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第七話『31日の金曜日』―5




「見たか? 幸太郎のあの顔!」


 声を出して笑っている泰騎に、潤は苦笑を返した。

 まぁ、嬉しそうだし良いか。潤はそう思い、付いて走る。


 人の四肢が方々(ほうぼう)へ散らばっている真っ赤な廊下を抜け、入り口まで辿り着いた。扉の横には、パソコンのハードディスクなどが数点置かれている。

 泰騎は扉を開けながら、潤の顔を覗き込んだ。

「で、潤が今、一番やりたい事って、何なん?」


 潤は二秒ほど考え、「そうだな……」と呟いた。

「ずっと、やりたかった事があるんだ」

 訊いた本人が「え? 何なん?」と、驚いた様子で更に訊き返す。


 泰騎は泰騎で、潤にやりたい事があるなど全く知らない様子で。しかも、その“やりたい事”の検討が全くつかない様子で。

 そんな彼に潤は、

「明日の夜にでも、泰騎に手伝って貰おうかな」

 悪戯っぽく笑って、色素が薄く長い髪を、外から入ってくる風に(なび)かせた。




 車に向かう途中で、屋根から飛び降りてきた尚巳が「終わったっぽいですけど、誰も連絡くれなくて……」と、拗ねぎみに呟いてきた。

 



◆◇◆◇◆




 潤が散々な目に遭ってから、丸一日が経過した。

 外はよく晴れている。だが、風が吹くと肌寒い。時間も、まだ朝の八時半だ。


 潤は薄手のタートルネックの折り目を指で整えながら、《P・Co》本社のエントランスを歩いていた。すれ違う人がほぼほぼ振り向き、二度見をしていく。そんな中を、気にせず受付の担当者に会釈をして奥へと進む。


 潤は今日、雅弥に呼び出された。要件は聞かされていないが、大方、今回の件に関する報告を聴取する為だろう。昨日は「疲れてるだろうからゆっくりしなよ」と、暇を貰った。謙冴は後ろで渋っていたのだが。


 左手の再生も、あとは指の第一関節というところまで来ている。腕の方は、まだ表面が硬いのだが――長袖を着ているので外からは見えない。

 潤は、本社のビルへよく足を運んでいる。本社に極力近付きたがらない所長の代理として。

 いつもは管理部へ、《P×P》事務所の決算やらなんやら、経理に関する諸々(もろもろ)の報告をしに来ている。

 しかし、今回向かう先は社長室だ。


 潤はエレベーターに乗り込むと、“15”と記された四角いボタンを押した。途中で数回止まりながら――乗り込んでくる人物には、やはり二度見された――エレベーターは目的の階へ着いた。

 応接室の前を通り過ぎ、潤は社長室の前で足を止めた。三回ノックすると、中から「どうぞ」と声がした。


 ドアを押して中へ入ると、雅弥の明るい声が――

「潤、結婚おめで……って、ど、どど……」

 潤を驚かせようと両手を広げて身構えていたらしい雅弥だったが、逆に驚いている。「ど」を更に数回繰り返してから、叫んだ。

「どうしたの! その髪!」

 潤の髪を指差して。


 それというのも、今まで腰辺りまであった髪が、なくなっているのだ。襟足部分が刈り上げられている。所謂、ツーブロックだ。

 今まで後ろ髪と変わらない長さで脇へ追いやられていた前髪も、目のあたりで切られて流されている。前髪の左半分は、後ろへ掻き寄せられていた。

 潤はタートルネックで覆われた首裏へ手を置いて、微笑した。

挿絵(By みてみん)

「頭を洗った時、乾くのが早くて良いですね。あと、シャンプーが少なくて済みます。ただ、首が冷えますね」

 雅弥は瞬きと口の開閉を繰り返した後に、再び叫ぶ。

「何で切ったの!? 似合ってたし、可愛かったのに! 僕、言ったでしょ!?」

 潤は少し面食らった顔を見せてから、苦笑した。可愛くはないだろうけど……。と、胸中で呟いてから、

「……覚えていたんですね。それが、泰騎に散々『やりたい事をやれ』と言われまして。仕事で疲れ果てていた時に悪いな、とも思いましたが、手始めに切って貰いました」

 はにかんでいる潤の顔を見て、雅弥は「そっか」と、顔を(ほころ)ばせた。だが何かに気付いたようで……、すぐに表情を(いぶか)しめた。

 おずおずと、質問をする。

「……え……っと、もしかして、嫌だったの? 長髪」

「仕事をする時に邪魔ですから」

 潤に即答され、雅弥は少なからず衝撃を受けたようだが、再び「そっか」と声を漏らした。笑いながら。(あわ)く、残念そうな雰囲気も漂わせてはいるのだが、それでも嬉しそうだ。


「でも、何だか安心したよ。潤ってば、僕の言う事何でも聞いてくれちゃうからさ。心配してたんだ」

 今まで生きてきて、何度か聞いた言葉だ。潤はその度に『否』と答えてきたのだが、今回は答える間もなく、雅弥に両手を握られた。――『否』と答える気も、無かったのだが。


 雅弥は両手に少し力を入れて、数センチ下にある潤の眼を見た。その真っ赤なルビーアイも、雅弥の黒い眼を見返している。

 それに満足すると、雅弥は続けた。

「最初に潤を助けたのは、僕じゃなくて泰騎だからね。僕は、ただ背負って走っただけ」

 どこかで聞いたような言葉だな。と、潤は記憶を辿った。

 “聞いた”のではなく、“言った”のだ。八歳の自分が。

 『泰騎があの時……僕を見つけてくれたから、僕はここに居られるんだよ』と。

 潤はその直後の事ばかりが記憶に残っていて、自分自身の言った言葉を忘れていた。


 雅弥は苦笑し、そして、嘆息した。

「泰騎が潤を見付けなきゃ、僕らはすぐに撤退してたから。潤とは出逢えなかったんだよ」

 この雅弥の言う一件が、泰騎が《P・Co》という会社と雅弥に(もたら)した、最初の功績(こうせき)といえる。

 雅弥は潤から手を放すと、穏やかな笑みを向け、潤に向かってソファーへ座るよう促した。




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