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番外『その後の一日』―後編




 で、近所の銭湯へ行って、髪の洗いやすさに感動して帰ってきたわけだが――。


「……何で、俺の寝室がほぼベッドに占拠されているんだ?」


 部屋に帰ってきた俺を待っていたのは、さっきまであったベッドの倍の大きさの、クイーンサイズのベッドだった。

 ちょっと、ちょっと待ってくれ。おかしいだろ。何でベッドがでかくなってるんだ? 浴槽がでかくなるのは聞いていたが、ベッドの事は聞いてないぞ。


「バスタブのついでに、謙冴さんに持って来て(もろ)うたー。しっかし、この短時間によう組み立てれたな。流石、謙冴さんじゃで」

「いや、聞いてない。俺は、聞いてないぞ」

「だって、言うとらんもん。よっしゃ。んじゃワシは自分の歯ブラシとか持って来よー」

「ちょっ」

 自室へ向かおうと踵を返した泰騎の手首を掴んで、引き留める。

 待ってくれ。つまり、泰騎は――

「ここに、住む気か……?」

「うん」

 実にあっけらかんと、即答された。


「嫌なん?」

 嫌、というか……そういう問題じゃなくて……。

「急すぎるし、お前の部屋はどうするんだ」

 泰騎は「うぅん」と唸って、考える素振りを見せた。答えなんて、とっくに出ているんだろうに。


「ほんまは、壁ぶち抜いてもええかと思ったんじゃけど。もし、勤務地を移るんなら居住地も変わるかもしれんからな。物置にでもするわ」

 それでいいのか。まぁ、泰騎がいいなら……良いか。

 泰騎はそのまま、俺の部屋から出て行った。


 目の前に鎮座している、アイアンフレームのベッドを眺める。成る程。引っ越す時にも解体と組み立てがしやすい作りになっている。それにしても、さっき電話をして今届いたという事は、事前に用意していたんだろうか。泰騎の事だから、謙冴さんの倉庫を借りていたんだろうが……。一体、いつから準備をしていたんだろう……。


 俺は他人事のように、無駄にならずに済んで良かったものだな。と思った。


 そうこう考えていると、再び玄関の扉が開いた。

 早いな。まだほんの五分程度――

「って、荷物多すぎないか?」


 玄関から泰騎と共に入ってきたのは、二週間分の荷物が入る大きさのスーツケースと、登山用リュックだった。泰騎は「そうかなぁ?」と首を傾げ、ベッドの所為で面積の狭くなってしまった床へリュックを置いた。中から出てきたのは――

「じゃーん! 等身大ピスミぬいぐるみ!」

 等身大がこの大きさだという事を、今初めて知ったのだが……。一二〇センチ程の大きさをしたピンクのウサギが、ズルリと出てきた。


 ……これは……リュックに入れずに持って来れば良かったんじゃないか?

「いっつも、コレ抱いて寝とるんよー」

 それも初耳だ。

「じゃから、潤がおらん時に抱く用に、このピスミを置いときたいんじゃけど」

 子どもか。……と言っても、こんなにでかいぬいぐるみを置くスペースなんて、ここにはない。見回してみても……あ。

「壁なら良いぞ」

「…………え……え? 壁? 吊るすん? 首吊りするん? まさか、(はりつけ)……」

 どうやら泰騎の脳内ではピスミが可哀想な姿になっているらしい。


「壁に板でも打ち付けて、そこに座らせたらどうだ?」

 重心の関係で、きちんと座れるのかは分からないが。

「そもそも俺が泰騎以外と外泊する事なんて、年に五回もないだろ。泰騎の部屋に置いておいた方がいいと思うけどな」

「それはピスミが可哀想じゃろ」

 ……そういうものなのか。


 とぼけた顔をしたピンクのウサギは、笑っているのか悲しんでいるのか怒っているのか、よく分からない表情で泰騎に抱かれている。


「じゃあ、寝室じゃなくてリビングに連れて行ってくれ。何なら、ベッドでピスミを挟んで川の字で寝ても良いぞ」

 正直、俺はぬいぐるみと寝た事がないから落ち着かないと思うけど。

 すると泰騎は、無言でピスミを連れてリビングへ消えた。


 俺、何か気に障る事を言ったか?


