第三話:早朝の騒動
「動きにくいな……」
レオニダス魔法学院に通うに際して軍からあてがわれたアパートの一室を出ながら、ロイドは真新しい制服の感触に顔を顰めた。
白と青を基調としたブレザーに身を包み、ロイドが普段軍で羽織っている黒いローブとは真逆の真っ白いローブを左腕にかける。
おろしたてのせいもあってか軍服よりも幾分か動きにくい。
慣れるしかないな、と心の中でため息を吐きながら、ロイドは玄関の鍵を閉めた。
レオニダス魔法学院の敷地は三メートル程度の石壁で囲われ、その中に校舎や講堂などの施設が建てられている。
そしてそのレオニダス魔法学院を中心に、学院を囲うようにして発展した街がサラドだ。
ロイドの拠点はサラドにあるアパートの一室である。
細道を抜けて大通りに出る。
レオニダス魔法学院はサラドと比べて小高い場所にあり、離れた場所からもその中心にある時計塔を見ることができる。
ロイドはその時計塔に向かって足を踏み出した。
レオニダス魔法学院は年齢によって三年ごとに初等科、中等科、高等科の三つにわけられており、十六歳になったばかりのロイドは丁度高等科に入ることになる。
そして今日、高等科の入学式が執り行われる。
傾斜となっている大通りを歩きながら、ロイドは少し先にあるバス停を一瞥する。
朝早く出たというのに、バス停には既に人だかりができていた。
「まだ時間はあるし、歩いていくか。街並みを把握するという意味でも悪くない」
道路沿いの景色を見ながら、ロイドはゆっくりと歩く。
丁度商店街となっているこの辺りも、今日に限っては開店前の準備すらしていない。
バス停から離れれば離れるほどに人の雑踏が消え、静寂と涼しい風がロイドの耳を撫でる。
それを心地いいと感じ、今後もバスではなく徒歩で通学するのもいいかもしれないと密かに思った。
――と、そんなことを考えながら歩き続けるロイドの耳に、少女の悲鳴と少年の怒号が届いた。
何事かと声の聞こえた方を見ると、そこには細道があり、どう見ても裏路地に続いている。
ロイドはしばしその場で逡巡し、それから体の向きをその細道へと向けた。
「ん? これは……」
細道に向かう道すがら、地面に何かが落ちているのに気付き、ロイドは空いている右手でそれを拾う。
「学生証か。名前はフィリス、今日から高等科一年で……外部生か」
レオニダス魔法学院の学生証。黒髪黒目の少女の顔写真が添付されているそれに書いてあることに目を通しながら、ロイドは苛立ちを覚えた。
「さっき聞こえた悲鳴と怒号から察するに、胸糞悪いことが起きてるらしいな。こんな朝早くから人を不快にさせやがって」
学生証を上着の右ポケットにしまうと、怒気の籠った声で呟く。
そしてそのまま再び足を踏み出した。
「――ッ」
細道に辿り着くと同時に、ロイドは思わず目を見開いた。
大通りと比べて薄暗いそこに、一人の少女が静かに佇んでいたのだ。
小柄な彼女は、肩ほどまでの青色の髪を静かに揺らしながら、赤い瞳で路地裏の方を見つめている。
そこからは先程よりも鮮明に、男女の言い争う声が聞こえてくる。
ロイドはゆっくりと彼女に歩み寄ると、咎めるような口調で問うた。
「助けないのか?」
突然声をかけられたにも関わらず、少女は別段驚く素振りを見せることなく淡々と答える。
「……別に。弱いのが悪い」
「そうか」
彼女の冷酷な返答にロイドはそれ以上の言葉を失う。
と同時に、路地裏から助けを求める少女の声に意識が向かい、ロイドは青髪の少女を無視して奥へと向かった。
◆ ◆
「だから、離してください!」
「おいおい、折角同じ一年生なんだ。外部生のお前が孤立しないように仲よくしようって言ってあげてるだけだろう? なぁ?」
「違いねえなぁ」
