番外『飲み会』―後編
料理も五品目……タンシチューが届いた頃――。
「美代子さぁーん! レッドアイくださぁーい!」
花音は六杯目の飲み物をオーダーした。
「花音は本当にビールが好きだなー」
幸太郎は感心しているのか呆れているのか、呟いた。
オーダーされた品を持って来た美代子は、エクステで増量された睫毛を伏せて笑っている。実年齢は明かされていないが――雅弥と同世代だという噂はある――化粧の賜物か、実際に肌が綺麗なのか、見た目は三十代前半に見える。
「美代子さんは恋バナ持ってないんですかー? 最近、どうなんですかぁ?」
スライスされたレモンの刺さったグラスを受け取りつつ、花音が美代子の顔を覗き込んだ。「ちょっと座っていってくださいよぉー」と、美代子を場に留める。
美代子は他の従業員に視線で許可を求めると、OKが出たらしく頷いた。
「じゃあ、潤君の隣にお邪魔しようかしら」
と、ソファーへ座る。それというのも、椅子は余っていないし、ソファーも藍の隣はスペースが狭いからだ。
潤はというと、ファーストオーダーで届いた烏龍ハイをまだ飲んでいる。
「アタシもねぇ~、ずっと憧れてた先輩が他界して、落ち込みまくってたトコなのよー。最近やっと吹っ切れたって感じなのよねぇー」
嘆息交じりに発せられた美代子の言葉に、潤は気まずそうに美代子を見やり、泰騎はシチューに沈んでいた、タンの塊を口へ放り込んだ。
「あぁ、杉山さんねぇー!? わたし、あんまり接点無いからお顔よく知らないんですけどぉー。カッコ良かったんですかぁ?」
「花音ちゃん、人は見た目じゃないのよ」
美代子は微笑み、うっとりと両手の指を絡ませた。胸元の開いたワンピースから見える谷間が、両腕に挟まれて更に強調された。
「研究熱心で、それに対してストイックで……人嫌いって噂されてたけど、実際には話すと楽しい方だったわ。五年前までは、彼の研究室が出していた研究データが、大きな利益になっていたのよ?」
「へぇー。すっごい方だったんですねぇ―」
花音は感心して見せる。だが、実際にはさして興味が無いのであろう事は、同期メンバーには感じ取れた。
「で、そのすっごい方が、ここのふたりの所為で死んじゃったんですねぇー。お気の毒ですぅ」
と、爆弾まで落としていく始末だ。
『ここのふたり』とは言わずもがな潤と泰騎の事なのだが、泰騎は直接関係していない。潤は無言で、残り少なくなっていた烏龍ハイを全て飲み下した。
美奈子は溜め息をひとつ漏らす。
「まぁ、泰騎君と潤君の所為だとは思ってないんだけど……けど、よね……。ごめんなさいね。建物内でしか仕事をしていない私たちは、同じ部署の人が亡くなるの、慣れてないから」
「それは慣れなくて良いと思いますよ」
とは、巴の言葉だ。
「慣れると、花音みたいになっちゃいますよ」
これは藍だ。
「藍ちゃん、ひっどーい!」
花音が真っ赤な頬を膨らませた。真っ赤なのは、元々乗っているチークに加えて、アルコールが原因なのだが。
「人の生き死になんて一々気にしてたら、ストレスでこっちが死んじゃうわよぅ」
「ほら、こうなっちゃいますよ」
「藍ちゃん、わたしのこの性格は、生まれつきなのよぉー」
あっはっは! と笑い飛ばされ、藍はやれやれと肩を竦めた。
「花音ちゃんのポジティブさを、私も見習わなきゃね」
美奈子は笑って伸びをした。
「さ、私はカウンター裏へ戻るわ。あ、そうだ。ラストオーダーまであと十五分だから、追加が有ったら聞くわよ」
と、オーダー票を構える。すると、花音が「パナシェ」、巴が「ピンク・レディ」、藍が「スティンガー」、幸太郎が「カミカゼ!」、泰騎が「バーボンサワー」と注文し、潤は「お冷ください」と告げた。それを書き留め、美奈子はカウンター裏へと帰って行った。
美代子の細い背中に手を振りながら、花音は手元に残っているレッドアイを飲み干した。
「それでぇー。さっきの続きなんだけどぉ」
