第五話『こんばんは、侵入者です』―7
「って、偉そうに言っても私たちは正義のヒーローなんかじゃないし。綺麗ごとを言ったって、只の犯罪者だもの。自分でも分かってるのよ。そんな事」
エプロン姿の男に向かって――否、自分自身に言い聞かせるように言い放つと、恵未は大きく息を吸い、止め、ゆっくりと吐き出した。
身体をリラックスさせた状態で、男を見据える。
「それでも私は、私に居場所と今をくれたあの人を護りたいし、あの人の守りたいものを一緒に守りたいから、此処に居るの。潤先輩が誰と結婚しようと私は構わないけど、先輩が嫌がるなら、全力で止めるまでよ」
廊下から白衣の男が数人、息を切らせて飛び込んできた。何か叫んでいる。男のひとりが、小振りな銃口を恵未へ向けた。
距離が遠い。祐稀は舌打ちし、エプロン男と対峙している恵未へ向かって叫んだ。
「先輩! 後――」
息を呑む。
祐稀は、そこから視線が外せなくなった。周りの男共など、視界から除外してしまうほど釘づけられた。
(先輩、可憐です)
うっとりと、祐稀は目の前に居る猛獣へ熱い視線を送っている。
そう。例えるなら、猛獣だ。獲物を見付けた空腹熊のように、眼を光らせている。
狂気すら感じるそれに、エプロン男の身体は震え上がっていた。包丁を握る手には、力が入っていない。
人のかたちをした獣が、笑いながら唇を湿らせた。それと同時に、一瞬、獣の右足が五倍ほど膨れ上がった。その脚の踏み込んだ床が沈み、割れる。「床が割れた」という視覚から得る情報が脳に伝わる前に、胸郭の割れる音と、粘着音が響いた。
エプロンを着けた髭面の男の体には大きな穴が開いていた。逞しい腕がピンポイントで、心臓部を抉っている。瞬きをしていたら見えなかったかもしれない。否、瞬きをしていなくても、エプロンの男には見えなかった。
男の体から突き出た健康的な女性の右手の中で、何かが勢いよく潰れた。鮮やかな赤が飛沫の華を咲かせる。
駆け込んできた男は銃を構えたまま、全身から冷や汗を噴き出して固まっていた。握り慣れていないのか、銃が手の動きに合わせて震えている。現場の惨状に、完全に委縮してしまっているようだ。
それが突然、我に返ったのか、はたまたパニックを起こしたのか――震える手のまま引き金を立て続けに引いて、発砲した。
恵未は男から腕を引き抜いた。自分よりもひと回り大きなエプロン男を、肩に担ぐ。男の体に、銃弾が三つ、のめり込んだ。恵未が振り向く。
「騒がしいと思ったら、人数が増えてるじゃない」
大きな黒い眼をぱちくりさせて、恵未は顔にこびり付いている血を服の裾で擦り取った。
「祐稀ちゃん、やっちゃって良いわよ」
恵未の言葉を聴き受けると、祐稀は短く了解の返事をした。手元にあった通常サイズの出刃包丁を手に取ると、入り口付近に居る白衣の男へ向かって投げつけた。
刃が、綺麗に回転しながら男の首を撥ねる。
もうふたり。
祐稀は調理台の上に砥石と共に転がっていた、もうひとつの包丁を手に取った。自分の左手の甲を軽く斬り付け、発砲を繰り返す男の元へ跳んだ。文字通り、跳ねるように。
男の銃は弾切れらしい。トリガーがカスカスと情けない音を奏でている。
焦りきってしまい「ひゅっ」とか「ふぁっ」とか言っている白衣の男の口に、出血した拳を突っ込む。男が、「ごふっ」とくぐもった叫び声を上げた。祐稀はその男の口から腕を離し、男の隣で真っ青になっている、私服の男の口にも拳を食わせた。
白衣の男が身体をひどく痙攣させ、白目を剥いて倒れた。続いて、拳を咥えたままの男も、同じように力なく床へ転がる。即効性の劇薬を食らったかのように。
というのも、祐稀の血液は人間にとって猛毒だ。流れている血をひと舐めしただけで神経系はイカれてしまう。三滴程であの世行きだ。因みに、酸化をすると害はない。
毒が効かずに生き残った者は吸血鬼となる。純粋な吸血鬼ならば――の話だが。
ダンピールである祐稀の血液では血族を増やすことは出来ず、毒にしかならない。
祐稀は、着ている黒スーツのジャケットから傷パッドを取り出して、自分の傷口へ貼り付けた。
「恵未先輩。所長の報告では、大人の数は少なくても四十……もしかして、一階には人があまり居ないんじゃないでしょうか」
「時間が時間だし、寝てるんじゃない? だとしたら、二階に行った倖魅が何とかしてるわ。夢を見ながら死ねるなんて、幸せねー。倖魅のは私と違って、痛くないし」
呑気に笑う恵未は、仲間の銃弾が刺さっている男をその場に置いた。
「さぁて。折角厨房に来たんだから、何か美味しいものがないか物色してみましょう」
真っ赤な手をわきわきと動かしながら、恵未は満面の笑みで冷蔵庫へ向かって歩く。
祐稀は入り口の扉を警戒しつつ、「はい。存分に探索してください」と、恵未に背を向けたまま微笑んだ。
冷蔵庫の中身は、ブツ切りにされた肉と骨や、トウモロコシや……その粉やらばかりで、恵未の求めるスイーツ的なものは一切なかった。
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