主従萌え女と氷の王子様【短編】
※長編連載小説の方へ投稿し直して、続編を連載しています。そちらの方もどうぞよろしくお願い致します。
「話したこともねーのに好きとか超キモイんだけど」
そう告げると、さっきまで頬を桃色に染めて女子力全開だった女はみるみる鬼の形相に変わり、ありとあらゆる悪口雑言を俺にぶつけてきた。
だから言ってんじゃん。
俺を好きとか絶対嘘じゃん。
「――王子が来たわよ!」
登校する度に女どもが群がってくる。入学してから毎朝ずっとこの調子だ。
「クッキー作ったんです食べて下さい!」
「握手して下さい!」
「一緒に写真撮ってくれませんか?」
「これ、あたしのケータイの番号です!」
全部無視して廊下をザクザク進んでいると、「あの冷たい目が素敵!」「まさに氷の王子!」とどこかから黄色い悲鳴が飛んできた。
何が氷の王子だ。一体誰が言い出したんだ。
ここは日本の東京で、今現在は平成で、俺はただの男子高生で、馬にも乗ってないし王冠も被ってない、王子なんてどこにもいねーんだよいい加減現実を見ろ。
「――やあ高宮恭一君おはよう。こないだのテストも学年一位だったそうだね」
君は我が高校の誉だ、と校長が嬉しそうに俺の背中を叩いた。
俺の爺ちゃんがこの学校の理事長だから、教師どもも俺に頭が上がらない。適当に愛想笑いして廊下を突き進む。
「――あの、もし良かったらうちのバスケ部に入ってくれないかな。高宮君が参加してくれたら次の大会は優勝間違いなしだと思うんだ」
男がへらへらしてんじゃねーよ気持ち悪い。俺に頼らないと優勝できないような部はさっさと潰れちまえ。
俺は誰とも視線を合わせずに教室へ向かった。
頭の奥がズキズキと痛む。
何かを大声で叫びたい衝動に駆られる。
昔からずっとそうだ。
だけどこの気持ちを何て呼ぶのか俺は知らない。
「――あんた、アリサにひどいこと言ったらしいじゃん」
一時間目終了後、見知らぬ女子生徒三人が俺の席にやってきた。
「アリサ、ショックで学校来れないって」
「告白してきた相手にひどいんじゃない?」
「アリサに謝んなさいよ」
何の話だ。アリサって誰だ。こっちは年がら年中告白されてんだ。いちいち名前なんて覚えてない。
「アリサは本気であんたのこと好きだったんだよ。断わるにしたって、もっと言い方ってモンがあるでしょ」
いや全然意味が分からない。
勝手に俺を好きになって、勝手に告白してきただけでも大迷惑なのに、その上断わり方までダメ出しされるとか踏んだり蹴ったりなんですけど俺。
「あんた、みんなに氷王子とか呼ばれていい気になってんじゃないの?」
お前らが勝手に呼んでるんだろーが。頼んだ覚えはねーよ。
ふと教室を見渡せば、みんなからの冷ややかな視線。
高宮君てばひどい、女子を泣かせたらしいよ、知らなかったそんな人だったんだ、男としてサイテーだね、そんな声があちこちから聞こえてくる。
あーそうかよ。
分かったよ。
勝手に持ち上げといて勝手にゲンメツしやがって。
勢いよく立ち上がって鞄を手に取ると、女三人組が後ずさった。もうどうでもいい。こんな学校に未練はない。どうせ俺は将来オヤジの会社を継ぐんだ。高校なんか通ったって意味はない。俺の将来は約束されてるんだ。俺の人生は決められているんだ。
いつでもどんな時でも、俺の知らないところで俺の全てが決められていくんだ。
「――控えおろう! その御方をどなたと心得る!」
突如、怒鳴り声が教室の空気を切り裂いた。
「下がれ下がれ庶民どもめ!」
よく通る声が教室に響き渡る。なになに? 誰の声? とクラス中がざわつき始める。女どもを蹴散らして姿を現したのは、
「控え控えーい! 一般人どもめがー!」
でかいメガネをかけた、黒いおさげ髪の小柄な女子生徒。
絵に描いたようにダサイメガネ女が、女三人組に向かってビシっと人差し指を突きつけた。
