第四話『13日の金曜日』―7
「あたしの夫は起きたかしら?」
ピンヒールでスキップらしき動きをしながら、咲弥が部屋へ入ってきた。
長い黒髪が動きに合わせて跳ねている。
「うっ」
軽快に動いていたと思ったが、急に腰を押さえて蹲った。そんな咲弥に、水無が近付いてしゃがみ込む。
「あれ? コルセットしてないの? 咲弥様、ぎっくり腰やってから腰が弱いんだから。そんなに飛び跳ねちゃ駄目だよ」
水無に腰を擦られている咲弥を、潤は半眼で眺めた。
(ぎっくり腰……大変だな……。年、か? あぁ、いや、人によっては十代でもなるから、年は関係ないか……)
しかし見た目は若くても、身体の内側は年を取っているのかもしれない。
潤は嘆息した。
その視線に、咲弥が睨み返してくる。
「ちょっと。美人の奥さんが苦しんでるんだから、助けたらどうなのよ」
「はぁ。でもこの状態ですし」
色々指摘したい事を取り敢えず置いておき、視線で革製ベルトを指摘する。
「そんなの、焼き切っちゃいなさいよ!」
(この女、拘束の意味分かってるのか?)
甘んじてこの状況を受け入れていたというのに。
とにかく、結婚について今のところ本気らしいことは分かった。何故なら、彼女が先刻よりも長いドレスを着ているからだ。
色は純白ではなく純黒だが――形状と装飾は、ウェディングドレスのそれだった。エンパイアラインのドレスには、角度によって紫に見える黒い薔薇や、背中の編み上げ、長めの引き裾の先にはレースがあしらわれている。
(……黒が好きなのも血筋なのかな……。というか、あの形状のドレスを着ているのなら、コルセットはしてるんじゃないのか?)
ベルトを切りもせず、潤は咲弥の様子をただ眺めていた。
咲弥はめげずに、黒いタキシードを潤の前に突き出す。
「あなたが寝ている間に採寸は済ませたわ! 最終調整をするから着てみなさい!」
変わらず、潤は無言のまま半眼で眺める。
「式はいつ挙げましょうか? 早ければ早いほど良いわね! 衣装の直しに一日使うとして――」
「お断りした筈なんですけど」
日本語が通じていないのかと不安になるほど、意思の疎通が出来ない。話が噛み合わない。
「正式に婚姻が済めば、あなたはこの《Fth》のナンバーツーよ!」
「は……?」
「あら、言ってなかったかしら」
咲弥は胸元に片手を置き、もう片方を潤へ伸ばした。
したり顔で、
「今のうちの組織名よ。《13日の金曜日》。略して《Fth》って言うの。明後日は金曜日だったわよねぇ? 三十一日だけど……引っくり返すと“13”だし、丁度良いわ! 式は明後日ね!」
潤の是非など、当然聞きはせず。咲弥は手を叩きながら跳び跳ねた。そして、また腰を押さえて踞った。
◇◆◇
『あの工場、ワシが貰うわ』。泰騎が言い放った言葉だ。
敵情報告が聞けると思っていた面々は、呆けた顔で口を開けている。
泰騎の突拍子のなさはいつもの事だが、事態が事態なので受け入れるのに時間が掛かっていた。
「えっと、泰ちゃん……ホント、予告通りびっくりしちゃったんだけど……どういう事なのかなぁ?」
倖魅が、イヤホンを片方だけ耳に差したまま、ノートパソコンから手を放す。
泰騎はにんまり笑って、腰に手を当てた。
「三年以内にファッション部門を撤退して、並行して栽培部門を立ち上げる。工場を利用して、製薬部が使う薬草や漢方の材料、一般向けの野菜を水耕栽培すりゃ天候にも左右されずに年中安定した収穫が得られるし、他部門との同調も図れるじゃろ。役職は基本的に変更なし。増員と事務所の場所は後日検討」
ぽかんとしている者が大半だ。倖魅は「あー、そういう事……」と呟いている。
雅弥が、おにぎりの包みを畳みながら首を縦に振った。
「うん。良いんじゃないかな。細かい事はじっくり会議して決めようね。で、肝心の副所長はどうだったのかな?」
数人が、雅弥の質問に同調して首を小さく縦に振っている。
泰騎は「んー」と唸って、
「取り敢えずまだなんとか生きとるって事しか分からんかったわ。じゃから、盗聴器何個か置いてきた。なぁ、倖ちゃん?」
倖魅に目配せする。
「えっとね。ずっと向こうの音を聞いてたんだけど……潤ちゃん、お腹がえぐれてるみたいでさぁ」
恵未と凌が、文字通り血相を変えた。だが、倖魅は長机を軽く数回叩いて鎮める。
「ちょっと。潤ちゃん信者たち。いつかみたいに、内臓を引っ張り出されてるわけじゃないから。落ち着いて。それより、もっと凄い事になってるんだから」
「もっと凄い……?」
抑揚のない声で訊き返したのは、泰騎だ。
(うわぁ……恐)
倖魅は僅かに身震いすると静かに息を吐いた。
「えっとね。凄く、ボクの口からは言いにくいんだけどぉー……」
皆の視線を痛いほど感じ、倖魅は顔を引き攣らせた。意を決する。
「潤ちゃん、咲弥に求婚されてるんだよね」
「は!? え、ちょっ! 何それ!?」
恵未が、先程とは違う意味で血相を変えた。
「ボクもこの一時間くらいしか聞いてないから、全部理解してるわけじゃないんだけど。どうやら、咲弥が潤ちゃんを工場へ連れて行ったのは自分の夫にする為だったみたいで……」
「何よそれ!?」
恵未が繰り返した。
「咲弥って、男の子が好きなんでしょ!? 潤先輩は大人じゃない! 訳わかんない! ぶっ殺す!」
「恵未ちゃん、落ち着いて。ね? 女の子が『ぶっ殺す』なんて言っちゃだめだよ」
「じゃあ、男のオレがぶっ殺します」
「凌ちゃんも、取り敢えず椅子にでも座って落ち着いてってば」
倖魅は約二名の殺気を鎮めるので手一杯で、てんてこ舞いになっている。その喧騒を抜け、泰騎はウサギ印のスマートフォンを耳へ当てていた。