エピローグ
泰騎と潤がめでたく――か、どうかは置いておいて――結婚してから、一年と四ヶ月が経過した。
三月に入ったが、まだまだ冬の空気だ。つい数日前には、雪も数センチ積もった。
ここは《P・Co》本社の地下にある研究室だ。以前、潤の担当検査医を兼ねていた、研究員の杉山が使用していた部屋。S室である。
今のこの部屋の主は、《P・Co》の社長である雅弥の秘書を行っている、謙冴の養子――空中景だ。
通常、研究室には数人がチームとして所属するのだが、景は今のところひとりで部屋を使用している。まだ学ぶべき事も多く、年齢も二十一歳と若い。現に、今も専門外の勉学で頭がいっぱいだったりする。因みに、専門は遺伝子工学だ。
陰で不平を訴える者は居るが、謙冴の息子に対して声を大にして文句を言える者は、社内にはそう居ない。
景は目の前にある、球体のアクリルケースを眺めていた。中には、液体が入っている。微かに緑っぽく濁っている、元は透明だった液体。
その中に、胎児が浮かんでいる。女の子だ。胎児というより“乳幼児”と言った方が正しいかもしれない。いつもはケース内にある、椅子のような板に寄り掛かっているのだが、時折、器用に宙返りをしている。短い銀髪が、液体の中で踊った。
へその緒は、アクリルケースに備わっている管に繋がっている。
(そろそろかな……)
景は、アクリルケースから伸びている複数のモニターを順に見回りながら、ノートに数値など、現状の記録を書いている。横目で保育器の動作を確認しつつ、白衣のポケットにあるスマートフォンを取り出した。
年度末に突入。ということで、泰騎はめまぐるしく動き回る人々を観察していた。《P×P》事務所の所長室の窓から。
現在、既にファッション部門からは撤退している。事業内容は大幅に変更するが、《Peace×Peace》という名前は継続して使用することになった。事務所も、新しいものが建つまでの間はここを使えるように手配した。
少し揉めはしたのだが――。
何だかんだで、社宅のマンションから徒歩零分の立地だ。他の部門が使用したがるのも道理だろう。
他の事務所員はというと、新しく起ち上げる“栽培部門”に向けて机に向かって勉強中だ。
植物の栽培をする部門――ということで、植物に詳しい泰騎の同期とその相方も事務所に加わる事となったのだが、それは取り敢えず置いておこう。
コートを着込んで歩く人々を眺めていた泰騎を、スマートフォンの着信音が呼んだ。
発信者を確認すると、泰騎は反射的に背筋を伸ばした。社長である雅弥に対しても、そんな対応はしないのに、だ。もし、誰かがこの様子を見ていたなら、声を上げて笑ったかもしれない。
通話アイコンをタップして、電話に出る。
「もしもし?」
『泰騎さん、こんにちは。今、お時間宜しいですか?』
丁寧に伺い立てしてきたのは、景だ。
泰騎は「うん。ええよ」と答え、そのまま目的も何もないのに室内を往来し始めた。
『明日の十三時に開こうと思うんです。開いてから二十四時間は保育器で様子を見るようになるんですが、来られますよね?』
「うん。行くよ。えっと、必要なもんとかあるかな?」
泰騎が質問をすると、電話口で笑う息遣いが感じられた。
『大丈夫ですよ。もう十分すぎるくらい、準備は整っていますから』
「あ、そっか……それもそうじゃな……。うん。えっと、明日の十三時な。分かった」
『お待ちしてます。あ、研究室はそんなに広くは無いので……そうですね、おふたりでお越し下さい。その後、二十四時間様子を見てから病院へ移しますので。もし泊まられるなら、その用意もして来て下さいね』
景の言葉に返事をすると、泰騎は通話を終了させ、その場に蹲った。
ドアを開けて部屋へ入ってきた潤は、目の前で縮こまっている夫――否、妻? 夫? 一応、話し合いで「相方呼びを継続する」という結論に至ったので、“相方”だ――を半眼で見詰めながら、ドアを閉めた。
「どうした?」
自分の進行方向に居るので、仕方なく泰騎の手前で立ち止まる。
泰騎はというと、スマートフォンを握りしめて顔を上げた。