 数十秒経って、泰騎は寝室へ帰ってきた。駆けて。

「潤! もう八時じゃ! 飯! 飯食おう! っつか、何食いたい!?」


 あれ……落ち込んでない。俺の気の所為か。それより、飯か……今から出掛けるって事か? それとも、作るのか?

「何でも言うてー。作るけん」

 あ、作るのか。


「『何でも』って、材料が無いだろ」

「大丈夫じゃで。ワシの部屋から持って来た!」

 泰騎は言いながら、スーツケースを開いた。それと同時に、微かに冷気が漂ってきた。保冷剤が入っているのか。中からは、鶏肉と、豚肉と、牛肉と、合挽き肉と、玉ねぎ、人参、じゃがいも……牛乳や赤ワインも出てきた。まだ中に色々入っていそうだが……。このラインナップだと、カレーかシチューか――どちらにせよ、ルウが無い。


「調味料はここに置いてあるけんな。で、何食いたい?」

「うーん……ビーフシチュー……、とか……」

「うん。分かった。ローリエあったかなぁー。あ、米とパンどっちにする?」

「米」

 社長から貰った米が沢山あるからな。


 泰騎は「んじゃ、出来たら呼ぶから」と言い残して、台所へ向かった。


 作って貰えるのは有り難いが、ただ待つだけというのもな……。かといって、邪魔をしても悪いか。料理も泰騎の方が上手いし。手際も良いし。……じゃあ、俺は何をしようか……。

「寝とけばええでー」

 台所から、包丁で根菜を切る音と共に、そんな声が聞こえた。

 寝ておけばいいのか。って、それはそれで、役立たずだと言われている様で……少し癪に障るというか……。そうだ。風呂場の確認をして来よう。そうしよう。

 そう思い立って、風呂場へ向かったんだが――。


 成る程。浴槽が大きくなっている。十センチ程だが、横幅が広くなっている。ただ、当然だが、その分洗い場が狭くなっている。というか、浴槽が物々しい。ジャグジーとか必要ないだろう。何なんだこのボタンの数は。何で浴槽にLEDライトが埋め込まれているんだ。


 まぁ、謙冴さんの見立てならいいか。

 そう自分に聞かせると、俺はリビングへ向かった。


 当然、この数分間にビーフシチューが出来ている筈もなく。――いや、ほぼ出来ている。

「あともうちょい火を通して、味を馴染ませたら出来るけんな」

 深底フライパンの中を覗いていると、使い終わった道具を洗っている泰騎に、そう言われた。


 炊飯器からも、水と米の踊る音が聞こえる。という事は、俺のやる事は何もなさそうだ。事務所の仕事もこれぐらい手際よくやってくれたら良いのに。泰騎、主夫の方が向いてるんじゃないか?

「あ、潤、今ワシの事『主夫すればええ』みたいに思ったじゃろ」


 何で分かったんだ。


 泰騎はフライパンの中をゆっくりかき混ぜながら、肩を揺らして笑った。

「図星かぁー。まぁ、料理は好きじゃけどな。ワシ的には、曜日で料理担当を決めるってのが理想かなぁ。勿論、仕事の予定とかで臨機応変にーって感じで」

 と言いながら、泰騎はA4サイズのホワイトボードを見せてきた。一週間分の曜日が書かれていて、曜日の横は空欄になっている。つまり、この空欄に料理担当者の名前を書くって事か。


