽しい雰囲気に包まれた。



「今日はありがとう古瀬。ゆりえちゃんもありがとう。ご馳走さま」



「ご馳走様でした。今日も美味しかったです、古瀬さん」



「ありがとう。その笑顔で美味しかったって言われるのが料理人として幸せだよ。ゆりえ、今の覚えとけよ?」



「はい、古瀬さん」



ゆりえは満面の笑みで答えた。



ーーブー、ブー…



「ごめん、部下からだ」



航路はiPhoneを持って一旦外に出た。



「トラブルの電話かなぁ。綾夏ちゃん、一緒に住んだらあんなのしょっちゅうだけど、大丈夫?休みの日でも急に呼ばれるよあいつ」



「大丈夫です、父もそういう職業だったので」



「そうなんだ」



古瀬は綾夏の目の前にポンっとランちゃんのぬいぐるみを置く。



「ランちゃん」



「あいつから家族とか妹の話、聞いた?」



「いえ…そういう話は一切ないですね」



まだ付き合ったばかりというのもあるが、航路はこれまで家族どころか、自分の話をあまりしてこなかった。



「あいつね、妹がいたんだよ、5歳下の」



「私と同い年じゃないですか」



「あれ?綾夏ちゃん、今24歳?」



「はい」



「奇遇だねぇ…その5歳下の妹は綾夏ちゃんと同じ24歳なのか…」



「ご病気…とか?」



「ううん…親からの虐待さ」



「え…」



綾夏も驚いたが、厨房で皿洗いをしていたゆりえもビクッと身を震わせ皿を一枚落とした。


ーーがっしゃーん!!



「し、失礼いたしました!」



「大丈夫か、ゆりえ? ちょっとごめん」



古瀬はゆりえの元へ駆けつけた。



「怪我してないか?」



「してないです…古瀬さん、すみません」



「気にすんな、皿の1枚くらい。お前にはまだ刺激が強い話だったかなぁ。まぁ、ちょっと休みな」



「…はい」



割れた皿を片付け、古瀬はゆりえにカモミールティーを淹れてやった。



「ごめんね、ゆりえも親から受けてたから修行兼ねてうちで保護してるんだ」



「そうなんですね…」



「で、話を戻すとね、あいつの実のお父さんが亡くなって、すぐにお母さんはまだ中学生だったあいつと小学生の妹を連れて再婚した。その再婚相手が酷いやつでさ…」



ーー今から15年前、大阪。



『おじいちゃん、あんがとう。うちこれ大事にするでぇ』



当時まだ9歳だった北埜の妹・綾水あやみは両親には内緒で母方のおじいちゃんからランちゃんのゲーム「パンケーキ・ラビッツ」(主にテトリスやモノポリーなどのボードゲームをシナリオの沿って楽しめる作品)を買ってもらったんだ。



綾水は兄貴の北埜にはもちろん、俺にも懐いてから見せに来た。よっぽど嬉しかったんだろうな。



『算数のテスト100点取ったからご褒美におじいちゃんに買うてもろたんやで』



『そうか、よかったなぁ』



この時俺は思った、親にバレなきゃいいなって。虐待があったのは当時から北埜から聞いてて知ってたから。



綾水はちゃんと勉強した上でバレないよう隙を見て遊んでたんだけど、ある日それが義父にバレちまった。



『それどっからくすねて来たん?こっちに寄越せあほんだら!』



『どこからもくすねて来とらん!北埜のじいちゃん買うてもうたんや!』



『嘘つくな!とんだ恥知らずやでこいつは!』



義父は綾水のツインテールの髪を掴んで引きずると、風呂場に溜めた水の中に綾水を放り投げた上、押し沈めた。


北埜が中学から帰ると、綾水はもう冷たくなってたって話だ。


綾水の死後、綾水を守れなかったと嘆き思い詰めた母親は縊死いし、近所から人殺し呼ばわりされ耐えられなかった義父は酒酔い運転で事故を起こして死んだ。


両親も妹も一気に亡ったあいつは遠縁の親戚の元に引き取られて育ったけど、今はその親戚も亡くなって天涯孤独の身だ。

挿絵(By みてみん)


「今回の転勤でたまたまこっちで店開いてた俺と綾夏ちゃんが居なかったら、あいつは本当に孤独だと思うよ。だから、守られると同時に大切にしてやってほしい。支店長代理っていう役職も、結構きついはずだから」



「…全く想像…つかなかった」



「そりゃ、あいつそういうの全く表に見せないタイプだよ。特に好きな女の前じゃね。

きっと、綾水の過去があるし、自分自身も虐待受けてたから助けずには居られなかったんじゃないのかな」



航路のこと、妹の綾水のことを思うと、まるで自分のことのように胸が苦しくなり、涙が溢れてきた。身を切り裂かれそうな思いである。

挿絵(By みてみん)


