第二話『来訪者』―7
潤は、規則正しく並んだ文字を心中で読み上げながら左手を動かす。
祐稀は立ち上がると、室内を回視してから給湯室へ消えた。
数分の後、現れた祐稀の手に握られた盆の上には、人数分のマグカップが乗っていた。
「わぁー祐稀ちゃんグッドタイミングだよー。ボク、丁度飲み物取りに行こうかと思ってたトコなんだー」
礼賛の声を掛ける倖魅の前に、カフェオレを置く。
「何となく、そんな気がしました」
倖魅に対して軽く一礼する祐稀に、凌も嘆賞の声を漏らした。
「祐稀。永遠に恵未の代わりに居てくれて良いぞ」
「凌ちゃんったら……祐稀ちゃんを褒めたい気持ちは分かるけど、それじゃプロポーズみたいだよ」
緩く――見ようによっては意地悪く――目を細めて笑う倖魅に、凌の表情は固まった。
倖魅の言葉の意味がやっと脳内処理された凌は、顔を赤くして否定を叫ぶ。
「いや、あの。そういう意味じゃなくて!」
「凌先輩。残念ですが、私はそのお話、お受けしかねます」
真面目な顔で、祐稀がきっぱりと言い放った。泰騎と潤の前にもマグカップを置く。
凌は口元を引き攣らせて、続きを叫んだ。
「だから、そういう意味じゃないんだって! 恵未より有能だって言いたかっただけなんだって!」
「何を言っているんですか! 恵未先輩の不器用さは、計り知れない武器となるんですよ!?」
凌の声量に対抗するように、大声で叫び返す祐稀。
泰騎が、声を落として呟く。
「祐稀ちゃん、今思いっきり『不器用』って言うたな」
潤が頷いた。
「あぁ。言ったな……」
「不器用っていうのには気付いとったんじゃな。てっきり、恋は盲目ってヤツかと思うとった」
「盲目的な捉え方ではあるがな」
潤が、紅茶の入ったマグカップを持ち上げ、ひと口飲み込む。
潤は、ここに居ない警備部長の姿を思い浮かべた。黒いショートカットの髪に、くりっと丸い瞳。左耳にオニキスの丸いピアス。健康的で、小回りのよくきく身体をしている。用事のないときは、いつも菓子を頬張っている妹分だ。
そんな恵未だが、仕事となると――勿論、文句を言う事も多いのだが――きっちりとこなしてくれる。そんな彼女の今回の仕事の詳しい内容は、潤にも知らされていない。
心配はしていない。内容を倖魅が知っているのなら、問題はないと思っている。
半月ほど前、恵未が出張で出ていた社長護衛の記録を目で追う。
「護衛……か」
社長の護衛となると、美味しいものが食べられるからと喜んで出張に行く、恵未の姿が脳裏に浮かんだ。
自然と口元が緩む。
「ん? 何ニヤけとん?」
「いや、ウチの女性陣は元気で何よりだな。と」
「ふぅん……。うん。元気な女の子はええよな」
「泰ちゃんが言うと、急にいやらしくなるから不思議だよね」
「倖ちゃん。それ、どーいう意味?」
「え? 言ったままの意味だけど」
一見、険悪な言い合いに見える泰騎と倖魅のやり取りも、ここでは日常風景だ。そもそも、本気の喧嘩ではないし、仲が良いからこそできるやり取りでもある。
潤は口元を緩めたまま、嘆息した。
「本当に、お前たちは仲が良いな」
「あ、そんな事言ってると、サンドイッチしちゃうよ!? ボクたち、仲良し“トリオ”でしょ?」
潤が、顔をしかめる。
「……いつからそういう括りにされたんだ?」
「そんなん、もう十年くらい前からじゃろ」
泰騎がコーヒーを啜った。手元にあるのは書類ではなく、ファッション雑誌(男性向け)だ。
とにもかくにも、彼らの日常は日常として過ぎていく。
泰騎の言う『嫌な予感』というやつも、大抵は『誰々が撃たれた』だの『誰それが刺された』だの、“その程度”だ。現在、事務所のメンバーは欠けていない。その事実があれば良い。結局は、撃たれただの、刺されただのという、それさえも『日常』として認識される範疇にある。
彼らの中にある常識的日常とは、つまりそんなものなのだ。




