第六話『告白』―6
水無の声と共に、彼の周りが灼熱に包まれた。
泰騎は事前に後ろへ跳んだので巻き込まれずに済んだが、水無の放った熱気は、離れていても真夏の太陽の下よりあつい。更に泰騎は、水無の心臓に突き刺していたナイフを見て苦虫を噛んだ。
SUC440Cマルテンサイト系ステンレス製のブレードが、熔けている。
(お気に入りじゃったのに)
泰騎は上着の内側に固定してあったナイフを引き抜くと、“燃えている”水無を注視した。
彼の周りに陽炎が纏わりついている。
(あーあ。あれじゃ近付けんわ。もうちょと待って……ん?)
水無の小さな背中に、服を突き破って突出している黒いものが、ふたつ見えた。
一度しか見たことはないが、忘れる筈がない。
「……天使……」
その黒い翼は相変わらず、その存在意義が分からないほど小さい。
血に塗れた可愛らしい顔に、背中の黒い翼。それは泰騎の中で、妙な調和と既視感を感じさせた。
泰騎は、嘆息した。
(……『人間』なぁ……)
水無が何を基準に人間を『人間』と呼んでいるのか、泰騎は確定しかねている。だが、泰騎の中で確実な事がひとつある。
(潤が人間なんじゃから、同じ遺伝子のこいつも人間に決まっとるじゃろ)
泰騎はナイフを握り直した。
今までしゃがみ込んでいた水無が、ゆっくりと立ち上がる。ナイフは完全に熔け、床に数滴の染みのみを残して、姿を消していた。傷も塞がったようだ。腕も手首辺りまで再生している。
泰騎が、舌打ちした。
(大見得切って来たけど、結構キツイかもしれんなぁ……。ワシが今まで相手にしてきたのは、“騰蛇が寝とる”状態の潤じゃし……。只の人間のワシじゃあ……)
そこまで考え、はたと、思考を停止させる。
そして、脳を再稼働させた。
違う。確かに自分は只の人間だ。何の能力もない。凌のように、式神を使役することもない。だが、違うだろう。弱音を吐くのは、まだ早い。
「ワシの知っとる『人間』は、みんな命が一個しかないんよ。その一個を、ワシが獲ればええだけの話じゃろ」
声に出して、確認する。
そうだ。簡単な話だ。
難しいのは、その過程。それだけだ。
水無の背中に生えていた羽が、消えた。
服にふたつ穴を残して消えた羽を気にする様子もなく――そもそも、羽が有った事にすら気付いていない――水無は、泰騎を見やった。
目線が合う前に、泰騎はナイフを握っている手に力を込める。水無が行動を起こす前に、地を蹴る。一歩跳んだところで、前方から火炎が踊りながら向かってきた。
「早く死になよ! お前を火葬したら、次はあの欠陥品を灰にしてやるんだから! 早く、お前ら、死んじゃえば良いんだ!」
鼻詰まったような声で、水無が叫ぶ。それはさながら、癇癪を起して物を投げている子どものようで――。
泰騎は左足を軸にして方向を転換すると、また一歩跳び、水無の背後へ回った。そこから水無に向かって右手を突き出した。手首に仕込んだシューターから、ワイヤーに繋がれたアンカーが飛び出す。それは水無の首の後ろへ刺さった。
自動でワイヤーを巻き取ると、その力に引かれて泰騎の体は水無へ向かって加速した。
それに気付かぬ水無ではない。自分の体が引っ張られているのだから、当然だ。水無は再び炎を生むと、泰騎へ向かって放った。ゼロ距離。そうとも思える距離で、泰騎は僅かに床を蹴って跳び、宙返りをする。水無の頭に左手を突いて倒立すると、飛び退くついでに右手で水無の首に刺さっていたアンカーを引き抜いた。
水無が、微かに呻き声を発する。
水無の首からは赤い飛沫が上がったが、本人は気に留めない。ただ、泰騎の動きに大分苛立っているようだ。
「ちょろちょろ鬱陶しいな!」
顔の周りを飛ぶ蝿を払うように、水無は腕を振り回した。既に手の甲まで再生が進んでいる。
そして、遂に痺れを切らしたらしい。
「あぁもう! お前、鬱陶しいから後回し!」
水無はほぼ再生の済んだ手で炎を出しながら、腕を回す。新体操のリボンのように火を扱い泰騎を近くから追い払うと、水無は潤と咲弥の居る方へ体を向けた。
距離は数メートルだ。水無は右腕を振りかぶると、火の燻る掌を真っ直ぐ前へ突き出した。伸ばされた手の先から、勢いよく炎が飛び出す。
それは杉山を焼いた時と同じように、うねるようにふたりへ迫った。