第二話『来訪者』―5
デスクの引き出しをそっと開けてみた。中には、箱や袋に入った菓子がぎゅうぎゅうに敷き詰められていた。
祐稀はジャケットのポケットから個包装の飴をふた粒取り出し、引き出しに追加する。
そして、満足そうに笑った。
「恵未先輩、いっぱい食べてくださいね」
息を荒くしている祐稀を横目で捉えながら、倖魅は不自然な笑みを作った。
「祐稀ちゃん……まさか変な薬入りの飴を恵未ちゃんに食べさせようっていうんじゃ……」
恐る恐る尋ねると、祐稀は眉根を寄せて倖魅に顔を向けた。
「安心してください。市販品です」
引き出しを閉めながら、祐稀は顎へ手を添えた。
「でも、そうですね。研究室へ行けば、なにかしら……そういった薬もありそうですね。惚れ薬とか……」
真剣に考え込む祐稀に、倖魅は嘆息した。
「そんな方法で両思いになるの、ボクは反対だなぁ。っていうか、止めた方が良いよ。研究室に行ったっきり帰ってこない人、年間ふたりは居るからさ」
呟かれた倖魅の言葉に、祐稀は興味を持ったようで。
「その噂、たまに聞くんですけど……倖魅先輩が言うって事は、本当なんですね」
「ホントーだよ。行方不明になった被害者の身辺データを消すように本社から依頼を受けるの、ボクだからねー」
しれっと言われた言葉に、祐稀が再び眉をひそめた。
「そういう情報、機密事項じゃないんですか?」
「べっつにー。この事務所内で喋るぶんには、構わないよ。本社のことだし。それに、ここには“優秀な”特務員しか居ないからね」
祐稀は、薄ら笑いを浮かべている倖魅を一瞥すると瞳を閉じた。
「そうですね。愚問でした」
ひと息置き、目を開ける。
「ところで、恵未先輩はどちらへ行かれているんですか? 『ちょっと退屈な護衛をしてくる』としか教えてもらえなかったんですけど」
「あぁー。うん。ちょっとねー……恵未ちゃんにとっては退屈すぎる仕事をして貰ってるんだよねー」
倖魅は頬杖を突き、目線を斜め上へ泳がせた。
嘘ではない。恵未に対する負の意識がそうさせた仕草だ。
「ま、恵未ちゃんが帰ってきたら教えてもらえるよ」
「……いつも倖魅先輩ばかりが情報を握っていて、不公平です」
微かに頬を膨らませて口を尖らせる祐稀の姿に、倖魅は――頬杖をついたまま――肩をすくめた。
「ボクも、出来ることなら他の人にやって貰いたい仕事がいっぱいあるんだけどね。有り難いと言うべきか、残念と言うべきか……ボクにしか出来ない事が多くてさ」
「倖魅先輩って、本社採用のお話があったんですよね? なんで事務所なんですか? 本社の方がお給料も良いのに」
「ここには泰ちゃんと潤ちゃんが居るからね。理由なんて、それだけで十分だよ」
頬杖のまま、倖魅は笑って見せる。
それと反比例して、祐稀の眉間の皺が増えた。
「恵未先輩が居るからじゃないんですね」
「勿論、恵未ちゃんが居るからっていうのもあるよ。今は、ね? でも、泰ちゃんと潤ちゃんが居なかったら、ボクは恵未ちゃんにも出会えなかったからさ」
「……そうですか。特務幹部の皆さんの事情が複雑なのは知っているので、私も深くは聞きません」
「そう? 結構皆、単純な理由でここに辿り着いてるんだけど……まぁ、わざわざ話す事でもないから黙っとこうかな」
含み笑いをこぼす倖魅の後ろで、泰騎が自分の座っている椅子をくるくる回している。
「ところで祐稀ちゃん、飲み物は何がええー? コーヒー、カフェオレ、キャラメルラテ、紅茶、ウーロン茶、ほうじ茶、緑茶があって……あ、ごめんな。赤いのは無いんよ。コップも恵未ちゃんの使ってええからな」
泰騎の言葉に、祐稀が顔色を変えた。赤色に。
「祐稀ちゃんって可愛いなぁー。めっちゃ顔に出とるで」
