第三話『約束』―9
日本に滞在中、双子コンビは度々事務所に顔を出してきた。
彼女たちの教え子が、事務所に集中しているからなのだが。
蓮華はともかく、麗華は会社勤めに向いていない。表向きな役職は本社の製薬部にあるのだが、本人もよく把握していないくらい興味がないらしい。実際、工作員としての仕事ばかりで、年に数回しか本社にも帰って来ないのだ。それこそ、数日前まではずっとアメリカに滞在していたわけで。
事務所に顔を出す度に、千葉だ埼玉だと言っていた麗華だったが、倖魅は自分の仕事が忙しくてそれどころではなかった。
そうこうしている内に、水曜日がやってきた。
千葉県北西部に位置する某市内――。
人口はあまり多くないが、過疎化が進んでいるわけでもない街中。建設会社の所有する、小さなアパートへ辿り着いた。見た目は築十五年ほどの、何の変哲もないアパートだ。資料によると、居住者は建設会社の社員らしい。社宅なのだろう。
資料にある建物の間取りを眺めながら、泰騎は鼻歌を歌っている。
潤は、情報部へ現場に着いた旨を伝えていた。
『了解しました。十五分経っても連絡が無い場合、本社から工作員を向かわせますね。それでは、お気をつけて』
そこで、通話は終了した。
「十五分で終わればええなぁー」
敷地内に堂々と停めてある中型トラック――潤の仕事用予備車だ――から降り、歩きながら、声を潜める事もなく話す。
「『五分で終わらせる』んじゃないのか?」
「うん。頑張るわ」
「頑張らなくても、泰騎ならひとりでも五分で終わるだろ。ただ――」
問題はある。今回の場合、子どもの身の安全が最優先事項だ。元々、子どもが監禁されている状況にあるなら、その子どもたちは人質状態になっているわけで。
それは想定しているが、問題は他にある。
「子どもを先に建物から離さないとな」
人が殺される現場を目撃するということは、子どもの精神に大きなストレスを与えることになる。万が一殺害現場を目撃された場合は本社に所属している工作員が記憶の隠蔽を行うのだが――それも、脳内の海馬に直接干渉する方法なのでリスクを伴う。極力なら避けたいものだ。
泰騎は腑に落ちない様子で、手の中にあるナイフに映った自分を眺めている。
「それもなぁー。“悪い事をしたら、天罰が下る”って事で、子どもにはええ教訓になると思うんじゃけどなぁ」
「お前みたいに、心臓に毛が生えたような奴ならな。一般的に、それは精神的虐待って言われるんだ」
尤も、泰騎のような人間は教訓を得ようと本能がそれを望めば、それに逆らわない。と潤は思っているのだが。
泰騎はナイロンでできた、血飛沫避けの黒い雨合羽を羽織ると勝手口へ回った。ピッキングで鍵を開けると、そのまま入っていく。まだ人は見えない。
潤は、資料にあった子どもたちが集められているであろう部屋へ向かった。鍵を壊して、そのまま玄関から入っていく。室内の壁はくり抜かれ、そこへドアが設置されている。そこから、他の部屋へ行き来できるようになっていた。
耳の内側と、喉元にホクロのような小型イヤホンとマイクを貼り付けているので、お互いの声は聞こえる。独り言まで筒抜けだが。細かい操作は腕時計型のリモコンで行うようになっている。
最初に入った部屋に居たのは、子どもではなく大人だった。20代後半に見える男だ。本社から渡された資料に顔写真も載っていた。
男と目が合う前に、潤は腰に下げていたサイレンサーを装着している拳銃を左手で抜き、男の心臓を打ち抜いた。その一発で、男が倒れる。
普段使っている刀は今回の仕事内容に向いていないので、今日は持参していない。
床と壁に散った血と、銃弾と薬莢もついでに蒸発させる。情報部へ送る画像の撮影を行い、次の部屋へ向かった。
