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第三話『約束』―10

「って言っても、不安だから利き腕だけ貰っとくね」


 刹那、潤の左腕の肘から先が吹き飛んだ。潤の左腕付近に集中してバックドラフトを発生させたような、そんな衝撃だった。

 潤が再び床に膝を突く。痛みによる悲鳴を噛み殺したが、歯を食い縛った所為で奥歯が割れた。――この程度なら明日には治っているだろうが。


 子どもの空気を割るような悲鳴に紛れ、飛んだ腕が床にぶつかる音が鈍く響いた。


 潤は血液の噴き出す傷口を右手で押さえると、傷口を熱で焼いて止血する。だが、相当な出血量だ。立ち上がる時に、軽くふらついた。


 大きく息を吸い、吐き出す。傷口が五月蠅く脈打っている。


(腕一本……か……)


 一瞬、杉山のにやけた顔が頭を過った。


「腕くらい、どうせすぐ生えてくるんでしょ? 表に車を待たせてあるから早く乗りなよ」


 促され、右手で左腕の切断面を押さえたまま後に続く。数分前とは違う恐怖に怯えている子どもの顔が、視界の端に映った。


(泰騎が来ると厄介だな。工作員が到着するまであと……)


 時間を確認しようと左腕を見たが、床に転がっていることを失念していた。


(多分、あと五分強くらいで来るだろ……子どもはそっちに任せて……)


 考えるが頭がうまく働かない。貧血からか、頭痛までしてきた。


(簡単に“再生”と言ってくれるが、完全に治るまで一ヶ月は掛かるだろうな……)


 何か考えていないと気を失ってしまいそうな程の痛みだが、幸い――というべきかどうかは分からないが、腕を切り落とされた事は何度かある。いずれも、時間は掛かったが再生した。再生する事が予め分かっていれば、少しは気も楽になる。今回は肘から先が完全に無くなっているので、潤の見積もり上では一ヶ月、だ。


(杉山さんに感謝しなきゃな……)


 とはいえ、痛みは消えない。


 用意されていた車に乗り込む。潤の左腕と血痕を見て、運転手は嫌悪感たっぷりの表情を向けてきた。車のシートが潤の血でベタベタになっているのだ。だが、声を発する事なく出発の準備をしている。


 隣りに座った水無が不思議そうに潤の顔を覗き込んできた。

「痛覚はあるの? 大変だね」

 という事は、水無に痛覚はないのだろう。今だけは少し羨ましく思う。


「誘拐に成功したから、咲弥様の所へ戻ろう」

 得意げに運転手へ報告する水無だが、潤は笑いを堪えられずに吹き出した。


 水無が「何がおかしいの」と怪訝な顔を向ける。車は、構わず出発した。


 潤は息を整えるより先に、声を発する。

「ふ……はは……。……そうだな。いや、笑ってすまない。そうか、俺は誘拐されたのか」

「何さ。立派な誘拐だよ」

 水無はむすりとふて腐れた。潤は息を整えると、肩をすくめる。大分、この腕の痛みにも慣れてきた。


「誘拐されるなんて、人生で二度目だな。ただ、誘拐する時に相手に怪我をさせるのは得策じゃない。これからは気をつけた方がいいぞ」

「う、うるさいなぁ! 誘拐なんて初めてだから、勝手が分からなかったんだよ!」

挿絵(By みてみん)

 赤面して喚く水無に、再度吹き出しそうになるのを抑える。


(なんだかんだで、年相応の子どもだな)


 性格は、自分とは正反対のようだが。


 騰蛇の性質の現れ方も違うようだが“複製”というだけあって、見た目も声も同じだ。きっと身長も、自分が十歳の頃と同じなのだろう。


 潤は今自分にある右手を眺めながら、水無の喚き声を聞いていた。


 ほんの僅かな違和感を抱きながら。


「ねぇちょっと! 聞いてるの!?」


 自分は水無と敵対する位置付けに居るものだと認識していたが、彼の言動がその意識を薄れさせる。或いは、昔の鏡を見ているような気持ちになるからか。


「あぁ。聞いてる」


 貧血で霞みがかっていた意識も、晴れてきた。


 カーテンの閉まっている車内では、どこを走っているのかまでは分からない。バックミラーもよく見えない。ただ、結構な時間走っている。スピードからして高速道路を走っている事が推測できた。