黒髪の少女が嫌がる素振りを見せながら発した言葉に、彼女の腕を掴む少年がそう返す。
そんな彼の言葉に、少女を取り囲むようにして立つ他の二人も卑しく笑いながら、呷るように山道の声をあげた。
そんな三人の態度に、少女は睨みながら声をあげる。
「何が仲良く、ですか! こんなところに連れ込んで……人を呼びますよ!」
少女の立場からすれば当然の言葉に、しかし彼女を取り囲む少年たちは声をあげて笑い出した。
「外部生のお前は知らないだろうが、入学式が開かれる今日は道路の混雑を避けるために商店街の営業は禁止されているんだよ。よほどもの好きでない限り大抵の生徒はバスを使う。――何より、この辺りには人払いの結界を張ってるからな。……もう、わかるよな?」
「――っ」
少年の言葉に、悔しそうに口を噤む少女。
そんな彼女の態度を見て、ある種の支配感でも抱いたのだろうか。未だ少女の腕を掴む茶髪の少年は口角を上げた。
少年の言う通り、商店街は閉じられている。道草を食うことができないのにわざわざ坂道を歩いて登校するようなもの好きはそういないだろう。
そして先ほどから少年は人払いの為の魔法を展開している。
大通りを歩く者がいたとして、仮に少年たちの声が届いたとしても意識がこの路地裏に向くことはない。術者の周囲へ意識が向くことを阻害する、そういう魔法なのだ。
無論、それほどの魔法を行使できる魔導士は限られている。つまるところ、この茶髪の少年は相当な実力を持った魔導士ということになる。
少女はそこまで察して、諦めを抱くとともに目を瞑った。
「ようやく諦めたみたいだな。じゃ、遠慮なく」
醜悪な笑みを顔に刻みながら、少年は空いている左手を少女の豊満な乳房に延ばし、触れかけたその時――
「こんなところで何してるんだ」
「――ッ!」
突然介入してきた第三者の声に、少年は反射的に手を引っ込め、ロイドの方を驚愕に満ちた表情を浮かべながら向く。
「……んだ、見ない顔だな。人払いの結界は張ったはずだが、てめえ、どうやってここまで来やがった」
「人払いの結界? ああ、どうにも空気がおかしいと思ったらそんなものを張っていたのか。こんな些末事に随分と大層な魔法を使うもんだ。けど悪いな、生憎俺はそういうのは効かないんだよ」
空気を視るように、周囲に視線を移しながらロイドは事もなげにそう返す。
そんなロイドに、少年は薄気味の悪さを覚えごくりと唾を飲みこみ、不安を吹き飛ばすために笑いながら言葉を発した。
「はっ、見たところ同じ高等科の一年生みたいだな。仲良くしようぜ」
「断る。俺にはこんな朝から外で変態プレイをするような性癖はないからな」
「んだとっ!?」
見過ごすのなら、今から自分たちが少女にしようとしたことにロイドも加えてやる。
そんな意図を孕んだ少年の言葉をロイドは一蹴する。
彼の物言いに、少年たちは憤慨する。
「……おい、訂正するなら今のうちだぜ。尤も、今更謝ったところでただじゃおかねえがな」
「必要ない。訂正する道理がない。例え合意の下だったとしても、こんなところでやろうとするような輩と関わる気はない」
「ご、合意じゃないです!」
ロイドの言葉に、彼が現れてから黙っていた少女が反論の声をあげる。
それを聞いて、ロイドは少し考え込むような素振りを見せた。
その所作は少々わざとらしく、故に少年たちを苛立たせた。
「そうか、それは悪かった。それにしても、合意の下でないなら尚の事質が悪いな」
初めから彼女が合意していないことはわかっていた。
だが、ロイドは敢えて少年たちを挑発するように言葉を発していく。
「だったらなんだよ。この事を誰かに言うつもりか? あぁ?」
少年が睨みながらロイドに問う。
自然、周りの少年たちも少しずつロイドとの距離を詰めていく。
