第三話『約束』―6
蓮華は泰騎の前に立ち、抑揚のない声を発した。
「泰騎、誕生日おめでとう」
と言って取り出されたのは、大量のボールペンだった。声のトーンはそのまま、続ける。
「仕事、頑張れよ」
「え、蓮ちゃん……これって……」
目を大きく瞬きし、泰騎がボールペンを見つめる。
「まさか、仕込み針入りのボールペン?」
期待の眼差しを、蓮華へ向ける。
「いや。普通のボールペンだ。書きやすいぞ」
期待は打ち砕かれた。
「インクがぜーんぶ無くなるまで仕事しろって事よぉー」
麗華が追い打ちを掛ける。
「このインクを、標的の体内にぶちまけてやりたい気分じゃわ……」
面識もない、クリアファイルに挟まれている写真の顔をじっとりと睨んだ。恨みなど全く抱いてはいないが、憂さ晴らしに協力して貰おう。完全な八つ当たりだ。
「潤に渡したら、すーぐインク無くなるんでしょうけどね。まぁ、あんたは黙って机に向かっとける性格じゃないし。一年くらいかけてインク使い切りなさいな」
「んで、来年の誕生日にもボールペンが来るんかな?」
「お互い生きてたら、そうかもしれないわねー。それにしても、四年間メンバーが変わらないなんて、ここはホント優秀ねぇ」
麗華が腕を組んで室内を見渡す。自分の教え子ばかりではないが、見知った顔が並んでいる。
泰騎がふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「じゃろぉー? ワシの事務所は優秀なんー」
「でも、この表事業の方向性には賛成してないわよ。あんただって気付いてるでしょ」
麗華の言葉に泰騎は目を瞬かせ、肩をすくめた。自嘲気味に笑う。
「そうじゃなぁ。もって五年かなって、作った時に思うたよ。成績出しすぎても、他の部門に睨まれるし。かといって実績出さんかったら廃止させられるし。匙加減が難しいんよなぁ。それに、ファッション関係の流行は回転早いけんな。社長は国産製品を推すけど、今は低価格競争の時代じゃから、完全国産の数量限定商品だけでやっていくには限界があるんよなぁー」
「まぁ、あんたは本社勤務には向いてないし。って言っても、デスクワークも向いてないし。かといって、あたし達みたいに色んな国を飛び回る気もないんでしょ。どうすんのよ」
「事務所辞める気ぃはないよ。事業内容は……また考えるわ。出来るなら、工場で務めてくれとる人が解雇にならん方向で。退職者が出ても、退職金が用意できる程度には黒字じゃしな」
「あら。あんたにしてはよく考えてるじゃない。ここを作った時は只の勢い任せだったのに」
麗華に感心されるが、泰騎は喜ぶ事なく唸っている。
「ワシも、もうええ年じゃからなぁ……」
「ちょっと。年の事をあたしの前で言わないでくれる?」
麗華が不機嫌さを露わにした。
泰騎は白い歯を見せて笑う。麗華の腰に腕を回すと、体を引き寄せた。
「麗ちゃんはいくつになっても綺麗じゃで」
「あんたも、いくつになっても変わんないわね」
「何で、結婚出来んのかなぁー」
うぅん……。と泰騎が深刻な唸り声を上げる。
麗華の口元にある薄い皺が、僅かにファンデーションを割って痙攣した。
「相変わらず、ひと言多いわねっ」
顔面目掛けて飛んできた裏拳を寸分の差でかわす。泰騎は麗華の体から離れた。
「どのみち、結婚する気も無いんじゃろ? 麗ちゃん、仕事大好きじゃもんなぁ。あ、社長と結婚すればええがー。仕事も続けられるし」
名案だと泰騎は声を上げたが、麗華は迷案だと顔をしかめた。
近くで話しを聞いていた潤は、隣りに立っている蓮華と顔を見合わせる。
「麗さんがお姉さんになると、色々と大変なんでしょうね」
「ああ。色々と大変だぞ」
蓮華は表情を変えなかった。だが、蓮華から伝わってくる空気でその苦労が感じ取れた。
蓮華が、潤に苦笑を向ける。
「雅弥と泰騎が兄でも、色々と大変だろう」
「ええ。色々と大変ですよ」
潤と蓮華は、ワイワイと結論の出ない――出す気のない――話題で盛り上がっている兄と姉に目を向けた。
「でも、慣れますね」
「ああ。慣れるな」
麗華と蓮華は、泰騎と潤の“先生”でもある。九歳から十四歳になるまで。義務教育を受けていないふたりに、一般常識から多分野の専門知識、戦闘技術を叩き込んできた。
泰騎と潤を送り出すと、次は恵未、凌の順で、技術講師をしている。恵未に関しては、義務教育課程以外はほぼ戦闘訓練を。凌は、義務教育課程や戦闘技術に加えて営業訓練も行っていた。そのお陰で、凌の営業スマイルは得意先で絶大な人気を誇っている。雅弥からは、冗談で『夜王を目指すべき』と言われる程だ。ただし、訓練で重度のストレスを受け、髪の色素が抜けてしまった。そんな彼の特技は“努力と我慢”だ。
訓練時代、蓮華は主に潤の教育を任されていた。潤の現在の口調は、彼の影響が大きい。
元々、潤は精神的にとても弱かった。というか、弱くなっていた。無意識とはいえ――否、無意識だったからこそ、大量殺人を犯した自分の能力に対する怯えと罪悪感が、彼を支配していた。それを根本から叩き直したのが蓮華だ。すぐ身近に、常時喋っているような賑やかな姉が居るからか、口数は多くない。だが、蓮華は相手の気持ちを汲み取るのが上手い。それが妙に潤の性格と噛み合った。
「潤は、どうしたいんだ?」
“どう”とは、今後の事業方向云々での、自分の身の振り方についての問いだろう。
「泰騎のサポートが、俺の仕事ですから。方向性は泰騎に任せます。その細部を正すのが、俺の役目ですよ」
潤は予備で置かれていた空の紙コップに烏龍茶を注ぐ。腑に落ちない、といった空気を纏っている蓮華へ、手渡した。
首をすくめて苦笑する。
「俺以外、あの放逸な人間の相手をする人物はここに居ないですから。それに、逆もまた然り――です」
虚を衝かれたような表情を潤に向けた蓮華だが、次の瞬間にはつられて苦笑が漏れていた。
「本当に、良いコンビになってくれて嬉しいよ」
「蓮さんと麗さん程ではないですよ」
「お前たちの場合、兄弟というより夫婦みたいだな」
「投手と捕手のようなものですか?」
よく夫婦に例えられる代表的な役割を口に出してみたが、蓮華は少し煮え切らない表情だ。
「まぁ……そうだな」
蓮華の“一応”といった感じの肯定を聞き届け、潤はブランデーのボトルを振り回している相方を見やった。室内は実に賑やかだ。
「俺はいざという時、泰騎じゃないと駄目ですから」
ぽつりと零れた小さな呟きは、周りの喧騒に紛れて消滅した。