「頭が高いぞこのアバズレども!」
「はああ?! あんた誰よ! アバズレってあたし達のこと言ってんの?!」
「うるさい黙れ! いいかよく聞け皆の衆!」
メガネ女が素早く机の上に登り、どこから出してきたのか俺の頭上に紙吹雪を撒き散らした。
「この御方は容姿端麗、文武両道、立てばキムタク、座ればマツジュン、歩く姿はレオナルド・ディカプリオ! しかも高宮財閥の御子息であらせられるぞ! 近い将来日本を背負って立つ男・恭一様と校内で同じ酸素を吸えるだけで至福の極みなのだ! 告白できただけでもありがたいと思えとアリサとやらに伝えておけい!」
しん……と教室が静まり返った。
一体何を言っているんだこのメガネ女は。
「……確かに、そうかも」
女三人組のうちの一人が、ぽつりとつぶやいた。
「そうだよね、王子は私たちとは住む世界が違うもんね」
「だって氷王子だもんね」
「高嶺の花ってやつだよな」
「あの高宮にケンカ売るとか命知らずな三人だな」
「王子に告白する方がバカだよね」
「身の程知らずだね」
「断わられて逆ギレとかあり得ない」
クラス中からそんな会話が次々に聞こえてきた。
さっきまで威勢の良かった女三人組は急に小さくなって、こそこそと教室を出て行った。
「お待ちしておりました王子ーっ!」
昼休みに食堂へ行くと、さっきのメガネおさげ女が、俺を見つけるなり犬のように走り寄ってきた。強引に腕をつかまれて、窓際の席に座らされた。
「王子のために席を取っておきました。どうぞごゆるりと昼食をお召し上がり下さい」
「一体何のマネなんだよ」
「見晴らしの良い席で食べて頂きたくて」
「そうじゃなくて。お前、一体なんなの?」
俺が睨みつけてもメガネ女はびくともせず、にこりと微笑んだ。
「私は王子の従者です! 何なりとお申しつけ下さい!」
メガネ女が恭しくお辞儀をした。
他の生徒が面白そうにこちらを見ている。見世物じゃねえっつの。
「……従者って何。意味分かんねえよ」
「従者というのは王子のお供をする人のことです。騎士だったり執事だったり階級は様々ですが」
「そうじゃなくて。なんでお前が俺の従者なんだよ」
「それはもちろん恭一様が王子だからですよ」
「俺王子じゃねえし」
「何言ってるんですか恭一様が王子じゃなかったら誰が王子なんですか」
「知らねえよ俺に聞くな。仮に俺が王子だとしてなんでお前が従者なんだよ」
「王子にお仕えするのが私の夢だからですっ!!」
と言って握りこぶしを作った拍子に、メガネ女が持っていたクリアファイルが床にバサリと落ちた。
ファイルの隙間から、「主従萌え!」「王子×従者特集」などと書かれた薄い本が何冊も散乱した。
――ああこいつオタクなのか。
まあどっからどう見てもオタクだから別に驚きはしないけど。
メガネオタク女は赤い顔しながら大慌てで床に落ちた本を回収した。
「……そ、そんなことより王子! 王子のランチも確保しておきましたよ! あの行列に王子を並ばせるわけにはいきませんので!」
さあお召し上がり下さい、とメガネ女が目の前に出してきたカレーライス定食を見て、俺は盛大に舌打ちをした。
「……俺、カレー嫌いなんだけど」
「ええええッ?! カレー嫌いな男子なんて日本にいるんですか!」
「そりゃいるだろ。インド人がカレー嫌いなら驚くけど」
「ああそうか! いやいやいやいや、でもカレーってもう日本の国民食じゃないですかッ!」
「知るか。とにかくカレーはいらない」
「分かりました。ではこのカレーは私が責任持って食べます。いただきまーす」
「俺の昼メシはどうなるんだよ」
「ええと……あ、三日前に買ったカロリーメイトがポケットに入ってました。王子はこれでも食べてて下さい」
「なんで従者のお前がカレーで王子の俺が三日前のカロメなんだよ」
ふと気がついた。
なんか俺しゃべり過ぎじゃないか?
