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第2話「恋が実るまで」

お久しぶりです。約1カ月ぶりの投稿です。


第2話の最後のあたりでとうとうかぐらもスギ花粉症に罹患いたしました( ̄▽ ̄;)



ではどうぞ!

挿絵(By みてみん)


駅のホームでハンカチを拾ってくれた男性。


その姿は黒髪短髪に紺色縁の眼鏡、灰色のスーツに紺色のネクタイを合わせた真面目そうな会社員。



「ランちゃん、お好きなんですか?」



綾夏が落としたハンカチがランちゃんグッズだと気付いて問いかけた言葉。そしてその問いかけと共に気付いた胸ポケットに刺さったボールペンは、ランちゃんがさりげなくデザインされたものだった。



見上げると男性と目が合った。



ーードキッ



胸の高鳴りを感じた。男性と目が合うことによって射抜かれる感覚…これはいったいなんなのかまだ恋を知らない綾夏にはわからない。



(…今のは、なに…?)



「世の中心無い人がいたものですね。職場までの道中、気をつけてくださいね」



「は、はい」



「それじゃあ」



仕事中もあの男性のことばかり考えてしまい、頭から追いやろうと試みるが、なかなか追いやることができず集中できない。



(…ホームで感じた胸のときめき…こんなに特定の男性が気になるなんて初めて…)



綾夏はここで聖書の言葉を思い出した。



「不品行を避けなさい。人の犯す全ての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。」(1コリント6:18)



男女の付き合いには段階があり出会い、会話、デート…と経て相手を知り愛を育む。しかし現代では付き合い=いずれ性交するが当たり前になり、未経験のカトリック女は恋愛または婚活市場においては候補から外されるのでは…と綾夏は急に不安になった。


時代にあっていないとは思いつつも、やはり綾夏の基本の土台は学生時代に学んだ聖書だ。聖書では婚外交渉は姦通罪に当たる。結婚を約束していない男女が性交渉することは、自分の身体に傷をつけることになるのだ。


(結婚を約束してから、なんて男性は理解してくれるのかなぁ…)



