第三話『約束』―11
「で?」
短く。だが、言葉を促すには十分な質問がされた。
しかし質問の返事はない。
「ねぇ。落ち込んでくれればいいんだけど、ボクの質問には答えて欲しいな」
倖魅は自室の椅子に座り、両脚と両腕を組んで目の前の人物を睨んだ。
その後に、肩を落として嘆息する。
「潤ちゃんがどっか行ったのは、工作員も知らない筈だよ。でもね。潤ちゃんの血痕があれば、不思議に思うと思うんだよね。この事が社長にバレるのも時間の問題だよ? あと、その腕。どうするの? 泰ちゃん」
泰騎は両手に収まっている、服の袖に覆われた潤の肘から先を眺めた。切断されてからあまり時間の経っていないそれは、まだ綺麗な白い肌をしている。
泰騎は潤との交信が途絶えた時、最後のひとりを報告用に撮影していた。子どもたちの居る部屋に足を踏み入れたのは、外で車のエンジン音が鳴ったと同時だった。
服と肌の焦げた標的のひとりは床に転がっていたし、子どもたちは怯えて部屋の角で三人固まって震えていた。泰騎にとっては、そんなものよりも真っ赤な血飛沫の上に転がっている、腕の方が重要で――。
更に重要なのは、腕の主の姿がない事だった。
工作員が到着するより先に現場から去り、腕だけ持って倖魅の部屋までやってきて、現在に至る。
倖魅は再び溜息を吐き出すと、細長い脚を組み直した。
「まぁ、真っ先にボクの所へ来てくれたのは、嬉しいんだけどね。泰ちゃんが喋らないなんて、気持ち悪いよ」
「なぁ、倖ちゃん」
泰騎の服は、潤の腕から出た血液でじっとりしている。
元・潤の指を一本ずつ折り曲げながら、泰騎が呟いた。俯いたまま。
「ワシが何でここに来たか、分かる?」
「予想が外れて欲しいな。とは、思ってるよ」
「この無線のリモコンから、イヤホンとマイクの位置と目的地を割り出してくれん?」
「嫌だね」
即答だった。
要求内容は倖魅の予想していたものと同じで。それに対する答えも、泰騎の予想していたものと同じだった。
「ボクの答えは分かりきってるでしょ? 泰ちゃんひとり、単独で行こうなんて見過ごせないよ」
泰騎は、倖魅の言い分を黙って聞いている。
「『見過ごせない』っていうのが、どういう意味か分かるよね?」
元・潤の手先から顔を上げると、泰騎は倖魅に向かって苦笑した。
「ワシ、殺されるん? 困ったなぁ」
「ボクが、何で事務所に居るのか――忘れたなんて言わせないよ」
「覚えとるよ。ワシが勝手な事せんように、監視しとるんじゃもんなぁ?」
肩を竦め、大きな溜め息を吐いた。
倖魅は自分の右手を、泰騎の前へ翳して見せる。
「ボクが本気を出したら、人間の心臓なんて一瞬で止まっちゃうんだから」
泰騎は倖魅の手のひらを眺めた。
(相変わらず、綺麗な手ぇしとるわ)
ぴと。
元・潤の手のひらを倖魅のそれに合わせてみた。倖魅の方が少し大きい。
倖魅の手元が、僅かに引き攣った。不意に、生首ならぬ生腕に触ったのだから、当然といえば当然のリアクションかもしれない。
倖魅は、他のメンバーに比べてスプラッタやグロテスクなものに対する耐性が低いのだ。
「試してみてええで」
泰騎の言葉に、倖魅は思わず息を飲み込んだ。
「倖ちゃんがワシを殺すんが先か、ワシが倖ちゃんを殺すんが先か。なぁ?」
にんまり笑った泰騎の手元に鈍い光りを目視し、倖魅が再び手のひらの焦点を泰騎へ向けた。だが、それと同時に泰騎は倖魅の手首を取り――微かに静電気を感じたが、その程度なら気にするほどではない――自分の身体を倖魅の腕の下へ滑り込ませる。
手首を放すと、倖魅の背後に回って背を膝で、首を右腕で押さえた。泰騎の左手にはナイフが握られているが、刃先は倖魅の身体の方へ向いていない。
元・潤の指先で倖魅の髪を梳きながら、
「ほら。倖ちゃん一回死んだで」
泰騎が笑う。
倖魅は大袈裟に溜息を吐いた。
大きく伸びをして、泰騎の腕から体を抜き去ると、自分のベッドに体を投げ込む。ベッドのスプリングが軋んだ。
「あーあ。ボク、結構強いスライダーなのになぁ。一度も泰ちゃんに勝てた事ないんだもんー。ヤダー。落ち込むなぁー」
「落ち込まんでもええよ。ワシ、半身神様の潤にも負けた事ねぇから」
泰騎は潤の腕を抱え直した。
「で、やってくれるん?」
手の中でナイフを弄びながら、泰騎が首を傾げた。
倖魅はベッドから起き上がると、両手を上げて目を伏せた。
「ふふ。降参。『精一杯やったけど、ボクに泰ちゃんは止められなかった』って報告するよ。まぁ、本気出した泰ちゃんをボクに止められるなんて、向こうも本気では思ってないだろうしね」
倖魅は元・潤の腕を取り上げると、腕時計型のリモコンを外し始めた。
「それに、泰ちゃんが本気になる事なんて決まってるんだもん。相変わらず、凄く分かりやすいよね」
くすりと笑う倖魅に、泰騎がにやりと笑みを返す。
「倖ちゃん。ワシが何でここに来たか、分かる?」
倖魅はきょとんと泰騎を見返した。先刻と同じ質問だ。が、倖魅の返事がないと悟ると、泰騎はお菓子を貰った子どものような笑顔を向けた。
「倖ちゃんが、ワシの事を一番良う理解してくれとるから。じゃで」
リモコンを触りながら、倖魅は苦笑した。
「伊達に、十年間泰ちゃんの愚痴と不満を聴き続けたわけじゃないよ」