誰かとこんな風に会話したのは一体いつぶりだろう。
他人との対話が面倒臭くてずっと避けていたのに。
「――いけません王子、敵襲です!」
メガネ女の声に顔を上げてみれば、食堂の入り口に大勢の女子生徒が集まっている。どの女も手にカメラやリボンのついた紙袋を持ち、ギラギラした目で俺を凝視している。
ああ今日もか、と俺はため息を吐いた。
俺が食堂で昼メシを食うと、いつもこうなるんだ。
「敵国の兵が攻めてきましたよ王子!」
と、メガネ女が叫んだ。
「兵じゃねーよアホか。ただの生徒だ」
「ここは私に任せて王子はお逃げ下さい!」
「汚ねーな、口からカレー飛ばすなよ」
「国境を越えて隣国の王に協力を要請するのです!」
「お前のその設定はいつの時代のどこの国なの?」
「早くお逃げ下さい! 裏に馬を待たせてありますから!」
「本当だな? いなかったらシバき倒すからな?」
「私のことは気にしないで! 王子の身代わりとなって死ねるなら従者の本望です!」
「馬いなかったら承知しねーからな?」
スラスラと会話してる自分がおかしくて、気づけば俺は笑っていた。
すると、いつも以上に周囲の視線を感じた。
俺が笑ってんのがそんなに珍しいのか。
さあ早くお逃げ下さいとメガネ女に食堂の外へ押し出され、渡り廊下を歩きながらさっきもらったカロリーメイトをかじった。
そして、いつもの頭痛が消えていることに俺は気がついた。
「――お待たせしました王子! パンと飲み物買ってきました!」
「おせーよ。どんだけ待たすんだよ昼休み終わっちまうだろーが」
「申し訳ございません王子!」
あれ以来、メガネ女は俺に毎日つきまとうようになった。
朝は校門前で待ち構えていて、休み時間も必ず俺の元へやってくる。放課後も最寄り駅まで俺の鞄を抱えて送る始末だ。
一体何のつもりかは知らないが、こいつのおかげで見知らぬ女子からの告白やプレゼントが随分と減ったので俺としては好都合だ。しかもメガネ女は俺の従者を気取っているので、何でも命令し放題で快適な学校生活、のはずだが――
「――おい、なんだこれお汁粉って。コーヒーっつっただろーが」
「お汁粉もコーヒーも似たようなもんじゃないですか」
「全然ちげーよ」
「どっちも豆で出来てるじゃないですかフフフ」
「なにドヤ顔してんだよ。ちっとも上手くねーんだよ」
「とりあえず今日のところはお汁粉飲んで下さい」
「パンもなにこれダブルカスタードホイップクリームって。俺甘いの苦手だって言ったよな?」
「毒を持って毒を制すんですよ王子。甘いパン食べて甘いお汁粉を飲めば甘くなくなりますよ絶対!」
「お前従者なのになんで王子の言うこと全然聞かないの?」
よく晴れた屋上で、言うこと聞かない従者相手に説教しながら甘いパンを食う。
これがそんなに悪くない気がするんだからなんとも不思議な現象だ。俺の頭はどうかしてしまったんだろうか。
俺がゲーゲー言いながらお汁粉を飲んでいたら、突然メガネ女がビシッと正座をした。
「――王子、折り入ってご相談があります」
「なんだよ」
「私、赤点を取りました」
「知らねーよ」
「明後日の追試までに何とかして下さい王子」
「なんで俺が何とかしなくちゃなんねーんだよ」
「王子のその輝かしい学力を少しくらい家来に分けてくれてもいいんじゃないですか?」
「やだよメンドクセーよ」
「ふふん、これを見たらさすがの王子もそんな悠長なこと言ってられませんよ」
「あ? なんだこれ?」
「私の答案です」
「うわなにこの点数。こんなん初めて見た。これのび太の答案用紙か?」
「お助け下さい王子! 高宮家にお仕えする従者として恥ずかしくない点数を取りたいのです!」
「高宮家でなくても恥ずかしい点数だよこれは」
「哀れな家来をどうかお救い下さいまし王子!」
わんわんと泣き喚くメガネ女がうっとうしくて俺はため息を吐いた。
「……分かったよ。明後日までになんとかすりゃいーんだろ?」
「なんとお優しい! ありがとうございます王子! では早速問1からお願いします!」
「いやいや今は無理だろ。もう昼休み終わるし」
「それもそうですね。では放課後に?」
「あー……」