思い悩みながら先ほどご案内した方の手続きを済ませ、綾夏呼び出しボタンを押した。



ーーピコーン



「113番の方、どうぞ」



次の方の番号を呼び出すと、長身の灰色スーツの男性が緑の届け出用紙とビジネスバッグを抱え、机を挟んで目の前に立つ。



「住所変更、お願いします」



必要事項が書かれた変更届が手渡される。



「住所変更ですね。転出届はーー」



見上げると、目の前にいたのは今朝ホームでハンカチを手渡してくれた男性だった。



「奇遇ですね。こちらが職場だなんて」



「ほんと、ですね。先程はありがとうございました」



なんのいたずらだろうか。今朝ホームで会った人間とここで偶然また会うなんて…。



「いえ、あんな理不尽な突き飛ばし方、ありえないなって思ったんで。ほんとにお怪我なかったですか?」



「はい、大丈夫ですよ。ありがとうございます」


ここで長くなってはいけない、綾夏は仕事モードに切り替え、席に座るように促す。



「最近お引越しされたんですか?」



「はい、転勤で」



「転出届は出されましたか?」



「はい」



「では、確認してまいりますので、少々お待ちくださいませ」



気になっていた男性が目の前に現れ、綾夏は冷静を装いつつもかなり緊張していた。


そして、あの時感じた胸のときめきも…。



ーードキン…ドキン…ドキン…



彼に気づかれぬよう、窓口から見えないところで軽く深呼吸し転出届を探し始める。



「えっと…北埜航路きたのわたるさん」



探すこと数秒、転出届は見つかった。



「お待たせしました、北埜様。本日身分を確認できるものはお持ちでしょうか?」



北埜は財布から運転免許証を取り出し「はい」と手渡す。本人であることを確認しお返しする。



「確認が取れました、ありがとうございます。では、こちらでお手続きいたしますので、証明書受け取りカウンターの前でお待ちください」



ーー5分後。



北埜の住所変更が完了した。



「お待たせいたしました。こちらご確認くださいませ」



北埜は出来上がった住民票を指差し確認で確認する。



「大丈夫ですよ、ありがとう」



住民票を窓口封筒とともに手渡すと、北埜は受け取った。



「また何かありましたらいらしてください」



綾夏は頭を下げ、颯爽と足早に出口に向かう北埜を見送る。その顔はほんのり紅い。



「道下さん」



「は、はい」



隣で受け渡し業務をしていた八尾が声をかけてきた。



「なんか今のひと、初めて会う感じじゃなかったんじゃない?」



「え?」



「顔見知りに見えた」



「今朝駅のホームで私転んでしまって、その時ハンカチを拾ってくださった方で…」



「ついに王子様登場?」



「そ、そんなんじゃ…」



「顔真っ赤よ?」



「きゃ」



綾夏は顔を隠す仕草をすると、八尾は鼻でふふんと笑う。



「あれは悪くないと思うわよ」



「どうして、です?」



「胸元のバッジ、あれ何かの管理職よ。あんな若いのに出世頭じゃない?」



「もしかして…銀行マン…?」



綾夏の頭に父親の顔が浮かぶ。綾夏の父親はこの近くにある大手銀行の支店長なのだ。



「転勤とか言ってた?」



「はい」



「銀行マンかもね。お父さんのとこの人だったら厄介な気がするけど…まぁ、お昼にしよ!」



八尾に連れられ、綾夏は弁当を持って公園のベンチに向かった。







さて、お昼休み。


八尾に連れられ、いつもの公園のベンチでランチタイムを取る。



なかなかランチタイムまで一緒に取れなかったこともあり、八尾が質問する。



「道下さんのお弁当っていつもお母さんが作ってるの?」



「あ…はいそうなんです…」



あまり他人に見られたくない弁当のため隠したい気持ちでいっぱいだが、そんなこともこともできない。正直に答えるしかなかった。



「優しいお母さんじゃない?毎日早起きして作ってくれるなんてありがたいことよ。道下さん結婚願望あるかはわからないけど、結婚して親元離れたらそんなのないわよ?」



「そうですよね…感謝しないと」



弁当の話題を振ってから綾夏の表情が曇っていることに気づいた。



「もしかして、正直あんまり嬉しくない?」



「いえ、そんなことは」



八尾は綾夏の弁当がのり一色なことに気づく。



「あら…よく見たら真っ黒ね…味は?お醤油とか?」



「それが、全く…」



「え?忘れた、とかじゃなく?」



「はい…毎日、これで…」



「まぁ…余計なこと言っちゃったわ。ごめんなさいね」



「大丈夫です、学生の時からなんで慣れてますし、たまにコンビニのサラダつけて栄養偏らないようにしてるので…あはは」



綾夏は笑ってごまかした。しかし、八尾は深刻なままだ。



「道下さん、お料理はできるの?」



「母がキッチンに立つのを禁止にしているので、父の再婚相手の方から教わってます」



「じゃあ、やろうと思えばお料理自体はできるってことね?」



「はい」



「…なんでお母さん禁止にしてるのかしら?私なら絶対娘が将来苦労しないように教えてあげるけどな…」



既婚者の八尾は現在妊活中だ。将来彼女が母親になればきっといい母親になりそうだ、綾夏はそう思っている。


しかし、綾夏の母は違う。



「母は…母はもしかしたら私が少女から大人になることを恐れているんじゃないかと思うんです。私をミッション系女子校に入れたり、14歳で私が少し遅い初潮を迎えた時は生理用品を投げつけ、『穢らわしい雌犬め、私に近づくな』と言いましたから…」



「じゃあ…もし、あなたに恋人ができたら…」



「私の命、もしくは恋人もろとも消すでしょうね…」



八尾はしばらく黙ったのち、再び口を開いた。



「あの人のこと、好きなんでしょう?」



「…自分でもわからないのですが、気には」



「気になるんでしょう?仕事に集中できないくらい好印象だったあの人のことを考えてしまう、病気なんじゃないかと思うくらいあの人のことを思うと胸がきゅーと締めつけられる」



「まぁ…」



「それが1週間以上続いたら、もうそれは恋よ」



「1週間以上、ですか?」



「恋だと気づいたら、もうそのお母さんから自立することを計画的に考えてみるべきだわ。

私が見ている限り、道下さんはお母さんに急いで帰るでしょう?お弁当だってフルタイムで働いてるのにおかずなしの味なしのり弁、力出るかな?

道下さんの幸せのものさしで今の生活、幸せだって判断できてる?」



「幸せ…ですよ」



か細い声で答えるが、そこに説得力はなかった。



「そう?

