第五話『こんばんは、侵入者です』―4
そんな騒々しい中でも、倖魅の部下である十四歳組――歩と大地は、すやすやと安らかな寝息を立てて、寄り添っていた。ふたりとも、ピスミの描かれたTシャツを着ている。
彼らの横には、数体のピスミぬいぐるみ。耳と手足が異様に長い、ピンクのウサギ。泰騎の落書きから生まれた、《P×P》のイメージキャラクターだ。口を尖らせ、人を小馬鹿にしたような顔をしている。
事務所員のスマートフォンやパソコンに刻印されているウサギは、ピスミのシルエットでもある。
「事務所が《ピース×ピース》って名前じゃからなぁ。ほら、ピースって手の形、ウサギっぽいじゃろ?」そんな事を言いながら、ピスミを生み出していた。
その所長が、サイドブレーキを上げたらしい。
トラックが、完全に停止した。
夜中という事もあり、ここまで約四十分で辿り着けた。
現在は夜の十時四十分だ。
事務所員が到着した時、工場からは微かに黒煙が出ていた。工場の外装か内装に、特殊なギミックが施されているのだろうか。漏れ出している煙の量は少ないが、一階の窓からはオレンジ色の光が漏れている。
街灯の無い暗闇で、やたらと目立って見えた。オレンジ色に輝く窓ガラスが割れるのは、時間の問題かもしれない。
「これ、潤先輩が?」
腰の帯刀ベルトに脇差を収めながら凌が呟いた。だが、泰騎はかぶりを振って否定した。表情は複雑だ。
黒い煙を、溜息交じりで眺めている。
「いや。違う。あいつは子どもを巻き込んで建物を炎上させたりせんよ。……けど、この感じ……もしかしたら予想通りの最悪なパターンかもしれんなぁ」
「最悪って、所長の口からその言葉が出るって事はガチなヤツじゃないスか!」
腰のホルスターに拳銃を差し込みながら、恭平が――極力の小声で――叫んだ。黒髪の長い襟足が跳ねる。
「まぁ、入ってみんと分からんな。凌ちゃん」
泰騎が凌へ目配せすると、凌は頷いて、口を開いた。
「六根清浄急急如律りょ――」
『凌ー! 会いたかった! 久し振り! 呼び出してくれてありがとうー!!』
凌が「う」まで発音するのを待たず現れ、凌の身体に纏わりついているのは、裸体の女性だ。“裸体に見える”といった方が表現としては合っているのかもしれない。透き通るような水色の長い髪――に見えるもの――を靡かせて、宙に浮いている。身体も青白い。
青みがかった水が、女性の形になって動いている。
「天后、くっつくな。服が濡れる」
天后。騰蛇と同じ“十二天将”に部類されている式神だ。凌は、“使役者”である。彼らの居る業界で、一般的とされる式神との関係性は“使役術者”と、何らかの条件契約を結んだ“従者”というものが大半だ。潤のように、体内に式神本体が居るのは極稀な例なのだ。
使役する術者も、ある程度はわざわざ式神を呼び出すことなく式神の能力が使える。だが大きな力を必要とする時には、式神本体を呼び出して、その力に頼る形となる。
天后の見目は実に神秘的だ。全身が微かに青く光って見える。ぐいぐいと、豊満な胸部を押し付けて凌の腕を抱いている言動は、神秘さからかけ離れているが。
『凌ってば、久し振りに会ったんだからもっとこう、ハグとかしてよぉ! ぎゅってしてくれたら、アタシもっとやる気出しちゃうんだから!』
「……いいから。早くあの工場の火を消してくれ」
渋々、ぎゅっと、天后の腕部分を抱き返す。凌の黒いロングTシャツがしっとり濡れた。天后の身体は水分で構成されているので、触るとこうなってしまう。腰部分も少し濡れてしまった。
満足したのか、天后はにこやかに工場上部に向かって飛んで行った。そして一瞬、LEDのイルミネーションのような青白い光りを一層強く放つと、また凌の元へ戻ってきた。
『鎮火出来たわよぉ。謄蛇ったら、何だかハイテンションねぇ。まぁ、本人の姿が無かったから、すぐに消せて良かったわぁ』
間延びした口調でくすくすと笑う天后の言葉に、泰騎が耳を疑った。
「騰蛇が……居るん?」
『正確には“居た”かしら。あら、灰色の坊やったら。珍しいわね。深刻そうな顔してどうしたの?』
「騰蛇って……黒い羽の生えた……でっかい……白蛇、よな?」
ひとつひとつ、自分自身で確認するように、泰騎が呟く。長い筒状のものが入った袋を右手に握りしめて。
『そうよぉ? 貴方なら、よぉく知ってるでしょぉ? おどけた白蛇ジジイよ』
綺麗な、透明感のある存在が意地悪く笑う。
泰騎は、工場内を見据えた。
「あぁ。良ぉ知っとるわ。そうか……そんなら……」
「泰ちゃん。今日はボクが責任者になってあげるよ。周りの事は良いから、自分の事を優先して動いてね」
「あんがと」
「何言ってんの。ボクは只、巻き添え食うのが嫌なだけだから」
言ってから、倖魅は追い払うように泰騎を手で払った。泰騎はもう一度礼を述べると、右手に持っていた赤紫色の刀袋から中身を取り出した。
入っていたのは、太刀とベルトだ。
袋を小さく畳んで、胸ポケットに収める。帯刀用のベルトを腰に装着すると、刀の鞘を差し込んだ。
ゴーグルを目へ装着しながら、一同へ視線を向ける。バンド部分に掛かった髪を、手で掻き上げながら、
「配置は、会議室で言った通り。二階は広報。下は営業と警備。屋根は尚ちゃん。各々、基本指示を守りながら臨機応変に動いてな。ワシは無線付けずに行くから。何かあったら現場の指示は凌ちゃんに頼むわ。凌ちゃん、何かあったら、ワシの居場所は天后にでも聞いてんな」
「了解しました」
凌は泰騎の腰にある刀を一瞥してから、頷いた。
倖魅が入り口のロックを解除し終えたのを確認すると、泰騎は重い扉に手を掛けた。
「んじゃまぁ、各自怪我に気を付けて。殿は扉閉めてんなー」
言い終えたと同時に、泰騎は扉を開けっ広げて中へ跳び込んだ。