一同が『どの話の続きなのか』と身構える。そんな事は花音の知った事ではないので、構わず言葉が続けられた。
「つまりぃ。わたしたちも結婚しちゃいましょ。って事を言いたかったのよぉ」
花音の突飛すぎる『つまり』に、巴の顔から湯気が出た。
「それはおめでとう。で、式はいつ挙げるんだ?」
と、藍は平然と受け入れている。そんな藍に、泰騎は半眼で、
「いや、アイアイ。巴はまだ『OK』って言うてないで」
と言葉を突っ込んだ。
「その巴だけど、ショートしてピクリとも動かねーぞ」
幸太郎の言う通り、巴は顔を真っ赤にしたまま固まっている。――と、巴の真っ赤な唇が動いた。
「い……」
『い』? と、他のメンバーが訊き返す。次いで放たれた言葉は、これだ。
「嫌だ!」
渾身の叫びだった。予想外の返答に、今度は花音が固まって、動かなくなってしまった。
「何でだよ。普段あんなイチャイチャしてんじゃん」
無神経に訊ねる幸太郎を咎める者も、居なかった。
巴は震える唇を僅かに開き、声を絞る。
「だって……そんな、酔った勢いで……言われたく、ない……」
元々大きくない声が、更に尻すぼみになっていく。巴の隣に座っている藍は、そんな巴の腰に抱きついた。
「巴は可愛いなぁ。私が男だったら娶っているぞ」
「藍ぃ……だって、あんな、軽く言われたくないぃ……」
巴は藍と熱い抱擁を交わしている。顔には出ていないが、巴は巴で相当酔っているらしい。花音の陰に隠れて目立たなかったが、なんだかんだでカクテルを五杯飲んでいるのだ。
「あーあ。泣かせた。花音もなぁ。酒の力に任せんと照れ臭いんは分かるけど、ちゃんと言うてやりぃよ。そうやって、ふざけて誤魔化すんはお前の悪いトコじゃで」
潤は既視感を抱きつつ、眼前で繰り広げられている、チープな恋愛ドラマを無言で眺めている。
花音は控えめに、泰騎を睨んだ。
「な、何よぅ。泰騎君には言われたくないわよ……」
「ワシはちゃんと、素面の時に言うたわ。それにお前、結婚するなら、一般社員の男連中食い荒らすのも止めんと駄目じゃで」
「えぇ~?」
「『えぇ?』じゃないわ。当たり前じゃろが。そこら辺の男捕まえて、寝るだけ寝て、あわよくば貢がせてポイ捨てするんは悪い癖じゃと思うわ」
「それって、癖っていうレベルなのか……?」
幸太郎は「改めて思うけど、めちゃくちゃ性質悪ぃ」と、口元を引き攣らせている。その横をすり抜けるように、美代子がオーダー品を持って来た。泰騎は軽く礼を述べ、各々の前に飲み物を配る。
「“性癖”って分類するなら、癖なんじゃないのか?」
巴の頭を撫でている藍は、冷静に意見を発した。その藍の――決してふくよかではない――胸に収まっていた巴が、涙ぐんだ顔を少しだけ上げて呟いた。
「それも、問題なんだ……」
巴は、花音を指差す。
「花音ときたら、金を持っていそうな男を見るとホイホイついていって……というか、捕食して……。泰騎と違って異性ばっかだけど……なんか、異性対象に安心するのも、それもおかしな話で……」
「結局のところ、最終的に自分の所へ帰ってくれば、それで良い」
美奈子が去ってからというもの、ひと言も口を利かなかった潤が急に喋ったので、一同の視線が潤へ集中した。
「え……俺、何かおかしい事を言ったか?」
届いた水の入ったグラスを傾けながら、潤が長い睫毛を上下させた。正面に座っている泰騎を見やると、両手で顔を覆って何やら震えている。
「い、生きてて良かった……もう、いつ死んでもええ……」
「え、何こいつ。気持ち悪ぃんだけど」
「感動してるんだから、そっとしておいてやれ」
幸太郎は先程から顔面を引き攣らせてばかりで。藍は未だ巴の頭に手をやって、微笑を浮かべている。花音は、両手を組んで肩を竦めて瞳を潤ませた。
「そ、そうよぅ……! わたし、巴以外はお遊びだもの! 生活に、ちょっとしたスパイスって必要じゃない? ピザにタバスコを掛けたり、スイカに塩を掛ける様なものなのよ! 安心してよぉ!」