何かあったら私でもいいし、頼れる人ならお父さんでも誰でもいいから相談することよ。市役所の人間は、市民の代表なの。その人間が心から胸張って幸せって言えないと、ここで働くものとしては失格よ。

さあ、食べて戻ろう」



「はい…」



八尾に説得され、味気のないのり弁を食べながら今後の生活について考えた。今のままではいつ実の母親に殺されてもおかしくはないのだ。



のり弁を食べ終え顔を上げると、目の前の噴水の向こうに先ほど住所変更の手続きにきた北埜が同僚と思われる者たちと楽しそうに会話しながら歩いていくのが見えた。彼らが向かっている先は綾夏の父が支店長として働く大手銀行の方である。



(やっぱり…お父さんのとこの人なのかなぁ…)



綾夏は頬を赤らめ、胸がきゅーと締めつけられるのと同時に、叶わぬ恋のような気がしてせつなくなった。



(まだ確定じゃないけど、お父さんは自分と同じ銀行の人なら反対するかもしれない…)



ーーキュン…



しかし、北埜を思えば思うほど身体が熱くなり、胸が締め付けられる。



そんな綾夏の姿に食べ終わった八尾が気づく。



「道下さん、彼のことが気になるかもしれないけど、仕事時は気持ちを入れ替えて頑張りましょう?」



「あ、はい!」



膝の上に広げていた弁当箱を片付け、2人は庁舎に戻った。






出会いから2週間後。



北埜のことが頭から離れない日々が続き、綾夏は彼に恋をしている自分を認め始めた。八尾の指導通り仕事時は気持ちを切り替えて忘れるよう努めた。


いつもと違うのは、母親に竹刀で叩かれたり水責めを受ける程北埜のことを思い出して「生きたい」、「生きて、またあの人に会いたい」と思うようになったことだ。


胸のときめきも消えることなく、一眼でもいいからまた会えないかと思う日々が続いたある日のこと。



「ごめん。今日は作りたくないから弁当なしね。適当になにか買って食べてちょうだい」



母はたまに気まぐれで「作りたくない日」があるらしく、それは不定期にやってくる。その日は作ってくれる母には申し訳ないが、綾夏にとっては有頂天になる程嬉しくて仕方のない日だ。



(やったぁ〜!!)



今朝は好きな人がいるというこの上ない喜びと、弁当がない喜びで満ち溢れた綾夏は、いつも以上に仕事を頑張ることができた。



午後12時半を過ぎた頃。


「道下さんお疲れ様」



「お疲れ様です」



八尾が声をかけてきた。



「今日はやけに忙しいわ。今のうちにあなたもお昼休憩にしたら?」



「はい!行ってまいります!」



今日の綾夏は無敵だ。忙しさなど微塵に感じていなかった。満面の笑みを八尾に向けコンビニに向かう。



「やけに今日張り切ってるような…なんかいいことでもあったのかしら…まさかあの彼と展開が?」



綾夏の機嫌の良さはその“まさか”を起こす。



庁舎を出て徒歩5分に大手コンビニがある。綾夏はそこのラザニアが好きだ。



(ラザニア、あるかな)



黒のバッグについた小さなランちゃんのキーホルダーを揺らしながら店内に入る。キーホルダーのランちゃんのフィギュアは既にナイフとフォークを持って戦闘態勢だ。


日配品コーナーの下の段にラザニアはあった。あと一皿である。綾夏はラザニアに近づき手を伸ばすが…



「もーらいっ!よっしゃ!!!!!」



あと一歩のところで脂ぎった中年サラリーマンと思われる肥満男にラザニアは奪われてしまった。彼はカゴいっぱいにパスタやらサンドイッチ、パン類を入れていて、相当な大食漢のようである。



(ショックだな…仕方ない、おにぎりもないみたいだし今日はメロンパンで我慢しよう…)



真後ろにあるパンコーナーのメロンパンに手を伸ばすと、綾夏の頭一個分高い位置から男性の細長い手が伸びて触れてしまった。


挿絵(By みてみん)



「あっすいません、どうぞ…あれ?」



「市役所の窓口の方…ですよね?」



譲ろうとして離れようとしたとき綾夏は気づいた。手が触れてしまった相手は北埜だった。



「はい…北埜さんも今お昼ですか?」



綾夏は高鳴る胸を押さえ、勇気を出して話しかけた。



「そうなんです。そちらもお昼ですか?」



「ええ、まぁ」



「今からお昼、一緒にいかがです?」



「え?」



「ラザニア、食べたかったんじゃないんですか?」



「あら…見られちゃってたんですね。お恥ずかしいです」



「さっきのはあからさま過ぎですよね。もしよろしければこの近くに僕の同級生がやってる店があるので一緒に行きませんか?」



「なんのお店なんですか?」



「ラザニアが一番美味しいイタリアンの店です。ラザニア好きなら気に入っていただけるかと」



「そんな…よく知らない関係なのに」



「まぁそうなんですけど、僕困ってる人見るとほっとけない性格で…それに、ランちゃん好きな人なんてあまり巡り会えないですから」



「ランちゃんかぁ…」



綾夏は北埜の胸元のポケットを見た。今日もランちゃんのボールペンが刺さっている。



「北埜さんもランちゃんお好きなんですものね…本当にいいんですか?」



「ええ、もちろん」



(北埜さんとランチなんて、凄く嬉しい…!!)