「君は、今何歳なの?」


 急に予想外の質問をされ、潤は一瞬言葉に詰まった。

「二十三だ」

 水無は、ふぅん、と呟いてから隣の潤を見上げた。


「煙草とか、吸うの?」

「吸わない」

「お酒は?」

「飲めるが……あまり飲まない」

 水無は再び、ふぅん、と呟いた。

 続けて質問する。

「身長は?」

「一七六センチ」

 水無は無言だった。


 そういえば、十歳の頃は周りと比べても身長が小さかった事を思い出す。


 潤は質問者の興味と意図がどこにあるのか、なんとなく感じ取れたが――それを口に出しても良いものか躊躇い、結局、口には出さなかった。


 倖魅あたりならわざと指摘するのかもしれない。

 三年間、一切身体的成長の無い子どもに。


(『羨ましいでしょ』とか言っていたくせにな……)


 潤はわざと視線を合わせないように、窓に設置されている黒いカーテンを眺めていた。


 ふと、ある事に気付いた。自分がここに居ると、とてつもなく困る事だ。


(……倖魅に怒られるな……)


 何の為に千葉行きにしたと思ってるの!? と、何の罪もない泰騎に食って掛かる倖魅の姿が想像できた。


 そういえば、泰騎はどうしたのだろうかと脳裏を過る。残りのひとりは、まぁ確実に仕留めているだろう。その心配は全くしていない。彼は、訓練時代から標的を取り逃した事がないのだから。


 子どもの心配も無用だろう。すぐに動き回れるほど活力のある様子はなかった。工作員が保護している筈だ。


 あと、痛みで忘れていたが自分の肘から先。いつもなら――といっても、腕が転がったのは初めての事だ――証拠として残らないように焼滅させているのだが。放置されていたとしたら、工作員が取り去っただろうか……。どのみち傷口から腕が再生するので、落ちた腕は不要物だ。


 少しの間沈黙していた水無が、再び口を開いた。


「ねぇ。好きな食べ物は――」

「お前は、そんなに俺の事が気になるのか?」

 口を開けば質問ばかりの水無に、潤が嘆息する。


 水無はシートベルトが引き攣る勢いで、身を跳ねさせた。

「ばッ! そんなんじゃないよ!」

「そうか。それはすまない。話の内容がまるで見合いみたいだったから」

「お、お見合い? したことがあるの?」

 興味深い内容だったのか、水無は目を丸くしている。潤は「いや」と首をすくめた。

「当人に付いて現場に居た事があるだけだ」

「ふ、ふぅん。そうなの。まぁ、君って顔は良くても、そんな卑猥な傷があるもんね」

「卑猥……?」


 潤は言葉の意味が理解できず、言葉を繰り返した。


 “傷”とは左目にあるコレだろうが、“卑猥”がどこから来た言葉なのか理解しかねる。

 それとも、卑猥という言葉の意味を勘違いしているのだろうか?


 そういえば……。と、騰蛇の――蛇の、身体に現れる特徴も完全には合致していない事を思い出した。水無とは瞳孔の形が違うように。そして、ある事を思い出す。


 蛇の男性器は、ふた股に分かれている。


 まさか。そうだとしたら。そして、“通常の人間”は、ふた股には分かれていないのだということを知らないのだとしたら――


「……凄く……言いにくいんだが……」


 潤が言葉を濁らせると、水無はきょとんと見返してきた。

 あまりに無垢な表情だったので、潤は言葉を飲み込んでしまった。


「…………いや、なんでもない…………」


 水無は訝しげな表情を向けてきたが、潤は目を逸らした。


(義務教育で習う教育課程くらい、教えておいてやってくれ……)


 この場に居ない人物に向かって、胸中で苦情を漏らしつつ。


 先程までとは違う頭痛を感じながら、潤は景色の見えぬ窓を眺めて嘆息した。



◇◆◇



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