「明日、十三時、景ちゃんトコ、行こ!」
片言で叫ぶと、勢いよく立ち上がった。
潤は泰騎の言っている事の意味が理解できたのだが、眼を逸らせて呟く。
「明日の昼は……新入社員の第三次試験監督で……」
「あぁもうお前は! そんなん、凌ちゃんに行かせればええから!」
同時刻、別室で社内規約を作成していた凌が、くしゃみをした。
ともあれ、潤は少し考えてから「まぁ……そうだな」と声を漏らし、入ってきたばかりの部屋から出て行った。
◇◆◇
昨日は寒かったというのに、今日はとても太陽の機嫌が良いらしい。程よい風が吹き、暖かな空気が舞っている。世間の主婦たちは、上機嫌で洗濯物を干している事だろう。
十二時五十八分。
本社の地下を歩きながら、泰騎は昨日から緩みっぱなしの口元を、やはり緩めて笑っていた。
「いやぁー。なんか、成長過程はずっと見てきたけど、ここまで長かったなぁ」
「俺は少し、嫌な予感がするんだが……」
潤は動いている自分の足元を見詰めながら、ぽつりと呟いた。
泰騎はそんな潤の背中を軽く叩くと、にんまり笑った。
「何言うとん。ワシがなーんにも嫌な感じしてねぇんじゃから、大丈夫じゃって!」
研究室が並ぶ廊下、その一番奥の突き当たりにある部屋。S室。
扉を開けると、白衣を着た眼鏡の好青年が笑顔を向けてきた。
「ようこそ。ここまでビックリするくらい順調で、僕も驚いているんですよ」
中へ通され、液体の入ったアクリルケースの前までやってきた。
景はアクリルケースに手を置くと、
「やすこ、今までよく頑張ってくれたね。有り難う」
と、微笑んだ。
『やすこ』とは、景が球体のアクリルケースに付けた名前だ。
やすこは特に返事もせず、ただただ正常に動いている。
そんなやすこに満足した景は、アクリルケースの脇に小さなベッドを移動させた。白くて大きなタオルが敷かれているその脇には、簡易的なクリップも置かれている。
「じゃあ、開きますね」
景の合図と共に、ケース内にあった液体はダクトに吸い込まれ、球体は真ん中から上部が外れ、中からは元気な女の子が鳴き声と共に――爆竹のような発破音と、火花が散った。
出てきたのは、赤ん坊だけではなく――
「……白……蛇……」
その場に居る大人三人が、呟いた。
先程までは見えなかったのだが、小さな――大きめのミミズサイズの――白蛇が、赤ん坊に寄り添っている。白蛇の背中には、米粒ほどの大きさの黒い両翼が見える。
新生児は少し泣き疲れたのか、静かになった。
だが、大人は静かにならなかった。
「聖獣って、子ども出来るん? すげーな、景ちゃん! 世紀の大発見じゃね?」
「僕も初めて見ましたけど……生まれるんですねぇ……」
冷静な大人ふたりの脇に、青ざめている大人がひとり。
「ちょ……っと、待て」
潤の嫌な予感は、的中した。
泰騎にとっては何の問題もない事だったので、彼の“嫌な予感センサー”には引っ掛からなかったらしいが。
「普通の赤ん坊を相手にするのも大変なのに、どうするんだ……」
「そんなん、普通に育てればええじゃろ」
「その“普通”が分からないから訊いてるんだ」
と、潤と泰騎が押し問答している傍らでは、景が黙々と赤ん坊のへその緒をクリップで留め、体を拭いて手早く身長と体重をはかっている。そして、タオルにぐるぐると包んでいた。どうやら、欧米式の産後処置のようだ。
「潤は“普通”を気にするけどな、ワシらは元々普通じゃねぇんじゃし。その他大勢、多数決の少数派は排除されるなんてのは、それこそおかしい話でな――」
などと、泰騎は潤に説教をしている。
白蛇――騰蛇の子どもは、いつの間にか消えていた。赤ん坊の体内へ入ったらしい。
景は構わず、笑い掛ける。
「はい、お父さん。三月三日十三時三分生まれ。身長五〇センチ、体重三〇三〇グラムの女の子ですよ。首が据わっていないので、手でしっかり支えてあげて下さいね」
顔だけがタオルから出た状態の赤子を、泰騎の前へ差し出してきた。
泰騎は慣れた手つきで子どもを受け取ると「ひゃぁー! やっばい! めっちゃ可愛い!」と、まだ目の開いていない赤ん坊の顔を覗き込んでいる。