2人はコンビニを出た。


外は春の陽気に包まれ、半年間雪に覆われていたアスファルトも少しずつ顔を見せ始めていた。雪国のため全国的に遅い桜も蕾がほころびそうである。


横並びに歩く2人は歩道の桜並木を見上げて歩く。


北埜は綾夏に話しかけた。



「もうすぐ、咲きそうですね」



「ええ、ゴールデンウィークには見頃でしょうか」



しかし、そう答える綾夏の脳裏には両親の顔がちらついていた。



(男の人と2人で食事したって後でバレないようにしょう…)



「着きましたよ、こちらです」



コンビニを出て徒歩5分圏内。


幼い頃読んだおとぎ話から飛び出したようなかわいらしい洋風建築の料理店が高級住宅地の一角にひっそりと佇んでいる。



「なんか…高そうお店…」



「そんなに堅くならなくていいですよ、さぁ」



二足立ちのうさぎの石像が入り口の前で小首を傾げ、円らな瞳でこちらを見つめている。まるで「入って」と言わんばかりに。



ーーカランカラーン…


モスグリーン色のフレンチアイアン調ガラスドアを開け、北埜は綾夏を優しくエスコートする。



「いらっしゃいませ」



くるぶし丈の黒色メイド服を纏ったウエイトレスが2人を窓際の席に案内する。



「ここにはよく来られるんですか?」



「ええ、ここ昼間は普通のイタリアンレストランですけど、夜はバーになるんで偶にね」



「お、今日は大事なお連れ様もご一緒か?」



茶髪天然パーマの髪を肩口まで伸ばし、一つに束ねたシェフと思われる色白で背の高い男が奥の厨房から現れた。



「そうなんだ。古瀬の得意なラザニア、お願いします」



「かしこまりました。お嬢さん、北埜は優しくていいやつだから安心して付き合えますよ。保証します」



「あ…はい」



「ごめん古瀬…俺たちそんな関係じゃ…」



「あ、そうなん?ごめんごめん。北埜が女の子連れてくるなんてこれまでなかったからすっげえ友達として嬉しくてついさぁ。心を込めて作らせていただきます」



古瀬は一礼して厨房に戻って行った。



「勘違い、させちゃったみたいで…なんかすいません」



「いえ、そんな謝らなくても。ところで、今のが北埜さんの同級生の方…?」



「そうなんですよ。見た目あんな感じですけどここの店長兼シェフで、僕とは小学生の頃からの同級生です。

あ、僕のこと自体まだよく知らないですよね。申し遅れましたがこういう者です」


黒革の名刺入れから名刺を取り出すと、両手を添えて綾夏に手渡す。綾夏はそれを両手で受け取る。



「…あの大手銀行の方でしたか」



父親が支店長を務める大手銀行の支店長代理と名刺には書かれていた。綾夏は今話してしまうと今後会えなくてなってしまいそうで、敢えて父親のことは伏せておく事にした。



北埜航路きたのわたると申します。改めましてよろしくお願いします」



綾夏も名刺を差し出し自己紹介する。



「道下綾夏です。こちらこそよろしくお願いします」



「道下さんって言うんですね。またこうしてお会いできるとは思いませんでした。それも3度も」



「そうですね。ランちゃんが引き合わせてくれたのかなぁ…?」



「え?だとしたら、取引先でもある市役所の職員さんとだなんて…あんな顔してちょっと意地悪過ぎません?」



「どうして?」



「え…いやその…」



北埜の顔がほんのり赤くなる。



「…会おうにも会社の目があるからなかなか会いづらいじゃないですか」



「そんなこと言って、ちゃっかり声かけてるじゃないですか」



(私もお父さん怖いし、1番お母さんにバレたくない…!でもまた会えてすごく嬉しい)