「で、潤は何曜日がええ?」

 先に俺に訊くのか。

「質問で返すけど、泰騎は休日と出勤日、どっちが良いんだ?」

 と訊いてみれば、泰騎はきょとんと目を丸くした。まるで、俺からこう訊き返される事が不思議で仕方がないみたいに。


「そんなに驚かなくてもいいだろ……。一緒に住むなら、家事の分担くらいする」

 俺も、食事は毎食摂らなくても良いっていうだけで、毎食食べたらいけないっていうわけじゃないんだ。……泰騎はまだ呆けてるけど……。


 俺は溜め息を吐き出すと、フライパンを指差した。

 泰騎は慌てて、コポコポと音を立てているフライパンの中身を三回混ぜてから、火を止めた。それはもう高速で……瞬き程の速さだった。

 その様子がやけに滑稽に見えて、俺は思わず吹き出した。

「あ、っはっは! おま、そんっな、慌て……ははっ」

「ちょっとビックリしただけじゃがん! っていうか! 潤の笑いのツボが未だによう分からんのが悔しい! お前の笑いのツボってどこじゃい!」


 逃げ遅れたと頭で思うより先に、泰騎の両手が服の中へ入ってきた。それはもう高速で……瞬きが出来ないくらい、脇腹をくすぐられた。

「ちょっ! やめ! ひっ、ははははははっ」

 ほんと、腹、痛い。腹の傷が開いたらどうするんだ。


 炊飯器が米の炊き上がりを知らせた気もするが、正直、今はろくに音が聞こえない。


「普段インナーマッスルを使って笑う事がねぇ潤を、鍛えてやっとるんじゃが。有り難く思って貰わんと」

 そんな事を言いながら、泰騎は俺の服の中から両手を抜いた。


 なかなか息が整わない俺を差し置き、泰騎は炊飯ジャーの中身をしゃもじで混ぜている。

「ほら。飯も炊けたし、そんな所で(うずくま)っとらんで、椅子に座り」

 誰の所為でこうなっていると思ってるんだ。はぁ。やっと息が整ってきた。笑って息切れを起こすなんて、それこそ何年振りか……。


「ほら! 冷凍のクリームコロッケあったから、乗っけてみた!」

 差し出された皿を見ると、白米の真ん中にコロッケがひとつ乗っていた。何かのオブジェみたいに。

 あぁ、ビーフシチューじゃなくてカレーをリクエストすれば良かった。うん。まぁ、ビーフシチューで米を要望した俺も俺か……。しかし、社長から貰った米が沢山あるんだから、食べないと。勿体ないだろう。


 そして、作って貰ったからには、こう言うしかない。

「有り難う」


 他にも色々と感想を言うべきなのだろうが、他に言葉が出てこない。

 だが泰騎は満足そうに笑って、皿をテーブルに置いた。椅子に座って、手を合わせる。

「いっただっきまーっす」

 言い終わると同時に泰騎はスプーンを手に取り、ビーフシチューを大きめの人参と共に、口へ放り込んだ。数秒咀嚼し、飲み込み、笑う。顔面が忙しい。

「いやぁー。我ながら美味いわぁ」

 まぁ、幸せそうだしいいか。

「ところで、潤は昼飯何食うたん?」

「何も」

「まぁた飯抜きか!」

 『また』って……まぁ、否定は出来ない。


「朝が遅かったから……」

「まぁ、ええけど。腹が減らんのに物食うのも、それはそれで苦しいんじゃろうし」

 そうなんだよ。便利な事に、食い溜め出来る身体だから、多少詰め込んでも平気なんだが。逆に、詰め込んだら本当に一週間は何も食べなくて良くなるから……それはそれで何だかな。

 俺は口の中にある牛肉の塊を飲み下した。

「相変わらず、泰騎の作る料理は美味いな」

「そりゃもう、麗ちゃんの殴る蹴るに耐えて、ここまでになったからな」

 そういえば、料理担当を決めるのも四人で暮らしていた頃以来だな。もう十年くらいになるのか。


「っちゅーわけで、明日の料理担当は潤な。いやぁー、潤の手料理とか何年振りじゃろうな」

「何でも良いなら、米に合うものを適当に」

「うん。作りやすいのでええで」

 とにかく米を消費しないと。肉じゃがとか、筑前煮とか……作りやすさだけで言うと、丼ものか。あと味噌汁かな。


「あ、んでな。土曜日は潤、景ちゃんトコで検査よなぁ? ワシ、ちょっと出掛けるけん」

「ん? あぁ」

 どこへ……っていうのは、訊いても良いものか否か。俺が少し考えていると、それを察したのか、泰騎が苦笑した。


「ごめん。ほら、ワシ、今付き合っとるのが……えぇっと、四人? おるんよ」

 あぁ。例の『二番目』ってやつか。何で疑問形なのかは追及しないでおこう。

「一番目と結婚したーって、報告してくるわ。夕飯も食うて帰るけど、十時には帰って来るけん」

「は?」

 報告? 血痕……じゃない、結婚を? 今付き合ってる相手に? それって普通なのか? いや、そもそも付き合っている相手が複数人居る時点で普通じゃないんだよな? っていうか、俺が一番? あ、そうか。そうなるのか。


