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第一話『日常』―6

「元はと言えば、泰騎と倖魅が騒ぐから、後輩たちが余計な気を使うようになったんだ」

「元はと言えば、あの腐れマッド・サイエンティストが悪い」


 潤の手からクレープを奪い取ると、泰騎は大口を開けてひと口、食いちぎった。白玉がふたつ去っていくのを無言で見届け、潤は深く息を吸う。そして、ゆっくりと吐き出した。


「元はと言えば――あの程度で死にかけた、俺が悪い」


 火に油だ。とは、潤も感じていた。この場合、適当に相槌を打つのが最良なのだ、と。実際、喉元まで出かかったのだが――口から出たのは、先の言葉だった。


 案の定、泰騎は不機嫌さを露わにしている。クレープを潤に突き返した。


「『あの程度』……なぁ……」


 デスクの上にある、ピンク色の物体を掴む。耳と手足――正確には“前足と後ろ足”――が異様に長い、ウサギのぬいぐるみだ。胴も長い。名前は“()()()”というのだが、名付けた本人が漢字を忘れたので、もっぱら“ピスミ”と呼ばれている。

 ピスミの名付け親であり生みの親でもある泰騎は、特注で作らせたピスミぬいぐるみに顔をうずめた。


「ワシが行かんかったら、ほんまに死んどったかもしれんのじゃで」


 ピスミから目線だけ潤に向け、ふて腐れる。


 潤は書類に目を落としたまま、手を動かしている。


「社長やお前の手を煩わせた事は悪いと思っているし、助かったとも思っている」


 右手にまだ半分残っているクレープを口へ運ぶ。粒あんと抹茶の生クリームが、口の中で混ざった。甘い。


「“ライラックの激昂”」


 呟いた潤を、泰騎は変わらぬ顔で見返した。潤は視線を上げない。代わりに、クレープを泰騎へ差し出す。


「なんて、呼ばれてるらしいぞ。あの事」

「可愛いらしいよな。怒っても、(たい)した事なさそうじゃし」


 ライラック。青がかった灰色の毛をした、ウサギだ。元々は泰騎や潤と同期の工作員が泰騎の事をそう呼んでいたのだが、いつの間にか本社全体にその呼び名が広がっていた。


 ピスミから顔を上げ、泰騎がクツクツと喉を鳴らした。肩を痙攣させてひとしきり笑うと、気が済んだのか椅子を回転させた。二周回ってから潤のクレープを手に取る。


「あーあ。何かもっと無かったんかなぁー。カッコええやつ」

「チンチラとか?」

「それも可愛いヤツじゃろ」

「コアラ」

「それも……まぁ、可愛いな」

「オオカミ」

「あ、カッコええ。でもなぁ、狼は駄目じゃわ」

「……ゾウ」

「なぁ潤ちゃん。それはちょっと、ワシのイメージと違わん?」


「楽しそうだねー」


 ひょろりと、入り口のドアから倖魅が入ってきた。ノートパソコンを小脇に抱えて。


「ごめんね泰ちゃん。お邪魔しちゃった?」

「ん? なんも邪魔なことねぇで。それより、倖ちゃんも考えてや。ワシのコードネーム的な!」

「ライラックじゃ駄目なの? あぁ、そもそも、本社で呼ばれてるアレはコードネームじゃなくて、元は陰口だもんね」


 笑みを含んで、倖魅が自分の席へ腰を下ろす。


「《()×()》のイメージキャラクターを兎にしたのは、お前だろう?」


 潤は一度肩を回すと、手を組んで伸びをした。


「そーじゃけど。あん時は、まだ事務所無かったじゃろー?」


 口を尖らせる泰騎をよそに、潤と倖魅は交視した。潤の嘆息と、倖魅の苦笑いが重なる。


 潤は肩をすくめると、書類に向き直った。


「コードネームって、カッコええ響きじゃねぇ?」


 苦笑いのまま、倖魅は頷いた。


「そうだね。スパイみたいで格好良いよね。ボクも何か可愛い動物が良いなぁ」

「紫の動物って、何かおる?」

「いないねぇー。残念」


「ウミウシ……」


 潤がぼそりと呟く。倖魅は心底嫌そうな顔を、高速で潤へ向けた。


「ヤだよ! もっと可愛いのが良い!」

「倖ちゃん。ウミウシ好きさんに怒られるで。うーん。倖ちゃんのコードネームなぁー……」


 ピスミをもてあそびながら、泰騎が椅子ごと回転する。


「あ、トリカブト! 紫の花が綺麗じゃで!」

「猛毒じゃない! 泰ちゃんも大概だよ!」


 プンスカと、倖魅の頭上に蒸気が見える。ような気がする。

 そんな倖魅に、潤が――視線は上げず――呟いた。