そこに子どもが居た。三人。全員小学生であろう女児だった。その内のひとりは、ウサギの描かれたロングTシャツを着ている。ピスミとは違い、可愛らしい顔をしたウサギの絵だ。
(麗さんの読み、珍しく外れたな。女の子しか居ないとなると、まず桃山は現れないだろ)
そんな事を考えていた。子どもの監視役らしき男に銃口を向けられながら。そして、女児たちの甲高い悲鳴を聞きながら。
少し離れた部屋からは、男の怒鳴り声と物音に紛れて笑い声が聞こえる。数秒で怒鳴り声は消えた。
引き金が引かれると同時に、銃弾を破裂させる。それを数回繰り返し、弾切れのタイミングで男の後ろへ回り込み、延髄へ肘を入れた。死んでいないにしても、当分起き上がる事は出来ない筈だ。
怯える子どもたちに、どうしたものかと溜息をひとつ。
こんな時には、いつも擦り寄ってくる野良犬が慕わしく思える。
「泰騎、子どもは103号室のリビングだ。監視がひとり。死んではいないだろうから、後で確認してくれ」
『りょーかーい。ワシ、今七人始末したで』
(相変わらず、早いな)
「なら俺がひとりと、ここにもうひとり居る。ひとり始末したら、こっちへ来――」
ある筈のない気配を感じ、潤は咄嗟に女児に覆い被さった。セクハラ? そんな事を考えている余裕も猶予もない。幸い、三人は身を寄せて怯え固まっていたお陰で、取り零さずにすんだ。
寸での差で室内を覆ったのは、覚えのある炎を纏った熱風だった。暴発を防ぐ為、ベレッタを投げ飛ばす。案の定、残った弾が空中で爆発した。
先程卒倒させた男が、服と身体を燃やしながら床を転がる。
髪の毛の焼ける悪臭が、嗅覚を攻撃してきた。
『潤? 何かすげー音しとるけど大じょ――』
「泰騎、いいから。……終わっても、こっちには来るな」
弱まった熱風に紛れて声が届いた。昔の自分と同じ声で。
「咲弥様が、君に会いたいんだって」
声は近付いてくる。煙が邪魔で姿は見えないが、潤には声の主がどこに居るのかはっきり感じ取れた。
少し焦げた上着を子どもたちに被せ、しゃがんだまま声の方を向く。
声は途切れない。
「ウチのハッカーが、君の会社の書類作成履歴を調べてね。ここに君が来る事を知ったんだ。ただ、まだ分からない事があってさ……」
三メートルほど間を取り、水無は立ち止まった。煙が逃げる。潤を見据えて、腕を組んだ。
「君の急所はどこ? 僕にはないんだけど、君の動きを見る限り……あるんでしょ? ピット器官。君の会社のどのネットワークを見ても見つからないみたいでさ」
倖魅が頑なに“ネット以外で”と言い続けてきたお陰で、今まで外部に漏れる事のなかった情報だ。
“どこ”と訊かれて、答えると思うか?
そう言いたい気持ちを抑える。今、彼を刺激すれば室内全体を燃やされかねない。自分は耐えられても、子どもは熱を吸い込み肺を焼く事になる。それは避けたい。
潤は脇に転がっている焦げた男を横目で確認した。
どうやら、子どもたちのトラウマ回避は不可能なようだ。
潤は腕時計を操作して泰騎との通話回線を切ると、子どもたちを背に立ち上がった。
「俺の急所なんて狙わなくても、ついて行ってやる。だから子どもには手を出すな」
水無は意外そうに口を開いた。
「へぇ。平気で人を殺すのに、そんな何の役にも立たない子どもは守るの? おかしーなぁ」
潤は言い返す事もなく口を噤んだ。
自分は好きで殺しているわけでも、まして人を殺して平気なわけでもない。だが、水無の言う事はもっともだ。
「まぁ、良いや。ついて来てくれるなら、僕も無駄な体力を使わずに済むしね」
言うと、水無は右手を潤へ掲げた。