「あたしを安心させたいなら、せめて無断外泊を止めてよ! ちょっとメールなり送れば良いだけじゃないか!」
「ごめんってばぁー。今度から気を付けるからぁー」
「その言葉、もう何回目だと思ってるんだ!」
などと、花音と巴は、安っぽい昼メロドラマばりの言い合いを繰り広げている。何だかんだで通常運行のふたりの様子に、その他四人は取り敢えず安堵の息を吐いた。
何やらかんやらと話している内に、時間は十時に迫っていた。ラストオーダーから更に三十分経っていた。会計を済ませ、エレベーターの前で、引き続きの雑談を交わし合っている。花音と巴も落ち着き、今では笑い合っていた。
「じゃあー、次の飲み会はわたしと巴の結婚祝いって事でぇー」
「自分で言うなよ。まぁ、巴のOKが出たら連絡くれ」
幸太郎が大きな犬歯を見せて笑う。
「巴も、嫌になったらいつでも私の所へ来るんだぞ」
「そうならないように、花音に頑張って貰うとするよ」
黒髪女子コンビは今日何度目かのハグをしている。
「潤も、泰騎が浮気したら私の所へ来れば良いからな」
「え……っと……」
藍の言葉に対し、潤は返答に困って閉口したのだが、幸太郎と泰騎は息を飲み込んだ。
「ちょっ! 巴は女だから許すけど、潤は駄目だぞ! あいつ、顔面女だけど身体はガッツリ男だからな! 蛇だし! 何か、蛇って色々凄そうだし!」
幸太郎が叫ぶが、声がひっくり返っている。
「いやぁー、調教のやり甲斐がありそうだと思ったんだけど。幸太郎に反対されたら仕方がない。残念だな」
「調きょ…………」
泰騎がそっと、潤を藍から遠退けた。
「っていうか、薄々そうだろうとは思ってたけど……幸太郎は調教済みって事か……」
巴が半眼で幸太郎を見ると、幸太郎は「そんな目で見るな! 何か、すっげぇ恥ずいだろうが!」と声を荒らげた。
「吸血鬼の眷属に犬は付き物だからな。幸太郎は立派な忠犬だよ。な?」
「うん……いや、犬じゃねぇけどさ……」
藍に褒められてまんざらでもなさそうなので、これは相当躾けられているらしい。潤はこれに対しても既視感を抱いたのだが――自分が知っているのは“躾けられたい紫の犬”だという事を思い出した。
「倖魅は、ああいうのが良いのか……」
幸太郎と藍を眺めながらポツリと呟いた言葉に、泰騎が首を傾げた。
「え? 倖ちゃんがどうかしたん?」
「いや、この前恵未に『犬にしてくれ』って頼んでたなと……」
「あー。倖ちゃん、ドMじゃから」
「どえむ……」
「あ、接頭語の“ど”が付くほどマゾヒストっつー事な。因みに、藍はSで幸太郎はドМ。花音がドSで巴は微Mじゃな」
と、泰騎が自分なりの分析を潤に話していると、周りからは「あぁ。大体合ってる」やら「ドMって何だよ! オレぁ普通だよ!」やら「うふふ。泰騎君には言われたくなぁーい」やら「微Mくらいなら、まぁ……」などと言う声が飛んできた。
花音は人差し指で泰騎を突きながらほくそ笑む。
「それを言うならぁー。泰騎君は超ド級のサディストじゃなぁーい。潤君カワイソー」
「そう言うけど、ワシ、仕事中以外は結構普通じゃと思うで」
「いやいや。痕跡からさえも滲み出るあのエグさは、日常生活で隠しきれる筈がねぇよ」
ドSとドMに言い挟まれ、泰騎は嘆息した。
「お花もお犬も、ワシの芸術作品見るの好きじゃろー?」
「確かにねぇ。皮膚を抉ってダリアを掘ってた時には感動したけどぉー」
「花系は、確かに見た目は綺麗だけど……いかんせん、おっさんの顔面がくっついてるからな……。オレ的には、細切れの肉が飛び散ってるのは勘弁してほしいもんだ。いつだったか、指を全部切り落として東京タワー作ってただろ」
「……すまない。止めろと言っても聞かなくて……」
バツが悪そうに視線を逸らす潤の肩に、巴が手を置いた。
「潤が謝る事じゃないだろ」