放課後は役員会議があったのを思い出した。
それに放課後にいつまでも校内に残っていると、決まって必ず見知らぬ女に校舎裏やら体育館裏やらへ呼び出される。そんな状況では勉強に集中できるはずがない。
「……駅前の図書館。あそこで勉強しよう」
「えッ!」
メガネ女が、ハトが豆鉄砲喰らったみたいな顔をした。
勉強と言えば図書館だろう。
何がそんなに意外なのか。
「駅前の図書館だよ。知ってんだろ」
「は、はい!」
「放課後は役員会議があるから。終わったら行くから。入り口で待ってろ」
「わわわ分かりましたあッ! 高宮家の家紋を掲げて待っております!」
「余計なことすんな普通に待ってろ」
「王子は白馬に乗って赤いバラの花束抱えて登場して下さいね!」
「言っとくけど俺はお前が留年したって痛くも痒くもないんだからな?」
「すみませんでした調子に乗り過ぎました」
では放課後に図書館で! と言って教室に戻ろうとしたメガネ女が屋上の塔屋のドアに激突した。
「……いたた、失礼しました、では放課後に……」
ぶつけたおでこを押さえながらふらふらと教室へ戻っていった。
何をそんなに動揺してるんだアイツは。
「――あれ、この財布……」
足元にピンク色の財布が落ちていた。
これには見覚えがある。メガネ女の財布だ。
「あのバカ、世話焼かせやがって」
俺は財布を拾って走り出した。今ならまだその辺ににいるはずだ。
「――お前、高宮の女か?」
階段を下り始めてすぐのところで足を止めた。
ここから姿は見えないが、複数の男子生徒の声が下の階から聞こえてきた。
「何ですかあなた達。そこを通して下さい」
メガネ女の声も聞こえる。どうやら見知らぬ男子に囲まれているようだ。
「お前、最近ずっと王子にベッタリだもんな。つき合ってんだろ?」
「違います。私は王子の従者です」
「何でもいいから顔貸せや。高宮には恨みがたっぷりあるんだよ」
「離して下さい。もうじき授業が始まりますから」
「いいから来いよ。高宮に吠え面かかせてやる」
「てゆうかコイツさらってどーすんだ?」
「分かんねーけど、とりあえず高宮の弱みとか探ってみるべ」
「バカだなお前。こういう場合は、この女自体が高宮の弱みなんだ、とかいうカッコイイ台詞を何かの漫画で読んだ」
「うわー悪人だなお前!」
ギャハハハと頭の悪そうな笑い声を聞いて、頭にカッと血が上った。
そこから先の記憶はおぼろげだ。
気がついたら、三人の男子が俺の足元に倒れていて、俺の口の中には血の味が広がっていた。
「――お、王子、血が……」
メガネ女が差し出してきた白いハンカチを勢いよく手で振り払った。
「ウゼーんだよお前消えろよ」
また頭の奥がズキズキと痛み出した。ここのところずっと消えていたのに。
「なんでお前みたいなダセーのが俺の女とか勘違いされてんだよ。いい迷惑だよふざけんな。二度とその顔見せんな」
しゅんと項垂れるメガネ女に「落としモンだよ」と財布を放り投げてその場を立ち去った。
腹が立って仕方がない。
でも何に対してかは分からない。
「恭一、来週から一年ほどアメリカに留学しなさい」
嫌なことってのは立て続けにやってくるもんだ。
今日男子に殴られた頬を氷で冷やしていたら、半年ぶりに帰ってきたオヤジから突然の海外留学を宣告された。
「その方が恭一の経歴にも箔がつくだろう。アメリカにいる父さんの知人に話してあるから、お前は身一つで行けばいい」
「分かったよ」
それだけ言って俺は自分の部屋に戻った。アメリカに行きたい理由はないが、行きたくない理由もない。雨が窓ガラスを叩く音にカーテンを開けてみる。いつの間にか降り出したようだ。午後からずっと頭痛がしているのはきっと雨のせいだ。
雨が降る中、図書館の入り口で待ち続けているメガネ女の姿が頭に浮かんだ。
翌日、メガネ女は姿を見せなかった。
あれだけひどいことを言ったのだから当然か。
それにどうせ俺は、来週にはアメリカだ。これで良かったのだと自分に言い聞かせた。
「――高宮テメエ、昨日はよくもやってくれたな」
学校の帰り道、十人ほどの男子生徒に囲まれた。
もしかして昨日の仕返しってやつか? 少年漫画の読み過ぎなんだよ。
