第六話『告白』―3
水無は、指の付け根まで再生された左手をちらりと見やった。再生速度が、通常よりも段違いで速まっている。
(騰蛇の本体が体内に居ると、こんなに便利なんだなぁ。なんで、あの欠陥品は再生が遅かったんだろ? 欠陥品だからなのかな……)
考えていると、刀の刃が迫ってきた。右手を突き出し、掌から炎が出てくるイメージを腕へ伝える。すると、オレンジ色を帯びた赤い炎が前方へ放たれた。
同じく前方からは、人間がこちらへ向かってくる気配がする。
水無は「溶けた」と思った。人間など、掠っただけで火だるまだ。
だが、灰色の瞳が炎の斜め下から現れた。笑みを浮かべた顔には、綺麗に並んだ白い歯が光っている。
“見えた”だけだった。それに対する反応を体に指示する前に、水無の右の二の腕が吹き飛んだ。
斬られたのだと理解するのにも、一瞬掛かった。その一瞬の間に、再生していた左腕も離れ、その延長で脇腹も三分の一程、刀が食い込んできた。
水無は、整った顔を僅かに歪めて舌打ちした。
(折角くっついたのに……!)
痛みは無い。斬られたという感覚も、無い。強いて挙げるならば、“失くなった”。それだけが、事実としてある感覚だ。
腕が無い。つまり、バランスがとり辛い。動きにくい。立ちにくい。
彼の中では、苛立ちが決壊寸前だった。腕が無くとも炎は出せる。だが、狙いが上手く定まらない。力の調整が思うように出来ない。腕は、水無にとってアンテナのような存在なのだ。掌は、さながら火炎放射器の放射口だろう。
水無は、白刃の来た方向とは逆に跳ぼうと足に力を込めた。しかし、只でさえバランス感覚を欠いた体だ。床に広がっている自分の血溜まりに滑って、バランスを崩した。ローファーの靴裏ではグリップ力に欠け、剥き出しの膝が真っ赤な水たまりで汚れる。
痛みは無いが、大量の失血で貧血を起こしているらしい。
これが、痛覚がない者の弱点といえる。痛みを感じないが故に、自分の外傷把握が出来ない。結果、身体が機能を失う事となる。
水無は立ち上がろうと、短くなった腕を床に突く。しかし立ち上がれずにいた。
呻き声が、水たまりに小さな波紋を作った。
泰騎は刀を大きく振り下ろして血を払うと、腰の鞘へ収めた。
へたり込んで血液を跳ねさせている水無の横を、大股で歩いて通り過ぎる。横に並んだ瞬間、目線だけ蹲っている子どもへ向けたが、それも一瞬だった。もしくは、全く向けられなかったのかもしれない。
足早に、部屋の奥へ進む。走りはしない。僅かに前傾姿勢かもしれないが、正面から見ると分からない程度だ。
黒いドレスを着た化粧の濃い女に抱き着いている、黒のタキシードを着たでかい図体の子どもへ近付く。左脚を大きく背面へ引き上げると――サッカー競技のゴールシュートよろしく、そのタキシードごと、黒いドレスも蹴り飛ばした。
咲弥は痛めている腰を押さえて悶絶しているし、潤は蹴られた腰元を押さえ、半ベソで疑問符を頭上に舞い踊らせている。
泰騎は、自分を睨んで悪態を付いている咲弥には見向きもせず、左手で潤の胸倉を掴み上げた。
水無の言う通り、今の潤の精神年齢が、本当に五歳なのだとしよう。おかしい話ではない。少なくとも泰騎は、その話を受け入れた。
五歳の頃の潤など、知りはしない。出会っていないのだから当然だ。
ただ、今現在、泰騎に苛立ちを抱かせている対象は、水無でも、咲弥でもなく、潤だ。否、もしかしたら全員かもしれないし、そこには泰騎自身も含まれているのかもしれない。
ひとつ言えるのは、泰騎の記憶にあるいつぞやかの潤の表情と、今目の前に居る潤の表情がシンクロして見える、という事だ。そのいつぞやというのが、潤が九つの時だ。麗華と蓮華に預けられて間もない頃だったと、泰騎は記憶している。《P・Co》がまだ鳥取に本社を構えていた頃。義務教育を受けていたならば、小学四年に上がりたてだという時に、山の中で訓練を開始した。
訓練開始から数日後の事だ。刃物など、子ども用の鋏くらいしか手にした事の無かった潤に、初めてサバイバルナイフが渡された。刃渡り二〇センチメートルという、九歳の手には大きいものだった。取り敢えず、夕食を狩ってくるように。そんな事を告げられ、山中に放り出された。
やっとの事で、素手で捕まえた野兎。「内臓を出さないと食べられたもんじゃない」と言われた時の顔。その後、震える手でナイフの刃を野兎に刺し込んだ時の顔だ。
九歳の潤は泣きながら、野兎に向かって繰り返し謝っていた。それが、当時の泰騎には理解できなかった事として記憶に残っている。
自分とは全く違う存在なのだと、認識させられた瞬間でもあった。
そんな訓練生活を数年続けた事によって、潤は仕事としての割り切りを覚え、泰騎はどこででも生きていけるだけの適応力を身に付けた。