「あ、そうでしたね。でもこんな優しそうな職員さんだったら、また手続きしたくなりますよ」



「市民として?」



「はい」



綾夏を見る北埜の顔が少し赤いことに綾夏本人は気づかない。



「いつでもいらしてください。お待ちしてます」



そう言って綾夏はにっこり笑う。その笑顔に北埜の心は射抜かれた。



「こちらシェフからのサービスでございます」


先ほど2人を案内したウエイトレスがティーセットを運んできた。ティーポットから注がれるのはエルダーフラワーのハーブティーだ。


ハーブティーであたたまりながら待っていると、古瀬が2人分のラザニアを運んできた。



「お待たせしました、当店自慢のラザニアでございます。熱いのでお気をつけくださいませ」



美味しそうなラザニアが目の前に置かれ、ラザニア好きの綾夏は目を輝かせていた。



「わぁ…」



「では、ごゆっくり」



古瀬が一礼し静かに厨房に戻る。



「召し上がってください」



「はい、いただきます」



緊張した面持ちで綾夏はいつものように手を組んだ。



「アーメン」



その行為が気になったのか北埜は尋ねた。



「クリスチャン、とかですか?」



「ああ…中学から大学までミッション系の学校だったので、もう癖になっちゃってて。変、ですよね…?」



綾夏の中でミッション系の出身というのがこの頃コンプレックスになり始めていたので、好きな人の前だとかなり恥ずかしく思えた。


しかし北埜は、


「いいじゃないですか。道下さんの優しい雰囲気に合ってると思いますよ、僕はね」


と返した。


(雰囲気に、合ってる…)


単純かもしれないが、好きな人に言われて綾夏はミッション系の自分が好きになれそうな気がした。


ラザニアにフォークを入れ、綾夏は早速食べ始める。口いっぱいに広がってきたのは、小学生の頃に味わった懐かしい味だった。



「美味しい〜懐かしい味です」



「もしかして、イタリアに行かれたことが…?」



「はい、小学生の頃に父方の祖父母と旅行で行きまして」



「旅行でですか、きっと楽しい旅だったんじゃないですか?」



「ええ、日本にはないものを小学生のうちに見せてもらったので、いい経験でした。旅の最後までイタリア語はちゃんと喋れなかったんですけどね」



「イタリア語は難しいんじゃないですか?大人でも難しいと思いますし。

お話聞いてると、雰囲気通りのお嬢様なんですね」



「そんな、お嬢様だなんて。普通の一般家庭育ちですよ」



「そうかなぁ。食べ方だってお上品で育ちの良さが出てる」



「両親がかなり厳しい家庭だからだと思います。北埜さんだっておぼっちゃまなんじゃないんですか?」



「僕はそんな…よく言われますけど全くですよ」



「ほんとにそうなの…?」



小首を傾げ、微笑んで見せる綾夏。その仕草を北埜はかわいらしく思った。






ラザニアを食べ終え店を後にした2人はLINEを交換し別れた。



『都合のいい時教えてください。また道下さんと食事したいんで』



北埜がそう言って連絡先を交換してくれたことが凄く嬉しく、また綾夏とって大きな進歩と言えた。



初めてのランチから1ヶ月後。


他愛のない会話のやりとりから始まり、少しずつお互いを知る作業から始めていった。北埜のことをひとつひとつ知っていく毎に綾夏は小さな喜びを感じた。



綾夏と同じく北埜もうさぎのランちゃんが好きで、ハンカチを拾った時に思わず話しかけてしまったこと、


ドライブが好きなこと、


動物が好きだけど、忙しいし転勤が多くて買えないこと…。



LINE上の会話だけにとどまらず、綾夏のお弁当がない時には人知れずに会い、ランチにも行った。これまでに3度だ。



そして今日は休日。北埜から映画に誘われたのだった。


「約束の30分前…お手洗い行ってこよう」


母に悟られぬよう、駅まではいつものコートとジーパン、冬物の運動靴という出で立ちで家を出てきた。


駅の個室で濃茶のワンピースに黒タイツ、茶のローヒールブーツに履き替えた。


個室を出て鏡の前に立つ。いつもは母に禁止されているかわいらしいシャンパンピンクのルージュとチークを塗り、髪に櫛を通した。


鏡に映る今の綾夏は母に虐げられている弱い女ではなく、恋に目覚め大人の階段を登り始めた少女の顔をしていた。


(これから好きな男の人に会いにいくんだ…)


