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第一話『日常』―9

「潤ちゃん、モテモテだねー」

 倖魅が繰り返した。


「みんな、潤先輩に聖母的な何かを感じているんですね!」

 恵未はにぼしを噛み砕きながら、大きな瞳を細めている。

「…………」


 まず、性別上“母”にすらなり得ないのだが。


 返事に困って黙り込んでいると、倖魅が、

「恵未ちゃん、それを言うなら聖人の方がしっくりくるかもー」

 と、フォローなのかどうなのか、よく分からない事を言っている。


「潤ちゃんに救いを求めて寄ってくるんだよねー」

 倖魅が「ねー」と、抱いている猫と顔を見合わせた。


 潤にとっては、それが不思議でならない。恐がられることはあっても、情にすがられる道理が分からない。


「腑に落ちない顔してるけど、実際にこのコたちは潤ちゃんに助けてもらって、寝床もご飯も困らない状況にいるんだから。もうちょっとドヤっとして良いと思うよ。お陰でボクも癒されるしー」

 倖魅が、抱きかかえている猫に頬を摺り寄せる。


「考えようによっては、ここに居るコたちってボクらそっくりでしょ? 誰かに救われて、今ここに居るんだよ。ボクも、恵未ちゃんも、潤ちゃんもさ」


 「ねっ」と、抱いていた猫を潤へ差し出す。


 綺麗なブルーグレーの猫だ。グレーは人気があるのだが、日本では比較的珍しい。先々月、保護したように思う。そろそろ飼い主探しから、里親探しにシフトする頃だろうか。

 次に来た時には引き取られて、もうここには居ないかもしれない。

「倖魅、俺はもう手一杯だ」

 文字通り――文字以上に。両脚、両腕、両肩、そして頭を猫に占領されている。手どころか、全身一杯状態だ。


「そっか。潤ちゃんモテモテだったの忘れてた。ねー、たいちゃんも潤ちゃんに抱っこされたかったよねぇー」

「猫が混乱するから、変な名前を付けるな」


 潤が半眼で告げるが、倖魅は聞こえないふりをした。


「たいちゃん可愛いからウチに来てほしいんだけど、ボク、いつ死んじゃうか分からないから動物飼えないんだー。ごめんねー」


 生きとし生けるものは須らく、いつ死ぬかなんて分からない。潤は言葉を飲み込むと、倖魅に同意した。この保護施設の従業員を一般人で固めた理由が、つまりそういう事だからだ。

 自分が死んでも、施設は残る。


「ったく、倖魅はいっつもそんな事言ってるから、ひょろひょろのナヨナヨなのよ」


 残り少なくなった煮干しを噛みながら、恵未が仁王立ちする。


「いい? 『死ぬかも』とかマイナスな事言ってたら、本当にそうなっちゃうの。私は、病気になろうが怪我をしようが、運命の神様とやらに喧嘩売って、勝って、生きてやるんだから!」


 いつも通り(たくま)しい相方に、倖魅は眉を下げた。


「そうだね。恵未ちゃんのそういうトコ、好きだよ。恵未ちゃんならホントに勝てそうだもんねぇ」

「私だけ勝ってどうするのよ。倖魅も一緒に決まってるでしょ」


 当たり前だという口調で、仁王立ちも崩さず、恵未はにぼしを貪る。

 倖魅は、普段から下がっている目尻を更に下げ、目を細めた。


「えへへ。ありがと。ホント、恵未ちゃんのそういうトコ好きだよ」

「あんたの好みは聞いてないわよ」


 恵未はにぼしを平らげると、リュックから、袋に入った骨の形をした歯磨きガムを取り出した。


「そんな事より、私は早く犬に会いたいんだけど」

「そっかぁー。じゃあね、たいちゃんバイバーイ」


 先程までのご執心っぷりはどこへやら。倖魅はブルーグレーの猫を床へ下ろすと、あっさりと犬の居る部屋へ足を向けた。


 施設内のおおまかな区画としては、犬、猫、小動物、爬虫類、鳥類、その他に分けられている。住宅の小型化が進み、中~大型犬の引き取り手が少ないことから、犬の集まっている区画は大型犬が半数を占めている。とはいえ、小型犬も多い。


 犬を飼えば散歩ができて、健康に良いから。老後、パートナーが先立ち寂しいから。といった理由で犬を飼う老人も多く、二十年近く生きることもある小型犬の面倒を最後まで見られないケースも多い。


「私、もし一軒家に住めるならセントバーナードが飼いたいんです!」

 潤へ向かって瞳を輝かせる恵未に、倖魅が首を傾げた。

「恵未ちゃんは、土佐犬との相性の方が良さそうだけど……」

 呟いた刹那、倖魅が卒倒した。原因はグーに握られた恵未の右手だ。


(懲りないな)


