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第二話『来訪者』―4



 《P×P》事務所の所長室。そのドアが、ノックされた。

「お早うございます」


 十時を過ぎて訪ねて来たのは、腰まである綺麗な黒髪を首の後ろでひとつに束ねた女性だった。

 目が大きくて可愛らしい顔をしているのだが、眉は細く上がり気味で、凛々しい顔付きを演出していた。黒の上下スーツ、中には白いYシャツを着ている。

 スーツを着ているので目立たないが、胸はFカップある。本人は「無用の長物だ」と言っており、かなりキツめに押さえ込んでいるらしい。


「やっほー、(ゆう)()ちゃん!」


 入り口のドア正面に座っている泰騎が、挙手して名を呼んだ。

「祐稀ちゃんは相変わらず、きっちりした服装じゃなぁー。もっと自由な服装でええんじゃで?」


 祐稀は長いまつ毛を上下させると、変わらぬ顔で口を開く。

「いえ。慣れてしまうと、スーツも動きやすくて良いものです。所長もどうですか? 似合うと思いますよ」

「遠慮しとくわ」

 泰騎は両手を上げて、話題を終わらせた。


「で、どうしたん?」

「恵未先輩が不在の間、私が事務所の警備にあたっているんですけど、正直暇です。どうすれば良いですか?」

 真顔で不満を訴える後輩に、泰騎が苦笑する。

「ぶっちゃけすぎじゃろ。そう毎日不審者に狙われとったら困るで。っていうか、本社の警備も同じようなモンじゃろ?」


 祐稀は《P×P》に所属しているが、仕事内容は本社の警備だ。ただし、勤務時間等は、《P×P》に準じている。


「本社は人の出入りが多いので、人間観察をしていれば暇はしません」

 はっきりと、勇ましく言われたが――

「祐稀ちゃん、暇つぶしの方法が職業病じゃな」

「恵未の買い食いよりは、ずっと良いと思うけどな」

 呟いたのは、泰騎の隣に座っている潤だ。


 祐稀は眉根と口元に力を入れた。

「恵未先輩は、いっぱい食べていた方が可愛いから良いんです」

「祐稀ちゃんの恵未ちゃんに対する愛も、相変わらずじゃな」

 泰騎の言葉に、祐稀は本日初めて笑った。満足そうな――誇らしげな笑みだ。

「恵未先輩が快適な社会人ライフを満喫できるようにお手伝いするのが、私の仕事だと思っていますから」

 本社の警備も、本来ならば警備部長である恵未が充てられるべき仕事だ。だが、恵未が嫌がったので祐稀が担当している。


 入り口のドアから、ひょっこり倖魅が現れた。

 祐稀の表情が歪む。

 祐稀の顔を見た倖魅の口元も、微かに引き攣った。が、すぐに笑みを(かたど)る。


「祐稀ちゃん、どうしたの? 珍しいね、こんな時間に」

「倖魅先輩こそ、お仕事はどうしたんですか?」


 わざわざ倖魅の不在であろう時間を狙って来たというのに。と、内心で祐稀が苦虫を噛む。


 祐稀は、恵未が好きだ。尊敬もしている。だが、感情の終着は尊敬ではなく、恋愛的なそれだった。恵未は気付いていないのだが。

 それ故に、倖魅は所謂“恋の好敵手(ライバル)”とも言える存在だった。

 ただし、倖魅の恋愛感情を恵未が受け止めているわけでもない。ふたり揃って、見事に完全な片思いだ。


「ほーら。ふたりとも、険悪ムードはお呼びじゃねぇでー。片思い同士仲良うせられぇよ」

「万年片想いの泰ちゃんに言われたくな――」

 倖魅が全て言い終わる前に、机を飛び越えた泰騎の右手が、倖魅の口を掴んだ。左手に握られたボールペンが、倖魅の目の寸前で静止する。


 泰騎が、にっこり笑った。

 右手を放す。

「ごめんなぁ倖ちゃん。蝿かと思うたら、倖ちゃんのホクロじゃったわぁ」

 倖魅の背中を、ひと筋の冷たい汗が伝った。

「――ごめん」

「ん? 何で謝るん?」

 首を傾げる。笑顔のまま。

 ボールペンをくるくる回しながら、泰騎は自分の席へ戻った。

 倖魅も自分の席へ座る。


 祐稀が、意外そうに泰騎の事を見つめていた。

「所長って、速く動けるんですね……。初めて見ました」

「事務所内じゃ跳び回れんもんなぁ。まぁ、跳び回る必要もねぇしな」

 ギシ。泰騎の椅子の背もたれが、しなった。

「普段ぬいぐるみを振り回して跳び回っている人間の言葉とは思えないな」

 潤が、ぼそりと声を発した。視線は卓上の書類だ。


 視線を上げると、潤は祐稀へ目を向けた。今度は普通に声を発する。

「祐稀。恵未が不在の間は、恵未の席を使えば良いぞ。許可は取ってある」


 祐稀の瞳が輝いた。今日イチの笑顔を披露している。

「えみしぇんぱいの……おせきに……すわって、いいんですか……?」

 感嘆の息を漏らす。恵未の椅子に頬を摺り寄せて。祐稀の目には、涙が浮かんでいた。


 隣に座っている倖魅の顔には、不自然な痙攣が起きている。

 普段はクールビューティーと社内で評判の祐稀が、恵未が絡むとこうなる。こうなってしまう。倖魅も、最初に見た頃は、何となく微笑ましいな。くらいにしか思っていなかったが、近年は少しばかり恐怖を感じるようになった。


「祐稀ちゃん、座部分に頭を乗せてないで、お尻を乗せたら?」

「倖魅先輩、セクハラですか?」

 半眼で指摘され、倖魅は、違うよーと呻く。


「流石の倖ちゃんも、椅子に頬擦りはせんもんなー。ええよー祐稀ちゃん。椅子を舐めまわしても、ワシは黙っといてあげるよー」

 期待の眼差しで顔を泰騎へ向ける祐稀。だが倖魅に「ボクは黙っとかないよ」と呟かれ、渋々席へ座った。

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