個室から出てジーパンなどを入れたトートバッグを駅のロッカーに押し込め、待ち合わせ場所である佑々木市のマスコットキャラクターの石像の横に立った。


3分待たずしてシルバーのプリウスアルファが停まる。



「おまたせしてすいません」



「そんな、私も今きたところなんで」



「あ、どうぞ乗ってください」



「お邪魔します」




駅から車で約10分、映画館が入っている市内で1番大きなショッピングモールに着いた。


立体駐車場内に車を停め、綾夏が車から降りる。すると、



「はぐれちゃういけないから手、繋ぎませんか?」



北埜が手を差し出した。



「は、はい…」



人生で初めて触れる男性の手…それは大きく、そして温かく綾夏の手を包み込んだ。


北埜に導かれるがまま綾夏はついていった。行き先は映画館なのだがなぜだろうか、彼といるだけで満ち足りた気持ちになっていた。


約2時間15分の映画を観終えた2人は、ショッピングセンター内のカフェでお茶にすることにした。



「道下さんは何にします?」



「私は…北埜さんと同じものにします。あと、お代はーー」



「気にしなくていいですよ」



「でも、チケット代払ってもらっちゃったし、ここは」



「いいの。僕に払わせてください。それに、何を飲むかは道下さんの自由です。お好きなのどうぞ」



北埜は店員から受け取ったメニューを綾夏に渡す。



「そんな…」



「コーヒーより、甘い方が好きなんじゃないですか?」



「え?!なぜそんなこと…!」



綾夏は図星すぎて顔が真っ赤だ。



「2度目のランチの時、僕に合わせてコーヒーにしましたよね?あの時妙にペースが遅い気がして、3度目は僕わざとココアにしたんです。ココアの時はペースが違うし、何より美味しそうに飲んでいて苦手なのかなって」



北埜は言い終えるとクスッと笑った。



「嘘は苦手ですか?」



「…敗北です。私すごくコーヒー苦手で…。銀行マン流石ですね」



「ただの職業病ですよ。さあ、お好きなの選んでください」



「…ココアのホイップ多めにします。お子さまみたいですよね。まだ大人になりきれてないのかなぁ。恥ずかしいな…」



「僕は無理に早く大人になろうとしなくていいと思いますよ。道下さんだったらもっとわがまま言ってくれてもいいぐらい」



「…え?」



優しく微笑むと北埜はすぐに注文しに行ってしまった。綾夏は空いている席を見つけ場所取りする。


2人でみた映画はラブロマンスだった。運命的に出会った2人の男女が恋におち、苦労の末に結ばれるというもの。


恋愛関連のものは全て禁止されていた綾夏にとってはこれが人生で初のラブロマンスもので、なんだか少しくすぐったい気分だった。今でも思い出すと恥ずかしくなる。



「席とってくださったんですね、ありがとうございます。はい、ご希望通りホイップ多めで頼んでおきました」


「ありがとうございます」



ココアが入ったマグカップを両手に持つと、北埜の視線があることに気づいた。



「北埜さん…?」



「あ、いや…コップを両手に持つのが似合うなぁと思って」



「やだなぁ、子供だなぁって?」



「そう言う意味じゃないですよ。女の子らしくていいなぁって」



「“女の子らしい”…?」



「ええ。なんかこう…道下さんは大人の女性なんだけど、どこか幼いというか、少女っぽいなぁって思うんですよね…凄くいい意味で。神聖なって言葉が適切なのかな」



「…それは、私のことよく言い過ぎなんじゃ…」



「そんなことないですよ。美しいものは美しいって言うのと同じです」



「なんか恥ずかしい…さっき観た映画も…」



恥ずかしさで思わず綾夏は熱くなる頬を押さえる。



「なぜまた?」



「ラブロマンスものは初めてで…それに、男の人と一緒に観たから余計…」



落ち着きたい一心でココアを一口飲む。



これまで少女漫画も含め、恋愛ものは全て禁止されて育った綾夏は、キスや抱擁、ベットシーン…全て刺激が強かった。


いつか自分も…と思うと、もっと気恥ずかしい気分になる。だがーー。



「でも…もう大人なんだからちゃんと見ようって…思って観ました…」



「そっか…だからハンドバッグの持ち手をぎゅーって握りしめながら観てたのか」



映画を観ている最中、綾夏は恥ずかしさのあまりピンクのハンドバッグの持ち手を両手で力強く握っていた。



「ちょっと大人すぎましたかね、PG−12だけど」



「いえ、いいお勉強になりました…!」




「お勉強って…真面目さんなんですね、ほんと」



ははっと優しい笑顔で北埜は笑う。



「内容としてはどうでしょうかね?男の視点でしか見れないんで道下さんの視点からの感想が聞きたいな」



「内容、ですか?」



正直言って、今の質問は恋愛ものを一切禁止され、今現在男性とお付き合いがあることを親に隠している綾夏にとって大変酷なものだったが、北埜からの質問ならばと答える。



「私、まともに恋愛ってしたこともないし、聖書にも書いてないから想像でしかないんですけど、恋人同士の愛というのはきっと、肉体的にも精神的にもより深いところで結びついて互いに思いやることなんじゃないかなって。