「潤も苦労しているんだな。よし。私が慰めてやろう」
「藍ぃぃ~。勘弁してくれって!」
藍に縋りついている幸太郎を横目で見ながら、泰騎が「アイアイも結構酔っとるよなぁ」と呟いた。
そうこうしていると、店から他の社員――客が数人出てきた。一基しかないエレベーターの入り口を塞ぐという迷惑行為を行っているので、三組はその場で解散した。
「泰騎。俺は少し、怒ってる」
自室のある上階へ向かうエレベーターの中で、潤はぶっきらぼうにそう言った。潤が怒る事など、そう滅多にない。だが泰騎はその原因に皆目検討がつかず、小首を傾げた。疑問符が、泰騎の頭上を舞った。
潤は、奥の壁に設置されている鏡の隅に視線を落としている。
「『いつ死んでもいい』っていうのは、俺は嬉しくない」
泰騎はぽかんと口を開けて、瞬きすらも忘れているようだ。そんな泰騎の様子に潤は、ちゃんと聞いているのか、理解しているのかと、くさくさした。そんな潤の内心など露程も知り得ない泰騎は、声を出して笑い出した。
潤は何も面白くない。
「ごめん。面白いわけじゃのうてな。はぁ。いやぁ……まさかこんなに早う、ワシの勝ちが決まるとはなぁ」
泰騎が感慨深げに頷いていると、エレベーターが止まった。自室のある階だ。
潤は何の事だと訝しんだが、泰騎は意地の悪い笑顔を貼り付け、潤の手を引いてエレベーターから降りた。
「自覚がないんも、別にええよ。あー、楽し。ほんま、潤が天然で良かったわぁ」
褒められているとは思い難く、潤の中では僅かばかり慙愧の念が生まれたのだが――嗤うというよりは喜んでいるらしい泰騎の様子を見ていると、そんな思いも失せてしまった。
廊下を数歩行けば自室だ。が、エレベーター付近にある階段から女性の甲高い嬌声が聞こえ、ふたりは顔を見合わせた。同時に嘆息する。潤は部屋へ向かい、泰騎は階段を覗き込むと、下へ向かって声を張った。
「おーい、そこの痴女! 公然わいせつは近所迷惑じゃから止めろや!」
「何よぅ! 盗み聞きだなんて、泰騎君の変態!」
下から、馴染み深い声が罵ってきた。
「監視カメラの映像抜かれて、ネットに垂れ流されてもワシは知らんでー! んじゃ、お休みー!」
忠告だけして、泰騎は潤の消えた自室へ戻った。
「ったく、あれだけでかい声出しとったら地下でも聞こえるで。なぁ? 潤」
「俺に振るな」
「個人的に気になるんは、幸太郎と藍の夫婦生活じゃけどな」
「調教に興味あるのか? 俺は興味ないぞ」
「潤って、面白い事言うよなぁ。残念じゃけど、潤って元々YESマンじゃからな」
調教前から調教済みみたいなもんじゃで。と、泰騎は欠伸混じりに言うと、コップに水を汲んで飲んだ。
「興味ないって言ってるだろ。それより泰騎、録画番組観ないとHDDの容量無くなるぞ」
「ほんまに? 何から観ようかな。先週の金曜映画ショーって何じゃった?」
潤が録画番組の一覧を確認して、「『ジュラシック・ランド』」と答えると、泰騎は「んじゃ恐竜観よっか」と、ソファーへ腰を下ろした。ソファーを叩いて催促されたので、潤も隣へ座る。
テレビ画面には、闇を背負った肉食恐竜がドアップで映し出されていた。
「ああいうのが、『調教のし甲斐がある』って言うんよ」
泰騎はそう言って、テーブルの上に置いてある蜜柑に手を伸ばした。
本編で泰騎があんなだった上に、こんな話を書いたので誤解されそうですが……泰騎と潤の夜の夫婦生活は、大抵がテレビに向かって二人でまったり過ごす感じです。
毎日ズッコンバッコンと、18歳未満は見ちゃ駄目よエロ同人的な事は致しておりません。
ベッドではふたり仲良く、並んで寝ています。
何故なら潤は、食欲も性欲も人並み以下なのに睡眠欲だけ振りきれているからです。
更に、基本的に泰騎は潤の嫌がる事はしないので、気付いたら朝。という状態になります。
いつか泰騎の性欲が爆発するのではないかと、心配です。
そんな彼等の夜事情でした。