第四話『13日の金曜日』―3
「いくつか質問をしても良いですか?」
「答えるかどうかは別として、訊くだけなら良いわよ」
咲弥を挟んで向こう側には、水無が座っている。脚を床には着けず、プラプラと揺らしていた。
潤は、視線を咲弥へ戻した。目は合わさずに、
「水無は誘拐と言っていましたが、今になって何故俺を連れてきたんですか? 俺はとっくに成人しています。興味の対象からは外れる筈ですよね?」
今ここに自分の居る意味が分からないと、動きようもない。
咲弥は、そんな事? と言いたげに目を丸くした。
「さっき水無が言ったわよ。『あたしが会いたがってた』って。理由なんて、それで十分じゃない?」
「俺が訊きたいのは、会いたがる理由ですよ」
「そうね……」
咲弥は潤を一瞥すると、指先を自分の唇に当てた。
「あたしは本当に、あなたの事を気に入ってたのよ」
潤の表情は変わらない。
「信じてなさそうね」
「そういうわけではないですよ」
確かに。思い返してみると、自分は比較的優遇されていたように思う。しかしそれは自分が望む形ではなかったので、記憶の奥底に沈んでしまっていた。
「まぁ、いいわ。正直な話、あなたがあの中で生きているとも思ってなかったの。生きてるって知ったのも、ほんの二年くらい前よ。白状すると、それまではあなたの事を調べる余裕もなかったのよね。でも、アメリカで色々している内に余裕が出来てきて。調べさせたら雅弥の義弟になっていて吃驚したわ」
潤は、自身の内情についてよく喋る咲弥に少しばかり驚いた。
(喋るのが好きなのは、遺伝的なものなのか?)
そう思ったところで、ふと咲弥越しに水無を見てみた。
(……そういえば、俺と全く同じ遺伝子の筈なのに、こいつはよく喋るな……)
そんな事を考える。
咲弥は潤の意識が他にある事を悟ると、潤の顔面を両手で挟んできた。
「こんな美人が目の前に居るのに、余所見は良くないわよ」
「それは、すみません」
美人――。確かに。ただ、周りに顔やプロポーションの整った女性が多いので、潤自身は“美人”に対する感覚が麻痺してしまっている。
謝罪は単純に“女性に対して”という意味合いで行った。
咲弥は、潤の顔から手を放した。視線は外さない。
「水無は、殆ど面影がないって言ったけど……そうね。瞳の色は――まぁ、水無を見ているから想像が出来たけど、顔の傷は想定外だったわ。怪我をしても治る体質になったんじゃないの?」
「治りますよ。この傷だけが治らなかったんです」
目元の傷については色々と――それこそ科学者によって三者三様、十人十色の仮説が立てられたのだが、結果的には『騰蛇の遺伝子が完全に細胞接着する前に負った傷だから』で落ち着いた。しかし、潤はこう考えている。
“騰蛇からの呪いのようなもの”と。
「良いわ。その程度の傷なら、あたしは気にならないもの」
「……はぁ……。えっと……」
何が? 一体、何が“良い”のか。
そして、まだ回答を貰っていない。
「で、何で俺はここに居るんですか?」
潤はここへ来てから何も進展のない現状に、そろそろ嫌気が差していた。
咲弥は含み笑いを潤へ向けると、指先で潤の髪を弄び始めた。
(この人、じっとしてられないのかな)
つい、咲弥の手癖の悪さを気にしてしまう。
当の咲弥は、そんな事を考えられているとは微塵も思っていない。指先を動かしながら、微笑んでいる。
「あたしと結婚する義務を与える為よ」
「お断りします」
ゼロコンマの速さで即答した。自分の耳を疑うより先に、口が動いていた。
水無は耳を疑っているのか、目を見開いて固まってしまっている。
咲弥も、呆気にとられていた。やっとの事で声を出す。悲鳴にも似た声で、
「どこに断る理由があるっていうの!?」
「断る理由しかないです」
何をそんなに驚いているのか。
潤が理解に苦しんでいると、咲弥は身を乗り出してきた。顔が付きそうな距離だったので、思わず仰け反る。
「歳の差?! それなら心配いらないわ! あたしの見た目は十年前から変わっていないもの! 見た目の差は五歳くらいよ!」
(あぁ。どうりで若いわけだ)
水無が、成長抑制剤を投与している事を思い出す。
だが、見た目は潤にとってはどうでもいい。
「そういうお話でしたら、俺は失礼します」
立ち上がろうと腰を上げると、肘から先の無い左腕の根元を思い切り掴まれた。忘れかけていた痛みが広がる。怒りの形相で潤を睨む咲弥に、腕とは別に頭まで痛み出した。
理解出来る事がひとつもない。
(俺の理解力が足りないのか? 理解不能な行動は泰騎で慣れているつもりだったが……)
不測の事態だ。相方よりも不可解な言動の人物に連続で絡まれるとは――。
「このあたしが、頭を下げて頼んでるのよ!?」
「頭を下げられてはいないし、下げられてもお断りします。貴女、俺に何をしたか忘れたとは言わせませんよ」
「五月蠅いわね! いいから言う事を聞きなさいよ!」
何なんだ。理不尽すぎる。自分勝手にも程がある言い振りに、流石の潤も米神が痙攣した。
ヒステリーなところは昔と変わっていない。
「ねぇ、咲弥様。こいつが咲弥様の夫になるの、僕は反対なんだけど」
いままで黙っていた水無が、堪らず割って入ってきた。
(……水無も咲弥の考えを知らなかったのか……)
潤が半眼で、僅かに口元を強張らせる。
咲弥は水無へ顔を向けると、にっこり微笑んだ。
「ふふ。水無ったら嫉妬かしら? 可愛いわね」
「っていうか、こんな無愛想で無口な男のどこが良いの? 僕には全く分からないよ」
「顔よ」
実に短い答えだった。
「顔なら仕方がないなぁ」
水無が――咲弥の言葉があたかも自分に向けられたもののように――まんざらでもなさそうに頷いている。
潤の頭痛が耳鳴りを伴ってきた。
なんとか声を絞り出す。
「貴女は、男児が好きなんじゃないんですか?」
そう。今聞きたいのは――まぁ、色々とあるのだが――取り敢えずこの答えだ。
「小さい男の子は大好きよ。でも、夫として隣に連れ歩くなら“若くて格好いい男”が良いわ」
「…………」
怒りと呆れと混迷が入り混じり、潤はもう喋る気にもならなかった。
所謂、“女の見栄”だ。脇に従えている少年たちは、さながら“観賞用”といったところだろう。
そういうところは、昔と何ら変わっていない。




