第四話『13日の金曜日』―5
あと三十分だ。
泰騎は腕時計の数字を確認した。飛び乗った屋根の上でジャケットからマイナスドライバーを取り出すと、アルミサッシと窓ガラスとの間に突き刺した。すりガラスを割り、中を覗き込む。
そこで一番に受けた印象は“児童館”だ。《P・Co》が経営している、子どもたちの保護施設と同じ雰囲気を感じた。
泰騎は致死量にならない量の気体タイプの睡眠薬を投げ込むと、ジャケットで穴の開いた窓を塞いで数秒待った。
室内が静かになると、再び中を覗き込んだ。中は静かだ。割った窓から、子どもたちの寝ている部屋へ入っていく。
子どもたちの監視役――お守り役だろうか――も無防備に転がっていた。隣の部屋にはもっと小さな子どもが居るらしい。甲高い笑い声と、小刻みに小さな足音が聞こえる。
流石に、小さな子どもに薬を浴びせるのは気が引けるので歩いて過ぎ去った。
子どもは私服だったのだが、大半の大人は白衣かスーツを着用している。その為、ミリタリージャケットの泰騎は目立つ。「侵入者でーす」と言いながら歩いているようなものだ。
なので、見つかりそうになると問答無用で蹴り倒す。
基本的には、相手が泰騎の姿を目で捉える前に、手首に装着してあるシューターからアンカーを天井へ刺してそこへ貼り付く。
天井が高いと、見付かる確率も低い。
道中、白衣の眼鏡男が正面から歩いてきたので、蹴り倒す。ついでに、白衣を剥いで羽織ってみた。
(殺さんようにするのって、結構難しいんよなぁー)
そんな事を考えながら、階段を下りた。
そこで足を止める。
予想よりも大人の人数が多い。
(いやぁー。コレ無理じゃな。皆殺しなら簡単じゃけど、社長からのGOサインがねぇと後々面倒じゃし……)
早々に、あっさりと諦める方向へ意識を向ける。
今回は単独で、勝手に行動しているのだ。滅多な事は避けなければならない。それは、泰騎も理解している。騒ぎが大きくなって困るのは、自分は勿論、ここに居るであろう相方もだ。
そんな時に聞こえてきたのが、何かの爆発する音だった。
爆発音は三回。三回目の音は少し小さかったように思う。
建物内へ入ってから、もう十分は経過している。睡眠ガスの効果が切れるのも時間の問題だ。大人は目を覚ましたかもしれない。
泰騎は胸中で舌打ちした。こんなに苛立つことも珍しい、と。しかし、頭の片隅では自嘲する。
(あぁ、もう。ほんま……普段怒らん奴が怒ると、面倒なんよなぁ)
誰にともなく、ひとりごちた。
爆音の響いた部屋の扉の前に、人だかりが出来ている。白衣を着た者に紛れて、私服の者も居る。
泰騎はゴーグルを外し、ジャケットの内側に仕込んでいた黒髪のウイッグを取り出した。内側のネットに地毛を収めると、櫛で梳いてからスマホの背面を鏡代わりにして外見の確認をする。地毛がはみ出していない事を確かめると、満足げに頷いた。
「さっすがワシ。黒髪でもイケメンじゃわー」
などと呟きながら、人混みに向かって歩く。
(ここに集まっとるだけで二十人くらいかな……)
科学者にしては珍しく野次馬根性を見せている面々を眺めながら、泰騎は室内の音に耳の神経を向けた。壁に耳を押し付けている者が何人か居たので、便乗して同じ体勢で並ぶ。
女と、数人の少年の声が聞こえる。女が、咲弥だろう。会った事はないが、ねちっこい声だという印象を受けた。
そんな中で、聞き覚えのある懐かしい声が耳に届いた。綺麗なボーイソプラノ。その声が、笑いながらこう言っている。
「放っておいて良いんじゃない? お腹に穴が開いたくらいじゃ、そいつは死なないよ。よっぽどポンコツじゃない限りはね」
泰騎は壁から耳を離すと、一ミリメートル程の大きさの簡易的な盗聴器を壁際に落としてからその場を去った。早足で、来た道を戻る。途中に盗聴器を落としながら。
(ゴミと間違われて捨てられるかなぁ……? まぁ、そん時はそん時考えよ)
道中、白衣の持ち主がまだ廊下に倒れていたので、白衣を被せておいた。
ガラスを割って入ってきた部屋へ戻ると、幸いまだ誰も起きてはいなかった。子どもたちに紛れて大人がひとり、無造作に倒れたように眠っている。
窓から外へ出ると、屋根から木に飛び移る。ジャケットからスマートフォンを取り出しつつ、ウイッグを脱いだ。自分のバイクへ向かって草木の中を走る。
タイムリミットまで、あと三分だった。
泰騎が《P×P》の事務所へ到着した時、会議室には事務所員全員と、雅弥と謙冴が揃っていた。それについては、泰騎も先程倖魅に電話して知っている。
先日騒ぎ散らした会議室。今はゴミのひとつも落ちてはいない。長机も、倖魅がノートパソコンを広げて使っている一台以外は片付けられている。あとはパイプ椅子が数脚広げられているのみだった。
メンバーの大半は壁に寄りかかってスマートフォンを弄っていたが、各々ポケットやらにしまい込んで顔を上げた。雅弥は椅子に座り、おにぎりを頬張っていた。謙冴は脇に立ち、組んだ腕にはお茶の入ったペットボトルを持っている。
室内に居る面々の視線を一身に浴びながら、泰騎は前に立ち、開口一番こう言い放った。
「あの工場、ワシが貰うわ」
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