潤は、新生児を躊躇なく抱き上げる事の出来る泰騎に対して、疑問の目を向けた。
「何でお前はそんなに慣れてるんだ……?」
「えー? 生まれたては流石に初めてじゃけど、新生児なら結構抱かせて貰うた事あるけんなぁ」
まだ肌がふやけて柔らかい赤子の頬を指の腹で突きながら、泰騎が笑った。
訝しんでいる潤に、泰騎がタオルに包まれた赤ん坊を向けた。日本人離れした銀髪が、キラキラと光っている。
「はい、お母ちゃん。抱いたげて。首の後ろに手を置いたってじゃなぁー……」
等と指示を受けながら抱いた赤ん坊は、小さくて柔らかくて――……体の周りに、線香花火のような火花を散らせていた。
「……泰騎、熱くなかったのか?」
少々焦げ付いているタオルを眺めながら、潤が問う。
「へへへー。ちょい火傷したぁー」
頬を突いた時に負ったらしい。点々と少し赤くなっている、手の甲の火傷を見せてきた。
潤は熱くないのだが、問題がある。
「景。この状態だと、普通の設備の病院じゃ火事になるかもしれな――」
赤ん坊がしゃっくりをしたと同時に、火の玉が飛んだ。そして、タオルが燃えた。
「あー、保育器、強耐熱性にしておいて良かったです」
景は呑気に笑っている。
「騰蛇の子どもは予想外でしたけど、きっとこうなるだろうなーとは思っていたので。あ、耐火抱っこ紐の準備などもしてありますから、安心して下さいね」
二十一歳の独身とは思えない落ち着きようだ。
銀髪の赤ん坊は、しゃっくりをする度に目を開いて、身体を痙攣させた。
「あっ、ちょ! 今、見た? 目ぇ赤かった! 白兎みたいじゃなぁ!」
泰騎は「可愛い」と言いたいのだろうが、潤は素直に褒め言葉とは受け止められなかった。
ふたつ目の嫌な予感が、的中したのだ。
「銀髪で赤眼だなんて……」
銀髪を確認した時点で、既に確定付いていた事だが――外を出歩く度に奇異の目に晒される事は明白だ。そして、潤自身、度々体験してきたわけだが……他者から受ける身の危険も高まる。
「ロシアのアルビノモデルさんみたいで、綺麗じゃないですか」
潤の心中を察した景が、取り敢えずのフォローを入れる。当然だが、潤にとってはフォローにはなっていない。
「ワシと潤の子どもじゃで? そりゃもう、百パーセント美人になるで!」
自信満々でドヤ顔を晒している泰騎に、潤が嘆息した。
「お前は本当に、呑気なもんだな」
言いながら、焦げたタオルが僅かに引っ掛かっている赤ん坊を景へ渡す。
景は保育器へ赤ん坊を入れると、動作確認を済ませ、ノートに数値を書き記した。
「じゃあ、三時間おきにミルクと……オムツは燃えるかもしれませんが、一応穿かせておきますね」
新生児用のオムツを穿かせると、景は保育器の蓋を閉めた。
「で、ミルクを飲ませたらその都度体重を量って……」
景が、これからするべき事の説明を始める。
それは彼がこの一年と数ヶ月で、様々な病院を歩いて学んだ事だ。
諸々の説明を終えると、景はデスクの上に並べられているポケットファイルから一枚の紙を取り出した。そして、卓上に広げてあった小さな手帳も持ち上げる。
「これが、母子手帳です。やすこの中に居た時の記録もここにしてますから、また見てください。で、出生届も貰ってきてます。名前、決まってますよね?」
何から何まで、気の利く青年だ。
泰騎は出生届を受け取りながら、「そりゃ勿論」と笑った。
「潤が、『社長の名前をひと文字使いたい』っつーから、すっげぇ沢山、名前を書き上げたんよ。昨日も夜中まで夫婦会議してなぁ……。結局、『三月生まれだから“弥生”にしよう』ってなったんよ」
景は「昨日まで決まってなかったんだ……」と思ったのだが、それは飲み込み、別の言葉を発した。
「弥生ちゃん、可愛いお名前ですね」
そう言って、眼鏡の奥で微笑む。次に景は、一泊するにあたって居住空間の説明を始めた。
ひと通り説明を終えると、
「僕は奥の部屋で他の作業をしますね。何かあったら呼んでください」
と言い残し、研究室と実験室の更に奥にある部屋へ消えた。