「え。ワシ、何かおかしい事言うた?」

 おかしい事しか言っていない気がするぞ。何だか、何が正しいのかも分からなくなってきた。

「いや……えっと……いってらっしゃい……」

「んでな、皆に潤の写真見せて自慢し――」

「それは止めろ」


 泰騎の人脈を考えると、顔を出して街を歩けなくなる気がする。急に知らない人に話し掛けられる状況は、あまり嬉しくない。

 泰騎は「えー?」と不満そうだが、そこは引いて貰わないと。


「土曜日出掛ける事は分かった。俺も、検査がいつまで掛かるか分からないから、いつ帰ってこれるかは分からない。まぁ、十時までは掛からないだろうけど」

 景も忙しそうだし、時間はそんなに掛からない、とは思う。杉山さんには悪いが、検査日が憂鬱じゃないのは良いな。土曜日までには腕も指も腹も、治ってるだろうし。


「そういや潤、さっきから気になっとったんじゃけど、服が濡れとるで」

「?」

 指摘されて見下ろしてみると、確かに、腹部に染みが広がって――

「……血、だな」

「なんじゃ、血か……って、血!? 何で!?」

「どうりで痛いわけだ。お前がさっき笑わせるから、傷が開いた」

「えぇ!? あんなんで開くモンなん!?」

 腹筋にかなりの力が入ったからだろうけど。自分でも驚きだ。この血、洗って落ちるかな……。


 俺は服を(まく)って、傷口を確認した。服が広範囲に、しっとりと濡れてはいるが……傷自体は浅そうだ。


「安心しろ。内臓付近は塞がってるから。飯が食えたって事は、大丈夫って事だ。痛いけど」

「いや……、いやいや。痛いんじゃがん! 手当てしようや! 医務室……は、潤は行かんか。ガーゼと包帯ある? 無かったらタオルでもええわ。その服、洗ったるから脱いで置いといて。(もろ)うた、ええ洗剤があるけん」

 ……やっぱり、泰騎は主夫が向いていると思うな。それにしても、腹がぱっくり開いているのに気付かないとは……。筋肉痛のようなものだと思っていた。これは昨日の事で相当、痛覚が麻痺してしまっているようだ。

 泰騎に包帯を巻かれながら、そんな事を考えていた。泰騎は何かブツブツと文句を言っている。


 包帯を巻き終った泰騎が、俺の背中を軽く叩いた。

「お前はもっと、自分を労わるっつー事を覚えんと駄目じゃで」

「それに関しては、今後善処する方向で検討中だ」

「何を政治家みたいな事を言うとるんじゃ」

「大変遺憾だな」

「言いたいだけじゃろ」

「言いたいだけだな」

 頷くと、泰騎はうんざりと溜め息を吐いてから、「あぁ、はいはい」と両手を挙げた。


 俺の問題に関しては、本当に、前向きに考えるつもりではあるし。

「手始めに、お笑い番組でも観てみるか……」

 という俺の小さな呟きに、泰騎はまたしても首を傾げて眉根を寄せている。

 俺は、手当てに対する礼を軽く済ませてから、包帯を救急箱へ戻した。


「それより、早く食べないと冷めるぞ」


 もう寝るだけだからと寝衣に着替え直し、再びテーブルに着く。時計を見れば、もう九時半が来ようとしていた。

 泰騎は泰騎で、もう機嫌を直して笑っている。その様子を見てまた吹き出しそうになった。危ない。危ないけど――何だ。お笑い番組なんか見なくても、結構笑えるものなんだな。


「え、何? 何笑っとるん?」

「別に」

 短く返事をしてから、残りの食事に手を伸ばす。泰騎は不満そうな顔を向けてきたが、同時に玄関のチャイムが鳴った。数回。連打。こんな事をする人物はひとりしか居ない。


 ふたりで玄関へ急ぐと、ドアの向こうにもふたり。

「おっそぉーい! 最初のチャイムから一体何秒掛かってんのよ! ゼロコンマで来なさいよ!」

「すみません。麗さん、近所迷惑です」

 大音量で叫んでいる先生に向かって、一応注意をしてみた。まぁ、聞き入れられないんだろうけど。後ろで申し訳なさそうに立っている蓮さんを見る限り、既に注意を受けた上で、麗さんは叫んでいるらしい。