映画の中でメアリーとジミーが離れ離れになってもずっとお互いを思いあっていてすごいなって…。私もあんな恋愛できたらなぁ、なんて思っちゃいましたけどね」


完全に未経験なことがバレバレな解答だと思いながら綾夏は素直に答えた。


そんな綾夏を真っ直ぐな眼で見つめる。



「憧れました?」



「ええ、比べるものがないせいかな…」



「比べるものがない、か…確かに、比べるものがないとあれがそのまま憧れの愛の形になりますね」



「北埜さんの中では少し違うんですか…?」



「はい。僕だったらジミー以上にメアリーを守りきろうとするかなって。ジミーは一旦メアリーと別れたけど、僕だったら別れずに追っ手からメアリーを守りながら一緒に逃げることを選択します」



「北埜さん、強いなぁ」



「…目を離した隙にとか、僕がいないところで大事な人の命が奪われることが一番嫌なんです。

あ、次にどこか行きたいところありますか?僕のわがままに付き合ってもらったんで」



「え…ああ、そうですねぇ…」



北埜の言葉に何か引っかかるものを感じながたが、綾夏はそのまま受け流すことにした。






ショッピングセンターから車で15分。綾夏がリクエストしたのは幼い頃父に連れて行ってもらった地上32階建ての展望台がある水族館だ。



「私、ここのあざらし館が好きなんです。」



幼い頃訪れた時より館内が小さく感じた。きっとそれは自分が成長したせいであろう。


なにも変わっていない懐かしさが綾夏に安心感を与えた。そのせいか、綾夏の方から進んで北埜の手に指を絡ませて案内していた。


まんまるとしたあざらしは円柱の水槽の中で優雅に尾ひれを動かし泳いでいる。そんな愛らしいあざらしを見つめている綾夏に北埜は話かける。



「かわいいですね、あざらし」



「ええ、ほんと。恐怖を感じないこの愛らしさ…」



「恐怖…」



「一番好きな動物はうさぎなんですが、あざらしはなんかこう…見てるだけで安心できる感じがして」



実の母とは違う円満そうな優しい顔…。綾夏は自然と安心できるものを求めているのかもしれない。



「“恐いもの”から逃げたいのかなぁ…」



水槽に触れ見つめる綾夏にあざらしもうるうるとした瞳で泳ぎながら応える。しかし、綾夏の表情はどこか不安げで、心配になった北埜は繋いでいる手を少し強く握る。


綾夏は不安げな表情のまま北埜を見上げた。



「大丈夫ですか…?」



その一言で綾夏の眼から涙が零れ落ち、ポロポロと止まらなくなった。理由は綾夏にもわからない。それを北埜が指で優しく拭ってくれる。



「展望台に行ってみませんか?ここじゃ話したいことも落ち着いて話せないし」



北埜が優しく導くと展望台専用エレベーターに乗って32階へと昇っていく。エレベーター内から景色から既に美しかった。



「すごい…高いですね」



美しい景色を眺めるうちに綾夏の涙が引いていった。



「少し元気出ました?」



「はい。ごめんなさい、急に泣いちゃって」



「内心びっくりしましたが大丈夫ですよ。誰だって何かに怯えて生きていたら突然泣き出してしまうことだってありますから」



「わかってくれますか…?」



「うん…僕にもそんな時期がありましたから」



ガラス窓越しに佑々木市を見下ろす2人は、手を繋ぎ、互いの肩が触れ合うほど密着していた。そのため当然顔も近いわけで。



「あ、いつの間に…」



「道下さん」



離れようとする綾夏の手を引き、北埜は綾夏の眼をまっすぐ見つめ、


「好きです」


と、告白した。



「…わ、私がってこと?」



「はい。道下さんが、好きなんですよ」



「え…本当に?」



「ええ。道下さんは?」



「す…す、好きです」



恥ずかしさとともに心臓の鼓動が高まり、全身が熱くなっていくのを感じる。顔は真っ赤だ。



「じゃあ、付き合ってくれます?」



「は…はい」



「目、瞑って?」



「え、え?…うん」




挿絵(By みてみん)

