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第七話『31日の金曜日』―6




 雅弥の持ち掛けてきた本題は、潤の予想していたものとは違った。


 つい、一週間ほど前に聞いた内容が繰り返された。

「凌の事なんだけど、どうしたら養子に来てくれるかなぁ?」

 何故俺に訊くのか。潤はそう思いつつ、黙って雅弥の話に耳を向ける。

 事前に自身が用意していた湯呑みにある緑茶をひと口飲み下すと、雅弥は溜め息を漏らした。

「本気なんだよ? 僕の後任は、凌に――って。だから彼には、特別厳しい訓練スケジュールを組んだんだし。営業職に就かせたのも、人脈を広げる土台を作ってもらう為だし……」


 雅弥の年齢を考えると、引退にはまだ早い。(もっと)も、彼は『引退する』とはひと言も言ってはいない。社内で起き()るやっかみやら反発やらの事を考えると、養子縁組をするのなら、早いに越したことはない。そういう思惑で言っているのだろう。


「泰騎と潤を戸籍上の弟に迎えた時も、周りからは結構色々言われたんだよねぇー。まぁ、後悔は全くしてないんだけどさ」

 確かに、妬み(そね)みを受けた覚えは潤にもある。そんな事よりも、一部の社員から化け物扱いをされた方が、当時は精神的に辛かったのだが。一番風当たりが強くなったのは、泰騎が事務所を作ると言い出した時か――。


「泰騎が事務所を作るって言った時は大変だったよねぇー」

 考えていた事を見透かされたのかと、潤は返す言葉を出しそびれた。

 そんな潤に、雅弥が笑い掛ける。自分の膝の上で両肘を突き、手を組んで。

「潤は多分、気付いてないんだろうなぁ」


 ニヤニヤと笑っている雅弥に、潤の眉根が寄った。(いぶか)しげに疑問符を浮かべている潤に、雅弥がにやけた顔のまま、続ける。

「コレ、言っちゃっても良いのかなぁー」

 勿体ぶる雅弥の様子から、潤は嫌な予感しかしない。

「あはは。ごめん、ごめん。そんなに身構えないでよ」

 雅弥は湯呑みに手を伸ばし、緑茶を口内から喉奥へと招き入れる。テーブルを挟んで向かいに座っている潤に目を向けると、雅弥は嘆息した。


「《Peace×peace》っていう事務所はね、泰騎が潤の為に作った、要塞なんだよね」

「は?」

 間抜けな声を漏らした潤に、雅弥は頷いた。


「良い反応だねー。……うん。『潤の為に』っていうのは、ちょっと極端すぎたかな。あぁー、大元はそうなんだけどね。泰騎は、本社でも特に人権的に(さげす)まれてる――っていうか、本社の中で生活するには向かない子を集めたんだ。つまり《P×P》の事務所は、彼らを守る為の要塞、だね」


 泰騎が(かたく)なに本社からの人材増員を拒んでいた理由は、つまりそういう事だ。本社の特務員宛てに来る依頼の中でも、特に危険度の高い“殺人”に関するものの大半を請け負うという条件で、泰騎は事務所を作った。それは潤も知ってはいたが――

「ちょっと潤、顔が恐いよ」

 雅弥がそう言うのも無理は無い。潤はむすりと口を噤み、半眼で自分の目の前にある湯呑み付近を睨んでいた。


「泰騎ってば、昔から、潤の事になると鉄壁の防御壁を築くから……ね?」

「そういう……」

 やっとの事で言葉を口に出したが、潤は大きな溜め息と共に怒りも吐き出した。

 泰騎に対して怒るのは、お門違いというものだ。潤が怒りを抱いているのは、相変わらず自分自身に対してだった。


「流石、(やすらか)(ナイト)様だねぇ。あ、泰騎の名前にこの漢字を宛てたの僕なんだけど。名は体を表すっていうか、言い得て妙だよねぇ。って、自画自賛しちゃうよー」

 などという、雅弥の声は雅弥本人にしか届いていない。


(あぁ、本当に俺ときたら……)


 情けない。潤は溜め息を重ねた。泰騎と出会って今まで、自分が気付かない内に、一体何度守られてきたことか。


 そんな潤の胸中を察してか否か、雅弥は一層表情を明るくした。緑茶の湯呑みを潤へ差し出す。

「でね、事務所の部門変更に伴って、当分は忙しくなると思うんだけどさ。半年後には粗方(あらかた)、基礎の準備が調う手筈だから、スケジュールを合わせて一週間くらい新婚旅行にでも行ってきなよ」

 湯呑みに口を付けていた潤は、僅かに喉を通った緑茶に()せ返った。

 ゴホゴホと咳を繰り返す潤に対し、雅弥は「変な事言ったかなぁ?」と、首を傾げている。


 やっと落ち着いた潤は、息を整えてから雅弥へと向き直った。

「……旅行へ、ですね。はい。分かりました」

「お金は僕が用意するし、場所は好きな国を選びなよー。行った事が無い国ってあるかな?」

 ドサドサと、どこに隠していたのか、旅行会社のパンフレットがテーブルの上に数十冊重ねられた。国内は勿論、海外ではお馴染みのハワイから、ヨーロッパ方面にエジプト、ブータンまである。


「あぁ、はい。有り難うございます。それも、追々……」

 潤は横目でパンフレットのラインナップを確認しながら、


(男ふたりで歩き回るなら、フランスか、タイか……フィリピン辺りか……)


 と考えた。だが、よくよく考えれば特務中は海外も男ふたりで歩き回っているので、“男ふたり”を基準に考えるのもおかしな話だ。


 そして、ここへ来た目的を思い出す。

「あの、ところで社長。お話とは、何でしょうか」

 まさか、本当に凌についての相談だけだったのだろうか。そんな筈もないだろう。

 雅弥は、目尻に微かな皺を作って笑った。

「パンフレットを渡そうと思ってただけだから。ちょっと数が多くて、僕じゃ持って歩けなくてさ。謙冴は今、泰騎と一緒に例の工場の件で動いてくれてるし」

「その工場の事で、呼び出されたと思ったのですが……」

 思わず口を挟んでしまった。


 雅弥は「あぁ」と、手を叩いた。

「報告は倖魅と凌と恵未から聞いたから良いよ。尚巳は屋根の上で独りぼっちだったんだってね。可哀想に。あ、今回の件、潤の事は伏せて、活動内容は『極悪組織に誘拐された、子どもの保護』って事にしといたから。もし誰かに何か聞かれても、そう答えといてね」

 潤は了解すると、テーブルの上に乗っているパンフレットを、向きを揃えて重ねた。左手が完全に治ってはいないが、指先が無くとも持てるだろう。この量だとふたつに分けたとしても、袋に入れて歩くと持ち手がちぎれそうだ。

 潤はなんとかパンフレットの山を抱え上げると、入り口へ向かった。


 雅弥を振り返る。

「あぁ、そうだ。養子の件、凌本人にちゃんと言った方が良いですよ。凌は、真剣に向き合えばそれに応える奴ですから」

 そう言い残すと、潤は右手の指先で扉を開き、退室した。




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