 そんな彼女に臆することなく、泰騎はいつものように前に出た。流石、直接の師弟だな。対応が違――

「麗ちゃん、うっさい。要件言うて(はよ)う帰って」

 ん? あれ? 凄く早口で素っ気無い。


 麗さんも目を見張っている。

「やだわ、泰騎。顔が笑ってないわよ」

「笑っとらんからなぁ」

 じっとりと、普段大きな眼を半分に細めて、泰騎は腕を組んだ。溜め息まで吐いている。

「全く。来るなら来るで『新婚さんいらっしゃぁーい!』とか言うて来てや」


 俺を含め、泰騎以外の動きが数秒止まった。その数秒を超えて口を開いたのは、麗さんだ。

「しんこん? お笑い芸人にそんな名前の人が居たわね」

「発音が違う。というか、確実に別物だと思うぞ」

 蓮さん、俺もそう思います。


 蓮さんは、あまりお目に掛かれない柔らかな笑みを、泰騎の方へ向けた。

「そうか。おめでとう。日本に居る間に聞けて良かった」

 と、言っている。相変わらず、状況把握が早い。という事は、蓮さんは泰騎の、俺に対する気持ちというか、想いというか、それを知ってたって事か……。

「泰騎がどういう行動に出るかっていうのは、雅弥とよく賭けてるからな。もうかれこれ十年になるか。因みに、俺は今年中に勝負がつく方に賭けていた。俺の勝ちだな」


 ……あまつ、賭けの対象にされていたなんて。でも、それであの笑顔か。納得。賭けの値段は聞かない方が良さそうだな。それでも嬉しそうなんだから、泰騎も泰騎で流石だと思う。そして、麗さんは「意味分かんないんだけど」と漏らしていた。そんな麗さんの持っている紙袋を、蓮さんが握ってこっちへ差し出してきた。


「結婚祝いはまた今度な。今日は福岡土産の通りもん。皆で食べてくれ」

「わぁーい! ありがとー! 月曜の朝礼で配るわー」

 嬉々として紙袋を受け取り、泰騎は紙袋の中を覗いている。そして、何か取り出した。


「でもコレは持って帰ってくれるかなぁ? 鼻くそかと思うたで」


 泰騎に摘ままれているのは、ホクロのような……。

「盗聴器……?」

「バレたか。面白いネタが掴めるかと思ったんだがな」

 いや、蓮さん。『バレたか』じゃないです。元生徒の私生活を盗聴なんてしないでください。

 麗さんは変わらず不機嫌で。

「ちょっと蓮。あたしにも分かるように説明しなさいよ」

「帰ったら話してやるから。早く帰らないと泰騎にもっと睨まれるぞ」

 蓮さんに(たしな)められて、不本意そうではあったけれど、麗さんは「じゃあね。おやすみ」と言い残して去って行った。本当に賑やかな人だと思う。あれでも本職が工作員で、専門が諜報なんだから人は見かけによらないものだ。と思う。


 ふたりが去った事を確認すると、泰騎は玄関に鍵を掛けて、こちらを振り向いた。

「はぁ。早う飯食って寝よ。流石にワシも今日は疲れた……」

 伸びをしつつ、泰騎は大口を開けて欠伸をしている。そのまま椅子に戻ると、スプーンを左手に取って食事を再開した。


 確かに。もし今日、泰騎が俺の代わりに……というのもおかしな話だが、自分の仕事を全て終わらせて退社したのだとしたら、ストレスの蓄積量はMAXなんだろうな。只でさえ、ストレスの許容量が少ないのに。泰騎はデスクワーク、嫌いだもんな。……だから、普段は俺が書類の処理を引き受けているんだが。それより、だ。疲れているなら疲れているで、食事の準備を俺に任せて、自分は休んでいれば良かったんじゃないのか? そういうところが、俺に対してお節介というか……俺を甘やかしているというか……。


「対等じゃない気がする……」


 ぽつりと呟いた不満は、泰騎には僅かも届かなかったが。まぁ、それも追々…………いや、仕事で甘やかされた記憶は無いな。じゃあ、対等なのか。何かがずれている気もするが。


「潤んー。早う飯食って歯ぁ磨いて寝ようで!」

 テーブルを叩いて催促されたので、席につく。何だかんだで遅くなってしまった夕食にスプーンを差し込んだ。

 取り敢えず、ひとつだけ言える事がある。泰騎と同じ布団で寝ると、冬も温かい。それだけは、確実に俺に得るものがある。


 俺は、随分と涼しくなった首元へ手をやりながら、そんな事を思った。

 



潤って、心の中ではよく喋るんだな。っていう。

本編より人間味ある彼がお届けできたと思い……ます!

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