指示通りに目を瞑ると、北埜は綾夏の髪を手櫛で撫でるように後ろに掻き上げてやり、綾夏の柔らかな唇に口づけた。



「あ…ファーストキス…」



「俺でよかった?」



北埜はにっこり笑ってみせる。歯並びのいい健康的な歯が彼の真面目な性格を表しているような気がする。



「うん…てか、“俺”って」



これまで男性と付き合いがなかった綾夏は北埜の1人称の変化に戸惑いを見せた。



「仕事の関係とか、普段あまり付き合い長くない人には“僕”だけど、プライべートは“俺”だよ?びっくりしちゃったかな?」



「うん。でも、プライベートの関係になれたなら嬉しい」



「そう?」



北埜はふと時計を見た。綾夏には門限があるからだ。



「あ、綾夏そろそろここ出ないと門限が」



「あ、本当だ!急がないと」



時刻は15時50分。門限までに家に帰らなければ北埜とのことがバレて会えなくなってしまう可能性がある。



2人は急いで駐車場に向かい車に乗り込んだ。



「こんなにバタバタしちゃってごめんね」



「大丈夫だよ、綾夏とまた会いたいから努力しなきゃ。家の近くまで送っていくから案内してくれる?」



「そんな、佑々木市役所前駅まででいいのに。それに、駅のロッカーに荷物置いてきてて」



「荷物?買い物でもしたの?」



「お母さんにバレないように個室で着替えてきたの…」



下を向きしょんぼりする綾夏の姿を見、北埜は少し考える。展望台からここまできて16時、ここから駅までは行くと16時40分くらいのにはなるかもしれない。



「着替えたらギリギリ間に合うか間に合わないか…」



車のナビで渋滞している道路を回避できないか検索してみる。主要道路である佑々木街道を回避して、東西方向に位置する佑々木亀町方向からアクセスしない限り間に合わないと思われた。



「とりあえず、駅まで行って荷物取りに行こう」



「うん、ごめんね」



「いいよ、しょうがないでしょ?元気出して?」



そう言って綾夏の頭を撫でてやると車を発進させた。



「お家の最寄駅はどこなの?」



「佑々木東駅だよ?」



「隣に東郵便局あって、真向かいに大型スーパーとかあるんだっけ?」



「そうそう、よく知ってるね」



「ほんとはあそこらへんに住みたかったんだけど、青空駐車場があるマンションが空いてなくてさ」



「そうなんだ。車持ってると便利だけど大変そうだね」



「動いてる時は便利でいいけど、停まってるときは場所とる荷物でしかないから…保険代も結構かかるし。あれ?綾夏は免許とかは?」



「持ってないの。駅もお店も近いから必要性がなくて」



「お母さんが心配されたりするんじゃないの?箱入り娘みたいだし」



「そんな箱入りでもないよ」



「まぁ、俺が運転するからいいか」



「え?」



「どこでも連れて行ってあげるから綾夏は持たなくていいってこと」



桜並木の下を通る。もうすぐこの桜たちも咲き乱れそうだ。



「そうだ、雪国だとこの時期まださむそうだよね。お花見とかしたことは?」



「それがないんだよね。お向かいさんの大きな桜の木が私の部屋から見えるし」



「それだったら外から出なくてもいいね」



「あ、そういえば航路わたるってどこの出身なの?」



綾夏はなんとなく聞いてみた。航路は標準語で話しているが、イントネーションが以前から綾夏には気になっていた。



「俺は大阪の北のほう、兵庫寄りかな。標準語で話しても周りにはいつもバレてる」



「私もなんとなくそっちの方のイントネーションかなって思ってたよ」



「綾夏にもバレてたか。でも、生まれて喋り始めてから高校卒業まで大阪弁で話してたんだからなかなか取れないよな」



「私は好きだよ、その感じ。ずっと聞いてたい」



「そう?雪国の人からしたらきつくない?」



「ちょっときつい方がいい。スパイスっていのかな。こっちのゆっくりな感じは時々少し陰湿に聞こえて…。はっきり言ってくれた方がスッキリするのになぁ」



「それはその人の性格にもよるんじゃない?そこに関しては関西ははっきり言い過ぎとこもあるよ。なんかあった?」



「ううん、何にもないよ」



優しく笑って見せるが、頭の中には母の顔が浮かんでいた。それを綾夏は打ち消した。



全て暴力ではなく、冷静に言葉で気持ちを伝えて欲しい…という言葉が喉まで出掛かっていたが、航路には話さないことにした。





駅に着替えを取りに行き、家の近くまで送ってもらった。



「今日は楽しかったよ。ありがとう、航路」



「こちらこそ俺のわがままに付き合ってくれてありがとう」



門限まであと10分。着替えはできなかったが航路が頑張ってくれた分早めに家路につくことができた。



「このまま帰らずに航路と一緒にいたいんだけど…帰らなきゃ」



「そんなこと言ったら俺も帰したくない気持ちになっちゃうからダメだよ」



「そうだね」



「また連絡するね」



「うん」



手を振り航路が運転する車を見送ると、急いで帰宅した。


門限5分前。意を決して玄関のドアノブに手をかけた。


しかし、既に遅くーー。



「きゃああああああーー!!!」


佑々木東町に綾夏の叫び声がこだました。


































































































































今回は第1話より長くなってしまったのが反省です( ̄▽ ̄;)それでも最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。


恋愛はどれも実り始めが楽しい…。

そして、倦怠期を乗り越えて初めて人を愛せる気もします。


では第3話もよろしくお願いします(*´ω`*)

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