「痛い目に遭いたくなきゃ土下座しろや氷の王子様」
「なんで俺がお前らに謝らなきゃいけねえんだよ」
「俺の女に手ェ出しただろーが!」
「出してねーよ。大方お前の女が勝手に俺に惚れただけだろ」
「……なんだとッ! ぶっ殺してやる!」
俺もむしゃくしゃしてんだちょうどいい。
とりあえず一番近くにいる男子の腹に蹴りをぶち込んだその時、
「――ここは私に任せて下さい!」
後ろを振り返れば、メガネ女が立っていた。
「……お前、なにやって……」
「高宮家の従者がパワーアップして戻ってきましたよ! さあお逃げ下さい王子!」
「いやいや、お前の方が危な……」
「高宮の女が来たぞ! 好都合だ女を捕まえろ!」
男の一人がメガネ女の腕をつかんだ。メガネ女はギロリと男を睨みつけて、
「無礼者手を離せい! この紋所が目に入らぬか!」
小さな黒い物を男子に大量に投げつけた。無数の黒い物体が男子生徒達の髪や制服に付着する。よく見てみるとそれは……
「――ぎゃああああああああああッ!!」
男子生徒全員が悲鳴を上げて、一目散に逃げて行った。
どんな屈強な男性でもおそらくこうなるだろう。
メガネ女が投げつけたのは、夏の風物詩の、黒い、油ギッシュな、虫の、つまりアレだ。
「――王子、お怪我はありませんか?」
転がるようにして逃げて行く男子どもの後ろ姿を見送っていたら、メガネ女がにこりと微笑みかけてきた。
「服に砂がついてますよ王子。掃って差し上げますね」
「……今のアレだよな、オモチャか何かだよな?」
「やだなあ王子、そんな心配そうな顔しなくても大丈夫です。アレは標本ですよ」
「ひょう……」
「あれ、どうしたんですか王子、なぜそんなに距離を取るんですか?」
「ちょ、あんま近づくな」
「えーなんでですか」
ひどいなーと言ってメガネ女が口を尖らせる。
あまりにもいつも通り過ぎるノリに、俺はぼんやりとメガネ女の顔を見つめた。
「どうしました王子、私の顔に何かついてますか?」
「いや……だって、今日一日ずっと見なかったし……」
「王子をお守りするために必殺技の特訓をしてたんですよ。早速実践することが出来て良かったです」
「ああそう……」
「ところで王子、今日はお別れを言いに来たんです」
メガネ女が柔らかく微笑んだ。
「――お別れ?」
「はい。実は私は、現世の人間ではないのです」
「はあ?」
「私は、今から百年ほど前の高宮家にお仕えする従者でした。しかし主を守るという使命を果たせず、志半ばで生涯を終えました。その使命を今こそ全うするため、こうして女子高生の姿を借りて恭一様にお仕えしたのです」
メガネの奥の澄んだ瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。
「王子をお守りすることが出来て良かった。使命を果たせたので、これでお別れです……」
そう言ってメガネ女は静かに目を閉じた。
「……という設定の主従本を今度のコミケで出す予定なんですよ」
「全部お前の妄想かいッ!! 今ちょっと信じかけたじゃねえかッ!!」
「え、マジですか。王子って案外騙されやすいタイプなんですねあはははは」
腹が立ったのでメガネ女の脳天に思い切り手刀を喰らわせてやった。
痛いですひどいです暴力反対! と喚くメガネ女の顔が滑稽で、俺は思わず噴き出して笑った。
「――あ、いいですね。王子は笑った方が素敵です」
笑顔の方がお友達もたくさん出来ますよ、と言ってメガネ女は去って行った。
気づけば俺の頭の痛みは消えていた。
次の日から、メガネ女は一切姿を見せなくなった。
教室にも、廊下にも、校庭にも、食堂にもどこにもいない。
よく考えてみれば俺は、メガネ女の名前を知らない。クラスも知らない。
〝実は私は、現世の人間ではないのです〟
胸の奥がざわりとした。
落ち着け俺、あれはあいつの冗談だったんだ。
きっと風邪でもひいて欠席してるんだ。いつか会えるだろう。
しかし次の日も、その次の日も、メガネ女は見つからなかった。
そうこうしているうちに俺がアメリカに経つ日がやってきてしまった。
「――ちょっと聞きたいんだけど!」
