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第七話『31日の金曜日』―1

挿絵(By みてみん)

本編最終話となります。

もう少しお付き合い頂けると幸いです。

 



 今日という一日は、潤にとって頭を痛める事ばかりだった。精神的にも肉体的にも、だ。


 今、目の前の男は何と言ったか、心中で再生してみた。五回程それを繰り返し、潤は恐る恐る、泰騎の額へ右手を当てた。そこは頭突きをした時の衝撃で赤く腫れあがって、熱を持っているように思える。


「泰騎……打ち所が悪かったのか……? それとも、熱でもあるんじゃ……」

 打ち所が悪い(・・・・・・)など、泰騎に限ってある筈もない。そんな事、潤はよく知っている。


 泰騎は自嘲気味に笑った。笑いはしたが、長くは続かず顔を伏せた。

「……その反応も予想の範囲じゃったけど……うん。覚悟しとったけど、結構ショックでかい……かも……」

 潤は自分の脳内を整理するのに、全神経を集中させた。今日あった出来事を順に思い返してみたり、二条泰騎という人物の、この十五年ほどの行動を事後分析してみたり。


(……唯一…………惚れた? 俺に?)


 泰騎が先に言った言葉を――もう何度目になるか分からないが――頭の中で繰り返した。今見えている自分の足元が三重に見えるくらいには、頭が参っている。否定と肯定を幾度も繰り返す。


 頭の奥で、寺や神社にある鐘のような音が鳴り響いた。頭を直接殴られたような、振動を帯びた音が。


 普段の――主に休日の泰騎の動向を思い出す限り、そんな様子は微塵も感じない。キャバクラとゲイバーを梯子(はしご)したり、そこで出会った相手と昼夜を共にしたり……潤が知っているのはその程度だ。だが、その程度しか知らずとも、今の言葉と普段の行為が全く一致しないことは明白だ。少なくとも、自分はこの男と十五年間も共に居る。


 いや、と、別角度から泰騎の事を思い出してみた。泰騎と他の人物間の関わりではなく、出会ってから今までの、潤自身に対する泰騎の動向を。

 出来る限り思い出した。


 普段が普段なので気にする事もなかったが、記憶にあるのは――灰色の髪と瞳と、笑った口から覗く白い歯。

 そこまで脳内で記憶を再生して、潤は再度泰騎へ目を向けた。

 灰色の髪の毛が、息を吐くのに合わせて僅かに揺れている。


 泰騎は困り顔で笑った。

「もし、潤がおらん世界で生きていけるなら、今頃ワシはここにはおらんよ」


 潤は、こういう場合の返事を考えあぐねた。いまひとつ実感が湧かない上に、困った事に、自分の中にある感情は是でも非でもない。

 同性愛に対する嫌悪はない。泰騎に対する嫌悪もない。咲弥に求婚された時と比べてみても、それは明白だ。そう。咲弥に抱いた感情は、嫌忌。迷う事さえなかった。


 同性愛、及び両性愛の確認されている生き物は、地球上に千五百種類程いる。動物は勿論、鳥類や昆虫にもその傾向は見られる。あまり知られてはいないが、自然界では普通な現象だと聞いた事がある。

 フランスなどでは、同性婚を公認してから国内の出生率も上がったらしい。などと、思考が明後日の方向へ行き掛けていたのを踏み止まらせた。


 やっとの事で出てきた言葉が、

「……『大事な話』って、この事か?」

 だった。


 潤の問いに対して、泰騎は「いや、実はちょっと違うんよ」と、溜め息交じりで首を横に振った。顔を真っ直ぐ固定し、泰騎が放った言葉は、こうだ。


「結婚しよ」


 簡潔()つ明快な言葉が、泰騎の口からはっきりと飛び出してきた。

 “結婚”。

 今日、この単語を、一体何度聞いただろうか。潤は瞬きを数回繰り返してから、言葉を繰り返した。

「けっ……こん?」

「勿論、今の日本じゃパートナーシップになるけどな」

「えっと……」

 潤は思った事をそのまま口に出す。


「今と、何が変わるんだ?」

 今度は泰騎が「は?」と目を剥いた。

「いや、籍は同じだし……部屋は違うが、同じマンションに住んでるし……」

 潤は自分で言葉にしながら、泰騎の思惑と自分の認識に対する食い違いは自ら感じた。だが、恋愛経験ゼロの潤が考える“夫婦”というものに対する認識とは――つまり、“籍が同じで、一緒に住んでいる”程度のものだった。


 泰騎が、潤からの質問に答える為に口を開いた。

「それは……わ」

「あ」

 潤の言葉が、泰騎の言葉を遮る。泰騎が、びくりと体を硬直させた。


「お前、子どもが欲しいんじゃないのか? 無理だろ。流石に俺も、子どもは産めない」

 どうあっても、同性同士である限り立ちはだかる壁だろう。雌雄同体の種でない限りは。


 潤は自分の言った事を自分で聞いて、不思議に思った。突然『結婚しよ』などと言われたにも関わらず、相変わらず嫌悪感が全くない。何故か腑に落ちて納得してしまっている自分が、おかしかった。

 そんな潤の、浮遊感にも似た心境など露程も知らぬ泰騎は「その事なんじゃけど……」と、少し、――いや、かなり気まずそうに切り出した。


「皮膚から始原生殖細胞(しげんせいしょくさいぼう)を作る研究を、イギリスとイスラエルの大学の研究チームがしとってな。それは、公にニュースにもなっとるから潤も知っとったかもしれんけど――」

 そういえば、いつだったか杉山さんがそんな事を言っていた気がする。と、潤は思い出した。曖昧な記憶だが。


「まぁ、論文が発表される前から、世界中の研究機関で実験はされとったんじゃけどな。んで、景ちゃんに相談したら『実例の確認と設備のレンタルの手筈(てはず)調(ととの)ったから』ってOKくれたで」


 ん? と、潤は疑問符を浮かべた。話が、いきなり飛んだ。


 俺たちは、一体、何の話をしていた?


 潤は混乱の治まらぬ頭のまま、疑問を口に出した。

「え……何……、何を言って……。景が、何を、OKしたって?」

「じゃから、ワシの皮膚と潤の皮膚から……あ、潤のは転がっとった腕を使わせて貰ったで。んで、その皮膚から精子と卵子を作って、受精させて、子どもを作る――いや、実は……今、作っとるんよ」

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