第四話『13日の金曜日』―1
一連の出来事を聞いて、最も怒りを露わにしたのは恵未だった。
それは勿論、倖魅の想像の範疇で。
意外だったのは、恵未が「今すぐ乗り込む」と言わなかったことだ。
泰騎が去ってすぐ。倖魅は事務所へ部長クラス――普段“幹部”と呼ばれているメンバー――を事務所の所長室へ呼び出した。
雅弥と謙冴へ知らせるより先に、だ。
事務所が休みでどこかへ出かけている者もいるかと予想されたが――メンバーはものの数分で揃った。
休みだったので、勤務中は仕事着の三人も今は私服だ。凌は黒のロングTシャツに、ボトムスは黒のジャージ。
恵未はスポーツブランドのロゴが入ったTシャツにジーンズ。
尚巳は人の顔のようなものがカラフルに色付けられた前衛的なTシャツに、左右の脚で色が違うサルエルパンツを着ている。
倖魅は保冷バッグにちぎれた潤の腕を入れて、持ち込んでいた。それを皆に見せ、泰騎が件の工場跡地へ赴いた旨を伝えたのだ。
恵未は潤の腕を吹き飛ばした人物に対して怒っていたのだが、尚巳は「子どもたち、無事に保護で来て良かったですね」と言ったものだから恵未に肘鉄を食らわされていた。凌はというと、「第一目的は誘拐された子どもの保護だったんだから、尚巳は悪くない」とフォローした。
そして、恵未に睨まれていた。
「社長にも、この事は報告するよ。勿論ね。ただ、泰ちゃんが一体“どこまで”やる気なのかが全く分からないから。ボク等はちょっと動きにくいよね」
泰騎の仕事用スマートフォンに内蔵されているGPSの位置情報を自分のスマートフォンで確認しながら、倖魅が嘆息した。現在地のマークを見る限り、高速道路上を移動していることが伺える。
泰騎から連絡があるか、若しくは倖魅の宣言した一時間半まで、大人しくしている他ない状況だ。
なので、倖魅は取り敢えずの提案として卓上の保冷バッグを指差した。
「泰ちゃんに貰ったんだけど、ボクは要らないから。要る人は挙手して」
達人の参加しているイントロクイズが如く、とんでもない速さで二つの手が挙がった。これも、倖魅の予想通りだ。
「ちょっと凌! あんた潤先輩の腕貰ってどうする気よ!」
「オレは冷凍保存するんだよ。恵未こそ、腐らせるのは分かりきってるのに欲しがるなよ」
そんなやり取りを、尚巳は「ブッダが死んだときに弟子同士がブッダの骨を奪い合ったのって、こんな感じだったのかなぁ」とぼんやり考えながら見ていた。同時に「こんな慕われ方は嫌だな」とも思った。
相方の部屋の冷凍庫に人間の腕が保存されているところまでを想像し、尚巳も挙手をした。
言い合いをしていたふたりからは驚愕の表情が向けられる。
「あれ。尚ちゃんも欲しいの? 意外だなぁ」
倖魅がふたりの言葉を代弁する。
尚巳は覇気のない声を漏らすと、潤の腕を手に取った。
「もう要らないんでしょうけど……。おれは、潤先輩に返します」
盲点だった……何だその点数稼ぎは。と、ふたりの表情が言っている。尚巳にそんなつもりは毛頭ないのだが。何故かふたりは勝手に敗北の空気を纏って、愕然としている。
おれ的には保存する方が予想外だわ。尚巳は半眼でそう思った。
「うん。潤ちゃんも絶対に要らないとは思うけど、ボクは尚ちゃんの提案に一票ー」
「正直、自分の知らないところで、自分の一部を他人に保存されてるのって気味が悪いですよね。って、おれは思うんですけど。この会社じゃこの考え方って普通じゃないんですかね?」
半眼のまま、尚巳は倖魅に同意を求める意味で疑問を投げかけた。倖魅は苦笑して肩をすくめる。
