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第三話『約束』―2



 埼玉県某所。郊外の山沿いに、大きな工業施設だった建物が(たたず)んでいる。中は薄暗く、大きな空間は、殺風景で広漠(こうばく)たるものだった。


「ひとりで遠くまで出歩いて……誘拐でもされたらどうするの」


 綺麗なアジアンブラックのロングストレートヘアを脇に立っている少年に預けたまま、女性は嘆息した。黒い瞳は、正面に立っている少年へ向けられている。


「咲弥様、僕が誘拐されると思ってるの?」


 少年――水無は、きょとんと訊き返した。

 咲弥は、腰掛けている椅子の肘掛けに頬杖をついて微笑んだ。ローズレッドの唇が開く。


「あたしが水無を街中で見たら、誘拐しちゃうわよ。でもそうね。要らない心配だったわ」

「そうだよ。道を歩いてる時に何人かに話し掛けられたけど、みんな消しちゃった」


 消したとはつまり、言葉の通りの意味だ。

 迷子だと思って声を掛けた者もいただろうが、水無にとっては知った事ではない。


「余計な心配だと分かっていても、やっぱり心配なのよ」

 咲弥は、小さなジルコニアの付いた長い爪で水無を招いた。

「あの子に会いに行ったんでしょう? 感想を聞かせてくれる?」


 咲弥が柔らかい髪を撫でると、水無は肩を竦めて笑った。


「そうだね。前に見た事のある写真からすると、髪の毛以外はあまり面影が無いと思うよ。咲弥様が気に留める程の奴じゃないかな。あ……そういえば……」

 水無は、はたと虚空へ目を向けた。くすりと笑みを零すと、咲弥へ視線を戻す。


「左目に、卑猥な傷痕があったよ」


「卑猥……?」

 咲弥は言葉の意味を理解しかねて、眉根を寄せた。

「ふた股の、漢字の『人』みたいな傷だよ」

 水無の説明に、咲弥が笑いだす。社交ダンスの衣装かと見まごう、黒いドレスの裾が小刻みにさらさらと踊っている。


「あ、はははっ。いやだわ、水無ったら。そうね。見ようによっては、公然わいせつだわ」


 咲弥の両脇に控えている少年は、お互いにそっくりな整った顔を見合わせ、首を傾げている。


「ねぇ。咲弥様はこれからどうするの?」

 水無の質問に、咲弥は自分の長い爪を眺めながら「そうね」と呟いた。

挿絵(By みてみん)

 室内を見回す。

「まだ日本へ帰って来て間もないし。メンバーもまだアメリカに居るから……当分は、体制を整えないと」


 眼前に広がるのは、だだっ広い開けた空間だ。経営難で潰れた工場を、そのまま買い取った。外装はそのままに、中だけを一掃した状態だった。そんな中に、椅子とソファーだけが置かれている。

 かつては京都を拠点としていた咲弥だが、今回購入した土地は埼玉にある。


「雅弥を何とかしないと、日本での活動は難しいのよね……」


 一度、苦汁を舐めさせられた人物を思い浮かべる。厳密には、以前咲弥が束ねていた組織を潰したのは、当時まだ八歳だった潤なのだが。


 ともあれ、東京の土地を購入する資金はない。神奈川には、もうひとり厄介な血縁者が居る。となると、選択肢は自然と削れた。

「ある程度準備が整ったら、京都へ帰りたいわ」

 水無の頭を撫でながら、咲弥が嘆息した。

 天井に張り巡らされた剥き出しの鉄骨が、鈍い光を放っている。




◇◆◇




「泰ちゃん、お誕生日おめでとー!」


 特に変わった事もなく時は過ぎ、十月も下旬となっていた。《P×P》事務所の会議室。


 何の変哲もない只の会議室だが、現在は長机数台の上に、オードブル一式と惣菜、おにぎりの山、ペットボトルの飲み物と各々のグラスやマグカップが置かれている。


 通常の勤務時間が終わり、事務所に所属する社員が集まっていた。

 泰騎の誕生日だ。といっても、当日は明日なのだが……土曜日で休みなので、予定を前倒しにしている。


 《P×P》では、事務所員の誕生日を皆で集まって祝うのが慣わしだった。


 シャンパンのボトルを掲げて、泰騎が適当な謝辞を述べる。

「みんな、忙しいのに集まってくれてありがとなー。二十四歳になるでー。んじゃ、普段不摂生しとる若い衆! 野菜しっかり食って帰れよ! かんぱーい」


 そのまま、ボトルを傾けてシャンパンを呑み込んだ。


「所長マジかっけー! オレもシャンパンをボトルで呷れる男になりたいです!」

 瞳を輝かせているのは、営業部の英志(えいじ)だ。深く茶色い髪は、無造作に跳ねている。


「英ちゃんは、凄く泰ちゃんをリスペクトするよねー」

 潤の私物マグカップに烏龍茶を注ぎながら、倖魅が微笑んだ。

「見習われて困るところも多いがな」

「まぁ、普段の泰ちゃんには人として立派なトコって、見当たらないもんねー」

 笑顔で毒を吐く倖魅だが、その毒に慣れきった潤は何とも感じなくなっている。

 ――というか、同意しかない。


「はーい。泰ちゃん、二十四歳はどんな風に過ごしたいですかー?」

 倖魅の問いに、泰騎がボトルから口を離した。

「そろそろ、結婚適齢期じゃなぁー。とは思っとるで」

 泰騎のひと言に、その場に居る全員が凍り付いたかのように動きを止めた。


 数秒の後、凌がやっと声を上げる。

「泰騎先輩、結婚願望あるんですか!?」

 これを口火に、ざわつきが広がった。


「いつもあんなにフラフラ遊び回ってるのに!?」

「っていうか、ちゃんとひとりの女性を愛せるんですか!?」

「あー、いやいや。女の子とは限らんし」

 泰騎の言葉に、更に戦慄が走る。


「所長が男とも付き合ってるのは知ってたけど、そこまで男が好きなんですか!?」

「いや、別に『男』っていう性別が好きなわけじゃねぇんじゃけどな。でもまぁ、結婚は置いといて、子どもは欲しいなぁー」

「じゃあ結局、女の人じゃないと駄目じゃないですか!」

 と、なんやかんやツッコミを入れられまくっている。


 それを遠目に眺めていた倖魅は、苦笑してひとり呟いた。

「皆、分かってないなぁー。泰ちゃん程、一途な人も珍しいのに」

 真っ赤なミニトマトを口に入れる。奥歯で噛むと、皮が弾けて甘味と酸味が口内に広がった。

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