 潤は、意識を手放して床に転がっている倖魅を眺めた。やはりどこか幸せそうな顔をしている。命に別状はなさそうなので、そのままにしておいた。そのうち起きるだろう。


「潤先輩は何犬が好きなんですか?」


 恵未の質問に、答えを考える。


「特にこれといって――」

 言いかけ、室内を見渡す。お世辞にも綺麗とは言えない、毛色がまだらな中型犬に目が留まった。隅で昼寝の最中だ。保護した時にはダニとノミにまみれ、光沢を失った毛は乾燥しきっていたことを思い出した。今は食事のお陰か、毛艶も良い。


「いや、雑種……が好きかな……」

「ミックスじゃなくて雑種ですか?」

「そうだな。……純血種や人工交配種より、自由に生きてる気がする」


 セントバーナードの首元を撫でていた恵未が笑う。

「私は先輩のそういう所が大好きです!」

「そうか……」

 足元に集まる犬を撫でる。そのうちの一匹はゴールデンレトリバーだ。賢い種でも、不要になれば容易に捨てられてしまう。


「人間の都合で増やされて棄てられるんだから、たまったもんじゃないよな」


 呟く。

 すると、恵未は溜息を吐き出した。


「しかも、こんなに大きくなってから捨てられるなんて。飼われてた頃の良い生活を知っている分、野良生活は辛かったでしょうね」

「…………そうなんだろうな」

「ま、分かんないですけど! みんな、良い人に引き取られると良いですね!」


 セントバーナードとゴールデンレトリバーに抱きつくと、恵未はリュックから牛皮ガムを取り出した。


「施設長から許可貰ったからね! いっぱい食べていいよー!」


 リュックから、どんどんと犬用おやつを取り出す。倖魅の頭が埋まるほど、どんどんと。


「恵未……流石に多すぎなんじゃないか? 他にも犬は居るし、あと、倖魅が窒息する」


 床にスペースはあるのに、何故そこに山積みにするのか。潤は疑問に思ったが、訊かずとも、答えはなんとなく分かる。「なんとなく」だろう。


「あ、つい出しすぎちゃった。でも先輩、小型犬には小型犬用に、まだ用意しているんで安心してください!」


 一旦取り出した大型犬用のおやつを半分ほどリュックへ戻しながら、恵未が力強くサムズアップした。それと同時に、倖魅が唸る。身じろぐと、目を開けた。


「あれ? ボク、寝てた?」

 頭を押さえて起き上がる倖魅に、潤が頷く。

「あぁ。よく眠れたか?」

「うぅん……なんだか体中が痛いし耳元でガサガサ言うし、最悪な目覚めだよ」

 納得の意見だ。潤は「だろうな」と、肩を竦めた。


「せんぱーい! 私、小型犬の部屋へ行ってきますね!」

 言うが早いか、恵未はリュックを肩に掛けて出て行った。

 それを見送り、倖魅が伸びをしながら微笑む。

「恵未ちゃんは元気だねぇ」

「空元気と取れなくもないけどな。ここへ来ると、いつもだ」

 潤の言葉に、倖魅が嘆息する。

「動物に感情移入しちゃうなんて、恵未ちゃんも可愛いトコあるよねぇー」


「倖魅は切り替えが早いもんな」


「ボク? ボクの場合、動物は動物としてしか見ないもん。ここに居るみんなも、ボクにとっては道路で轢き殺されそうになってる蛙とおんなじ。でも、ここで支援活動してると“良い事してるな”って気になるんだよねー。只の偽善行為だよ。良い事してる自分カッコイイ、みたいな。そんな感じ。実際、本心じゃ興味ないから、ここのコたちも自分からボクに寄って来ないもんね」


 潤にすり寄る犬の毛を撫でながら、倖魅が感心の声を漏らした。


「あぁ。知ってる。それでも、行動するだけ良いんじゃないか? 泰騎は見向きもしないからな」

「泰ちゃんの場合、“辛いなら、殺してしまおう、ホトトギス”って感じだもんねー」

 ボク、あそこまでじゃないよ。と、倖魅がはにかんだ。


 潤は、苦笑う。

「自分の手が届く範囲の命くらい、助けられたら良いんだけどな」

 倖魅が、大型犬の背に両手をついて身を乗り出した。

「潤ちゃんは頑張りすぎてるくらいだから、息抜きした方が良いよー? ボク、潤ちゃんが死ぬのは嫌だもん」

「あぁ、それも知ってる」

 更に苦笑を重ね、潤は頷いた。


「ところで、潤ちゃん」

 倖魅が、毛のついた両手を叩きながら訊く。腰を折って、潤の顔を下から覗きながら。

「恵未ちゃんを拾ってきたのって、同情?」

 潤は倖魅のニヤついた顔を見返した。


 視線を、腰元の犬へ移す。

「――ただの偽善行為だよ」




◆◇◆


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