第三話『約束』―12
(でも、違うんだよね)
“私じゃ、あそこには入れない”
以前聞こえた恵未の言葉が蘇った。
(変なトコで不器用なんだもんなぁ……。いや、違うな。泰ちゃんの場合、器用すぎるのかも……)
倖魅はリモコンの集積回路に左手の指を添え、右手を机に乗っているノートパソコンのUSB差し込み口へ当てた。膨大なデータ量の中から、必要なものだけをパソコンへ流し込み、場所を絞り込んでいく。
イヤホンとマイクのあるおおよその場所が特定できると、地図上に丸で印をつけた。
住所は埼玉県になっている。
「ここが目的地だと思うよ。潤ちゃんが居るかは分からないけど。倒産した工場の跡地で、調べてみたら二ヶ月程前に購入されたらしいんだよね。料金の振り込み元はアメリカになってたよ。因みに、桃山咲弥は一ヶ月前までアメリカに居たんだって。因みの因みに、イヤホンとマイクは現在、中央環状線を移動中」
プリントアウトした地図を泰騎に渡しながら、倖魅が言った。
そして、思い出す。
「ねぇ。潤ちゃんの腕、どうするの?」
「倖ちゃん、要るならあげるわ。それ見とったら、腹が立って仕方がないんよなぁ」
「え、いや。全く欲しくないし、凄く迷惑なんだけど。取り敢えず、憂さ晴らしに大量殺人だけは止めてね……」
半眼で呻く倖魅を、泰騎は意外そうな顔で見返した。
「ワシがいつ、自分の憂さを晴らす為に大量殺人なんかした?」
「自分の胸に聞いてみて。少なくとも五人は死んでるから」
「五人じゃ“大量”にはならんで」
「あぁもういいから。いや、良くないけど。場所が山の中だから、外部の目は気にしなくて良いと思うけどさ……」
倖魅は諦め気味に肩を落とした。
泰騎はニヤニヤ笑いながら、顎へ手を当てている。
「山ん中……工場跡……こっから車で一時間くらい……うん。丁度ええな」
何が? と思ったが、倖魅の口からその疑問は発せられなかった。
相変わらずニヤついている灰色頭は、机に頬杖を突いている紫頭にウインクを飛ばした。
「倖ちゃん。帰ってきたらビックリドッキリ発表するから、覚悟しといてな!」
「あんまり、ビックリもドッキリもしたくないんだけど……言ったところで、泰ちゃんはボクの言う事聞いてくれないもんね。分かったよ」
頬杖を突いたまま、倖魅は手をひらつかせて送り出す素振りを見せた。だが、手を止め、長い人差し指を口元へ添える。
「そうだ。タイムリミットは今から一時間三十分だよ。時間が来たら――判断は謙冴さん次第だけど、誰かしらが向かうからね」
「あいよ」
背を向けたまま返事をすると、泰騎は部屋から出て行った。
残った倖魅は、ちらりと机に乗っている潤の腕を見やった。
(どうすんの……コレ……)
友人の一部とはいえ、あまり気持ちのいいものではない。倖魅は卓上の腕を意識の外へ追いやると、自分のスマートフォンへ手を伸ばした。
◇◆◇
少年たちは、与えられた室内で談話をしていた。
プレイマットの敷かれた床に、ソファーとベッドとテーブルが置かれている。隅には衣装ダンスがふたつ。壁際にある大きな本棚が、存在感を放っていた。
少年ふたりはソファーに並んで座り、買ってきたお菓子の袋を広げている。テーブルの上には、各々ひとつずつどころか十個ずつくらいのお菓子が、山になっている。
泰騎の手には、泰騎の顔程大きな渦巻きの飴が握られていた。
潤の手には、ビーフジャーキーが収まっている。
「潤って、渋い趣味しとるな。オレ、他の子どもってあんまり知らんけど。顔は女の子みたいなのに、食べとるモンはおっさんじゃな」
「前に好きだったものが、あまり美味しく思えなくて……」
ビーフジャーキーを少しだけ口へ運ぶと、潤が俯く。
泰騎は飴を噛んだ。ガリゴリと音を立てて飴が砕け、カスが少し床へ落ちた。
「そうなん? それも、蛇さんが中におるからなん?」
「多分……」
膝を抱えて顔を伏せていた潤が、泰騎の方へ顔を向ける。左目に傷が残ってしまったが、幸いな事に、眼球は無事だった。
その真っ赤な瞳が真剣に自分を見るので、泰騎は目を逸らせなくなった。
潤は泰騎を見据えたまま、言葉を紡ぐ。
「泰騎があの時……僕を見つけてくれたから、僕はここに居られるんだよ」
泰騎は瞬きも出来ず、潤を正視する。
「僕がもし――僕の力が暴走して、人を沢山殺すことがあったら……泰騎が僕を殺して」
子どものただの“お願い”だと一蹴出来ない程、潤の真摯な表情と口調が、泰騎の首を縦に振らせた。
潤は安堵の息を吐き出すと、プレイマットの敷かれた床に膝をついた。泰騎の手を取って、長いまつ毛を伏せる。小さく零れた感謝の言葉は、至近距離に居てもやっと聞き取れる程の大きさで――。
これが、このふたりの間で交わされた最初の約束だった。