「泰ちゃんは顔色変えずに切り掛かって来るから性質が悪いよ……」
ノートパソコンに顔を向けたまま、倖魅がポツリと呟いた。
そんな倖魅に、泰騎は笑顔を向ける。
「倖ちゃん、何か言った?」
「ううん。何にも言ってないよ」
首から上だけ振り向き、倖魅も笑顔で返事をした。
潤が立ち上がる。祐稀の座っている横を通り過ぎる時に、ひと言。
「因みに、恵未はキャラメルラテが好きだな」
「じゃあ、それで」
即答だった。
「あ、場所を教えて頂けましたら、私が淹れますよ」
腰を上げかけた祐稀を、潤は手で制した。
「自分の飲み物のついでだから良い。祐稀は恵未の机の整理でもしておいてくれ」
先程、飴を忍ばせた引き出し以外を開けてみると、筆記用具やメモ、社内配布の書類が、ぐちゃぐちゃになって入れられていた。祐稀はきょとんと目を丸くしたが、すぐに、くすりと笑みを漏らした。
「先輩ったら、相変わらずワイルドですね」
ゴミ屋敷をそこに集約したかのような空間に向かって、うっとりと熱い溜息を吐いている。
そんな祐稀の様子を見て見ぬ振りをしながら、倖魅はキーボードを叩いた。
そうこうしていると、盆の上に人数分のマグカップを乗せた潤が戻ってきた。
「発行日が半年以上経っている書類は、捨てれば良いからな」
言いながら、祐稀の前にキャラメルラテを置いた。湯気と共に、甘い香りが昇ってくる。祐稀は礼を述べると、ゴミ溜めと化している引き出しに向き直った。
潤は、祐稀の隣に座っている倖魅にもマグカップを渡す。犬の足跡マークだ。中身はカフェオレ。
「ありがと、潤ちゃん愛してる」
軽く肩を竦めると、潤は無言で自分の席へ戻った。
椅子に座ってから、隣の泰騎へピスミマークの印刷されているマグカップを渡す。
「あんがとー。今日はほうじ茶?」
「ストレス解消」
「えぇ? ワシそんなにストレス溜まっとらんよ」
「俺のついでだ」
「あぁ、なるほどな」
芳ばしい匂いを嗅ぎながら、泰騎が苦笑した。
「潤ちゃんのストレスの原因の大半が泰ちゃんなんだけどねー。泰ちゃん、今日はどんな仕事をしたの?」
パソコンに向かったままの倖魅の問いに、泰騎が天井を仰ぐ。
「んっとぉー……今月号の『monmo』と『GanGam』を読破したで」
言いながら、読破したという女性向けファッション雑誌を掲げて見せる泰騎だが、見事に無視されている。
「え? ちょ、自分から訊いといて無視するん? そんなんアリ?」
泰騎の訴えは当然のように退け、倖魅が顔だけ潤の方へ回した。
「潤ちゃんも、甘やかすと自分が大変なんだから。たまにはガツンと言って良いと思うよ」
潤が、ほうじ茶入りのマグカップに口をつけたまま、視線を倖魅へ向ける。
「これが俺の仕事だからな」
ひと言呟き、ほうじ茶をひと口飲み下す。
ストレスは緩和されたのかもしれないが、目の前に積まれた書類の山はなくならない。
潤は左手にペンを持つと、書類の山から一枚紙を手に取る。文字を読んではサインを済ませ、確認済みの書類の山へと移動させていく。書類によって、マーキングペンや確認印に持ち替えながら、一枚ずつ別の山へ移動させる。時に泰騎の机へ置きながら。
「泰騎、あと一冊読み終わったら書類の確認をしてくれ」
「ん。了解」
新しい雑誌を広げている泰騎が頷くのを確認し、潤は再び書類に向かってペンを滑らせ始めた。
午後の三時頃になると、両手に仕事用の鞄と貢物――否、“お土産”を下げた凌が返ってきた。
メンバーが二人抜けている以外は、何の変哲もない日常的な風景だ。
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