「鳥兜は、鎮痛作用もある漢方薬になる」


 紙を一枚、右手側に置く。


 泰騎が、だらりと伸びたピスミの手を倖魅へ向けた。


「薬にも毒にもなるんじゃから、ピッタリじゃと思うで」

「なーんか、腑に落ちないんだけどぉー」

「因みに、研究室で言われている倖魅のあだ名は、ケシ科の“(むらさき)()(まん)”だ」

「何それー! 結局、毒だし! しかも薬にもならなーい! ホントあいつ、ボクの事なんだと思ってるの?」

「まぁ、倖ちゃんの髪の毛と目って、毒々しいっていうか……じゃ、のうて。実際、倖ちゃんは見た目と行動にギャップがあるっていうか」

「泰ちゃんはどっちの味方なの!」


 椅子に座ったまま、両手を上下させる。倖魅は頬を膨らませ「もう!」と、ふたりに背を向けた。


「紫……といえば、アメリカには紫燕もいるぞ。それに、地球上の生物は元々紫色をしていたという説もある」


 左手で書類を数枚取りながら、潤。

 倖魅が、顔だけ潤へ向けた。


「潤ちゃんは優しいね。アリガト」


 人差し指で涙をすくう真似をすると、倖魅はデスクへ向き直った。パソコンを起動させる。

 泰騎が、クレープを潤へ返した。といっても、残っているのは数口分だ。


 入り口のドアが開き、棒付きキャンディーをくわえた恵未が入ってきた。


「ただいま戻りました!」

「おかえりー」


 泰騎と倖魅が、声を重ねた。ひと息遅れて、潤の声も後を追う。恵未はデスクから報告書を取り出し、ボールペンで記入し始めた。


「営業組はまだかなぁ?」


 営業組。凌と尚巳のことだ。

 倖魅の質問に、恵未はボールペンを置いた。


「私が上がってきた時に、目立つ白髪が遠くを歩いてたわよ」


 一行だけ記入した報告書を持って立ち上がる。書かれている内容はこうだ。


 “異常なし”


「はい。今日も問題ありませんでした」


 報告書を潤へ渡す。潤も、受け取りながら内容を読み、そのままの流れでファイルへ運ぶ。


「クレープ、美味しかった。有り難う」


 潤が微笑を向けると、恵未はキャンディーを口から離した。満面の笑みで答える。


「えへへ。良かったです。潤先輩、普段からあんまり食べてないし……検査までにいっぱい食べてくださいね!」

「え……あ、あぁ。有り難う……」


 恵未に貰ったクレープを、実際には半分も食べていないことに罪悪感を抱きつつ。潤はファイルをしまった。


「恵未ちゃん。心配せんでも、潤は見た目ほど軽くねぇから大丈夫じゃで」

「そうそう。見た目プラス十キロくらいはあるから大丈夫」


 というのは倖魅の冗談だ。だが実際、潤は見た目より重い。


「何がどう『大丈夫』かは分からないが。まぁ、食べるときは食べているから……。心配をさせたなら、すまなかった」

「謝らないでください。私が勝手に心配して、勝手に食べさせてるだけですから! でも、太った潤先輩も見てみたいです!」

「それが本音か! 執拗に甘いもんばっか持って来るのには、そんな狙いがあったんかー」


 泰騎が、指を鳴らして、両手の人差し指を恵未へ向けた。

 恵未は口を尖らせる。


「だって、潤先輩太らないじゃないですかー。食べるときは結構食べるのに、太らないじゃないですかぁー」


「ボクはモデル体型より、健康体型の恵未ちゃんが好きだよー」

「倖魅の好みは聞いてないの」


 倖魅の告白も空しく、きっぱりと一蹴された。いつもの事だが。


「でもほら、甘いものばかり食べてたら、潤ちゃん糖尿になっちゃうかも……」

「その時は、私が看病するから大丈夫!」

「だから、何が『大丈夫』なんだ……」


 溜息を吐く潤の首に、泰騎が腕を回す。


「潤ちゃん、愛されとるなぁー」

「お前は、どこをどう見てそう思う?」

「どこをどう見たら、そうじゃねぇって思えるん?」


 歯を見せて無声音で笑う泰騎に、潤は再度嘆息した。


 そうこうしていたら、営業組が帰ってきた。


 そこからまた、昨日届いた饅頭を食べることになるのだが。潤の口の中はまだ甘ったるかったし、更に言うならば、奥歯に粒あんの皮が挟まっている状態だった。


(抹茶はもう少し濃い方が良かったな)


 小豆の皮が、歯から離れた。




◆◇◆


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