残された男ふたりは、保育器の中で穏やかに眠っている我が子を見やった。
「動くわけでもねぇのに、いくらでも見れるなぁ。あぁーもう、かわいすぎる」
「そうだな。と、見ていたいところだが……」
潤は、景が置いていった育児日記を手に取った。オレンジ色の表紙には、テディベアの絵が印刷されている。その表紙を捲り、母子手帳を見ながら、弥生の生年月日や身長体重などを書き写した。
「出生時の写真を貼る欄があるぞ」
「マジで? って、あぁーっ、どうしよ! 保育器に映り込みがあって撮れん!」
泰騎は娘を撮影しようと、スマートフォンのカメラレンズを向けて様々な位置に移動している。
潤はそんな“旦那”――と言うのにも、大分抵抗がなくなってきた――の姿を見て、笑った。
「そんなに急がなくても、次にミルクをやるタイミングでいいだろ」
「潤! 顔、そのまま! 超可愛い!」
「泰騎は俺が笑う度にカメラを向けるのを、そろそろ止めるべきだと思うな……」
潤は呆れ顔で嘆息した。
泰騎は「あぁー、また撮り損ねた。今日まだ五枚じゃわ……」と落胆している。
弥生は小さなくしゃみをして、火花を散らせた。
これから、父親ふたりと娘ひとりの――少し特殊な家族の生活が始まる。
これにて~13日の金曜日~完結となります。
ここまでご高覧頂き、感謝しかありません。
本当にありがとうございます!
このお話は、エピローグまで読んでから読み返すと、「こんな所にネタバレが!」と思っていただけるように書いております。
察しの良い方はお気付きでしょうが……。
第一話の、結構最初の方に出てくるアレです。花言葉は『結婚』『誠実』『死んでも離れない』。
途中にあと一種類出てきますが、それは植物としてではなく、生き物として出してます。花言葉は『初恋』。
最後「BLオチかよ!」と思われた方もいらっしゃるでしょうが……今回はBLでもGLでもなく、LGBTが大元のテーマです。
私自身、今は出産を経たおかんをやっておりますが、女性とお付き合いをしていた時期もありました。
そんな経験や、自分の周りで起きている人的な事を詰め込んだ作品に仕上げたつもりです。
多腕の赤ちゃんも、本数こそ減らして(会話内で)登場させましたが、身近に居る存在です。
妊娠中の多量なアルコール摂取と喫煙は、本当に危険なんですよ……と。話がズレました。
背景にあるものは、取っ付き難くて暗いものが含まれるかもしれませんが、楽しんで頂けたなら幸いです。
あ、泰騎と潤の後日談を短編等で書く場合は、BLタグを付けます(笑)
それも、何かご要望がありましたらおっしゃって頂ければ……何かしらは書けます(笑)
『ウサギ印の暗殺屋』は、これからもどこからでも読める形式で短編や中編(もしくは長編)小説で、こそこそと書いていく気ではありますので、気が向きましたらまた覗いてやってくださいませ。
『ウサギ印の暗殺屋』も連載中です。
感想等頂けると、踊りだします。
私は「(キャラ名)が好きです」と一言あるだけで、満足できる人間ですので!
公開が恥ずかしかったら、SNSからのコンタクトも大歓迎しております。
※普段は仕事や子育てをしているので、「私の小説を読んでください」というご要望には、なかなかお応え出来ない状況です。ご了承ください。
将来的には、弥生(中三~高一あたり)主人公の小説も連載開始できたら……と思っております。
そちらも、機会がありましたら宜しくお願いいたします。
それと、「別に要らんよ」と言われそうですが、完結記念に描いた絵を置いていきますね。
挿し絵を楽しみにしていてくださった方(居るのか?)も、ありがとうございました!
自作発言、二次配布以外はご自由にどうぞ。
諸事情で長髪バージョンも描いたので、ついでにペタリ。
本作に出てきたキャラクターたちは、『世界の平和より自分の平和』にも登場します。もし、興味を持っていただけましたら、覗いてみてやってくださいませ。
【お知らせ】
LINEのピスミスタンプを作りました。
スタンプショップにて『ピスミ』と検索したら、クリエイターズページに表示されます。