俺が必死で腕をつかんだものだから相手がドン引きしていた。
今日が最後の登校日。食堂で見つけたのはアリサがどうのと言って俺にイチャモンつけてきた女三人組だ。
「あの時の、お前らにアバズレとか、紙吹雪とかやった、あのメガネ女、あいつどこのクラスか知ってる?!」
「し、知らない、です……」
やっぱりそうか。俺はがっくりと項垂れた。
誰に聞いても、みんなそう答える。
メガネ女の名前とクラスを知ってる奴は一人もいなかった。
「……もしかしたら、あの子かも」
三人のうちの一人が、おずおずと口を開いた。
「D組の、立花真知子じゃないかな。あんまり登校してこないから顔覚えてなかったけど……」
立花真知子。
その名を聞いて、俺の中から何かがこみ上げてきた。
「――ありがとう!」
お礼を言うと、女三人は驚いた顔をした。
俺は何か変なことを言ったのだろうか。
午後七時。本当なら飛行機に乗っているはずの時間だ。
繁華街の人気のない路地裏で、ケータイでオヤジに電話をかけた。
「――もしもし。俺だけど。アメリカ行くのやめるわ」
受話器の向こうでオヤジはしばらく黙った後、「やりたいことでも見つけたか?」と静かに訊ねてきた。
「うん。どうしても見たい芝居があるんだ」
それだけ告げると、俺は電話を切った。
パイプ椅子で百席未満の、小さな劇場。
その座席の一つに俺も座った。小規模ながらも客の入りは上々のようだ。
ここで今から始まる舞台の主演女優の名は、立花真知子。
ネットで調べてみると、立花真知子は有名女優と映画監督の娘。そんな奴がなぜこんな小さな劇団で活動しているのだろうか。
しかしその謎は芝居が始まってすぐに解けた。
物語の設定は十世紀のイギリス、自分が女であることを隠し、最強の騎士として活躍するヒロインを演じるのが立花真知子だ。
舞台の上でスポットライトを浴びる立花真知子は当然メガネでもおさげ髪でもなかった。
それどころか全身から光のオーラを放ち、声が、動きが、観客の心を瞬く間に虜にしていった。こんなこと、一朝一夕で出来るはずがない。光り輝く立花真知子から、芝居に対する情熱と執念がメラメラと湧き上がっているように見えた。
よく分かったよ。
試したいんだな。
自分の力でつかみ取りたいんだな。
親の七光りではなく、自分の力で自分の世界を作り上げたいんだな。
俺とはまるで大違いだ。
「――はは、ははは……」
舞台を見ながら、俺は笑っていた。
王子を守るため、ヒロイン自らが盾となり命尽きて行くシーンで俺は笑っていた。
――全部これのためだったんだ。
この舞台の役作りのために、メガネ女は俺に近づいたんだ。
王子に仕える従者の練習をしていたんだ。
俺は踏み台にされていたんだ。
俺は練習台だったんだ。
だけど何だろう、どうしたというのだろう。
今まで味わったことのない、この愉快な気分は何だろう。
「――赤いバラを百本ください」
舞台が終わった後、劇場のすぐ近くの花屋でバラの花束を購入した。
どでかい花束を抱えて、あいつが劇場から出てくるのを待ち伏せる。
この花束を見てお前はどんなマヌケ面をするだろうか。
想像するだけでワクワクした。
「――やあ、千秋楽おめでとう看板女優殿」
劇場から出てきたメガネ女は驚くなんてものじゃなかった。
俺の姿を見るなり、「あ、王子、え、嘘、なんでバラ、いや、あのこれは……」と口をぱくぱくさせている。おまけに耳まで真っ赤にさせて。つい今しがた舞台の上で大立ち回りをしていた女騎士と同一人物とは思えない。
俺はな、こう見えて負けず嫌いなんだよ。
他人を踏み台にすることはあっても、されたことはないんだよ。
やられた分はキッチリやり返す主義なんだよ。
お前は俺のそういうとこ全然知らないだろう。
これから嫌と言うほど思い知らせてやる。
大体なんだよあの王子役の俳優は。
俺より身長低いし足短いし。
絶対俺の方が王子様だろーがよく見てみろ。
俺はプロポーズよろしくバラの花束抱えてメガネ女の前に跪いた。
ますます耳を赤くするメガネ女を見て、さらに愉快な気分になった。
だけどこの気持ちを何て呼ぶのか俺は知らない。
<end>