「勿論。合意の下なら当人たちの問題かもしれないが、違うのなら他者に通報すべきだろう」
「そーかよ。なら仕方がねえなぁ……」
ロイドの言葉に少年たちは嗜虐的な笑みを浮かべて更に詰め寄る。
少年たちはその間も少女に逃げ出す隙は与えない。
そして――
「……ッ」
不意に眉を寄せるロイド。
先ほどまで少女の腕を掴んでいた少年の全身が淡く光り始めた。
「君は、この学院内において魔法の使用が認められていないところでの無断使用には厳しい罰則が科せられるということは知っているか?」
「当然だ。何人通っていると思ってんだ。俺のことを知らない辺りてめえも外部生みたいだが、そんなお前に付け加えてやろう。バレなきゃ罰則も何もねえってことをよ」
「……なるほど、ここで俺とそこの彼女の口を封じれば、問題ないと?」
「理解が早くて助かるぜ。そう、その通りだ。……てめえもつくづく可哀想な奴だ。無駄な正義感に駆られずにこの女を見捨てておけば、入学式早々、痛い目を見ることがなかったものを」
「正義感?」
少年の物言いに、ロイドは眉を寄せる。
彼の言葉にどうしようもない違和感を覚えたのだ。
ロイドの視界には、そうして自分を見下しながら魔法を発動しようとする少年たちと、巻き込んでしまったことを申し訳なさそうにしながら、けれど助けてほしいと、微かな希望に縋ろうとする少女の姿が映っている。
それを見て、ロイドは少年たちには見えないように僅かに口角を上げた。
「何か勘違いしているようだな」
「勘違いだと?」
「ああ。俺としてはそこにいる彼女がどうなろうが知ったことではない。彼女が俺の知り合いならあるいは助けたのかもしれないが、赤の他人をわざわざ助けるほど俺はお人よしじゃあない」
ロイドの言葉は彼の行動と矛盾するものだ。
愕然とする少年たちと少女。
「じゃ、じゃあてめえは何のためにここに来たんだよ!」
「何のため? ……そうだな、理由はただ一つ。俺は理不尽が嫌いなんだよ。目の届くところで理不尽に晒されている人を見るとやるせなくなる。そしてそれ以上に、その理不尽を行っている奴を見ると、叩き潰したくなる。それが理由だ」
「――――」
雰囲気が豹変し、殺気のようなものを放つ。
憎しみに満ちた視線は少年たちを射抜く。
その視線に晒された少年たちは一瞬硬直し、すぐに枯れた笑いと共に言葉を紡ぐ。
「……さすがは外部生、礼儀がなってねえ。中等科最終試験序列十二位のグレスト様にそんな口が利けるとはな!」
「序列、十二位……」
グレストの言葉に、少女が驚愕の表情を浮かべながら絶望したように呟く。
中等科卒業の際に受ける試験の成績を表す序列。
その序列十二位というのは、つまりは昨年この広大な魔法学院の同学年で十二番目の成績を収めた者の証。同時に、彼の魔導士としての実力を表す。
「そうか、この学院も堕ちたものだな。それほど優秀な生徒がこのような愚考に及ぶとは。大方、自身の力に驕ったか。……その力を活かすべき場所があるというのに」
「驕ってなんかいねえ! 俺には力がある、それだけだ!」
「念のために忠告しておくが、この辺りでやめておいた方がいい。彼女に謝り、この場を去ると言うのなら今回の件は黙っておこう。まあ彼女がどうするかは知らんが。……だが、この先をするというのなら容赦はしない。どうする」
「! さっきから黙って聞いてれば舐めたことを言いやがって! 外部生如きが調子に乗ってんじゃねえぞ! 入学式に出られると思うな! ――《緋烈弾》!!」
「…………」
怒りに身を任せ、グレストは炎の玉をロイドに向けて放つ。
同時に発せられる少女の悲鳴。
避けるように叫ぶ少女の姿と、炎の玉の向こう側から嗜虐的な笑みを浮かべるグレスト。
それらを見ながら、――ロイドは目を瞑った。