「僕は尚ちゃんの考え方が、一般的だと思うけどね。残念ながら、普通じゃない人ばかりなんだ。《P・Co》って」
気付いてはいたが考えないようにしていた事実を思い知らされ、尚巳は苦笑を返した。
凌と恵未は、まだ何かぶつぶつ言い合っている。
「ともかく、泰ちゃんが飛び出してから今30分くらいなんだよね。あと一時間したら謙冴さんに連絡するつもりなんだけど……泰ちゃんたちが行った仕事現場に入って子どもを保護したっていう工作員が、潤ちゃんの血痕について社長に報告してたら厄介だなぁ」
倖魅が溜息を吐きながら、窓の外を眺めた。よく晴れている。
凌がクーラーボックスに収まっている腕を見下ろした。
「傷口を見る限り、斬られたっていうより吹き飛んだ感じですよね。床か壁か……どこに付いているかは分からないですけど、工作員も標的の血痕だとは思わないでしょうね。あと、気になるのがこれなんですけど……」
元・潤の腕に引っ掛かっている服の袖部分を持ち上げた。
「焦げてるって事は、燃えたんですよね?」
凌は肯定を受けたくて、倖魅へ視線を向けた。
倖魅は頷く。
凌はその反応に満足すると、続けた。
「潤先輩の腕を吹き飛ばす程瞬発力のある爆発なんて、限られてますよね? 例え子どもが人質だろうと、手榴弾だって先輩なら余裕で回避できる筈ですから」
「……凌ちゃんってば、潤ちゃんの事を完璧人間だと思ってない? まぁ、手榴弾程度じゃ潤ちゃんを吹き飛ばすなんて出来ないだろうけど」
「んじゃあ、この前の小さい潤先輩が来たんじゃないか? 泰騎先輩、桃山咲弥の所へ行ったんでしょう?」
尚巳が、クーラーボックスの蓋を閉めた。
「そうね。あの子、見た感じなかなかの火力だったわよね。杉山さんが一瞬で黒焦げになったくらいだし。でも困ったわね。見た目が潤先輩だとやり辛いわ」
恵未が唸る。尚巳は腕を組んだ。
「あの時の反応を見る限り、ピット器官はなさそうだったよな? ピット器官があったら、泰騎先輩が背後に立ったら気付く筈だし。って事は、おれが狙撃すれば済むんだけど……問題があるんだよなぁ……」
「再生能力がどこまでか分からないと、どこを撃てば良いか分からない……だろ?」
「そうなんだよなぁー。頭か心臓か? 一発で仕留められれば良いけど、外せば警戒されるから狙いにくくなる。下手したら、弾丸の方向からおれが居る位置を割り出されて、おれがドッカーン」
手のひらを握ったり開いたりして爆発を表現する尚巳に、凌も嘆息した。
「安心しろ。お前の狙撃が必要になったら、爆発避けにオレが付いててやるよ」
「凌はともかく、尚巳って害のなさそうな顔してるくせに結構非情よね」
恵未が半眼で呟いた。当の尚巳は首を傾げている。
「え? だって、能力とか置いといて、潤先輩に似てるってだけだろ? そりゃ、子どもは撃ちたくないけどさ。こっちも人が殺されてるわけだし。情けをかける理由もないっていうか……」
「それより恵未。オレはともかくって何だよ」
「そのまんまの意味よ」
「恵未ちゃんと凌ちゃんも、相変わらずだねぇー。ボク妬けちゃうなぁー」
「倖魅先輩も、何を言っているんですか。そんな要素無いでしょう」
凌が半眼で指摘した。本当に、微塵もそんなつもりはない。恵未は頭上に疑問符を浮かべて眉根を寄せている。
倖魅は手を組んで頭の後ろへ回した。
壁に掛かっている時計を見やる。泰騎との約束の時間まで、あと十分程度。
(ホント、ボクの周りは皆純粋で参っちゃうや)
振動する自分のスマホを取り出しながら、倖魅は嘆息した。
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