ふと視線を厨房の方を見ると、ゆりえも泣きそうなのか俯いている。



ーーカランカラーン



「ごめん、なんかトラブったみたいでさ」



「大丈夫なのか?」



「大丈夫、なんとか解決した」



「綾夏ちゃんにお前の過去の話、しといた」



「…綾水のこと?」



「うん。お前も経験者だってわかりゃ、綾夏ちゃんもお互いもっと距離感が近づくかなって思ったから」



「ありがとう、助かるよ。15年前とはいえ、正直俺自分からは家族のことは話しにくいからさ」



「だと思ってた。さて、綾夏ちゃんの痣にはこれだなぁ」



古瀬は2人の目の前にウィッチヘイゼルオイルの小瓶を置いた。



「ゆりえ、ウイッチヘイゼルオイルの効能について説明してごらん」



「はい。ウイッチヘイゼルオイルは痣の治療を促進して炎症を抑えてくれます」



「ゆりえ、完璧な効能についての説明ありがとう。で、患部に塗る回数と塗ってどうするかの説明を」



「1日最低1回は患部にオイルを塗って、数時間放置です」



「さすがだなぁゆりえ、あとで賄い作るから何がいいか考えといて」



「やったぁ!古瀬さんの賄い、嬉しい!」



ゆりえはそのまま厨房の戻ると、上機嫌で皿洗いを始めた。



「ってことだから、毎に忘れずに塗れば、きっと痕は残らないはずだからやってみて」



古瀬のお母さんのような優しさは、とても温かく気持ちがいいものだった。






航路の自宅は7階建てのマンションの5階、507号室だ。


小さな狭い玄関から6畳間のロフト付きの部屋が見える。転勤族のため部屋は殺風景過ぎるほど必要最低限の物以外ほとんど物がない状態だ。


家具は白い正方形のテーブルに、白のカラーボックス、その上にテレビ、テレビ横にプラスチックのローチェストのみ。家電も生活に必要な物のみだ。



「本当になにもないんだね…」



航路と同じく銀行員の父も物がないタイプだったが、航路はそれ以上に物がない。



「またいつ天気になるかわからないから物が増やせないんだよね」



「私はいいの…?」



「綾夏はいいの。もしまた転勤の辞令が出たら、綾夏も一緒に来て欲しい」



航路は綾夏の髪に触れ、いたるところにある身体の痣が痛まないように優しく抱き寄せる。



「お母さんのところに帰したくない」



「航路…」



ーーブー、ブー…



「電話…」



バッグの中の綾夏のiPhoneの画面には「道下千鶴子」の名が表示されている。



「出なくていい」



バッグから取り出そうとする綾夏の手にそっと触れ止める。その止められた手で綾夏は航路の体に指を滑らせ抱きつく。


挿絵(By みてみん)



「ずっと、俺の側で笑っててよ… 」



「うん…」




その夜から2人の“秘密の同棲”が始まった。





“秘密の同棲”が始まってから半年が経った。


住み始めてすぐに住所変更し、閲覧制限を設けた。そのおかげか、母には見つからないまま今日までここに安心して住むことができた。


あの夜できた痣は古瀬から貰ったヘーゼルオイルのおかげであと残りも無く綺麗に完治した。


航路との生活も順調で、偶に喧嘩する程度で幸せだ。



しかし、幸せな生活に慣れ始めた頃に航路の転勤話が出た。



「今度は横浜だって。綾夏も来てくれるよね…?」



「もちろん…だけど」



「ん?」



「そうなると、結婚の挨拶というか、私のお父さんに会わないと」



「そうだね。会って挨拶しないと」



「だからそのためにも今話しておかないといけないことが…」



「どういうこと、それ?」



「実はね、航路が“よく知ってる人”なの」



「“よく知ってる人”…?」



「うん…航路のとこの支店長なの…広瀬支店長は私のお父さん」



「え…」



綾夏の突然の告白に一瞬言葉を失った航路だったが、その表情は明るくなる。



「ごめんね、黙ってて…初めて一緒にランチした日からこのこと話したら航路と会えなくなっちゃうかなぁto思って言わなかったの…」



俯いている綾夏に航路の表情は見えていない。



「ま。しょうがないよ。世間が狭すぎてたまたま出会っただけじゃん」



「…そう?」



それは綾夏にとって意外すぎるほどあっさりとした反応だった。



「上司の娘だったっていうのはびっくりした。苗字が違うからわかんなかったけど、綾夏って支店長の面影画ある気がする」



「うん、よく言われる。お母さんに似てないねって」



お母さんに似ていない…その理由を航路は綾夏の父親本人から聞いていた。



(綾夏には口が裂けても言えないな…)



もちろん離婚のきっかけのことも知っている。あれは日頃から女癖の悪さによって引き起こした事件だった。


夫の裏切りによって精神的に追い詰められた母親が、以前にも増して辛く綾夏に当たるようになったとなれば話は繋がる。


(広瀬支店長…表向きは別れた娘を毎日思ってますみたいな感じにしてるけど、離婚の原因も、虐待の原因も、全ての原因作ってるのはあの人やないか…)



怒りの感情でいっぱいになるが、航路は一旦落ちつこうと深呼吸する。



「おいで、綾夏」



航路は寝室で寝転がると、綾夏を呼び寄せ布団の上で抱きしめる。



「取り敢えず、横浜引っ越す前に綾夏のお父さんのところに結婚の挨拶に行こう。その際、お母さんから虐待があったことも伝えるんだ。綾夏のお父さんも知ってたのかはわからないけど、綾夏ことは常に心配してる様子だから」



「お父さん、航路にそんなことを…?」



2人で飲んだらいつも話してたよ。俺だけかどうかは知らないけど。てか、まさかあの話は綾夏のことだったとは…」



「お父さんのことだから、航路のことを信頼して話したのかなぁ」



「どうだろう…」



その真相は航路にもわからない。しかし、航路はひとつ言えることがーー。



(俺は支店長の弱みを握ってるんだよな。だからってなにをしてもいいわけじゃないけど)



航路は再び綾夏を抱きしめ、その髪の毛を撫でながら考え込む。弱みを握っている自分がやれることは何かと…。



夏の静かな夜、犬の遠吠えが佑々木南町に響きわたる…。


今回も最後までお読みくださった皆様、ありがとうございます(*´ω`*)


次でラストの予定なので、ラストも頑張って執筆したいと思います。


ではまた〜(*´ω`*)ノシ

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